てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

雨上がりの天王寺にて(3)

2009年03月18日 | 写真記


 木々が生い茂り、昼でも薄暗いここ茶臼山は、古墳だということになっている。こんもりと盛り上がった土山は、いかにもそれらしい。この界隈は地名の由来ともなっている四天王寺や、以前の記事で触れたことのある一心寺(「ブロンズとお骨佛の寺 ― 秋野不矩・余滴 ―」参照)をはじめ寺社の多いところで、天王寺公園も航空写真で見ると墓地に取り囲まれているといってもいいほどである。その真ん中に、上代の古墳がものもいわずに鎮座ましましているということは、このエリアに何やら荘厳な重々しさを付与するにじゅうぶんな条件であろう。

 ただ前項でも書いたとおり、このあたりはラブホテル街でもあり、公園の柵の外側には路上生活者が暮らすにわか作りの住居(?)が連なる。そして美術館があり、動物園もあり、はたまたJRや私鉄や地下鉄や路面電車までが乗り入れる一大ターミナルでもある。高尚なものと卑俗なもの、生命感にみちたものと死せるもの、歴史的な遺構と機械文明の精華とが、渾然一体となってひしめきあっている密度の濃い空間だ。この“ごちゃ混ぜ”に混ざり合った加減が、現代に至るまで大阪という街の特異さを決定づけているのではないかとさえ思いたい。いわばさまざまな地層の断面が露出していて、まことに入り組んだ構造を示しており、フェルメールを観る前に青空カラオケを聞かされなければならなかった2000年当時の事情が、はからずも大阪の複雑怪奇な一面を端的に浮き彫りにしていたのに気づく。

 だが茶臼山古墳の被葬者は明らかでなく、発掘しても何も出なかったそうだ。前方後円墳だという話だが、実際に歩いてみてもそういった感じはなく、いずれにせよ墳墓としてはかなり小規模なものだろう。そのかわりというわけではないが、ここは戦国の世には血塗られた激戦が繰り広げられた場所でもあった。真田幸村が本陣を構え、徳川勢に向かって決死の戦いを挑んだ拠点であるという。しかし最後には力尽き、一心寺を挟んで隣接する安居神社の境内で戦死を遂げた。方広寺の梵鐘の銘文に端を発した大坂の陣は(「小雨、ときどき、お正月(2)」参照)、ここにきてようやく終息へと向かうことになる。

 しかし今となっては、ここ茶臼山は草木の茂った小さな丘にすぎない(山、と呼ぶのも大げさなほどだ)。遊歩道はあるが、鳥がさえずり、風が梢を揺らし、大阪では珍しくなった天然の自然を体感できる地点なのである。ぼくは盛り土の周縁をなぞるようにしばらく歩いたあと、思い切って道なき道を頂上まで駆け上がってみた。ぽつりとベンチが置かれているばかりで、何もない。街灯はあるが、天王寺公園は17時で閉門となるので夜は誰もいないはずで、あまり活躍することもなさそうだ。

 木の間から見上げる青空が、本当にすがすがしい。土の底深く眠っているかもしれない古代びとの魂も、戦乱の巷にはかなく散ったもののふたちの魂も、鎮魂(たましずめ)が無事におこなわれている証しのように、ことりともしなかった。


〔江戸初期には戦場だった茶臼山〕


〔樹齢を重ねた木々が空をおおう〕

                    ***

 さて、ここで美術館に引き返して「日展」を観た。そのことはまた稿を改めるとして、帰り際にさらに足をのばし、来たときとは逆に天王寺動物園の方面へと歩いてみた。といっても動物たちを眺めようというのではない。夕方近くなり閉園時間が迫っているせいか、子供たちの賑わいもあまり聞こえてこないようだった。

 だが今から向かおうとしているところは、もっともっとさびしいところである。1997年、動物園に隣接した敷地に非現実的な夢の国が突如として出現した。名前をフェスティバルゲートといい、海底都市をコンセプトにした遊園地である。ぼくはオープン直後に訪れたことがあるが、家族連れで大いに繁盛していた。なかでも建物のなかを貫いて走るジェットコースターは、長蛇の列ができるほどの人気だった(ただしぼくは乗らなかった)。

 ところが数年もすると、すでに閑古鳥が鳴きはじめていたらしい。客足は遠のき、フェスゲなどという語呂のわるい愛称も浸透せず、飲食店のテナントも土産物屋も海から潮が引くように撤退していった。入場するだけなら無料なので、何かのついでに立ち寄ってみたこともあるが、まことに閑散としていたものである。アトラクションはほとんど止まっていて、名物のコースターだけは週末に限って営業していたが、エキスポランドの事故を受けて休業し、そのまま閉鎖された。

 その後、紆余曲折があったあげく某アミューズメント企業に売却された。そのうち新しい施設に生まれ変わるのだろうが、現在のところ工事ははじまっておらず、できて10年ちょっとしか経たない色鮮やかな廃墟が野ざらしになっている。無残だが、ある意味では貴重な見ものである。


〔二度と使われることのないジェットコースターのレールが今でも残る〕


〔レールは大胆に敷地の外へも飛び出す。かつては若者たちの悲鳴が路上にまで降りそそいだ〕


〔この場所には人魚を配したメリーゴーラウンドが優雅に回転していた〕

 ここも今や、「兵(つわもの)どもが夢の跡」と化した。手の込んだ装飾のほどこされた施設に囲まれて立っていると、まさに覚めやらぬ夢を見ているようである。野望に燃えて果敢に行動し、そして敗れていった人々。フェスティバルゲートは、あるじを失った天守閣のように、歴史と現実が錯綜する天王寺の一画にぽつんと取り残されていた。

(了)

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