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富雄丸山古墳から、国宝級の銅鏡と鉄剣が出土!

2023年02月03日 | 奈良にこだわる
本年(2023年)1月、国内最大の円墳・富雄丸山古墳(奈良市丸山、4世紀後半)から、前例のない埋葬品が発見された。国内初確認の「盾形(たてがた)銅鏡」(長さ64cm、幅約31cm)と、国内最大の「蛇行剣(だこうけん)」(全長237cm、幅約6cm)が出土し、古墳時代の金属工芸の最高傑作という評価がなされている。
※写真はすべて富雄丸山古墳、あまり紹介されないので私が撮りに行った(1/31撮影=3枚)

また副産物としてレーザー測量の結果から、隣接する富雄丸山2号墳と3号墳が別々の古墳ではなく、一体の前方後円墳であることが判明した。地元では「長髄彦の墓か」と噂される富雄丸山古墳、発表時の記録としてこれまでの報道を、毎日新聞の記事から総まとめしておく。まずは1/26(木)1面の記事。

類例なく「国宝級」発見 「盾形銅鏡」出土 奈良の富雄丸山古墳
奈良市にある国内最大の円墳、富雄丸山古墳(4世紀後半、直径109メートル)の未盗掘の埋葬施設から、過去に類例のない盾形の銅鏡(長さ64センチ、幅約31センチ)と蛇行剣と呼ばれる鉄剣(全長237センチ、幅約6センチ)が出土した。いずれも国産とみられる。

盾形銅鏡は国内で出土した銅鏡で最も大きく、裏面には精緻で複雑な文様が施されていた。蛇行剣は曲がりくねった刃が特徴で、古墳時代の鉄剣としては東アジア最大、蛇行剣では国内最古という。25日、発表した市教委と奈良県立橿原考古学研究所は「古墳時代の金属器の最高傑作」と評しており、国宝級の発見といえる。

埋葬施設は、墳丘から北東方向にせり出した「造り出し」で見つかった。木の幹を二つに割り、内部をくりぬいて被葬者を納めた「割竹形木棺」を粘土で覆った構造で、盾形銅鏡と蛇行剣は木棺の外に重ねるように置かれていた。いずれも邪悪なものを遠ざける「辟邪(へきじゃ)」の意味があるという。

盾形銅鏡を蛍光X線で調べたところ、錫(すず)、銅、鉛の成分が検出された。表の鏡面にはなめらかに磨いた跡があった。裏面には中国の神獣を簡略化した「鼉龍(だりゅう)」文や、のこぎりの刃のように三角形を連続させた鋸歯(きょし)文などの幾何学文様が施され、中央部分にはひもを通すための丸い突起「鈕(ちゅう)」がある。「盾」と「鏡」を組み合わせた前代未聞の斬新なデザインで、市教委などは「鼉龍文盾形銅鏡」と名付けた。

一方、蛇行剣はこれまで国内でおよそ85例、韓国で4例の出土例がある。今回見つかった蛇行剣は金属をたたいて作られ、刃は6カ所で屈曲していた。237センチの全長はこれまで最大だった宇陀北原古墳(奈良県宇陀市)の84・6センチの約3倍。

鉄剣としても中国・遼寧省で出土した138センチをはるかに上回る破格の大きさだ。出土状況から、柄や鞘(さや)の付いた状態で副葬されたと考えられ、それらを含めると復元長は約267センチになるという。

橿原考古学研究所の岡林孝作副所長は、記者会見で「盾形銅鏡からは当時の人々の柔軟な発想と創造性、高度なデザイン力がうかがえる。蛇行剣と合わせて、古墳時代前期の金属器生産の技術水準が想像以上に高かったことを証明している」と語った。奈良市教委は今後、木棺内を調査する。

発掘現場は28日(午後0時半~3時)と29日(午前10時~午後3時)に一般公開する。盾形銅鏡と蛇行剣は保存処理中のため展示しない。問い合わせは市埋蔵文化財調査センター(0742・33・1821)。【塩路佳子、稲生陽】




次は同日付23面。

奈良・富雄丸山古墳の銅鏡 盾と鏡「いいとこ取り」 精緻な文様、想像超す技術
「な、何やこれ?」。2022年12月、住宅街の一角で地肌をあらわにした山に、学生らの声が響いた。足元には1600年の眠りから覚めたばかりの盾形の板が鈍い光を放っている。おそるおそる取り上げ、直下の粘土層に顔を近づけると、幾何学文様が転写されているのが見えた。

「ただの板やない」。水平な場所に運び、4人がかりでそっと裏返す。一瞬、時が止まったようだった。「おおー」「鼉龍(だりゅう)文だ!」。未知との遭遇に、学生たちのため息と驚きが交錯した。

