tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

中国西安料理 王楽園

2009年09月13日 | グルメガイド
近鉄学園前駅(北口)のすぐ前に「パラディⅡ」という商業施設がある。その4階に出店しているのが「中国西安料理 王楽園(わんらくえん)」である。王暁亮さんご夫妻が運営する手軽なファミリー向けの中華料理店だ。
http://r.tabelog.com/nara/A2901/A290102/29001099/

「西安(せいあん=シーアン)料理」とはあまり聞き慣れないが、桂林中国国際旅行社のHPによると《西安料理という独自の料理はなく、唐辛子をふんだんに使用した四川料理の影響と、各民族が交錯するシルクロードの入口として羊肉と牛肉を使用したイスラム料理の影響を受けているのが西安で食べられている料理である》。

《西安では主食として麺と饅頭が食べられている。麺は、細いものから太いものまで多くの種類があり、中でも山西省の名物の刀削面が人気がある。また、西安は餃子のルーツでもあり、さまざまな具を入れた色形の美しい餃子を「餃子宴」として出す老舗の店も有名である》とある。
http://www.arachina.com/culture/ryori/xian/index.htm



メニューは豊富で、ランチセット(11:00~15:00)だけでも、トップ写真(見本)の「ヘルシーランチ」840円、「特別ランチ」900円(エビチリソース・春巻・水餃子・豆腐ごまソース・ザーサイ・スープ・ご飯 10食限定)、「麻婆丼・唐揚げセット」900円、「飲茶ランチ」1050円などたくさんあって、目移りがする。平日はサラリーマンなどの利用も多いのだろう。私が訪ねたのは土曜日(8/29)のお昼だったが、夫婦や家族連れで賑わっていた。
https://www.eonet.ne.jp/~nara-gourmet/1framepage1.htm



私がいただいたのは「お手頃セット」1260円だ。揚げ物、蒸し物、担々麺(または鶏絲麺)、杏仁豆腐(または生ビール小)がつく。私はここに、ご飯(150円)を追加した。お茶はジャスミン茶だ。




からりと揚がった揚げ物は皮がパリッとあつあつで、とても美味しい。蒸し物も、皮はソフト、中身はジューシーに仕上がっている。「ピリ辛」と但し書きがついた担々麺は、さほど辛くない。麺は刀削麺風というのか、珍しい太麺である。杏仁豆腐は2種類ついていた(白とココア味)。



ファミリーにお薦めしたいのが90分の「オーダーバイキング」である。点心やデザートを含む37品目から自由に注文できる。男性2500円、女性2000円、4歳~小学生1000円、3歳以下は無料である(17:00~22:00 オーダーストップ21:30)。

お店のホームページによると《王楽園のメニューには本場と同じく、ニンニクはいっさい入っていません。安心して仕事の合間に食して下さい!》《コーヒー、各種ソフトドリンク、そして中華デザートをご用意しています》。



《中国茶は何杯でもおかわりOK!何時間でもゆっくりできます~。一緒におやつタイムを楽しみましょう!店内に西安の町並みのアルバムがありますので、お見せします。(なんなら、僕のアルバムも)》《中国の派手な装飾があるにもかかわらず、落ち着いた色あいに仕上がっている店内。そして、装飾はほとんど手作り!テーブルクロスも椅子の座面も奥さんの手縫いなのです》。
http://www.geocities.jp/wanrakuen/

アットホームでくつろげ、しかも駅近というこのお店、ぜひお試しいただきたい。

※中国西安料理 王楽園(わんらくえん) TEL:0742-51-9339(FAX:0742-51-9331)
営業時間 AM11:00~PM10:00 定休日 第3水曜日
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カレー屋 マナビアン

2009年09月11日 | 奈良のカレー
久々に「奈良のカレー」シリーズである。近鉄大和西大寺駅の近くに美味しいカレー屋さんがあると聞いた。それが「カレー屋 マナビアン」(奈良市西大寺東町2-1-49)である。駅の北出口から東へ徒歩3分、という近さである。

何でも《欧州航路客船で料理長をしていた父から秘伝のカレー作りをベースに、熟考を重ねて開発しました。食品添加物などは一切使わず、塩と動物性の脂を極力省き、深いコクと1週間以上かけて仕込む完全手作りの「本物」のカレーは、マニアは勿論プロも唸らせます。その深いコクと風味を是非御賞味下さい》《小麦粉から木ベラで丁寧に煎り上げるルーと、牛肉と香味野菜から3昼夜かけて作ったスープを合わせ、1週間以上かけて仕上げるカレーソースはまさに絶品!》(「e-boshuu! 奈良」の同店紹介サイト)ということだ。

