野洲市三上、琵琶湖南岸の三上山(標高432m)の山麓に鎮座される「御上(みかみ)神社」。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣中社。御祭神は『天之御影命(あめのみかげのかみ)』。天照大神の孫神で、鍛冶の神である天目一箇神と同一神とされ、日本第二の忌火の神とされます。
由緒「孝霊天皇六年、天之御影命が三上山の山頂に降臨され、それから約千年の間、御上祝(みかみのはふり)が三上山を神体(神奈備)として祀ったのに始まると伝える。「古事記」の開化天皇の段に「近つ淡海の御上祝がもちいつく天之御影神」と記される。養老二年(718)、藤原不比等が勅命を拝し、現鎮座地に造営しご遷祀させた。陽成天皇(877~884)の御代、正一位の神階を授けられ、併せて社殿の修営も行われた」公式HPより
野洲市の象徴ともいえる標高432メートルの「三上山」は、その秀麗な姿から近江富士とも呼ばれ敬われてきました。山頂には「御上神社・奥宮」が鎮座され、御前には磐座が残されています。
参道正面をまっすぐに進むと、三間一戸、入母屋造、檜皮葺で、国指定重要文化財の「楼門」に出迎えられます。
楼門上層間斗束裏面には「かうあん五年きのとみのとし」の墨書があり、乙巳は康安五年(1365)に当たり、各部の形式も当時のものとみられています。
楼門前、左右より神域を守護されるのは、京うちわタイプの狛犬さん一対。玉をとる阿形さんの得意満面なお顔と、そんな阿形さんを包み込むように優しく見つめる吽形さん・・・何というか・・まるで親子のよう 😊
国指定重要文化財の拝殿「桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺の拝殿は旧本殿の部材を再利用して建立されたものと云われている。本殿の柱間寸法と殆ど変らない規模で、隅柱上のみに舟肘木をもち、内部中央を棹縁天井に、その周囲を化粧屋根裏とし、の木は二軒繁垂木であり、入母屋の破風を小さく構えるなど本殿の様式とよく似ており、柱には旧柱間装置の仕口が残っている。様式等により鎌倉時代後期の建立と考えられる」公式HPより
国宝指定の本殿「桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺。建立年代は明らかではないが、様式手法からみて鎌倉時代後期の建立と推定される。入母屋造、漆喰壁及び連子窓など仏堂的要素が融合した神社建築で、簡素であるが優れた形をしている。その独特な構造から「御上造」とも呼ばれる。」公式HPより
本殿と並んで向って左に鎮座される、国重要文化財の「摂社・若宮神社」。『伊弉諾尊・菅原道真公』を御祭神とし『天石戸別命、天御鉾命、野槌之命』を配祀。一間社流造、檜皮葺で、建立年代は明らかではないが、鎌倉時代後期のものとみられ、規模は中型で浜床を低く作る形式は古式に属しているとされる。(公式HPより)
本殿と並んで向って右に鎮座される、県指定有形文化財の「摂社・三宮神社」。『瓊瓊杵尊』を御祭神とします。一間社流造、檜皮葺・建立年代は室町時代で「十禅師社」とも称しました。
神社入り口近く、〆竹で囲まれた一画が何を意味した場所なのか不明。
【彩りに 屋根の鶏頭 お菓子盛】。句に読まれた鶏頭は花の名前で、「お菓子盛」は、10月の「ずいき祭り」で奉納される「ずいき神輿」づくりの事だそうです。
重機が入ってなにやら新築工事の最中、何が建てられているのか気になりつつも、お邪魔になってはいけないと遠目で見るにとどめました。
【 打ち出でて 三上の山を詠れば 雪こそなけれ 富士のあけぼの 】と紫式部が歌い、松尾芭蕉が【 三上山 のみ夏知れる 姿かな 】と詠んだ三上山。明治から昭和にかけての発掘調査では、三上山麓の大岩山から24個の銅鐸が発見され、古来よりこの三上山周辺で祭祀が行われていたと考えられています。見目麗しく神の住む山でもある三上山ですが、一方『藤原秀郷(俵藤太)』が、龍神に頼まれて大ムカデを退治をしたという伝説でも知られ、「ムカデ山」の異名も持っているそうです。
参拝日:2015年7月15日