富雄丸山古墳(奈良市、4世紀後半)から出土した鼉龍文盾形銅鏡は、盾と鏡の要素を「いいとこ取り」した前例のない姿をしていた。関係者が特に注目したのは、その文様の精緻さだ。ひもや布などを通す突起「鈕(ちゅう)」を挟んで、上下に複数の鼉龍を円を描くように配置。1匹ずつ微妙に表現を変え、上下で回転を逆にするなど随所にこだわりが見える。

鼉龍は中国の神獣を基にしたわが国オリジナルの文様で、国産銅鏡の中でも最高級のモチーフだという。鈕の左右には幾何学文様と渦巻きを組み合わせた太陽のような文様をあしらい、盾に固有の鋸歯(きょし)文で鏡全体を縁取った。

現代人の想像をはるかに超える技術の粋の結晶に、奈良県立橿原考古学研究所の岡林孝作副所長も「見たことがない表現。まさに日本人のアイデンティティーの発露だ」と絶賛する。

剣大きさに驚き
「本当に1本? 2本か3本くっついているのでは?」。発掘調査を担当した奈良市教委の村瀬陸学芸員は当初、蛇行剣(全長237センチ)のあまりの大きさに目を疑った。古墳時代の武器が専門で、学生と一緒に調査に関わった奈良大の豊島直博教授(考古学)も「こんなものが世の中に存在するのか」とX線写真を見るまで信じがたかったという。

「2メートル超の剣を作るとなると、相当大きな鍛冶炉が必要だが近畿でそのクラスの遺構は見つかっていない。どこでどう作られたかの解明は、今後の課題だろう」と話した。

盾形銅鏡と蛇行剣はそれぞれ粘土層を挟んで重ねられ、被葬者を納めた木棺に添えられていた。墳丘の頂上にはさらに別の人物が葬られたと考えられ、盾形銅鏡は鏡面が頂上に向くような角度で置かれていたという。「まるで墳頂の被葬者の呪力、霊力を恐れているようだ」。岡林副所長によると、盾は敵を、鏡は光をそれぞれはね返す魔よけの意味があり、二つを合わせることで一層強力な効果の発揮を狙った可能性があるという。

富雄丸山古墳が造られた4世紀後半は、ヤマト王権が全国に勢力基盤を広げ、前方後円墳が巨大化する時期だ。金属器の生産においても、中国大陸や朝鮮半島からもたらされた技術を取り込み、国産化が進んだ。近隣地域では佐紀古墳群(奈良市)の造営が始まる頃で、その後、大阪平野に百舌鳥・古市古墳群(大阪府)が展開していく。

富雄丸山古墳は地理的にこれらの間に独立して営まれ、墳形も周辺で圧倒的な前方後円墳とは異なる円墳だ。大阪大の福永伸哉教授(考古学)は「被葬者はヤマト王権の有力者で、佐紀と河内という二つの地域を結びつけるフィクサーのような役割を果たした人物だったのでは」と見る。

勾玉が出れば…
日本書紀は初代天皇・神武天皇の東征の際、天皇の弓に降り立った金鵄(きんし)(金色のトビ)が光を反射して敵方の目をくらませ、勝利をもたらしたと伝える。富雄丸山古墳がある奈良市の富雄付近は、その敵方を率いた長髄彦(ながすねひこ)の拠点だったとされ、富雄の地名は「鵄邑(とびむら)」から来ているとの説もある。

市埋蔵文化財調査センターの鐘方(かねかた)正樹所長は「地元ではこの古墳を長髄彦の墓と信じる人もいる。今後の調査で木棺から勾玉(まがたま)が出れば、鏡、剣と三種の神器がそろうと思うとロマンを感じる」と話した。【稲生陽、塩路佳子、花澤茂人】

■ことば 富雄丸山古墳
4世紀後半に築造された国内最大の円墳。レーザーによる三次元計測で直径109メートルの3段構造と判明した。墳丘頂上の主体部は明治時代に盗掘を受けており、その際に出土したとみられる鍬形(くわがた)石などが、国の重要文化財に指定されている。近くの佐紀古墳群(奈良市)と百舌鳥・古市古墳群(大阪府)を結ぶ交通の要衝にあり、ヤマト王権の有力者が葬られたと考えられている。




続いて同日付奈良版。

富雄丸山古墳から鼉龍文盾形銅鏡 歴史的瞬間「時止まった」 発掘作業員、驚きの声
奈良市丸山1にある国内最大の円墳、富雄丸山古墳(4世紀後半)から出土した、銅鏡と盾を組み合わせた鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡(長さ64センチ、幅約31センチ)と、同時期では東アジア最大という蛇行剣(全長237センチ)。国宝級の遺物の出土に、発掘作業員として出土の瞬間に居合わせた学生は「衝撃で時間が止まったようだった。歴史的な場面に立ち会えた」と振り返った。【稲生陽】