お店の人気NO.1は「チャーシューカレー」880円、お店のお薦めベスト3は「煮込みチキンカレー」680円、「ヘルシーとろとろポークカレー」730円、「日高見(ひだかみ)牛のビーフカレー」750円だそうだ。ランチタイムには、ランチセット(プラス250円でミニサラダとヨーグルトがつく)もある。この日は「日高見牛のビーフカレー」が50円引きの700円、このカレーをランチセットにすると120円引きの880円、という割引価格になっていた。辛さは「他店より辛いのでご注意を」とのことだった。
※奈良グルメ図鑑
http://www.eonet.ne.jp/~nara-gourmet/1framepage1.htm

一緒に行った同僚は、日高見牛のランチセット(1人は甘口、1人は中辛)を注文した。なお日高見牛とは、日高見川(=北上川)からネーミングされた宮城県登米市産の牛のことだそうだ。奈良県びいきの私は「大和牛(やまとうし)のビーフカレー」860円というメニューを見つけ、この辛口のランチセット(1110円)を注文した。それが写真のカレーである(9/8撮影)。



カレーはさらりとしていて、ヘルシーなイメージだ。和風ではなく、本格的な味がする。たっぷり入った大和牛は柔らかく煮込まれていて、さすがに美味しい。辛さは「激辛」級だ。中辛も「とても辛い」ということで、甘口は「これは甘口。子供さんでもOK」という感想だった。なお「特辛」というメニューもあり、これはプラス150円だそうだ(しかし普通の人にはムリでは?)。

追加のトッピングには、生卵50円、揚げニンニク180円、豚カツ280円などがあるので、いろんなバリエーションが楽しめる。お店はそう広くはないが、2階にテーブル席が3つある。店員さんの応対も良い。

駅から3分で楽しめる本格派のカレー、ぜひお試しを。
※食べログの紹介ページ
http://r.tabelog.com/nara/A2901/A290101/29001018/

※奈良市西大寺東町2-1-49 近鉄大和西大寺駅の北出口から「宮本むなし」などがある商店街を東へ徒歩3分 電話 0742-36-3223 年中無休
営業時間 11:00 - 15:00/17:00 - 22:00(ラストオーダー 21:30)

※参考:cafe Flaskaのグリーンカレー(奈良のカレーシリーズ・当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/5f3679cb1d031d2758002c0b4ac17cdc
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同時進行!平城遷都1300年(14)ツアーガイドボランティア候補者研修

2009年09月09日 | 平城遷都1300年祭
平城遷都1300年祭も、今年(09年)の4月に事業計画が示され、ようやく全貌が明らかになってきた。
※平城遷都1300年祭 事業計画(社団法人平城遷都1300年記念事業協会のホームページ)
http://www.1300.jp/jigyou/2008/04/1300.html

この事業では2010年4/24~11/7の期間中、平城宮跡において「平城宮跡探訪ツアー」が行われる。このツアーは《宮跡の復原施設・遺構やそれらの歴史的背景、平城京の歴史の厚みや広がりを体験的に楽習できる機会を提供します》(平城遷都1300年祭 事業計画)というものである。

8/22(土)、これに関する「ツアーガイドボランテイア候補者研修」の第1回研修(全体研修) が行われた。先頃「奈良まほろばソムリエ検定」奈良通1級以上の合格者など、約300人の対象者の中から、約170人がボランティアガイドの候補者に選ばれた。中には千葉や岡山の方もいらっしゃるという。これら候補者に対し、年内に5回の研修(候補者研修)を施してガイド登録させたあと、1月以降、3回の研修(登録者研修)を経てガイドツアーを実施する、という念の入った仕組みである。

私は運良く「候補者」に選ばれたので、この全体研修に参加した。「ボランティアガイドの心得」を教えていただき、とても参考になったので、以下に概要を紹介する。

【第1講】ボランティアガイドに期待すること(9:20~)
主催者挨拶のあと、第1講は千田稔氏(県立図書情報館 館長)による講話(平城宮跡探訪ツアーのボランティアガイドに期待すること)。まず千田氏は、このようなガイドツアーは画期的なことであり、全国のモデルになる事業だと言う(パビリオン型の博覧会はもう終わった。パビリオンは文化的な厚みに乏しい)。宮跡の草っ原に立って説明できれば、ガイドとしてピカ一である。草っ原からイメージをふくらませることが大切である。発掘というのは腹を切る(外科手術する)こと。切らずに分かることが大切だ。復原しないことの意味を分かってほしい。


千田稔氏(画像はすべて8/22撮影)

平城宮跡は1921年、中心部分が民間の資金によって買い取られ、国に寄付された(1922年に国の史跡に指定)。1960年代、近鉄の検車庫問題と国道建設問題に対する2度の国民的保存運動が起こった(亀井勝一郎が先鋒)。ときの首相・池田勇人は、土地を買い上げて平城宮跡を守った。現在は、ほぼ本来の平城宮跡地が指定され保存されている。

