5/17(日)、「ホテルかみきた」で朝食をいただいた後、車で大台ヶ原をめざした。この日は、登山者の安全を祈願する「大台ヶ原山祭り」が行われる。郷土芸能、餅まき、山上スタンブラリーハイキング、特産品物産店などが催されるという。下界は薄曇りだが、山上の天気が心配だ。何しろ、日本一の多雨・濃霧地帯なのだ。
大台ヶ原と日出ヶ岳(展望所)はこのあたり。熊野灘が近い
上北山村から大台へは、新伯母峰(しんおばみね)トンネルを抜けて一旦川上村に出てから「大台ヶ原ドライブウェイ」に入る。走りやすい道だが、途中から霧が深くなってきた。
Wikipedia「大台ヶ原山」によると《吉野郡上北山村、同郡川上村および三重県多気郡大台町旧宮川村に跨って座す山。標高1694.9m(日出ヶ岳)。深田久弥によって「日本百名山」の一つとされている。日本百景、日本の秘境100選にも選ばれている》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%B0%E3%83%B6%E5%8E%9F%E5%B1%B1
ドライブウェイを走る車窓から、西大台の風景が楽しめる(入山は規制されている)
《大台ヶ原は世界的に見ても多雨地帯として知られている。そのことが植物や動物など生物の生育と分布に大きな影響を与えている。そのため吉野熊野国立公園のなかでも特に規制の厳しい特別保護地区に指定されている》。
《大台ヶ原を散策するにはビジターセンターからとなるが、大台ヶ原を堪能するなら「東大台ハイキングコース」約9キロがお勧め。標準的に4時間あれば十分まわれる距離となるが途中荒れた道や、勾配のきつい道が点在するので普段運動をしない人にとって多少厳しい。ビジターセンターで販売しているハイキングマップ(100円)には3コース紹介されている。その中にはこれよりも半分程度の距離のハイキングコースも紹介されている》。
《環境省は2007年(平成19年)9月1日より西大台地区において入山規制を実施することを決定した。規制以降入山するには、予め申し込んで有料の認定証を取得し、入山当日は大台ヶ原ビジターセンターで講義を受ける必要がある。なお、東大台地区は入山規制の対象外となっている》。
環境省(近畿地方環境事務所)のHPによると、西大台の「入山規制」とは《大台ヶ原は様々な要因により森林などの衰退が進んでおり、西大台地区においてもその兆候がみられることに加え、今後の利用者の増加による様々な影響が懸念されています。そこで、西大台の美しい自然環境を守り、将来にわたり静寂で、豊かな自然を多くの方々に楽しんでいただけるように、西大台地区を利用調整地区に指定しました》というものだ。
大台ヶ原山祭りの会場(準備中)。建物はビジターセンター
しかしこの規制が厳しすぎて、入山者が激減している。朝日新聞(3/17付)によると《入山者、減りすぎ…「定員」の1割と低迷 西大台の調整地区、08年度利用》《原生的な森林環境を守るため、入山する前に「立入認定証」を必要とする吉野熊野国立公園大台ヶ原の「西大台利用調整地区」(上北山村)の入山者数が08年度、「定員」の約1割と低迷したことが、環境省近畿地方環境事務所のまとめでわかった。同事務所は4月から「静かで豊かな森の魅力をもっと多くの人に知ってほしい」と、事前手続きの締め切りを現行の入山日の2週間前から10日前に緩和する》。
《入山者の「減りすぎ」に同事務所も困惑気味だ。大台ヶ原をよく知る市民からも「申請手続きをもっと合理化すべきだ」「西大台の自然の価値を来訪者に伝える専門ガイドを養成すべきだ」といった声が上がっている》。私の周囲でも「大台ヶ原への入山はすべて規制されている」とカン違いし、大台ヶ原を敬遠している人が多い。規制されているのは「西大台」だけで、日出ヶ岳や大蛇(だいじゃぐら)など主要な展望地がある「東大台」には規制がないので、ぜひ誤解を解いていただきたいと思う。
駐車場(ビジターセンター前)に着くと、あたりは深い霧の中だった。それでも祭り見物や周辺ハイキングの車やバスが続々と到着する。バス3台を連ねてやってきたこのグループは、奈良市・生駒市・田原本町など県下各地からの団体で、東大台の日出ヶ岳・大蛇(だいじゃぐら)・牛石ヶ原の周辺を歩くという(=東大台ハイキングコース)。あいにくの霧のため、景色はあまり期待できないが、涼しいので山歩きにはちょうど良い。
五里霧中のスタート、気をつけて!
