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てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

展覧会と図録の関係

2008年10月21日 | 雑想


 収入が減ってから、生活のなかで意図的に変えたものが3つある。ひとつは食費を切り詰めてハングリー精神を養う(?)こと、もうひとつはできるだけ電車やバスを使わずに歩けるだけ歩くこと、そして最後が、展覧会の図録を買い控えることだ。

 ぼくは単身者にしてはわりと広い部屋に住んでいたが、何年かして気がついてみると、生活空間の大部分は書物に侵犯されていた。しかもその大半が、図録である。子供のころは親と展覧会に行っても、せいぜい絵はがきを1枚か2枚買ってもらえるぐらいで、図録は数えるほどしか持っていなかった。しかし自分で稼いだお金で美術館がよいをするようになってからは、気に入った展覧会があると、あまり深く考えずに図録を買ってしまう習慣がついてしまったのだ。かくしてぼくの家には、ドアをいっぱいに開け放つスペースにも事欠くほどに、図録が山をなして居座っているわけである。

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 よくよく思い返してみると、昔と今とでは図録の形態もかなりちがってきているように思われる。かつては最初の数ページだけがカラー写真で、あとはモノクロということも少なくなかった。現在では印刷技術が発達したせいか、オールカラーでない図録というのはほとんど皆無であろう。

 それに、昔はこんなにぶ厚くなかったような気もする。絵の写真を載せるのだから、大きな紙面を必要とするのはよくわかるが、この厚みは何なのか。特にぼくの知るかぎり、京博で開かれる特別展の図録は、事典か電話帳並みである。それに応じて、もちろん値段も高い(同じ国立博物館でも、奈良博のはそんなでもない)。

 展覧会の出口にあるミュージアムショップ(昔は「売店」といっていた。今でも「何時になると売店が閉まります」とアナウンスをするところがある)を見ていると、そんなずしりと重い本が飛ぶように売れていくのだからおもしろい。いやそれよりも前に、美術館に向かう途中、ビニール袋に入った図録をめいめいにぶら下げた人たちとすれちがうと、ああきっといい展覧会だったんだな、と思っておかしくなる。もちろんぼく自身も、帰りには同じようなかっこうをしていることが多いわけで、そんなぼくとすれちがいながらこっそり笑っている人もいるのだろう。

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 けれども冷静に考えてみると、展覧会の出品数は多くても150点ぐらいまでである。それを全部載せるのに、枕に使えそうなほど厚い本になってしまうのはなぜなのか。改めて身のまわりにイヤというほどある図録のいくつかをめくってみると、まずやたらと文章が多い。カラー図版がすべて載っているのに巻末に改めて小さな写真を載せて、作品のサイズや所蔵先を記載しているのもある。ひとつひとつの作品について、過去にいかなる展覧会に出品されたことがあるかといういわば履歴書のようなものがいちいち書かれているのもある。海外の画家の展覧会ともなると、外国語の論文が何ページにもわたって載っているのもある。正直な話、一般の客にはあまり関係のない情報ばかりだ。

 なぜこんなことになるかというと、展覧会の図録というものは「文献」も兼ねるからであろう。ひとつの展覧会が成立するまでにはキュレーターや研究者、その他もろもろの専門家たちが絡んでいるらしく、たとえばゴッホの回顧展が企画されると、それにともなって遺族との交渉があったり、美術館の倉庫を調べなおしたり、作品が一堂に会する千載一遇のタイミングをねらって新しい論文が執筆されたりする。展覧会と歩調を合わせたように、埋もれていた作品が不意に発見されたりするのも、そんな理由からだろう。彗星の接近が天文学者を発奮させるのにも似て、ひとつの展覧会が開かれることは、美術の専門家にとって大きなチャンスなのである。