観光客は健康な人とは限らない。ゆっくり歩く、歩調を合わすことが良い印象を与える。あまり詳しく話してはいけない(知っていることをすべて話してはいけない)。要点をうまく話さなければいけない。案内される側とする側の関心の違いを、一瞬で読み取れるか。相手を立てよ。難しい言葉はやさしく言い換えよ。例えば『続日本紀(しょくにほんぎ)』は「日本書紀の続編」。

目線を下に持つ(同じ目線になる)こと。故高田好胤師(薬師寺の元管長)は、高校別に記載された大学進学情報の本を持ち、来る学校のレベルに合わせて話をした。例えば、学力レベルの低い高校の生徒には「勉強だけが人生ではない」等々(なお師は、修学旅行で訪れた女生徒と交際を続け、1954年に結婚。薬師寺の歴史で初めての妻帯僧となった)。

ガイドは先生ではない。ガイドという「芸」を披露せよ。日本人には苦手だが、ユーモラスに話すように。笑ってもらうには、自分を落とす(自分を笑ってもらう)ことが最も早道。

自分なりの見解が持てるよう、勉強してほしい(それを表に出すかどうかは別)。年表を持ってガイドせよ。天皇の系図なども。相手は安心する(この人は間違わない、と思ってくれる)。最後に、ガイドは愉快に楽しくやって下さい。

【第2講】ボランティアガイドに求められるもの(10:10~)
第2講は、パネルディスカッションだった。コーディネーターは福井昌平氏(同協会チーフプロデューサー)、ゲスト(パネラー)は伊部和徳氏(NPO法人 平城宮跡サポートネットワーク理事長)、永田久武氏(NPO法人 なら・観光ボランティアガイドの会 理事長)、松村洋子氏(奈良SGGクラブ副会長)。テーマは「ボランティアガイドに求められるもの」。
主な発言を拾ってみる。


向かって左から、福井氏、伊部氏、永田氏、松村氏(トップ写真とも)

伊部氏:「NPO法人 平城宮跡サポートネットワーク」は、宮跡内の5か所で「定点ガイド」を行っている(原則として、通常のツアーは行わない)。小学生の団体(50~100人)を案内するケースが多い(予約は、ある場合もない場合もある)。宮跡を歩いて案内する場合は、4kmほど歩くので、約3時間かかる(それでも1~2か所の案内で終わる)。
http://www.heijyonet.org/

永田氏:「NPO法人 なら・観光ボランティアガイドの会」は、1997年(平成9年)、「奈良大好き人間」たちによって設立。02年にNPO法人化、通称「朱雀の会」。近鉄奈良駅ビルの「ならなら館」の運営も行っている。昨年は7万7千人をガイドし、出動回数は6600回に上る。メンバーは137人なので、1人当たり48回出動したことになる。近々、170名の組織体制となる。修学旅行を中心に(学校からの)予約制でやっている。行程アドバイスもする。何度も利用される学校が多い。出会いは第一印象が大切。笑顔で始まり、笑顔で終わるよう心がけている。
http://www.e-suzaku.net/

松村氏:「奈良SGGクラブ」は外国人が対象。1983年3月から活動している。会員数は107名。奈良市(2か所)と奈良県(1か所)の観光案内所に詰め、正月を除く毎日、案内している。他にもツアーに同行し、お手伝いしている。忍耐力、辛抱強さが求められる。ベテランのガイドは目線(スタート位置)が高いが、これはダメ。相手のレベルに合わせることが大切。西暦に直したり、○○世紀と言い換えたりすべき。
http://narashikanko.jp/sgg/jap.html

伊部氏:平城宮跡に来られる方は、春と秋が多い。真夏には家族連れが来る。冬(12~3月前半)は少ない(北風が強く、歩けない)。熱心に話を聞かれる方が多い。

松村氏:国によって文化が違うので、中国人は1300年を古いと思わないが、オーストラリア人だととても驚く。アメリカ人は鹿を見ると“Shoot!”(撃て)という(庭を荒らす害獣だから)。「鹿を食べないのですか」という質問には「神様のお使いですので」と答えている。日本人でも、鹿の角(つの)切りを「かくぎり」と読んだりする。

永田氏:チームで仕事をするので、1.共通の目標を持つ、2.責任と役割を持つ、3.参画意識を持つ、ということが大切。

松村氏:あと、4.情報を共有する、5.申し送り・引き継ぎを忘れない、ということも。地域を愛しているから、魅力のあるツアーができる。だから、1.まず平城宮跡を愛してほしい、2.日々新しい発見を、3.参加型のイベントをする、という気持ちを持ってほしい。お寺の案内などでは、必ず「異説」がある。その場合はお寺の説明に合わせ「ご住職が、そのようにおっしゃっていますので」と申し添える。

福井氏(コーディネーター):以前、上野誠氏(奈良大学教授)が、宮跡で「では、みんなで元明天皇の『遷都の詔(みことのり)』を読みましょう」と言って、皆で読んだ。遷都の思いが伝わってきた。これも「芸」。