帰り道、ドライブウェイの傍らで、不思議な光景に出くわした。畑の「葉もの野菜」のように、高山植物が群落を形成していたのだ(トップ写真も同じ)。写真を撮っている人もいる。なぜ、獣に食べられずに残っているのだろう。
この高山植物は、バイケイソウ(梅草)である。Wikipedia「バイケイソウ」によると《ユリ科に属する多年草の高山植物。APG植物分類体系ではユリ目メランチウム科に分類される。 花がウメ、葉がケイランに似ていることからこの名がある。 ヨーロッパ、北アフリカ、シベリア、東アジア、アリューシャン列島、アラスカ州のスワード半島に分布する。日本では高地の湿地帯などに自生し、6月から8月に2cmほどの緑白色の花を房状につける。開花期の草丈は1mを超える》。
《根茎は白藜蘆根(びゃくりろこん)と呼ばれ血圧降下剤として用いられたが、催吐作用や強い毒性があるので現在では用いられない。また、東雲草(しののめそう)の名で殺虫剤としても使われた。芽生えの姿が、山菜のオオバギボウシ(ウルイ)やギョウジャニンニクとよく似ているため、毎年のように誤食して中毒する事例がある。重症例では血圧低下から意識喪失し死亡する場合もある》。なんと、こんなコワい毒草だったのだ。動物が食べないはずである。それにしても、何とも不思議な光景である。
これまで大台ヶ原へは何度か訪れているが、こんな霧の深い日は初めてだった。ちゃんと写真に撮れているか心配だったが、なんとか写っていて安心した。それどころか有り難いことに、大台ヶ原の神秘的な雰囲気が、霧のおかげで引き立っている。
奈良検定(ならまほろばソムリエ検定)の公式テキスト(山と渓谷社刊)には、《急峻な地形と多雨・濃霧などによって「魔境の山」・「迷いの山」とされてきたが、幕末から明治中期にかけての探検家・松浦武四郎によって紹介されて一般に知られるようになった。また岐阜県郡上郡美並村の人・古川嵩(かさむ)が明治24年(1891年)に大台ヶ原に入山、3ヶ月にわたって現在の東大台・西大台を踏査して開山の第一歩を記した。古川は明治32年(1899)に大台教会を開設、気象観測や自然保護にも力を尽くした》。
しかし今や《伊勢湾台風による大量の風倒木跡にササ類が進入、ドライブウエイの開通による訪問者の急増、ニホンシカの増加による針葉樹の実生や樹皮の採食などの原因が重なり森林植生の衰退が進行しており、環境省では自然再生検討会を設置して対策を協議しています》(地球環境関西フォーラムのHP)という状況にある。自然災害にヒトの進入と鹿害が加わって森が傷んでいるのである。ビジターセンターでは、その様子が詳しく写真パネルで紹介されていた。
http://www.global-kansai.or.jp/kansai100sen/fukei081.htm
豊かな自然に育まれた大台ヶ原は、山道の整備や防鹿柵の設置が進められ、ハイカーの立ち入りルート制限などが行われた結果、傷んだ森が徐々に回復している。回復には100年単位の時間が必要だそうだが、ご先祖からうけついだこの遺産を、子々孫々まで守り伝えて行かなければならない。
大台ヶ原と日出ヶ岳(展望所)はこのあたり。熊野灘が近い
上北山村から大台へは、新伯母峰(しんおばみね)トンネルを抜けて一旦川上村に出てから「大台ヶ原ドライブウェイ」に入る。走りやすい道だが、途中から霧が深くなってきた。
Wikipedia「大台ヶ原山」によると《吉野郡上北山村、同郡川上村および三重県多気郡大台町旧宮川村に跨って座す山。標高1694.9m(日出ヶ岳)。深田久弥によって「日本百名山」の一つとされている。日本百景、日本の秘境100選にも選ばれている》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%B0%E3%83%B6%E5%8E%9F%E5%B1%B1
ドライブウェイを走る車窓から、西大台の風景が楽しめる(入山は規制されている)
《大台ヶ原は世界的に見ても多雨地帯として知られている。そのことが植物や動物など生物の生育と分布に大きな影響を与えている。そのため吉野熊野国立公園のなかでも特に規制の厳しい特別保護地区に指定されている》。
《大台ヶ原を散策するにはビジターセンターからとなるが、大台ヶ原を堪能するなら「東大台ハイキングコース」約9キロがお勧め。標準的に4時間あれば十分まわれる距離となるが途中荒れた道や、勾配のきつい道が点在するので普段運動をしない人にとって多少厳しい。ビジターセンターで販売しているハイキングマップ(100円)には3コース紹介されている。その中にはこれよりも半分程度の距離のハイキングコースも紹介されている》。
《環境省は2007年(平成19年)9月1日より西大台地区において入山規制を実施することを決定した。規制以降入山するには、予め申し込んで有料の認定証を取得し、入山当日は大台ヶ原ビジターセンターで講義を受ける必要がある。なお、東大台地区は入山規制の対象外となっている》。
