tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

数学者・藤原正彦氏「お金を儲ければ幸せなのか」「論理と合理が品格を破壊する」 

2021年10月26日 | 日々是雑感
衆議院選挙を控え、毎日新聞夕刊(2021.10.22付)「特集 ワイド この国はどこへ これだけは言いたい」欄に、数学者・藤原正彦氏へのロングインタビューが出ていた。見出しは〈「論理と合理」が品格破壊 真鍋さん受賞「痛快」 お金をもうければ幸せなのか〉。記事全文は末尾に貼っておくが、私がピンときたところを紹介すると、

拝金主義がはびこる日本に警鐘を鳴らした数学者の藤原正彦さんは最近、ますます憂いを深めていてるという。(中略)「今は役に立つかどうか、ばかりです」(中略)研究資金がすぐに役立つ分野や流行に偏れば、研究力全体の低下にもつながりかねない。「『役に立たない』は必ずしも『価値がない』を意味しません」。

以前に増して懸念されているのが、日本の研究者が海外に活躍の場を求める「頭脳流出」だ。(中略)「潤沢な研究費をくれるなら、どこへでも行くと考えてよい。研究者が中国に行くことを政府が恐れるのなら、大学への交付金を大幅に増やさないといけません」。

その点、今年のノーベル物理学賞に気候変動予測の基礎を築いた真鍋淑郎(しゅくろう)・米プリンストン大上席気象研究員(90)が決まったことは痛快だったようだ。(中略)「半世紀前は誰も気候変動などに興味を持っていなかった。だからすごいのです」(中略)真鍋さんも受賞の記者会見で若手研究者に向け、「はやりに走らず、好奇心に基づいた研究をしてほしい」とエールを送っていた。

藤原さんは素粒子ニュートリノの観測で、02年に同じくノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さん(昨年94歳で死去)の言葉を思い出すという。「受賞後に『先生の研究はどのくらいたったら役に立ちますか』と聞かれ、小柴さんは『500年たっても役に立ちません』と断言しました。素晴らしい言葉です。ニュートリノ発見は人類の英知への貢献です。こういった研究にお金を出して支援するということが、品格ある国家です」。

「国家の品格」で藤原さんは、日本人が「市場経済に代表される欧米の『論理と合理』に身を売ってしまった」と指摘した。

新自由主義は何をどう変えたのか。(中略)「新自由主義には利潤を最大にすることが人間の幸せ、という大前提がありますが、お金をもうければ、人間は本当に幸せになれるのか。ここに根本的な問題があります」。

「日本人が大切にしてきた情緒である弱者への涙、すなわち惻隠の情を忘れた国家に成り下がってしまったのです」。

「みんなが公平な条件の下で自由に競争したら、勝つ者は勝ち続ける。負ける者は負け続ける。人間というのはそういうものです。人間の尊厳は完璧に平等ですが、能力は不平等なのです。ボクシングだってヘビー級とフライ級を一緒に戦わせません。新自由主義の根幹である自由競争を規制し、弱者や地方のための大がかりな財政出動をしない限り、日本を再生することはできません」。

いかがだろう。『国家の品格』で書かれていた藤原氏の思想がここまでたどり着いたのか、と感銘を受けた。全部は以下に掲載するので、ぜひ、じっくりとお読みください。

「論理と合理」が品格破壊
大ベストセラーとなった著書「国家の品格」(2005年)で拝金主義がはびこる日本に警鐘を鳴らした数学者の藤原正彦さんは最近、ますます憂いを深めているという。東京都内にある仕事部屋で話をうかがっていると、研究資金の獲得のためにあくせくする後輩研究者らの窮状を嘆き始めた。

「今は役に立つかどうか、ばかりです。例えば、競争を導入しようと国は競争的資金というものを作りましたね。『何年後に役に立ちますか』といったトンチンカンなことを尋ね、3年後とか5年後とかに役立ちそうなものに研究費を与えています。これを取らないと研究に支障が出るから研究者は必死です。日本中の大学の先生がいかにも役立ちそうに見える作文を書いて、申請書類を山ほど提出している。それに追われて研究時間を奪われています」

国は04年度以降、国立大学に対し、研究者の雇用や研究資金の原資となる運営費交付金を段階的に削減してきた。半面、近年は特定分野に研究費を重点配分する「選択と集中」を進めている。より実用化が期待される分野に投資を、というわけである。だが、お茶の水女子大教授を09年まで務め、現在の研究現場の状況にも詳しい藤原さんが感じるのは、むしろ弊害のほうだ。

