新元号令和の考案者とされる中西進氏が『月刊文藝春秋』(令和元年6月号)に《令和とは「うるわしき大和」のことです 日本人の“おしゃれ心”が新元号を生んだ》という記事を書いた。ここでも自らが考案者と名乗っているわけではないが、終始そのようなニュアンスで書かれている。印象に残った部分を抜粋する。
元号とは何か。元号とは文化です。
日本で連綿として受け継がれてきた文化であって、本来、国や役人が定めるものではありません。元号は本来、天が決めるものなのです。
天子(天皇)が天を祀るときにひらめいたものを元号に落とし込むわけですから、考案者が名乗り出ることはありえないのです。
『万葉集』という国書(日本人が著作した古典)を典拠とすることにこだわったのは、非常に良かったと思います。元号制定は社会現象であり、お祝いなのです。
文化である元号を大切にするのは、日本人のおしゃれ心です。実質的な意義は乏しくても、特色のある名前を付けたいと思うのは人間の好奇心があるから。恋人に手紙を書くとき、日付をどのように書きますか?西暦で書いたら味気ない。それではあなたの恋心は届きません。和暦で書くというおしゃれな心があってこそ、心が届くのです。
(『万葉集』「梅の花の序」の)「初春の令月」はいつのことを指すのでしょうか。中国では「令月」が指すのは2月です。ところが旅人が言う「初春の令月」のほうは“麗しい1月”です。中国では1月はまだ寒いですが、日本では暖かい陽気になれば、1月でも2月でも3月でも令月と言いました。
「令和」は『万葉集』という国書が典拠と発表されました。そのとき、「梅の花の序」には中国の古典の影響があり、純粋に国書を典拠としたとは言えないと批判した人がいました。まるで国書か漢籍かと論争が始まりそうな気配でした。しかし私から言わせると、オリンピックや世界選手権でもないのに、どうして国書vs.漢籍と競い合わなければならないのでしょうか。誰がどう見ても、日本は中国から大きな文化的影響を受けてきた国です。
結論は、日本の文化の特色は、外国の進んだ文化、よい文化を自分に取り込むことが得意だということです。日本は、ダボハゼのように何でも食べて自分の滋養にします。
何かと話題になった「令」という文字の解釈から説明しましょう。「令」を辞書でひくと「よいこと」と書いてあります。
さらに説明を続けると、「令」が表現するのは、単なる良いことではありません。そうではなく「令」とは「麗しい」ということです。「麗しい」は容姿端麗という言葉に象徴されるように、整然として価値が高いものに使います。
次に「和」です。和とは「平和」。しかも「大和」、日本のことでもあります。つまり、「令和」は、「麗しき平和をもつ日本」という意味です。麗しく品格を持ち、価値をおのずから万国に認められる日本になってほしいという願いが込められています。
(桜ではなく)梅の花を良いとするのは、中国の文化です。そして旅人が生きた奈良時代は遣唐使が派遣され、唐の文化が大量に入ってきた時代でした。一方、教養人は、時代の先端文化を好みます。梅は唐の文化の1つですが、梅を囲んで歌を作り、酒を酌み交わすのは当時の日本の最先端の文化であり、外国の文化をよいものとして取り込むきわめて日本的なふるまいであると言えます。
昨今、価値観が定まらず、行く先が分からない日本で、多くの人は不安感にとらわれています。その中で、麗しく生きる万葉集の精神性、そして旅人の品格のある生き方が「令和」という元号から伝わるよう願っています。
万葉集の「梅の花の序」を見ると、こんな有名な歌がそのときに詠まれていたことを知った。
「わが園に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来るかも」大伴旅人(巻5-822)
万葉集で「梅」はすべて白梅なので、白梅の落下はよく雪にたとえられるのだ。最初「令和」が万葉集の歌ではなく詞書(ことばがき)から取られたと聞いて、一瞬「なぜ歌ではないのだろう」と思ったが、考えてみると万葉集の歌は「万葉仮名」(変体漢文)で書かれているから、取りようがないのだ。詞書なら漢文だから、そこから取ることができる。令和の元号に関しては、ロバート・キャンベル氏が良いことを言っている。朝日新聞(4/2付)によると、
ロバート・キャンベルさん「国書か漢籍か、超えた元号」
日本文学研究者のロバート・キャンベルさんによると、梅の花は万葉集では120首ほどが題材として詠まれており、「中国で伝統的に歌われる情景だ」という。典拠となった序文は、詩文集「文選(もんぜん)」にある後漢の張衡(ちょうこう)の「帰田賦(きでんのふ)」を「カバー」した可能性があるとし、「後漢の時代の人々に思いを重ね、目の前にある景色を描いたのではないか」と指摘する。
そのうえで「国書か漢籍かということはどうでもよく、国を超えて共有される言葉の力、イメージを喚起する元号だ。元号が孤立しているものではなく、北東アジア文化圏で共有された情操の世界とつながる言葉だ」と評価する。また、万葉集はのちの勅撰(ちょくせん)和歌集と違い、「詠み人の階層や地域性が多様で、人々の素直な声や思いを後の時代に記録している。世界に万葉集の素晴らしさを気付かせるきっかけになるという意味もうれしい」と歓迎した。
新元号が「令和」と聞いた瞬間には、「令」が使役の助動詞であることから、「和せしむ」と解釈したという。「平和になるよう仕向けようという、ポジティブな言葉だと思った。この解釈も胸にとっておきたい」と話した。