 それはそれで大事なのはわかるが、専門的な内容のものを一般人に向けて売る必要もないだろう、といいたくなることもたしかだ。われわれが図録をほしくなるのは、感動を受けた絵を家でも楽しみたいという、純粋な美的欲求からである。人が多すぎて展覧会をゆっくり観ることができないときなど、図録を買ってもう一回ちゃんと観ようと思うときもある(本末転倒ではあるけれど)。絵はがきのほうがもちろん安いが、如何せん小さすぎて、映画をワンセグの画面で観たときみたいにものたりない気がするのである。図録のすべてを丹念に読み返す熱心な美術ファンもいるにはちがいないが、あいにくぼくは随想書きの助けになりそうなときにだけ眼を通すにすぎない。

 楽しかった展覧会の記憶を手軽に持ち帰るために、図版と最小限の解説のみにとどめた廉価版の図録を出してはいかがだろうか? 美術館めぐりを生き甲斐にしている人々が、家計と本の山に圧迫されないためにも・・・。

(画像は記事と関係ありません)

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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (りぃぞ)
2008-10-23 00:55:02
テツさん、こんばんわ。
図録、これに関しては私も思うところ多くあり。
昔は展覧会に行った事自体がうれしく、思い出に図録、といった感じで購入しました。でもやはり毎度となると...私も今では本棚から溢れています。
同じく随想書きの助けにしたり、老後の(まだまだ先だなぁ?!)楽しみになるかなぁなんて思いながら買ったり。最近はかなり厳選して購入するようになりました。といいますか、図録を買いたいと思う展覧会が少い。
でも好きな西洋美術関係はじっくりと図録を読み返すのが楽しみ。そして豪華な図録、廉価版の図録、その時々で選べると良いなぁと思います。
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こんばんは (テツ)
2008-10-23 22:33:42
コメントありがとうございます。

いい展覧会を観終わって興奮していると、いくら値段が高くてもぶ厚くても、つい勢いで買ってしまうようなところがありますね。図録を製作する側もそんな人間心理を見越して、なるだけ高くぶ厚く作ろうとしているように思えてなりません(笑)。
でも、入場料よりはるかに高い図録を毎回買っているのも、何だか馬鹿げているなあという気がするのも事実です。
おっしゃるとおり、深入りしたい人向けの高い図録と、そうでもない人向けの安い図録の両方を作ってくれたらと思います。もしそうなったら、意地を張って高いほうを買ってしまいそうな予感もしますが・・・。
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お久しぶりにお邪魔 (taki)
2008-10-24 23:58:57
ご無沙汰しています。

私は仕事で美術に触れる機会があるのですが、美術館ではほとんど買い物をしません(といってもたまにしか行っていないのですが)。
図録も邪魔になるし、恐らく不精な私はほとんど見ることがないと確信しているからです。
モーリスルイス展の図録を頂いたのですが、B4程度の大きさで厚さも5mmくらいです。この程度が普通であれば買いやすいですね。
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こんばんは (テツ)
2008-10-25 23:37:00
お久しぶりです。

ぼくも正直にいうと、図録はほとんど「積ん読」状態です。そのうち読めるだろう、と思っているうちに何年も経ってしまって、買ったかどうかもうろ覚えだったりします(笑)。
やっぱり展覧会の興奮が冷めてしまうと、なかなか過去の図録に手を伸ばす気にはなれません。じゃあ捨てればいいじゃないかといわれても、それも惜しいのだから始末がわるいのです。

モーリス・ルイスの作品は関西でもいくつか観ました。彼の場合は一枚一枚が巨大なので、図録ももう少しサイズが大きいほうがうれしいような気がしますね。勝手なことばかりいってますが・・・。
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モーリスルイス展図録 (taki)
2008-10-26 00:02:31
現在、川村記念美術館で開催中の図録なんですが、B5じゃなくてA4でした。
1ページに作品1点を目一杯印刷してあります。でも15点しかないので大した厚さにならないのですね。
それとは別に各作品ごとに小さな写真と簡単な解説、それから技法や画材についての短い論文があります。この程度だと読むのもあまり苦にならないです。
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たびたびありがとうございます (テツ)
2008-10-26 23:30:45
現代アートが15点となると、ぶ厚い図録にするのは難しそうですね(笑)。値段もそんなにしないのでしょうね。
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