「人件費が減り、大学のポストが任期付きのものばかりになってしまいました。国立大では40歳未満の常勤教員のうち、『任期なし』はほんの30%ほどです。2年や3年といった任期付きでは腰を落ち着けて研究などできません。深刻なのは博士課程進学者の数で、この状況を見て十数年で半減してしまいました。これでは日本の科学技術の未来はありません」

研究資金がすぐに役立つ分野や流行に偏れば、研究力全体の低下にもつながりかねない。「『役に立たない』は必ずしも『価値がない』を意味しません」と国の方針に疑問を呈する。

実際、世界的に影響力のある論文数の国際比較で日本は毎年、順位を落としている。文部科学省科学技術・学術政策研究所によると、最新の比較(17~19年)ではインドに抜かれ、過去最低の10位に沈んだ。他の研究者に引用される回数が上位10%に入る論文数は、トップの中国の1割未満という有り様である。そうした中、以前に増して懸念されているのが、日本の研究者が海外に活躍の場を求める「頭脳流出」だ。

「中国の(外国人研究者を集める)『千人計画』に日本人が参加することに批判的な声もあります。気持ちは分かりますが、研究者というのは研究に命を懸けています。潤沢な研究費をくれるなら、どこへでも行くと考えてよい。研究者が中国に行くことを政府が恐れるのなら、大学への交付金を大幅に増やさないといけません」

真鍋さん受賞「痛快」
その点、今年のノーベル物理学賞に気候変動予測の基礎を築いた真鍋淑郎(しゅくろう)・米プリンストン大上席気象研究員(90)が決まったことは痛快だったようだ。実は藤原さん、真鍋さんとは縁がある。大伯父で中央気象台長(現・気象庁長官)を務めた気象学者、藤原咲平の孫弟子に真鍋さんが当たるからだ。今回の快挙には、身内が受賞したようなうれしさを感じている。

「半世紀前は誰も気候変動などに興味を持っていなかった。だからすごいのです。すぐに役に立つうんぬんじゃないところからノーベル賞は生まれる。逆に言えば、3年後やら5年後やらに役立ちそうな研究などに真に独創的なものはないと思ってよい」

真鍋さんも受賞の記者会見で若手研究者に向け、「はやりに走らず、好奇心に基づいた研究をしてほしい」とエールを送っていた。藤原さんは素粒子ニュートリノの観測で、02年に同じくノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さん(昨年94歳で死去)の言葉を思い出すという。

「受賞後に『先生の研究はどのくらいたったら役に立ちますか』と聞かれ、小柴さんは『500年たっても役に立ちません』と断言しました。素晴らしい言葉です。ニュートリノ発見は人類の英知への貢献です。こういった研究にお金を出して支援するということが、品格ある国家です」

累計発行部数270万部を超える「国家の品格」で藤原さんは、日本人が「市場経済に代表される欧米の『論理と合理』に身を売ってしまった」と指摘した。拝金主義とも言うべき風潮に危機感をあらわにしたのだ。

今読んでも内容が全く色あせていないと感じるのは、本質的なところで日本が変わっていないからだろう。惻隠(そくいん)の情(他者を思いやる気持ち)やひきょうを憎む心、あるいは「もののあはれ」といった日本人が生来持つ「情緒」が失われ、国家としての品格が低下した――と同書にはつづられている。

「幕末から明治初期に来日した外国人は異口同音に『日本人はみな貧しい。だけどみんな幸せそうだ』と言いました。欧米人にとって、貧しいことは不幸せなことであり、恥ずべきことであり、みじめなことです。だけど日本人は、誰もそうは思っていなかった。一番威張っている武士が一番貧乏だったのですから」。藤原さんはそう話す。

こうした日本人の美徳や国柄は明治維新や第二次世界大戦を経て次第に薄れていく。戦後も半世紀を過ぎた頃になって「徹底的に破壊された」と藤原さんがその影響を指摘するのが、「構造改革」を掲げた小泉純一郎政権の頃から台頭した新自由主義だ。

新自由主義とは政府の介入を極力小さくし、市場原理に基づく競争によって経済成長を目指す考え。欧米から入ってきた「論理と合理」の一つでもある。その「伝道者」として知られ、くだんの小泉政権で経済財政担当相を務めた竹中平蔵氏(現・人材派遣大手パソナグループ会長)は、第2次安倍晋三政権や菅義偉政権でも政府の有識者会議のメンバーとして、国の経済政策に影響を与え続けた。