それにしても「令和」とは良い元号だ。字面もいいし、ラ行音の響きもいい。和(大和)は日本でもあるし奈良のことでもある。「麗しい大和」の時代は、品格のある生き方を心がけよう。
元号とは何か。元号とは文化です。
日本で連綿として受け継がれてきた文化であって、本来、国や役人が定めるものではありません。元号は本来、天が決めるものなのです。
天子(天皇)が天を祀るときにひらめいたものを元号に落とし込むわけですから、考案者が名乗り出ることはありえないのです。
『万葉集』という国書(日本人が著作した古典)を典拠とすることにこだわったのは、非常に良かったと思います。元号制定は社会現象であり、お祝いなのです。
文化である元号を大切にするのは、日本人のおしゃれ心です。実質的な意義は乏しくても、特色のある名前を付けたいと思うのは人間の好奇心があるから。恋人に手紙を書くとき、日付をどのように書きますか?西暦で書いたら味気ない。それではあなたの恋心は届きません。和暦で書くというおしゃれな心があってこそ、心が届くのです。
(『万葉集』「梅の花の序」の)「初春の令月」はいつのことを指すのでしょうか。中国では「令月」が指すのは2月です。ところが旅人が言う「初春の令月」のほうは“麗しい1月”です。中国では1月はまだ寒いですが、日本では暖かい陽気になれば、1月でも2月でも3月でも令月と言いました。
「令和」は『万葉集』という国書が典拠と発表されました。そのとき、「梅の花の序」には中国の古典の影響があり、純粋に国書を典拠としたとは言えないと批判した人がいました。まるで国書か漢籍かと論争が始まりそうな気配でした。しかし私から言わせると、オリンピックや世界選手権でもないのに、どうして国書vs.漢籍と競い合わなければならないのでしょうか。誰がどう見ても、日本は中国から大きな文化的影響を受けてきた国です。
結論は、日本の文化の特色は、外国の進んだ文化、よい文化を自分に取り込むことが得意だということです。日本は、ダボハゼのように何でも食べて自分の滋養にします。
何かと話題になった「令」という文字の解釈から説明しましょう。「令」を辞書でひくと「よいこと」と書いてあります。
さらに説明を続けると、「令」が表現するのは、単なる良いことではありません。そうではなく「令」とは「麗しい」ということです。「麗しい」は容姿端麗という言葉に象徴されるように、整然として価値が高いものに使います。
次に「和」です。和とは「平和」。しかも「大和」、日本のことでもあります。つまり、「令和」は、「麗しき平和をもつ日本」という意味です。麗しく品格を持ち、価値をおのずから万国に認められる日本になってほしいという願いが込められています。
(桜ではなく)梅の花を良いとするのは、中国の文化です。そして旅人が生きた奈良時代は遣唐使が派遣され、唐の文化が大量に入ってきた時代でした。一方、教養人は、時代の先端文化を好みます。梅は唐の文化の1つですが、梅を囲んで歌を作り、酒を酌み交わすのは当時の日本の最先端の文化であり、外国の文化をよいものとして取り込むきわめて日本的なふるまいであると言えます。
昨今、価値観が定まらず、行く先が分からない日本で、多くの人は不安感にとらわれています。その中で、麗しく生きる万葉集の精神性、そして旅人の品格のある生き方が「令和」という元号から伝わるよう願っています。
万葉集の「梅の花の序」を見ると、こんな有名な歌がそのときに詠まれていたことを知った。
「わが園に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来るかも」大伴旅人(巻5-822)
万葉集で「梅」はすべて白梅なので、白梅の落下はよく雪にたとえられるのだ。最初「令和」が万葉集の歌ではなく詞書(ことばがき)から取られたと聞いて、一瞬「なぜ歌ではないのだろう」と思ったが、考えてみると万葉集の歌は「万葉仮名」(変体漢文)で書かれているから、取りようがないのだ。詞書なら漢文だから、そこから取ることができる。令和の元号に関しては、ロバート・キャンベル氏が良いことを言っている。朝日新聞(4/2付)によると、
ロバート・キャンベルさん「国書か漢籍か、超えた元号」
日本文学研究者のロバート・キャンベルさんによると、梅の花は万葉集では120首ほどが題材として詠まれており、「中国で伝統的に歌われる情景だ」という。典拠となった序文は、詩文集「文選(もんぜん)」にある後漢の張衡(ちょうこう)の「帰田賦(きでんのふ)」を「カバー」した可能性があるとし、「後漢の時代の人々に思いを重ね、目の前にある景色を描いたのではないか」と指摘する。
そのうえで「国書か漢籍かということはどうでもよく、国を超えて共有される言葉の力、イメージを喚起する元号だ。元号が孤立しているものではなく、北東アジア文化圏で共有された情操の世界とつながる言葉だ」と評価する。また、万葉集はのちの勅撰(ちょくせん)和歌集と違い、「詠み人の階層や地域性が多様で、人々の素直な声や思いを後の時代に記録している。世界に万葉集の素晴らしさを気付かせるきっかけになるという意味もうれしい」と歓迎した。
新元号が「令和」と聞いた瞬間には、「令」が使役の助動詞であることから、「和せしむ」と解釈したという。「平和になるよう仕向けようという、ポジティブな言葉だと思った。この解釈も胸にとっておきたい」と話した。
それにしても「令和」とは良い元号だ。字面もいいし、ラ行音の響きもいい。和(大和)は日本でもあるし奈良のことでもある。「麗しい大和」の時代は、品格のある生き方を心がけよう。
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