広島で芝居を楽しむためのブログ

広島での観劇レビューや日々思うこと徒然と。芝居で生の驚き、生の迫力、生の感動を多くの人に知ってもらいたい。

公演名:痛くなるまで目に入れろ

2004年09月28日 | 観劇レビュー
日時・会場:
 2004.9.28 アステールプラザ中ホール
作・演出:
 G2
出演:
 山内圭哉・中山祐一朗・曽世海児・久保田浩・岩橋道子・渡辺慎一郎・
 松下好・久ヶ沢徹・坂田聡・シルビア・グラブ・陰山泰
感想:
 アットホームサスペンスホラーだった。G2らしい作・演出で救いの全くない内容となっていた。俳優人は以下のとおりだ。山内君ギターはそんなにうまくない。テクも早引きもなし。ただ80年代ロック風味を歌ってた。どうせなら、ミュージックハラスメント(相手の耳元でムード歌謡を歌う。)ぐらいやって欲しかった。さて、中山君相変わらず、もしかして性格俳優という名を被った凡優?あぁ、恐ろしいことを考えてしまった。この結論は次回まで持ち越し。坂田はいいぞ、そのままで・・・、ジョビジョバ、ジョビ・・・、解散しちまったし・・・。石橋、松下、残念好みではない、ごく普通の女優、演技はうまいよ。でも、陰山が一番でしたね。気を張っていていい感じ。なんだか分けわかんない緊張感が走るのが良い。陰山最高。全般的にテンポや演出は良い。理解しやすく笑いもちりばめられ、難解さもない。内容はブラックだけどね。ひとつわかんなかったのは、親父の愛というか気持ちの方向。息子を”目に入れても痛くない”ほどかわいがっているのは理解できる。しかし、それは純粋な息子への愛なのか、息子を通しての妻への愛なのかが語られずしっくりこなかった。あれでは、親父はただのアナーキストで終わってしまう。それとあれだね。息子、二重人格というより、記憶障害。血だなんだと騒ぐわりには消化不良な展開。舞台はよく考えられ作り込まれていた。下段と上段で分け、時間の逆行、場世の転換など能率的に話が進む。衣装は、ちょっと80年代の話だからちょっと古い感じがでて良し。そうか、山内の歌があんなんだったのも演出なのか、まさか!?さて、観客はおねーちゃんが多かった。だれのファンだ。山内や中山の固定ファンが広島にいるのか!?そんな!?今回はアステール中ホールなので2daysでした。そして初日なので、1階席は満席2階まで人が入っていた。2日目はよくわかんないが、広島にしてはよくはいっていた方だと思う。でも、当日までテレビで番宣してたから、売れてないのか。その性かどうかわからないが、俳優人の”かみかみ”が異常に目に付いた。せっかくの舞台が・・・。正直もうちょっとしっかりしてほしいね。
そうそう、これだけは書かないと。モデルガンが劇中2丁でてきた。コルトパイソンとS&WM19だと思うが、ふたつとも4インチモデルであった。しか~し、刀は短刀、銃は2.5インチモデルが地球上で一番美しいのである。まさに地上最強伝説だ。これだけは譲れない、是非次回は2.5インチモデルの登場をせつに願う。