現場は住宅や公園に囲まれ、小高い山のようになっている。2022年10月末、古墳の北東にせり出した造り出し部から、木棺などを覆う新たな粘土槨(かく)が未盗掘の状態で見つかった。円墳中央部とは別の埋葬施設だ。21年度から発掘に携わってきた奈良大3年、水川慶紀(よしき)さん(21)は緊張しながら作業していた。

22年12月19日、見つかった銅鏡を粘土槨からそっと取り出した。鏡の裏面には細かな文様がびっしりと刻まれていた。とりわけ目を引いたのが、中国の神獣を模したとされるデザインの鼉龍文。「これ鼉龍鏡や!」。現場を指揮する市埋蔵文化財調査センターの村瀬陸学芸員(32)や、村瀬さんの依頼で訪れていた島根大の岩本崇准教授(47)=橿原市出身=らの声が重なると、周囲は息をのんだ。

岩本准教授は「鼉龍文は最上級の鏡に使う特別な文様。まさかここで出土した鏡に刻まれているとは」と驚きを隠さない。また、盾の形は同古墳の築造時期より後の5世紀から、副葬品の革盾にも広く表れるようになる。今回見つかった銅鏡は形としても先駆的なものだという。

水川さんは「鼉龍文の実物を見たのは初めて。頭が真っ白になり、呼吸が止まったように感じた」。岡山出身で奈良大の文学部文化財学科に入学した20年の春は、新型コロナウイルスの感染拡大で対面授業が自粛された時期。それでも関心のあった考古学に携わりたいと、その年の冬から発掘作業員のアルバイトを始めた。

富雄丸山古墳は大学の先輩から引き継ぐ形で発掘作業に参加。今回、盾形銅鏡と蛇行剣を古墳から取り出す瞬間に立ち会えた。「考古学を学び始めて数年で、こんなすごい瞬間に立ち会えて感激した。奈良は考古学の本場。ここで学び、将来は埴輪(はにわ)の研究者になりたい」と意気込んだ。


次に一般公開時の記事、1/29(日)付奈良版から。

富雄丸山古墳、考古学ファン1400人熱視線 国宝級銅鏡と鉄剣 発掘現場を一般公開
類例のない盾形銅鏡などが出土した奈良市にある国内最大の円墳、富雄丸山古墳(4世紀後半、直径109メートル)で28日、発掘現場が一般公開された。国宝級の遺物が見つかった場所を一目見ようと、県内外の考古学ファン約1400人が詰め掛けた。【広瀬晃子】

古墳からは国宝級とされる盾の形をした銅鏡(長さ64センチ、幅約31センチ)と巨大な鉄剣(全長237センチ、幅約6センチ)が、未盗掘の埋葬施設で出土した。いずれも国産とみられ、盾形銅鏡が確認されるのは初。市教委などは「鼉龍(だりゅう)文盾形銅鏡」と名付けた。鉄剣は曲がりくねった形が特徴の蛇行剣で、古墳時代の鉄剣としては東アジア最大、蛇行剣では国内最古という。

盾形銅鏡と蛇行剣は保存処理中のため、発掘現場には原寸大模型が置かれた。また、新型コロナウイルス対策で、一般公開は担当者が説明する形ではなく、見学者が立ち止まらずに歩きながら見る形で実施した。見学者たちは興味深そうに「おお、ここか」と食い入るように見ていた。また、富雄丸山古墳を模したクッションを持参した古墳ファンの女性もおり、会場は熱気に包まれた。

訪れた大阪市の神職、浅川千洋さん(56)は「ここの発掘体験にも何度も参加するほど古墳が大好き。すごいものが出土して心が躍った」と笑顔。大阪府寝屋川市の元会社員、田中久夫さん(75)は「発見を知ったときはすごく驚いた。現物が公開されるのが楽しみ」と話した。一般公開は29日も午前10時~午後3時に行われる。

湧水施設形埴輪も出土
富雄丸山古墳の墳丘南東側からは、水の祭祀(さいし)を表現した家形の埴輪(はにわ)が見つかっている。内部に湧き水に関する施設のある「湧水(ゆうすい)施設形埴輪」で、その最古例になるという。南東側には、祭祀のための空間が広がっていたと考えられる。

