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「奈良を大いに学ぶ」講義録(3)南都仏教 PARTⅠ.

2009年09月06日 | 奈良にこだわる
8/26(水)と28(金)の2回は、学校法人奈良大学の理事長で名誉教授の市川良哉氏による「南都仏教概説」だった。市川氏は、浄土真宗本願寺派・法林寺(天理市田町)のご住職で、『親鸞の語録を読む』(永田文昌堂)という著作もある。予想通り、今回は手強い講義だった。配布資料と私のノートから抜粋し、2回に分けて紹介する。

Ⅰ.仏教伝来
・仏教は『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』(がんごうじがらんえんぎ ならびに るきしざいちょう)によれば538年、『日本書紀』によれば552年に伝来したとある(「ゴミは午後に」と暗記する)。近年の朝鮮古代史研究でも、百済の聖明王の即位年代に14年のずれをもつ2系統の史料があるといわれるので、にわかに両説の正否を決せられない。
・いずれにせよ仏教は仏像、仏具、経巻とともに受け入れられ、仏は「他国神」「蕃神(あたらしくにのかみ)」として理解された。

・仏教を本格的に受容したのは聖徳太子で、その思想は「世間虚仮 唯仏是真」(世間は虚仮にして唯だ仏のみ是れ真なり)および「諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」(諸々の悪しきことをせず、もろもろの善いことを実行しなさい)という太子の言葉に表れている。

・『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』とは、聖徳太子によって著されたとされる『法華義疏』『勝鬘経義疏』『維摩経義疏』の総称である。それぞれ『法華経』『勝鬘経(しょうまんぎょう)』『維摩経(ゆいまぎょう)』の三経の注釈書である(太子の著作という点には異論がある=PARTⅡ.参照)。

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吉川弘文館(市川氏の推薦図書)

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・『法華経』は釈迦の正しい教えを白い蓮華の花にたとえている。すべての人に永遠なるものの生命を得させる神薬のような経であるとする。
・『勝鬘経』は、在家の勝鬘夫人の説法を釈迦が認めたものとされる。『維摩経』とともに、古くから在家のものが仏道を説く経典として用いられている。
・『維摩経』は、在家の維摩居士が仏弟子たちをやりこめるという仕方と構成で、不二の法門(相反する2つのものが、実は別々に存在するものではなく、1つであるということ)が説かれる(詳細=PARTⅡ.参照)。

維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典 (NHKライブラリー)
菅沼 晃
日本放送出版協会(市川氏の推薦図書)

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・法興寺(飛鳥寺)以後、多くの寺が建立され、624年(推古朝32年)頃には寺院数46、僧尼あわせて1385人いたという(石田茂作氏の正倉院文書研究による)。

Ⅱ.南都の仏教
・白鳳時代に仏教は国家仏教の色彩を帯びる。藤原鎌足が病気になったとき(656年)、百済の法明尼(ほうみょうに)が『維摩経』を読誦して病を癒したことから、その報恩心から鎌足が招いた呉の帰化僧・福亮(ふくりょう)は山階陶原(やましなすえはら=JR山科駅西南・御陵大津畑町を中心とした地域)の家で『維摩経』を講じ、それが興福寺維摩会(ゆいまえ)の起源となった。

・南都六宗とは、三論宗、成実宗 (三論宗に付属)、法相宗、倶舎宗 (法相宗に付属)、華厳宗 、律宗 。当初から6つに決まっていたわけではなく、「宗」のかわりに「衆」の字が用いられていた(「宗」は学派=Schoolの意)。



1.三論宗(開祖:恵灌、寺院:東大寺南院)
竜樹(りゅうじゅ 150~250 年)は大乗仏教の哲学者。平凡社世界大百科事典によると《大乗仏教の基盤であり、「般若経」で強調された、「空」の思想を哲学的に基礎づけ,後世の仏教思想全般に決定的影響を与えた。これを評価して,中国や日本では「八宗の祖師」と仰がれている。彼は、その主著『中論』において説一切有部 (せついつさいうぶ)を代表とするいっさいの実在論を否定し、すべてのものは真実には存在せず、単に言葉によって設定されたのみのものであると説いている。この主張を受け継いで成立したのが中観派である》。《竜樹の思想は、クマーラジーバ (鳩摩羅什) によって中国に伝えられ、その系統から「三論宗」が成立した》。なお「三論」とは、竜樹の『中論』『十二門論』と提婆の『百論』の3つの著書を根拠とするのに由来する。