環境省(近畿地方環境事務所)のHPによると、西大台の「入山規制」とは《大台ヶ原は様々な要因により森林などの衰退が進んでおり、西大台地区においてもその兆候がみられることに加え、今後の利用者の増加による様々な影響が懸念されています。そこで、西大台の美しい自然環境を守り、将来にわたり静寂で、豊かな自然を多くの方々に楽しんでいただけるように、西大台地区を利用調整地区に指定しました》というものだ。
大台ヶ原山祭りの会場(準備中)。建物はビジターセンター
しかしこの規制が厳しすぎて、入山者が激減している。朝日新聞(3/17付)によると《入山者、減りすぎ…「定員」の1割と低迷 西大台の調整地区、08年度利用》《原生的な森林環境を守るため、入山する前に「立入認定証」を必要とする吉野熊野国立公園大台ヶ原の「西大台利用調整地区」(上北山村)の入山者数が08年度、「定員」の約1割と低迷したことが、環境省近畿地方環境事務所のまとめでわかった。同事務所は4月から「静かで豊かな森の魅力をもっと多くの人に知ってほしい」と、事前手続きの締め切りを現行の入山日の2週間前から10日前に緩和する》。
《入山者の「減りすぎ」に同事務所も困惑気味だ。大台ヶ原をよく知る市民からも「申請手続きをもっと合理化すべきだ」「西大台の自然の価値を来訪者に伝える専門ガイドを養成すべきだ」といった声が上がっている》。私の周囲でも「大台ヶ原への入山はすべて規制されている」とカン違いし、大台ヶ原を敬遠している人が多い。規制されているのは「西大台」だけで、日出ヶ岳や大蛇(だいじゃぐら)など主要な展望地がある「東大台」には規制がないので、ぜひ誤解を解いていただきたいと思う。
駐車場(ビジターセンター前)に着くと、あたりは深い霧の中だった。それでも祭り見物や周辺ハイキングの車やバスが続々と到着する。バス3台を連ねてやってきたこのグループは、奈良市・生駒市・田原本町など県下各地からの団体で、東大台の日出ヶ岳・大蛇(だいじゃぐら)・牛石ヶ原の周辺を歩くという(=東大台ハイキングコース)。あいにくの霧のため、景色はあまり期待できないが、涼しいので山歩きにはちょうど良い。
五里霧中のスタート、気をつけて!
帰り道、ドライブウェイの傍らで、不思議な光景に出くわした。畑の「葉もの野菜」のように、高山植物が群落を形成していたのだ(トップ写真も同じ)。写真を撮っている人もいる。なぜ、獣に食べられずに残っているのだろう。
この高山植物は、バイケイソウ(梅草)である。Wikipedia「バイケイソウ」によると《ユリ科に属する多年草の高山植物。APG植物分類体系ではユリ目メランチウム科に分類される。 花がウメ、葉がケイランに似ていることからこの名がある。 ヨーロッパ、北アフリカ、シベリア、東アジア、アリューシャン列島、アラスカ州のスワード半島に分布する。日本では高地の湿地帯などに自生し、6月から8月に2cmほどの緑白色の花を房状につける。開花期の草丈は1mを超える》。
《根茎は白藜蘆根(びゃくりろこん)と呼ばれ血圧降下剤として用いられたが、催吐作用や強い毒性があるので現在では用いられない。また、東雲草(しののめそう)の名で殺虫剤としても使われた。芽生えの姿が、山菜のオオバギボウシ(ウルイ)やギョウジャニンニクとよく似ているため、毎年のように誤食して中毒する事例がある。重症例では血圧低下から意識喪失し死亡する場合もある》。なんと、こんなコワい毒草だったのだ。動物が食べないはずである。それにしても、何とも不思議な光景である。
これまで大台ヶ原へは何度か訪れているが、こんな霧の深い日は初めてだった。ちゃんと写真に撮れているか心配だったが、なんとか写っていて安心した。それどころか有り難いことに、大台ヶ原の神秘的な雰囲気が、霧のおかげで引き立っている。
奈良検定(ならまほろばソムリエ検定)の公式テキスト(山と渓谷社刊)には、《急峻な地形と多雨・濃霧などによって「魔境の山」・「迷いの山」とされてきたが、幕末から明治中期にかけての探検家・松浦武四郎によって紹介されて一般に知られるようになった。また岐阜県郡上郡美並村の人・古川嵩(かさむ)が明治24年(1891年)に大台ヶ原に入山、3ヶ月にわたって現在の東大台・西大台を踏査して開山の第一歩を記した。古川は明治32年(1899)に大台教会を開設、気象観測や自然保護にも力を尽くした》。
しかし今や《伊勢湾台風による大量の風倒木跡にササ類が進入、ドライブウエイの開通による訪問者の急増、ニホンシカの増加による針葉樹の実生や樹皮の採食などの原因が重なり森林植生の衰退が進行しており、環境省では自然再生検討会を設置して対策を協議しています》(地球環境関西フォーラムのHP)という状況にある。自然災害にヒトの進入と鹿害が加わって森が傷んでいるのである。ビジターセンターでは、その様子が詳しく写真パネルで紹介されていた。
http://www.global-kansai.or.jp/kansai100sen/fukei081.htm
豊かな自然に育まれた大台ヶ原は、山道の整備や防鹿柵の設置が進められ、ハイカーの立ち入りルート制限などが行われた結果、傷んだ森が徐々に回復している。回復には100年単位の時間が必要だそうだが、ご先祖からうけついだこの遺産を、子々孫々まで守り伝えて行かなければならない。