お金もうければ幸せなのか
新自由主義は何をどう変えたのか。冒頭のように学問の世界を含め、あらゆる局面で経済合理性や効率性が問われるようになった、と藤原さんは感じている。富める者はより豊かになり、持たざる者は切り捨てられる。「新自由主義には利潤を最大にすることが人間の幸せ、という大前提がありますが、お金をもうければ、人間は本当に幸せになれるのか。ここに根本的な問題があります」

コロナ禍で非正規雇用者の解雇や雇い止めが相次いでいるように、新自由主義が格差拡大の原因になった、との指摘も聞こえてくる。安倍政権の経済政策「アべノミクス」の下、日銀の大規模な金融緩和で円安が進行し、輸出関連企業を中心に企業業績は回復した。それに伴って株価も上がった。だが、景気回復の実感を持てた人がどれほどいたことか。「労働者の賃金は上がらず、大企業の内部留保ばかりが500兆円近くにまで膨らみました。株を買う金持ちだけがもうかり、庶民はじりじりと貧しくなっているのです」

ここ20年あまり、新自由主義を進める日本などの各国政府は、大企業や富裕層が潤えば、中小企業や貧困層にも恩恵が広がると主張してきた。いわゆる「トリクルダウン」だが、藤原さんは「世界中どこでも実現していない。真っ赤なウソでした」と喝破する。日本では「弱肉強食を正当化した自己責任論」も幅を利かせるようになった。「日本人が大切にしてきた情緒である弱者への涙、すなわち惻隠の情を忘れた国家に成り下がってしまったのです」

さて、衆院選である。岸田文雄首相は自民党総裁選を通して「新自由主義からの脱却」を表明した。「画期的な方針」と藤原さんは歓迎するものの、懸念もある。小泉、安倍、菅の3政権が進めた経済政策を否定することになり、彼らやその周辺からの反発が予想されるからだ。緊縮財政からの転換には財務省が難色を示す可能性も高く、実際、財務事務次官が衆院選を控えた各党の政策論争を「ばらまき合戦」などと批判する論文を月刊誌に発表し、波紋を呼んだ。

一方で新自由主義からの転換には野党の多くも賛成しており、藤原さんは「与野党が一致団結して取り組んでほしい」と願う。どこが政権を担うかばかりが注目されがちだが、もっと本質的なところに目を向けてほしいと言う。

「みんなが公平な条件の下で自由に競争したら、勝つ者は勝ち続ける。負ける者は負け続ける。人間というのはそういうものです。人間の尊厳は完璧に平等ですが、能力は不平等なのです。ボクシングだってヘビー級とフライ級を一緒に戦わせません。新自由主義の根幹である自由競争を規制し、弱者や地方のための大がかりな財政出動をしない限り、日本を再生することはできません」【金志尚】

◆人物略歴
藤原正彦(ふじわら・まさひこ)さん
1943年、旧満州(現中国東北部)生まれ。東京大理学部卒。数学者。お茶の水女子大名誉教授。作家の新田次郎、藤原てい夫妻の次男。自身も作家として「若き数学者のアメリカ」「国家の品格」「国家と教養」など著書多数。


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重伝建に選ばれた今庄宿(福井県南越前町)で、「今庄そば」を堪能!

2021年10月25日 | グルメガイド
今夏(2021.8.2)福井県の今庄宿(いまじょうしゅく)が、重伝建「南越前町(みなみえちぜんちょう)今庄宿 伝統的建造物群保存地区」に選定された。早くから行こうと思っていたが、やっと今月(10月6~7日)になって予定が立ったので、お邪魔してきた。
※トップ写真は、「十割そば 六助」の「おろしそば」税込み700円


レトロ調の駅舎がいい


ここが伝建地区で最古のお屋敷で、外壁や軒裏を壁土で塗り込めている

以前同僚のUくんから、「辛味大根のついた今庄おろしそばは、絶品です」と聞いていた。奥さんが今庄のご出身なのだそうだ。新・重伝建の見学と今庄おろしそばの2つの目的で訪ねてみた。なお文化庁の報道発表(2021.5.21付)によると、


江戸時代の旅籠屋(若狭屋)が、蕎麦屋さん(六助)になっていた!

