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卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳/毎日新聞「かるたで知るなら」第23回

2021年09月25日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、同会が制作した「奈良まほろばかるた」の各札を題材に毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。今週掲載されたのは「日本書紀に皇女伝説」、執筆されたのは同会会員で桜井市在住の青嶋由紀子さんだった(2021.9.23付)。諸説ある箸墓古墳について、コンパクトにまとめてくださった。では、全文を紹介する。

〈卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳〉
 JR桜井線の巻向(まきむく)駅から桜井方面に向かって電車が進むと、すぐ右手に木々の生い茂る小山が見えてきます。これが箸墓(はしはか)古墳です。箸墓古墳は奈良盆地の東南部、三輪山の北西山麓(さんろく)の扇状地帯の纒向(まきむく)遺跡の中に位置し、墳長約280㍍、高さ約30㍍の巨大な前方後円墳です。車窓から見えるのは、後部の円形部分で、前部の方形部分は撥形(ばちがた)に左右に広がっています。被葬者は不明ですが、宮内庁が第七代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓として管理しています。

倭迹迹日百襲姫命と箸墓古墳との関係は『日本書紀』で概略、次のように伝えられています。「姫は三輪山の神、大物主神(おおものぬしのかみ)の妻となったが、夫が小蛇(こおろち)であることを知った。驚いて、夫に恥をかかせてしまったと、その場に、どすんと座り込んだ。その時、箸が姫の体を突いてしまい、姫は亡くなった。姫の墓は、昼は人が造り、夜は神が造った。大坂山から墓まで列をなして石を手渡しで運び、出来上がった墓を箸墓と名付けた」

一方、中国の歴史書『三国志』中の「魏書(ぎしょ)」の倭人(わじん)についての記述に247年ごろに邪馬台国の女王・卑弥呼が死去したとあります。古墳の推定造成時期と重なることを根拠にこの古墳が卑弥呼の墓だとの説もあります。

箸墓古墳は皇室関係の陵墓なので、考古学調査はできません。近年、古墳周辺や外部からの先進的技術の調査で詳細が明らかになりつつありますが、まだ謎の多い古墳です。さて、卑弥呼が眠っているのでしょうか。(奈良まほろばソムリエの会会員 青嶋由紀子)

【国史跡 箸墓古墳】
(住所) 桜井市箸中
(交通)JR巻向駅下車、徒歩約5分
(見学) 外観のみ見学自由


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