永田氏:「体験型」として、旅館に出張してガイドすることもある。説明には「キャッチフレーズ」を入れると分かってもらいやすい。毎日が出会いなので、好奇心を持続することが大切。

伊部氏:歴史学者ではないし、来る人も素人なので、しゃべり過ぎてはいけない。

松村氏:言葉はハッキリと、声ははつらつと。ガイドはしゃべり過ぎないこと。新しい発見、新しい仲間を見つけてほしい。

ざっと以上のような研修であった。「知っていることをすべて話してはいけない」「相手のレベルに合わせることが大切」「しゃべり過ぎてはいけない」「ユーモラスに話す」というあたりには、納得させられた。「日々新しい発見を」「草っ原からイメージをふくらませることが大切」というくだりも、こういう機会がないと聞けない貴重な話だった。

「平城宮跡探訪ツアー」は、修学旅行生や校外学習の生徒を主な対象としている。1日8回出発(45分間隔)、1グループ20名まで(同時出発は80名まで)という大規模なツアーである。研修は来年3月末までの長丁場だが、得がたい機会なので、じっくり勉強して身につけたいと思う。
※同時進行!平城遷都1300年(13)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/s/%C6%B1%BB%FE%BF%CA%B9%D4%A1%AA%CA%BF%BE%EB%C1%AB%C5%D41300%C7%AF
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「奈良を大いに学ぶ」講義録(4)南都仏教PARTⅡ.

2009年09月08日 | 奈良にこだわる
今回は、奈良大学名誉教授・市川良哉氏の講義の2回目である。含蓄のあるお話が続く。「Ⅱ.南都の仏教」の3.から。

3.成実宗と倶舎宗
・成実宗(じょうじつしゅう 開祖:道蔵、寺院:元興寺・大安寺)は《成実論を所依とする中国の仏教学派。鳩摩羅什(くまらじゆう)が漢訳した成実論の研究を主とし、梁代に最も隆盛をきわめた。日本では南都六宗の一だが、三論宗に付属する》(広辞苑)。『成実論』は、四諦(4つの心理。人生は苦である、それには原因がある、それを滅する、それには道がある)と八正道(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)の教説を正しく理解するために自説の空の思想を主張したもの。

・倶舎宗(くしゃしゅう 開祖:道昭、寺院:東大寺・興福寺)は《南都六宗の一。倶舎論の研究を主とする。法相宗に付属するものとされ、一宗として独立するには至らなかった》(広辞苑)。森羅万象を構成する要素を75とし(色法=11、心法=1、心所法=46、心不相応行=14、無為法=3、という5つの範疇・75の種類、これが「五位七十五法」)、すべて過去・現在・未来の三世にわたって自己同一を保持し実在するという「三世実有・法体恒有」を主張した。



4.律宗(開祖:鑑真、寺院:唐招提寺)…《日本仏教の宗派。南都六宗の一。戒律の研究と実践を主とする宗派。753年(天平勝宝5)唐から鑑真(がんじん)が来日して伝え、戒壇を開いた。唐招提寺を本山とする》(広辞苑)。

《唐代には南山律宗を開いた道宣が出て、『四分律行事鈔』を著述して戒律学を大成した。道宣は、慧光の系統に属しており、その門下からは、周秀・道世・弘景らの僧が出た。道宣の孫弟子である鑑真は、留学僧の要請で日本に律を伝えたとされている》(Wikipedia「律宗」)。鑑真を受戒の師として、754年(天平勝宝6年)に大仏殿前の戒壇で聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇ら約440人が受戒。その後東大寺、下野薬師寺(栃木県・廃寺)、観世音寺(福岡県太宰府市)の3戒壇が定められ、戒律研究の根本道場として唐招提寺が759年(天平宝字3年)に建立され、栄えた。

なお、仏教の戒律とは《出家者・在家者の守るべき生活規律。「戒」は自発的に規律を守ろうとする心のはたらき、「律」は他律的な規則》(広辞苑)であり、一種の道徳である。一方キリスト教の戒律は、神の命令であり、これに背くことは「神命背反」となる。



5.華厳宗(開祖:良弁・審祥、寺院:東大寺)
・華厳の教学は、鑑真に先立って来朝した唐の道璿(どうせん)が華厳章疏(けごんしょうしょ)を伝えたのが最初。華厳宗としては、金鐘寺(こんしゅじ 東大寺建立以前の寺)の良弁(ろうべん)が新羅の審祥(しんじょ 唐の法蔵から華厳を学んだ)に請うて華厳経を講ぜしめたのが最初である。審祥はこの寺で華厳経・梵網経(ぼんもうきょう)に基づく講義を行い、その思想が反映されて大仏が建立された。