◎今回の答申における特筆すべきもの
福井県山間部の豪雪地に位置し、17世紀初めに北陸道の宿場町として成立し、明治以降も地域の中心として、また鉄道の町として発展しました。街道沿いには江戸後期から昭和30年代にかけて建てられた、重厚感のある町家が建ち並びます。冬期に設置される雪囲いも特徴的で、越前地方の豪雪地に発展した旧北陸道の宿場町の姿を良く伝えます。



「六助」の内部




メニューを書いた黒板が、無造作に置かれていた。やはり人気は「おろしそば」

また一般社団法人「南越前町今庄観光協会」のHPによると、

今庄おろしそば そば通をもうならせる味をぜひご賞味ください
福井県を代表する昔ながらの田舎そば「今庄おろしそば」。そのおいしさの秘密は、寒暖の差が大きいことと雪解けのおいしい水で育った極上のそばの実にあります。そしてそのそばの実を風味をそこなわず石臼で丹念に挽き、天然の山芋を合わせ打ちます。おろしそばは、そば本来の味と大根おろしのさわやかな辛さとが同時に味わえる究極の逸品です。今庄おろしそばは、今庄地区飲食店のほか、今庄そば祭りなどのイベントで味わうことができます。



「十割そば 六助」(若狭屋)の「おろしそば」税込み700円(トップ写真に同じ)

今庄駅から北国街道を歩いて巡った。江戸時代にタイムスリップしたような錯覚を覚えた。1軒目はもと旅籠屋の「若狭屋」で営業する「十割そば 六助」(福井県南条郡南越前町今庄75-13)へ。地元の人たちが楽しくテーブルを囲んでいた。私が店を出る頃には、観光客がぽつりぽつり。





麺は「挽きぐるみ」(一番粉から三番粉、四番粉まで全てを挽き込む)のような田舎そばで、これは美味しかった。大根おろしはそんなに辛くなかったので、全部平らげた。重厚な造りの旅籠屋でいただく田舎そばは格別だ。









2軒目まで、再び北国街道を歩いた。どっしりとした造りの旅籠屋や造り酒屋が目に飛び込んでくる。よほど栄えた町だったのだろう。入ったのは「蕎麦 ふる里」(南越前町今庄83-3-1)。ここでも「おろしそば」税込み700円を注文した。


「蕎麦 ふる里」の「おろしそば」税込み700円

ここでもそばは、「具材のせ」(ぶっかけ)で出てきた。奈良や大阪でいただく「おろしそば」とはややスタイルが違うが、これがワイルドな今庄スタイルなのだろう。


ミシュランのビブグルマンに輝く、四天王寺門前「はやうち」(大阪市
天王寺区四天王寺 1-12-16)の「辛味大根おろしそば」税込み1,210円


「蕎麦 ふる里」の麺も、やはり田舎そばだった



ここから線路を越えて駅の裏側(東側)へ回る。おお、SL(D51)が展示されていた。〈今庄駅では、全列車が停車し、北陸線の難所といわれた山中峠越えの急勾配を上っていくため、最後尾にもう1両機関車を連結しました。また、敦賀から到着した列車は、最後尾の機関車を切り離しました〉(今庄観光協会「鉄道遺産」)。



3軒目は駅東側の「ふれあい会館」(南越前町今庄85-2-18 )内「STATION(ステーション)魚順 」だ。ここの「今庄おろしそば」はこの日の最安値の税込み650円だったが、「今庄おろしそば定食」(おろしそば、おかずいろいろ、茶めし、コーヒー)税込み1,000円に目が止まった。今庄にも茶飯があったのだ!


茶飯には驚いた。特別サービスか、鮎の煮付けまでついてきた!

農林水産省のサイト「うちの郷土料理」(福井県 茶飯)に、詳しく紹介されていた。

歴史・由来・関連行事
「茶飯」は奈良の東大寺、興福寺などではじめられた「奈良茶飯」が由来とされ、それを宿場町であった今庄に旅人が伝承したといわれている。もともとは茶を煎じた汁で炊いた茶粥から変化したようだ。「茶飯」は主に仏事に用いられ、今庄の味として今日まで受け継がれ、現在は仏事だけでなく色々な行事の際にも食されている。昔は葬式が出ると、親類の家から、芋の子と茶飯を炊いて小判型のおひつに詰め、塩ぶき、芋の子の煮しめをそえて贈る習わしがあった。