・ドイツの実存主義哲学者 カール・ヤスパースは、世界の偉大な哲学者として釈迦(仏陀)と竜樹の名を挙げ、『仏陀と竜樹』という本まで著している。

・ここで市川氏は般若心経の「空」の概念について、やや詳しく説明された。般若心経とは《仏教の基本聖典で、大乗仏典の一つ。詳しくは「摩訶般若波羅蜜多心経」という。サンスクリットの原題は、「プラジュニャーパーラミター・フリダヤ・スートラ Praj4´p´ramit´‐hrdaya‐s仝tra」 (般若波羅蜜の心髄たる経典)》(平凡社世界大百科事典)である。なお般若波羅蜜(パーラミター)とは「究極最高であること」。

・般若心経の「色即是空」とは、永遠不変の実体(色)はない、ものはそのまま存在しない(空)。「空即是色」とは、存在しない(空)というもの(色)がある、ということ。すべてのものは真実には存在せず、単に言葉によって設定されただけのものである。「ある」と思うのは単なる「とらわれ」である。このような考え方は、西田幾多郎やその弟子・西谷啓治などに大きな影響を与えた。



2.法相宗(開祖:道昭、寺院:興福寺・薬師寺)
中国創始の仏教の宗派の一つ。唐代にインドから玄奘が帰国して、世親(ウァスバンドゥ)の『唯識三十頌』を注釈した『成唯識論』を訳出編集した。この論を中心に、玄奘の弟子の基(一般に窺基と呼ぶ)が開いた宗派。日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、道昭などの入唐求法僧により数次にわたって伝えられた。

・唯識とは《一切の対象は心の本体である識によって現し出されたものであり、識以外に実在するものはないということ。また、この識も誤った分別をするものにすぎず、それ自体存在しえないことをも含む。法相宗の根本教義》(デジタル大辞泉)である。市川氏からは「八識」や「五位百法」などの概念を詳しく説明いただいたが、とても難解なので、以下、概要をWikipedia「唯識」から拾って説明する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98



・まず「八識」について。《唯識思想では、各個人にとっての世界はその個人の表象(イメージ)に過ぎないと主張し、八種の「識」を仮定(八識説)する。まず、視覚とか聴覚とかの感覚も唯識では識であると考える。感覚は5つあると考えられ、それぞれ眼識(げんしき、視覚)・耳識(にしき、聴覚)・鼻識(びしき、嗅覚)・舌識(ぜつしき、味覚)・身識(しんしき、触覚など)と呼ばれる。これは総称して「前五識」と呼ぶ。その次に意識、つまり自覚的意識が来る。六番目なので「第六意識」と呼ぶことがあるが同じ意味である。また前五識と意識を合わせて現行(げんぎょう)という》。


※八識説の概念図(Wikipedia「唯識」より引用)

《その下に末那識(まなしき)と呼ばれる潜在意識が想定されており、寝てもさめても自分に執着し続ける心であるといわれる。熟睡中は意識の作用は停止するが、その間も末那識は活動し、自己に執着するという。さらにその下に阿頼耶識(あらやしき)という根本の識があり、この識が前五識・意識・末那識を生み出し、さらに身体を生み出し、他の識と相互作用して我々が「世界」であると思っているものも生み出していると考えられている》。アラヤ(阿頼耶)は蔵のことで、ヒマラヤは、雪him+蔵(=阿頼耶)alayaという意味なのだそうだ。

・唯識思想では《この世の色(しき、物質)は、ただ心的作用のみで成り立っている、とするので西洋の唯心論と同列に見られる場合がある。しかし東洋思想及び仏教の唯識論では、その心の存在も仮のものであり、最終的にその心的作用も否定される(境識倶泯 きょうしきくみん 外界も識も消えてしまう)。したがって唯識と唯心論はこの点でまったく異なる。また、唯識は無意識の領域を重視するために、おもに意識が諸存在を規定するとする唯心論とは明らかに相違がある》。

・次に「五位百法」(五法事理)について。《唯識といって、以上のように唯八識のみであるというのは、一切の物事がこの八識を離れないということである。八識のほかに存在(諸法)がないということではない。おおよそ区分して五法(五種類の存在)としている。(1)心、(2)心所、(3)色、(4)不相応、(5)無為である。この前の四つを「事」として、最後を「理」として、五法事理という》。