・華厳の思想に「心・仏・衆生・是三無差別」がある。心は巧みな絵師のように、様々な心と形を描き、この世界にどのような形も作り出すことができる。仏も衆生も、心がどんなものでも作り出せる同じ働きをする。悟れば仏となり、迷えば衆生となる。心の外に仏も衆生もない。心と仏と衆生は区別がない。しかし、迷いの世界を作り出すか、心を明らめるか。それは天地以上に異なる世界があることを意味する。

・華厳の言葉に「相即相入」「一即一切、一切一即」がある。「相即」とは体(本質)の観点から、すべての現象は密接不離であること。「相入」とは用(働き)の観点から、すべての現象は密接不離であることをいう。「一即一切、一切一即」は、一がそのまま多であり、多がそのまま一である、つまり限りなく関わり合う事物・事象の関係はその本質から見て一体であるという。

・法蔵(賢首大師)が則天武后(唐の高宗の皇后・周の初代皇帝)に行った講義がよく知られている。上下左右すべて鏡で構成された部屋の中央に灯火と仏像を置く。鏡は相互に映し合い限りなく像を結ぶ。つまり一は一切となり、1つの存在は世界全体を映し、世界は無限に多様な内容を展開する。これが「相即相入」であり「一即一切」である。時間軸においても同じである(一瞬と永遠)。逆にいえば「一障一切障」「一断一切断」である。1つの瞋(いかり)が百千の障害を生じる。千百の障りを取り除くのが普賢(菩薩)行の出発点である。
・西田幾多郎の哲学の根本には華厳経がある。華厳の教えは世界性を持っている。



Ⅳ.その他
1.維摩経について
・市川氏は講義の最後に、維摩経について詳しい補足をされた。Wikipediaなどを援用しつつ解説すると《内容は中インド・バイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)にまつわる物語である。 維摩が病気になったので、釈迦が舎利弗・目連・迦葉などの弟子達や、弥勒菩薩などの菩薩にも見舞いを命じた。しかし、みな以前に維摩にやりこめられているため、誰も理由を述べて行こうとしない。そこで、文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と対等に問答を行い、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示した》(Wikipedia「維摩経」)。維摩は病気とはいえ、体はピンピンしていた(仮病?)。
http://www4.ocn.ne.jp/~yamamtso/newpage103.htm

《維摩経の内容として特徴的なのは、不二法門(ふにほうもん)といわれるものである。不二法門とは互いに相反する二つのものが、実は別々に存在するものではない、ということを説いている。例を挙げると、生と滅、垢と浄、善と不善、罪と福、有漏(うろ)と無漏(むろ)、世間と出世間、我と無我、生死(しょうじ)と涅槃、煩悩と菩提などは、みな相反する概念であるが、それらはもともと二つに分かれたものではなく、一つのものであるという。たとえば、生死と涅槃を分けたとしても、もし生死の本性を見れば、そこに迷いも束縛も悟りもなく、生じることもなければ滅することもない。したがってこれを不二の法門に入るという》(同)。
※興福寺文化財(国宝)のフォトギャラリー(お寺の公式ホームページ内)。維摩居士像の画像もある
http://www.kohfukuji.com/property/photo/index.html


興福寺東金堂(とうこんどう・維摩居士像が安置)の正面。小学生の書道展(1人1文字)に「維摩」の字が見える

文殊と維摩の掛け合いの場面が「超訳【維摩経】」というサイトに活写されている。維摩が同席していた菩薩たちに「どうすれば不二法門に入ることができるのか」と説明を促し、これらを菩薩たちが1人ずつ不二の法門に入ることを説明し終わった後のシーン(第41話 維摩、ビシッとまとめる)である。
http://bunchin.com/choyaku/yuima/yuima041.html

《菩薩たちはそれぞれの研究成果を発表し終わると、リーダーである文殊菩薩に話を戻しました。菩薩一同:「文殊、最後はあなたの番ですよ!ビシッと総括お願いします」 文殊:「フム、よろしい。それでは私の考えを聞かせてあげましょう。ありとあらゆることがらの真実の姿は、『言葉にできない』『説明できない』『示せない』『知ることもできない』『問答や研究の対象とすることができない』これこそ『絶対』の境地です!!…維摩さん、なんだかすっかり話が長くなっちまいましたが、我々の意見はまぁ、こんなところです。さぁ、今度はあなたの番です。究極の『絶対』の境地ってヤツを教えてくださいな」》。

《維摩:「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」文殊:「す、すばらしい!すばらしすぎる!!さらに『文字にもできない』し『言語にもならない』。完璧です!完璧すぎます…。あなたのその無言の境地、それこそがまさに、究極の『絶対』の境地です!!」このやりとりを目撃した5000人の菩薩たちは、一斉に維摩居士にひれ伏しました》。文殊が発したのは「維摩一黙其声如雷(ゆいまのいちもく そのこえらいのごとし)」という言葉だそうであるが「沈黙が雷鳴のようだ」とはすごい表現である。
※市川氏が推薦された図書
『改版 維摩経』長尾雅人訳注 中公文庫
『維摩経をよむ』菅沼晃著 NHK出版