今庄の茶飯 



また、開祖・親鸞の祥月命日(旧暦11月28日、新暦1月16日)の前後、秋から新年にかけておこなわれる浄土真宗各派の年中最大行事を報恩講といい、福井県では「ほんこさん」や「おこ(う)さま」と呼ばれるが、その報恩講に集まった人々に、精進料理の一つとして「茶飯」を振る舞う地域もある。「茶飯」には豆入り番茶が使われるが、番茶と大豆を合わせることにより栄養価が高まり、香ばしさと、ふりかけた酒の香りを楽しみながら冬のたんぱく質をとれる、先人の知恵により生み出された郷土料理である。嫁入りした娘が里帰りの時、里の親が娘と孫を迎えるためにつくる料理の一つである。茶飯は忘れがたい「故郷の味」ともいえる。




奈良茶飯(煎った大豆を加えてほうじ茶で炊く)が、今庄宿に伝わっていたとは!東大寺と若狭は「お水取り」でつながりがあるので、これもアリだな、と思った。今庄の茶飯は白米(うるち米)に餅米を混ぜて炊くようで、「おこわ」のようなモチモチ食感で、これも美味しかった。鮎も、ちょうどいい加減に煮てあった。これで1,000円とは信じられない。





というわけでこの日は3食すべておろしそばだった。大根おろしがついているので、全く食べ過ぎ感はない。これは良い工夫だ。敦賀で泊まった翌朝、敦賀駅構内(改札外)の「気比(けひ)そば・うどん あまの」に立ち寄った。気比は敦賀市の地名(気比松原や氣比神宮など)なので、今庄そばと同じく美味しい「越前そば」なのだろう。ここでも「おろしそば」420円を注文し、そばの締めとした。



重伝建の重厚な建物を見て心が洗われ、美味しい今庄そばでお腹が満足する、今回も楽しい旅となった。皆さんもぜひ、重伝建・今庄宿をお訪ねください!
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新直木賞作家・澤田瞳子氏の小説『火定』を読む/奈良新聞「明風清音」第65回

2021年10月24日 | 明風清音(奈良新聞)
毎月木曜日の1~2回、奈良新聞「明風清音」に寄稿している。先週(2021.10.21)掲載されたのは「天平のパンデミック」。澤田瞳子(とうこ)氏の小説『火定(かじょう)』を紹介した。

天平9年(737年)に大流行した天然痘では、奈良の都の人口8万人のうち約3割が亡くなった。藤原四兄弟(藤原武智麻呂、房前、宇合、麻呂)が亡くなったのもこの年で、長屋王の変(藤原氏による長屋王排斥事件)による「祟(たた)り」のせいだと噂された。

その惨状を描いたのが、この小説である。鳥肌が立つようなおぞましい光景が続々と展開するが、ご一読をお薦めしたい。では、全文を紹介する。

おどろおどろしい小説を読んだ。第165回直木賞を受賞した澤田瞳子(とうこ)氏の著作『火定(かじょう)』PHP文芸文庫(税込み968円)だ。

本書カバーには〈藤原氏が設立した施薬院の仕事に、嫌気が差していた若き官人・蜂田名代(はちだのなしろ)だったが、高熱が続いた後、突如熱が下がる不思議な病が次々と発生。それこそが、都を阿鼻叫喚(あびきょうかん)の事態へと陥らせる“疫神(天然痘)”の前兆であった。我が身を顧みず、治療に当たる医師たち。しかし混乱に乗じて、お札を民に売りつける者も現われて……〉。

時代は天平9年(737)、舞台は奈良の都だ。この年、都の人口8万人のうち約3割が天然痘で亡くなったという。当時と新型コロナの今を比較すると、共通点が多い。

一つは、疫病の発生源が外国だったこと。当時は遣新羅使(けんしらぎし)が天然痘を持ち帰った。これにより外国人差別や排斥・糾弾(きゅうだん)が相次いだ。二つめは、医療崩壊が起きたこと。皇族や上級貴族たちが都から逃げ出し、医師たちもそれを追うように姿を消し、庶民の頼みの綱は施薬院だけとなった。

本書をコロナの渦中で読むとリアルすぎて、何度も鳥肌が立った。なお「火定」とは「仏道修行者が、火中に身を投じて死ぬこと」(デジタル大辞泉)。天然痘と戦う施薬院の医師たちは、身命を賭して患者の治療に当たったのである。ネタバレしない範囲内で中身を紹介する。