《心(心王) ― 識それ自体。心の中心体で「八識心王」ともいわれる。 心所 ― 識のはたらき。心王に付随して働く細かい心の作用で、さらに6種類に分類し、遍行・別境・善・煩悩・随煩悩・不定(ふじょう)とし、さらに細かく51の心所に分ける。正式には心所有法という。色 ― 肉体や事物などのいわゆる物質的なものとして認識される、心と心所の現じたもの。 不相応 ― 心と心所と色の分位の差別。心でも物質でもなく、しかも現象を現象たらしめる原理となるもの。無為 ― 前四法の実性。現象の本質ともいうべき真如》。

《さらに心を8、心所を51、色を11、不相応行を24、無為を6に分けて別々に想定し、全部で百種に分けることから、五位百法と呼ばれる。なお倶舎論では「五位七十五法」を説いており、それを発展させたものと考えられる》。俗に「唯識3年、倶舎8年」という(どうやら、倶舎論を8年間学習すると、唯識論は3年で理解できるという意味のようだ)。

「南都仏教 PARTⅠ.」は以上である。難しい仏教概念がたくさん出てくるが、市川氏はそれをやさしい言葉に言い換えて教えて下さるので、理解が進む(それを要約すると、氏の語り口が失われてしまって残念だが)。PARTⅡ.では、まだまだすごい話が登場するので、お楽しみに。
※参考:「奈良を大いに学ぶ」講義録(2)仏画
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/aea9c5568933f019cd28300b3f538d88

※トップ写真は法相宗大本山・興福寺の東金堂(とうこんどう)と五重塔。9/4撮影

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6 コメント

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法相宗 (ikaru(尼御前))
2009-09-06 09:22:55
法相宗で学ばれている「唯識」は、
私の仕事の支えになりました。
不治の病に冒された人々に、
心のありようを道筋立ててさしあげるのに
大変有用な論でした。
私の奈良へのアプローチは、
こちらからも導かれております。

学問にするとやたら難しくなってしまったり、
「葬式仏教」と呼ばれたりする現在の仏教、
心の健康を保つためには良い教えと思うのですが・・・
返信する
唯識 (tetsuda)
2009-09-07 06:00:47
ikaru(尼御前)さん、コメント有り難うございました。

> 不治の病に冒された人々に、心のありようを道筋
> 立ててさしあげるのに大変有用な論でした。

そうでしたか。私も「唯識」というものがこれほどのものとは、初めて知りました。仏教の教えは、とても深いです。
返信する
哲学と信仰 (畳薦)
2009-09-07 08:59:53
 こうして南都仏教の解説を聞くとこれはあきらかに哲学、世界観、認識論であって自分をある対象に捧げてしまう「信仰」とは別物。ものすごい深さまで徹底した認識論。それがなぜ東に来ると、宗教になってしまうのだろうか?
 我々衆愚にはその方がわかりやすいためか? 
 この認識論は凄い、しかも心理学以前の達成だ。 
返信する
深い哲理 (tetsuda)
2009-09-07 21:14:26
畳薦さん、コメント有り難うございました。

> ものすごい深さまで徹底した認識論。それが
> なぜ東に来ると、宗教になってしまうのだろうか?

仏教に限らず、キリスト教もイスラム教も、このような深い哲理に裏打ちされているのではないでしょうか。それが、民俗信仰や自然信仰に親しんできた私たち日本人にとって、なじみが薄いだけで…。「南都仏教PARTⅡ.」にも深い話が出てきます、お楽しみに。

♯いつも気になっているのですが、畳薦さんというハンドルネームは、何に由来するのでしょう。お差し支えのない範囲内でご教示いただければ、と。
返信する
Unknown (コンビニバイヤー)
2009-09-07 22:49:25
本日は、お忙しい中ありがとうございました。

大変 勉強になりました。

お役立ち出来ればと考えてます。
末永くよろしくお願い致します。

コンビニバイヤーやらまいか
というブログやってます。
めちゃくちゃお時間ある時は是非。

本日は、本当にありがとうございました。

三ノ宮に向かう阪神にて。
返信する
コンビニバイヤーのやらまいか (tetsuda)
2009-09-07 23:16:08
コンビニバイヤーさん、コメント有り難うございました。また、早速ブログをご覧いただき、深謝です。

> お忙しい中ありがとうございました。大変 勉強になりました。

奈良にも美味しいものがあるでしょう。お分かりいただき、幸いです。今後とも、どうぞよろしく。

> コンビニバイヤーのやらまいかというブログ
> やってます。めちゃくちゃお時間ある時は是非。

拝見しました。情報満載の楽しいブログですね。
http://yaramaika2006hiro.cocolog-nifty.com/

また時々お訪ねします。
返信する

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