2.聖徳太子はいなかった?
・巷間、「聖徳太子はいなかった」という説が流布している(厩戸皇子は実在したが、後に「聖徳太子」と名付けられるようなスーパーヒーローはいなかった、という説)。太子が著したとされる『勝鬘経義疏』とそっくりなものが大英博物館の敦煌文書の中から発見されたことによるものである。市川氏は「実在派」であるが、興味のある向きには、以下の2冊が参考になるという。
『完本 聖徳太子はいなかった』石渡信一郎著 河出文庫
『聖徳太子の誕生』大山誠一著 吉川弘文館(AMAZONへのリンクは「南都仏教PARTⅠ.」参照)

完本 聖徳太子はいなかった (河出文庫 い 21-1)
石渡信一郎
河出書房新社

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3.笠原研寿…仏教はかくの如き人をもって誇るに足れり
テキストクリティーク(史料批判)とは、歴史学の研究上、史料を用いる際に、様々な面からその正当性、妥当性を検討することである。仏教の場合、多くは中国語訳された仏典を日本語訳していたが、それだと重訳となり、不正確になったり、原典のニュアンスが損なわれてしまう。何より漢訳仏典は、お釈迦さまとは違う時代に訳されたものである。

笠原研寿は、イギリスのオックスフォード大学に留学し、仏典を謄写したりサンスクリット語(梵語)から仏典を直接翻訳するなど業績を上げたが、研究に励むあまりわずか31歳で病死した。市川氏が言及されたこの人の詳しい情報をネットで見つけたので、紹介させていただく。師であるオックスフォード大学教授(仏教学)のマックス・ミュラー氏が『仏教はかくの如き人をもって誇るに足れり』とロンドンタイムズ(明治16年9月25日)に寄稿した追悼文の一部である。なお日本の近代的なインド学・仏教学研究の基礎を築いた笠原研寿、南条文雄、高楠順次郎という人々は、すべてマックス・ミュラー教授に学んでいる。
http://chitoai.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-d5e0.html

《己れが庭園のよき果物の若木が爛漫たる花の匂いながら、そのあらゆる美しさと将来の待望とを、一朝の厳霜にて凋落せしめられたのを見るにも似ている…。彼は日本に帰って後はもっとも有為な人となったであろう。なぜならば彼はただに欧州文明の長所をあまりなく評価しえたばかりでなく、己れが民族的の誇負をもうしなわず、けっして単純な西洋文化の模倣者とならなかったと思われるからである》。

《彼はいくつかの草稿をあとにのこして去り、われはその公刊の準備にあたり得んことを望んでいるが、とりわけて竜樹(ナーガールジュナ)の著とされた仏教術語集『達磨三掲刺哈(ダルマサングラハ)』を挙げる。多年蛍雪の労も、ついにその果を結ばぬと考えることは痛ましい。しかし、3200万の日本仏教徒の中にあって、かの一顆のすぐれて覚りを開きえた仏弟子が、いかにあまたの善事をもなすべかりしものをと考えるのは、さらにいたましいことである。Have, pia anima !(なおきみたまよ、いざさらば)》。
http://okuyama08.blog120.fc2.com/blog-entry-206.html

それにしても、充実した4時間(80分×4コマ)の講義であった。何となく知っているつもりでいた南都六宗が、こんなに奥深いものだとは驚きだった。市川氏は難しい教義を私たちにも分かるようにかみ砕いて教えて下さった。難しいことをやさしく教えるのは並大抵ではない。特に仏教哲学のように、概念自体が難解なものは、なおさらだ。受講生の中には、早速長尾氏の『維摩経』を読み始めた人もいたが、私にとってはお経が物語になっているということ自体、新発見だった。もっと勉強しなければ…。

市川先生、有り難うございました。

※トップ写真は興福寺東金堂、9/4撮影。
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「奈良を大いに学ぶ」講義録(3)南都仏教 PARTⅠ.