ある日、都の施薬院に、一人の病人が戸板に乗せられて運ばれてきた。〈堅く目を閉ざしたまま、ぴくりとも動かぬ病人の顔は、一面、豆ほどの大きさの疱疹(ほうしん)に覆われ、元の容貌はおろか、年齢も性別すらも分からない。かろうじて微(かす)かに上下する胸が、そこに横たわるのが生きた人間であると告げていた。皮疹(ひしん)は灰色の瞼(まぶた)や唇、更には喉から肩先にまで散り、いずれも膿(うみ)を含んで腫(は)れ上がっている。その様はまるで、腐肉(ふにく)にびっしりとたかった蛆虫(うじむし)そっくりだ〉。

〈四方を山に囲まれた寧楽(なら)の夏は風が乏しく、蒸し暑い。それだけに(施薬院の)長室内には始終、むせ返るような悪臭と熱気が淀み、追っても追っても寄りつく蠅が、患者の頭上を我が物顔で飛び交っていた〉。

つらい施薬院の仕事から逃れようとする名代に、医師綱手(つなで)は言う。〈「わが身のためだけに用いれば、人の命ほど儚(はかな)く、むなしいものはない。されどそれを他人のために用いれば、己の生に万金(ばんきん)にも値する意味が生じよう。さすればわしが命を終えたとて、誰かがわしの生きた意味を継いでくれると言えるではないか」立ちすくんだままの名代の膝が、微かに震えた〉。

天然痘の流行を利用して、インチキなお札を売りつけ、ひともうけしようとたくらむ輩も出てくる。〈人並みの思慮を有していれば、これまで聞いたこともない神のお札と施薬院、どちらに信が置けるかすぐに判ぜられように。まるで寧楽じゅうの人々が、激しい熱に浮かされ、狂奔(きょうほん)のただなかでもがいているようだ。こんな日々が続けば、寧楽は――この国はどうなってしまうのか〉。

地獄絵のようなすさまじい場面が続々と登場するが、パンデミックの中で懸命に患者を救おうと努力する医師たちの姿には感銘を受けた。ご一読をお薦めしたい。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


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秋季企画展「遺跡とは、発掘とは、なんぞや?」がスタート!/歴史に憩う橿原市博物館(2021 Topic)

2021年10月23日 | お知らせ
新沢千塚古墳群(北群)の一角にある「歴史に憩う橿原市博物館」(橿原市川西町858-1)で、今日(10/23)から秋の企画展が始まった。期間は12月26日(日)まで。同館のHPによると、

令和3年度秋季企画展「遺跡とは、発掘とは、なんぞや?」
フタを開けると、そこは発掘現場だった。

遺跡って?発掘って?わかっているようでよくわからない遺跡や発掘調査のこと。「遺跡の発掘調査って一体なんだろう?」「どんな道具を使っているの?」「どんなことをしているのかな?」「宝さがしとどうちがうの?」「何がわかるんだろう?」今回の展覧会では、遺跡の発掘調査の方法、発掘調査でわかることをわかりやすく紹介します。

さらに!今回は、お弁当を作れば遺跡のできかたがわかり、お弁当を食べれば遺跡発掘を体験できるワークショップ「お弁当で遺跡発掘」の紹介と「お弁当で遺跡発掘」作品展も同時開催!みんなの遺跡発掘をみてみよう!
令和3年度秋季企画展チラシ(pdf)

◆開催期間
令和3年10月23日(土)~12月26日(日)午前9時~午後5時(入館受付は午後4時30分まで)
◆開催場所
歴史に憩う橿原市博物館2階特別展示室(橿原市川西町858-1)
◆観覧料
大人300円、高・大200円、小・中100円(30名以上は団体割引あり)
橿原市内在住または市内学校に通学する小中学生は毎週土曜日観覧料無料
11月13日(土)・14日(日)は「関西文化の日」、12月3日(金)~12月9日(木)は「歴史に憩う橿原市博物館メモリアルウイーク」(藤原京遷都日(12月6日))のため、観覧料無料(12月6日(月)は休館)