公演名:妖怪狂言

2004年09月11日 | 観劇レビュー
日時・会場:
 2004.9.11 アステールプラザ大ホール
作・演出:
 京極夏彦
出演:
 大蔵流茂山家
感想:
 この評価はどうしたものか。胸のときめきや派手さは全くない。トリックや新しい技法もない。狂言だから。でも、厳密な意味での狂言ではなかった。ネオ歌舞伎だかニュー歌舞伎か知らないけどあんなカンジ。現代風にアレンジされていた。実際本物をナマで見たことないけど、テレビでやっているのとは異なっていた。芸術や文化をたしなむには、それ相応の教養がいる。それを見て楽しむだけの資質みたいなものが必要である。本来教養は子供の頃から興味のあるなし関わらず親が教育するものだ。今の世の中のようにちょっと得意なことや変わったところを個性だなんだと褒め称える個人主義。意味がない。その程度は別人格だから当たり前であり、ましてその個性で飯が食えるわけではない。そのことを徹底的に子供にたたき込み挫折まで追い込み、そこからなおはい上がってくるのが本物のはずだ。プチ個性なんかなんの役にも立たないことをわからすべきだ、親も子も。集団生活において、そんなものはじゃまなだけだ、アメリカを見れば一目瞭然である。回りくどくなったが話は戻り、狂言は難しいままでいいと思う。半分もわかんない言葉・ストーリー、そして時代背景、最初はわかんなくてもいい。それを感じられれば。そして、回を重ね、次第に勉強し理解していくものである。その辺をすっとばし口当たりをよくした文化なんてものはいらなし、無意味である。さて、京極夏彦作妖怪ということでちょっと期待していたが、かなり予想は外れる。内容は昔話だ。オーソドックスな狐狸話と豆腐小僧後日談、むかし阿佐田かだれかが書いていたシンデレラ物語の続きみたいなやつでした。嫌いではないがどうして、狂言なのかわからなかった。狂言の舞台っていい感じで、木製舞台と金屏風のみ、照明などもほとんど使わず軽く絞る程度。そんな素朴な演出と、狂言独特の言い回し、その動きが特によかった。通常の芝居よりもさらに簡素化され、演じるもの見るものがお約束のうちに話を紡ぐ。山犬がでてくる。着物を着た人間が登場、でも、第一声で我は山犬と叫んだ瞬間、彼は山犬となる。演じるもの見るもの双方が、見立てで芝居の空間ができあがる。なんて想像力なのだろうか。これが、できないため西洋では舞台に衣装に金をかけ、さらには特撮だ、SFXだ、CGだといきり立つ。そんなものは必要ないのだ。所詮すべては夢物語、喜怒哀楽すべて人の中にある。ビジュアルでなくとも人の頭、否、心で見ることができればいいのだ。最後に、こうして現代風にしていくのも、観客のレベルの低さに起因する。よく大衆文楽だから、いいのだと声高らかに叫ぶ人がいる。そうでは、ない。昔の大衆は今ほど馬鹿ではない。芸術や文化の中で生きていた。疫病や不安などがもっと切実な時代。娯楽や生活が本当の意味で文化だった時代。精神レベルは現代人が思っているより遙かに進んでいたのだから。

公演名:鈍獣

2004年09月03日 | 観劇レビュー
日時・会場:
 2004.9.3 1900 アステールプラザ大ホール
作・演出:
 宮藤官九郎・河原雅彦
出演:
 生瀬勝久・池田成志・古田新太・西田尚美・乙葉・野波麻帆
感想
 クドカンの最新作。前半、ミステリかと思って油断していると、後半、オカルトになちゃった・・・。どうなんだろうか。これで良いのだろうか。脚本は長い割には、展開もテンポも速いため、間延びした感じはないが、全くないかといわれればいらないところも、ちらほら。でも、出演の6人をまんべんなく使おうと思えばこのボリュームなっちゃいましたってカンジ。ねずみ三銃士というだけあり、この物語、アキラ物語だろう。アキラの青春物語。大ディマの書いた三銃士、実はダルタニアン物語のひとつの話だって知ってました?全体の10分の一以下の。西田さんが、多分日常を生きる常人で、その人が迷い込んだパラレルワールド的地方都市。話が進むにつれ、少しずつ日常が崩壊していくって感じの話ですが、やはり納得はいかない。全体評価は厳しく”並”ってことで。さて、最初はやはり乙葉。日頃から芸能界で乙葉を演じているだけあり、舞台で乙葉を演じるのはお手の物。そのままだ、合格。そういう使い方もある。しかし、まるっこいイメージがあるが、実物は結構すらっとしている。そして、あの胸は健在である。もう、どきどき。安藤希以来のときめきを覚えた。しかし、西田は足が長い、登場から足の長さを強調した登場。きゅっとしまったヒップをこちらに向け、そして長い足をスリムパンツで強調。見事にはまる。野波唯一の着物、そのため、衣装の着替えもなかった。生瀬、古田、池田はそのままです。舞台の人たちです。テレビで見るあの違和感はありません。舞台でこそ光る人たちです。舞台装置は結構作り込んであります。また、演出もちゃんとしています。ぱっと光って、ずーんと暗くなって、ぱーんは登場します。言葉ではうまく説明できません。見ていただければわかります。今回は劇場にいっぱいの人でした。二階席もちゃんとうまっていました。年齢的性別的にも中間の客層。誰のファンなんだろうか?ねずみ三銃士?乙葉?西田?野波?ひょっとしてクドカン?逆にどうしてこれだけの人がきてるの?脚本もだが客層もよくわかんない舞台でした。