2009年09月06日 | 奈良にこだわる
8/26(水)と28(金)の2回は、学校法人奈良大学の理事長で名誉教授の市川良哉氏による「南都仏教概説」だった。市川氏は、浄土真宗本願寺派・法林寺(天理市田町)のご住職で、『親鸞の語録を読む』(永田文昌堂)という著作もある。予想通り、今回は手強い講義だった。配布資料と私のノートから抜粋し、2回に分けて紹介する。

Ⅰ.仏教伝来
・仏教は『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』(がんごうじがらんえんぎ ならびに るきしざいちょう)によれば538年、『日本書紀』によれば552年に伝来したとある(「ゴミは午後に」と暗記する)。近年の朝鮮古代史研究でも、百済の聖明王の即位年代に14年のずれをもつ2系統の史料があるといわれるので、にわかに両説の正否を決せられない。
・いずれにせよ仏教は仏像、仏具、経巻とともに受け入れられ、仏は「他国神」「蕃神(あたらしくにのかみ)」として理解された。

・仏教を本格的に受容したのは聖徳太子で、その思想は「世間虚仮 唯仏是真」(世間は虚仮にして唯だ仏のみ是れ真なり)および「諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」(諸々の悪しきことをせず、もろもろの善いことを実行しなさい)という太子の言葉に表れている。

・『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』とは、聖徳太子によって著されたとされる『法華義疏』『勝鬘経義疏』『維摩経義疏』の総称である。それぞれ『法華経』『勝鬘経(しょうまんぎょう)』『維摩経(ゆいまぎょう)』の三経の注釈書である(太子の著作という点には異論がある=PARTⅡ.参照)。

「聖徳太子」の誕生 (歴史文化ライブラリー)
大山 誠一
吉川弘文館(市川氏の推薦図書)

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・『法華経』は釈迦の正しい教えを白い蓮華の花にたとえている。すべての人に永遠なるものの生命を得させる神薬のような経であるとする。
・『勝鬘経』は、在家の勝鬘夫人の説法を釈迦が認めたものとされる。『維摩経』とともに、古くから在家のものが仏道を説く経典として用いられている。
・『維摩経』は、在家の維摩居士が仏弟子たちをやりこめるという仕方と構成で、不二の法門(相反する2つのものが、実は別々に存在するものではなく、1つであるということ)が説かれる(詳細=PARTⅡ.参照)。

維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典 (NHKライブラリー)
菅沼 晃
日本放送出版協会(市川氏の推薦図書)

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・法興寺(飛鳥寺)以後、多くの寺が建立され、624年(推古朝32年)頃には寺院数46、僧尼あわせて1385人いたという(石田茂作氏の正倉院文書研究による)。

Ⅱ.南都の仏教
・白鳳時代に仏教は国家仏教の色彩を帯びる。藤原鎌足が病気になったとき(656年)、百済の法明尼(ほうみょうに)が『維摩経』を読誦して病を癒したことから、その報恩心から鎌足が招いた呉の帰化僧・福亮(ふくりょう)は山階陶原(やましなすえはら=JR山科駅西南・御陵大津畑町を中心とした地域)の家で『維摩経』を講じ、それが興福寺維摩会(ゆいまえ)の起源となった。

・南都六宗とは、三論宗、成実宗 (三論宗に付属)、法相宗、倶舎宗 (法相宗に付属)、華厳宗 、律宗 。当初から6つに決まっていたわけではなく、「宗」のかわりに「衆」の字が用いられていた(「宗」は学派=Schoolの意)。



1.三論宗(開祖:恵灌、寺院:東大寺南院)
竜樹(りゅうじゅ 150~250 年)は大乗仏教の哲学者。平凡社世界大百科事典によると《大乗仏教の基盤であり、「般若経」で強調された、「空」の思想を哲学的に基礎づけ,後世の仏教思想全般に決定的影響を与えた。これを評価して,中国や日本では「八宗の祖師」と仰がれている。彼は、その主著『中論』において説一切有部 (せついつさいうぶ)を代表とするいっさいの実在論を否定し、すべてのものは真実には存在せず、単に言葉によって設定されたのみのものであると説いている。この主張を受け継いで成立したのが中観派である》。《竜樹の思想は、クマーラジーバ (鳩摩羅什) によって中国に伝えられ、その系統から「三論宗」が成立した》。なお「三論」とは、竜樹の『中論』『十二門論』と提婆の『百論』の3つの著書を根拠とするのに由来する。

・ドイツの実存主義哲学者 カール・ヤスパースは、世界の偉大な哲学者として釈迦(仏陀)と竜樹の名を挙げ、『仏陀と竜樹』という本まで著している。

・ここで市川氏は般若心経の「空」の概念について、やや詳しく説明された。般若心経とは《仏教の基本聖典で、大乗仏典の一つ。詳しくは「摩訶般若波羅蜜多心経」という。サンスクリットの原題は、「プラジュニャーパーラミター・フリダヤ・スートラ Praj4´p´ramit´‐hrdaya‐s仝tra」 (般若波羅蜜の心髄たる経典)》(平凡社世界大百科事典)である。なお般若波羅蜜(パーラミター)とは「究極最高であること」。

・般若心経の「色即是空」とは、永遠不変の実体(色)はない、ものはそのまま存在しない(空)。「空即是色」とは、存在しない(空)というもの(色)がある、ということ。すべてのものは真実には存在せず、単に言葉によって設定されただけのものである。「ある」と思うのは単なる「とらわれ」である。このような考え方は、西田幾多郎やその弟子・西谷啓治などに大きな影響を与えた。