2・3号墳、一体の前方後円墳か
また、北東に隣接する富雄丸山2号墳と3号墳が一体の前方後円墳である可能性が高いことも分かった。レーザー測量の結果から、6世紀後半の横穴式石室がある2号墳に対し、3号墳に埋葬施設がないことや、両古墳の間に区画する溝がないことを確認。2号墳を後円部、3号墳を前方部とする全長約40メートルの前方後円墳である可能性があるとする。【塩路佳子】


※2/5追記 生駒あさみさんがご自身のFacebook(1/31付)に、興味深い感想を書かれていたので、以下に紹介しておく。

「国宝級」とか「芸術性が高い」とか「金属工芸の最高傑作」とか「最古最長」とかそう言う耳目を集めるような冠がつきますが、それが、「すごい」のではなくて、これまでの研究や調査結果があってそういった価値があるものだとわかる、ということが「すごい」。

のだけど、わかりやすい言葉はやはり当然ながらついてしまいますね。わからない人にわかってもらうために必要なんですが、それだけが歩くのはなと。

いや出土品自体がすごいのはすごいすよ。でもまずは、発掘調査ができる状況だったことや、盗掘されてなかったこと、様々な状況を含めて「すごい」なと思います。

全国各地から様々な考古遺物が出てきてるし、当然今回のものだけがすごいわけではないですが、でもこの場所でこの時代の類例がないものがでてきたのは、これからの研究のものさしになり得ます。それが今回の私が一番「すごい」と思ったこと。いや形にもびっくりしましたよ、盾型の鏡とか見たことないもんー。文様もびっくりですよ。

これからさらに研究されてわかっていくことも増えていくんでしょう。そうした研究が、過去に生きた人たちの来し方を知れる手掛かりになる。それは未来に役立つことにもつながるのではないか。

奈良には「国宝級」「過去最古最長」「美術工芸品としても価値が高い」もの以外にも本当に本当に数多い。そういった文化財を守ってきた土壌もある。これはどんどんスクラップビルドを繰り返す場所にはもう出来ないことかもしれません。失ったら戻せない。こういうのが出るから開発ができないんだとかいう人もいるの知ってる。

このあたりは考え方、知ってることの違いにもなってくる。過去を知ることが未来の生き方への指針となってることなどを、実感できる場がないと、そんなの関係ないって言ってくる人もいるし。難しいことですが、やはり私は過去から学べることがあるから、未来があると信じたい。
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というわけで現地公開にいってきました。村瀬さんに声かけてみようかと思ったら後ろにいた方がお知り合いだったようでお声がけできなかった…残念。クラファン文章の熱い思いを読んで共感して、こんなに古墳好きな方が今回の発掘に携わったのかーとなかなか胸アツです。

今日は現地で池田さんと山口さんにお会いできました。お二人とも2日間寒い中お疲れさまでしたー。結果論だけど、これまで奈良に通いながら行った様々な現地説明会が、今の仕事に本当に役にたってます。

私は研究者ではないから、余計に実際行って規模を体感としてつかんでおかないとならないなと。(エビノコ郭、島宮遺跡、石神遺跡とか、甘樫丘東麓とか小山田古墳とか、中尾山とか、一度は何かで書いている。)

今回も公開に行けて、古墳の規模とかよくわかりました。今日は午前中で1500人超してたっていってましたがどのくらい来たんでしょう。興味を持つ人が現地まで足を運ぶの嬉しいですよね。

若い子たちは今後研究者に進むかもしれないし、地域の人はすごいものが地元からでたことが誇りにつながるかもしれない。私のような仕事をしていく人たちも増えるかもしれない。そうなると嬉しいですよね。












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2 コメント

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富雄丸山古墳 (ヨッピー(長越洋子))
2024-02-03 10:25:59
お早うございます♪
研究熱心な鉄田さん、現地に行かれてそしてお写真3枚も。貴重な現地写真ですね。私も奈良新聞でこの古墳の事を知り興味深かったです。
でも周辺の様子の写真がなくちょっと残念でしたがこうやって見せて頂けるとより親近感が湧きますね。
被葬者は一体誰なんだろう・・ロマンはどんどん広がります。これからが楽しみなこと(o^―^o)ニコ
印刷ファイルさせて頂きますね。
返信する
埋蔵文化財調査センター (tetsuda)
2024-02-03 11:48:21
長越さん、コメントありがとうございました。

> 周辺の様子の写真がなくちょっと残念でしたがこう
> やって見せて頂けるとより親近感が湧きますね。

現地まで、車で5分程度の所に住んでいますので、カメラを持って駆けつけました。

> 被葬者は一体誰なんだろう・・ロマンはどん
> どん広がります。これからが楽しみなこと

はい、私も楽しみにしています。奈良市の「埋蔵文化財調査センター」も、この近くに移転して来られますし。
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