◆イベント情報
〇イコハクLabo.
「古墳で『お弁当で遺跡発掘』を楽しもう」
日時:①11月21日(日)午前11時30分~午後2時 ②11月27日(土)午前11時30分~午後2時
場所:歴史に憩う橿原市博物館・史跡 新沢千塚古墳群
定員:各回5組(超過の場合抽選)
対象:年齢制限なし(小学生以下は保護者同伴)
費用:歴史に憩う橿原市博物館観覧料
持物:ご自宅で作った「お弁当で遺跡発掘」弁当、水筒
申込:往復はがきに参加希望日(①か②)・参加希望者全員の氏名(保護者同伴の場合は保護者名も明記)・年齢(小学生以下のみ)・住所・連絡先・イベント名を記入の上、歴史に憩う橿原市博物館(〒634-0826 橿原市川西町858-1)まで郵送(11月12日(金)必着)

※前日が雨天の場合、もしくは当日午前7時の段階で橿原市域に気象警報が発令されている場合、もしくは降水確率が40%以上の場合は当イベントを中止します。※橿原市域に緊急事態宣言等が発出されている場合等、新型コロナウイルス感染症の感染状況によってイベントを中止する場合があります。なお、緊急事態宣言等が発出されている地域からの参加はご遠慮ください。


〈ご自宅で作った「お弁当で遺跡発掘」〉と聞いてもピンとこないが、以下の2本の動画が公開されているので、これを見れば納得する。皆さん、ぜひ「歴史に憩う橿原市博物館」に足をお運びください!

【イコハク動画】お弁当で遺跡発掘(前編:遺跡づくり編)


【イコハク動画】お弁当で遺跡発掘(後編:遺跡発掘編)




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法華寺は光明皇后ゆかりの尼寺/毎日新聞「かるたで知るなら」第27回

2021年10月22日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は同会が制作した「奈良まほろばかるた」の各札を題材に毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。

今週(2021.10.21)掲載されたのは〈諸国国分尼寺の中心/法華寺(奈良市)〉、執筆されたのは奈良市在住の青木章二さんだった。青木さんには『奈良万葉の旅百首』(京阪奈情報教育出版刊)でも、佐紀沢(奈良市佐紀町)の歌と勝間田池(同市七条)の歌を執筆していただいた。では記事全文を紹介する。

〈法華寺は光明皇后ゆかりの尼寺〉
奈良時代に光明(こうみょう)皇后は平城宮の東隣にあった父・藤原不比等の邸宅を皇后宮(ぐう)にしました。聖武天皇の「国分寺・国分尼寺(にじ)建立の詔(みことのり)」に基づき皇后宮を寺に改め、正式には「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」と称しました。聖武天皇勅願の東大寺が総国分寺だったのに対し、光明皇后ゆかりの法華寺は総国分尼寺とされ、諸国の国分尼寺をまとめたのです。

当時の寺域は今の何倍もあり、国家の力で七堂伽藍(がらん)が造営され、壮麗な大寺でした。平安遷都後、衰退し、戦火で被害を受 けましたが、鎌倉時代に高僧の重源(ちょうげん)や叡尊(えいそん)によって復興されました。桃山時代には、豊臣秀頼や母の淀君の寄進を受け、奉行の片桐且元(かつもと)が本堂、南門、鐘楼(しょうろう)(いずれも重要文化財)を建設。

そして、後水尾(ごみずのお)天皇の皇女、高慶尼(こうけいに)が入寺されて以降、皇室・公家の姫君が住職を務める「尼門跡(あうまもんぜき)寺院」となり、法灯が守り続けられています。

本堂の本尊十一面観音菩薩(ぼさつ)立像(国宝)は、光明皇后がハス池を歩く姿を写したと言われ、年3回特別公開されます。それ以外のときは白檀(びゃくだん)のご分身像を拝観できます。

光明皇后は仏教をあつく信仰し、「日本の社会福祉の第一人者」と評され、自ら1000人の病人のあかを流したと伝わる蒸し風呂「からふろ」を法華寺に造られました。現存するのは江戸時代に再建したものです。
   
光明皇后が考案された「お守り犬」は今も当時と同じ製法で尼僧が手作りし、厄除・長寿・安産のお守りとして親しまれています。授与希望者の電話予約は受け付けていますが、発送はしていません。(奈良まほろばソムリエの会会員 青木章二)

【法華寺】
(住 所)奈良市法華寺町882
(電 話)0742・33・2261
(拝 観)9~17時
(拝観料)一般700円(※10月25日~11月15日の本尊特別公開時は一般1000円)
(駐車場)有り(無料)
(交 通)近鉄奈良駅からバス停「法華寺前」下車、徒歩約5分


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