2.法相宗(開祖:道昭、寺院:興福寺・薬師寺)
中国創始の仏教の宗派の一つ。唐代にインドから玄奘が帰国して、世親(ウァスバンドゥ)の『唯識三十頌』を注釈した『成唯識論』を訳出編集した。この論を中心に、玄奘の弟子の基(一般に窺基と呼ぶ)が開いた宗派。日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、道昭などの入唐求法僧により数次にわたって伝えられた。

・唯識とは《一切の対象は心の本体である識によって現し出されたものであり、識以外に実在するものはないということ。また、この識も誤った分別をするものにすぎず、それ自体存在しえないことをも含む。法相宗の根本教義》(デジタル大辞泉)である。市川氏からは「八識」や「五位百法」などの概念を詳しく説明いただいたが、とても難解なので、以下、概要をWikipedia「唯識」から拾って説明する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98



・まず「八識」について。《唯識思想では、各個人にとっての世界はその個人の表象(イメージ)に過ぎないと主張し、八種の「識」を仮定(八識説)する。まず、視覚とか聴覚とかの感覚も唯識では識であると考える。感覚は5つあると考えられ、それぞれ眼識(げんしき、視覚)・耳識(にしき、聴覚)・鼻識(びしき、嗅覚)・舌識(ぜつしき、味覚)・身識(しんしき、触覚など)と呼ばれる。これは総称して「前五識」と呼ぶ。その次に意識、つまり自覚的意識が来る。六番目なので「第六意識」と呼ぶことがあるが同じ意味である。また前五識と意識を合わせて現行(げんぎょう)という》。


※八識説の概念図(Wikipedia「唯識」より引用)

《その下に末那識(まなしき)と呼ばれる潜在意識が想定されており、寝てもさめても自分に執着し続ける心であるといわれる。熟睡中は意識の作用は停止するが、その間も末那識は活動し、自己に執着するという。さらにその下に阿頼耶識(あらやしき)という根本の識があり、この識が前五識・意識・末那識を生み出し、さらに身体を生み出し、他の識と相互作用して我々が「世界」であると思っているものも生み出していると考えられている》。アラヤ(阿頼耶)は蔵のことで、ヒマラヤは、雪him+蔵(=阿頼耶)alayaという意味なのだそうだ。

・唯識思想では《この世の色(しき、物質)は、ただ心的作用のみで成り立っている、とするので西洋の唯心論と同列に見られる場合がある。しかし東洋思想及び仏教の唯識論では、その心の存在も仮のものであり、最終的にその心的作用も否定される(境識倶泯 きょうしきくみん 外界も識も消えてしまう)。したがって唯識と唯心論はこの点でまったく異なる。また、唯識は無意識の領域を重視するために、おもに意識が諸存在を規定するとする唯心論とは明らかに相違がある》。

・次に「五位百法」(五法事理)について。《唯識といって、以上のように唯八識のみであるというのは、一切の物事がこの八識を離れないということである。八識のほかに存在(諸法)がないということではない。おおよそ区分して五法(五種類の存在)としている。(1)心、(2)心所、(3)色、(4)不相応、(5)無為である。この前の四つを「事」として、最後を「理」として、五法事理という》。



《心(心王) ― 識それ自体。心の中心体で「八識心王」ともいわれる。 心所 ― 識のはたらき。心王に付随して働く細かい心の作用で、さらに6種類に分類し、遍行・別境・善・煩悩・随煩悩・不定(ふじょう)とし、さらに細かく51の心所に分ける。正式には心所有法という。色 ― 肉体や事物などのいわゆる物質的なものとして認識される、心と心所の現じたもの。 不相応 ― 心と心所と色の分位の差別。心でも物質でもなく、しかも現象を現象たらしめる原理となるもの。無為 ― 前四法の実性。現象の本質ともいうべき真如》。

《さらに心を8、心所を51、色を11、不相応行を24、無為を6に分けて別々に想定し、全部で百種に分けることから、五位百法と呼ばれる。なお倶舎論では「五位七十五法」を説いており、それを発展させたものと考えられる》。俗に「唯識3年、倶舎8年」という(どうやら、倶舎論を8年間学習すると、唯識論は3年で理解できるという意味のようだ)。

「南都仏教 PARTⅠ.」は以上である。難しい仏教概念がたくさん出てくるが、市川氏はそれをやさしい言葉に言い換えて教えて下さるので、理解が進む(それを要約すると、氏の語り口が失われてしまって残念だが)。PARTⅡ.では、まだまだすごい話が登場するので、お楽しみに。
※参考:「奈良を大いに学ぶ」講義録(2)仏画
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/aea9c5568933f019cd28300b3f538d88

※トップ写真は法相宗大本山・興福寺の東金堂(とうこんどう)と五重塔。9/4撮影
コメント (6)
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