てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

彼女について知っているわずかの事柄 ― 白洲正子断想(3)

2006年06月10日 | 美術随想
 この稿を書いている途中で、白洲正子の著書を改めて手に取ってみた。もともと“ぼくが知っているわずかの事柄”を披瀝するにとどめるつもりだったので、やや反則ぎみではあるのだが、彼女自身が書いた文章にどうしても触れてみたくなったのだ。

 といっても、白洲ワールドに首までどっぷり浸かってしまうと、今度はなかなか抜け出せそうにない(そうなっても別にかまわないのだが、今のぼくにはそこまでの余裕はない)。とりあえず雑多な短文を集めた『夕顔』(新潮文庫)という本を買い込み、それも最初から順に読破するのではなく、気の向くまま拾い読みしてみることにした。いわばここ一週間ほど、ぼくは白洲正子と付かず離れずの良好な関係をつづけていたのである。

 そうしてみると、NHKのテキストの中に書かれていた事柄が、正子自身の言葉でつむがれているのに出くわしたりする。例えば、子供のころから舞いつづけてきたお能をやめたのは肉体的な限界があるからだ、と彼女ははっきり書いている(「『あそび』の文化」)。年取ってから精力的にあちこち飛び回ったといっても、正子は写真で見たところかなり小柄で、線も細い。決して頑健な人ではなかったのだ。

 『夕顔』に収録されている文章のあちこちに、正子は自身の病気や怪我のことをさらりと書いていて、ぼくは驚いてしまった。アレルギーの病院にかよっているだの、腕を骨折して3か月も入院しただの、しかし左腕であったために仕事を断わるわけにはいかないだのと。彼女が当時すでに80歳を過ぎていたことを考えれば、体の故障と付き合うことは日本文化と付き合うことと同じくらい日常的なことであったのかもしれない。自分の頭部のレントゲン写真を見て、『九相詩絵巻』を思い浮かべたりする(これは死人が朽ち果てていくさまを克明に描いた凄惨な絵巻である)。白洲正子とはそんな人物なのだ。

   *

 週刊誌でビートたけしがお能について書いているのを読み、「たけしとお能ではまことにそぐわないが、これがきわめて正論」などと手放しで喜んでいたりもする(「能の醍醐味」)。正子が引用しているのを孫引きすると、たけしはこう言い放っている。

 《幽玄とか精神文化に関わりがあるのが能だとかいわれてるらしいけど、全然そうじゃない、あれは昔のロックコンサートだぜ》

 たけしは実際のところ、気持ちを鎮めるために能楽堂に出かけたのだったらしいが、いい意味で裏切られてしまったというのだ。ぼく自身も、お能とは何となく深遠で奥深いものだと思っていた。といっても一度も観たことはないのだから、どこから植えつけられた先入観かは知らない。おそらく世の中の多くの人が、そうやっていつの間にかお能を敬遠し、高尚なものに祭り上げてしまっているのではあるまいか。

 しかし考えてみれば、自分たちの国で生み出された古典芸能が、同じ国に暮らすわれわれにとって敷居が高いというのもおかしな話だ。確かにお能はかつて将軍の庇護を受けたり、流派の継承も世襲制でおこなわれたりしているが、こんにちまでその存在をあらしめたのは観客がいればこそである。“古典芸能”が“現代劇”たり得た時代もあったはずであって、同時代の人たちに深く共感を呼ぶ内容を含んでいたにちがいない。

 西洋のオペラなども一見すると敷居が高いようだが、実際に演じられているのは惚れた腫れたの単純な色恋話がほとんどで、高尚さとはほど遠い。台本だけ読んでみると、その荒唐無稽さに笑い出したくなるほどだ。近代になって過度な興行的発展を遂げるあまり、歌劇場がスター歌手や有力指揮者を擁するようになったあげく、木戸銭(とはもはや呼べまい)がはね上がっただけのことであって、敷居が高くなったのはオペラそのものではなく劇場のほうである。

 それでもアメリカやヨーロッパの人はもっと安価に、お気軽に公演を楽しんでいるにちがいないから(外国の小説には食後にオペラを観にいくなどというシーンが頻出する)、おらが国のお能を日本人がなかなか観ないという現状はやはり健全とはいえないのだろう。

 さて、たまたま出かけた能公演で先入観を払拭されたというビートたけしだが、白洲正子もすぐさまそれに同調している。

 《私が子供の時からお能にとりつかれたのもまったく同じものなのだ。今でもノッテ来ると、見物席でじっとしているのに精一杯である。だいたい、一糸乱れず、几帳面で、見ていてドキドキしないような、踊り出したくならないような演技なんて、何が面白い? 室町時代の世阿弥の頃はみんなそうだったに違いないが、ビートたけしの新鮮な眼は、はからずもお能に一番大切な、原初的なものをとらえて見せてくれたのである。》

   *

 正子の知性は確かに、深い教養に裏付けられていた。しかし彼女は知識を振りかざすのではなく、あくまで自分の感受性に正直に生きた人ではなかったか。ぼくたちは教養が邪魔をして、ともすると“新鮮な眼”を忘れてはいないだろうか。そんなことを、自分に問いかけたくなってくるのである。

 ・・・と、こんな殊勝なことを書いて拙稿を締めくくろうと思っていたら、すでに『夕顔』の中に書かれているのを発見してしまった。ここはやはり、正子自身に語っていただくことにしよう。

 《「惣(そう)じて、目ききばかりにて、能を知らぬ人もあり」

 これは世阿弥が老年になって記した『花鏡』の中にある言葉である。惣じて知的な批評眼ばかり発達して、能の本質を知らぬ人もある、というのは、現代にも通用する名言で、あらゆる芸術一般についていえることだろう。
(略)

 たしかに知識はあるに越したことはないけれども、能を見ている最中は能に没頭しなければ何物もつかめない。》(「心(しん)よりいでくる能」)

 ここに付け加えるべき言葉など、もはや何もないだろう。それにつけても気になるのは、知識もろくにないくせにお能について勝手な想念をながながと書きたてたこのぼくを、正子さんは笑って許してくださるだろうか、ということである。

この随想を最初から読む
次の随想へ
目次を見る


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。