てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

秋深まる京都へ(2)

2012年12月01日 | 写真記


 庭へと足を一歩踏み入れても、天龍寺の広大な敷地に入ったときとはちがって途方もない奥行きに戸惑うこともないし、常寂光寺みたいに門をくぐっていきなり石段をのぼらされ、俗世を離れた高みへと急かされているような焦燥感に駆られることもない。眼の前には、紅葉した木々が両側から覆いかぶさるように群がり、その狭間を、細い小径がくねりながら奥へとつづいている。

 ここの評判を聞きつけた人が園内を散策していて、おそらく一年でいちばん賑わう時季を迎えているのだろうが、それでも先ほどの嵐山とは比較にならない。駅から吐き出された大勢の有象無象が、渡月橋をわたり、道の周辺に建ち並ぶ土産物屋へと消えていくうちに、汚染水が徐々に濾過されるようにして、だんだん人数が減っていく。そうやって限られた人たちだけが、奥嵯峨の美しい紅葉に出会うことができる。そんな気がした。



 日はすでに傾きはじめている。紅葉の下を歩くと、ふさふさとした苔の上にたくさんの落ち葉が散り敷いているのがわかる。そこにきめの細かい紗幕をかけるように、木漏れ日が燦爛と降りしきった。

 さらに歩いていくと、道の両側に見たこともないような珍しい花が咲いている。まるで花弁のように色づいた葉っぱを高々と掲げている珍奇な草もある。ぼくは植物にさして詳しいほうではないが、かつてどこでも見かけたことのないような草木が、この庭にはたくさん植わっているのではないかと思った。

 そしてそれを囲むように、われわれ日本人には馴染みの深い紅葉の木々が、適度な間隔をあけて繁っている。決して息詰まるように濃密な空間ではなく、あたかも掛軸の絵画を取り巻く表装の柄のように、一歩引いた絶妙な距離感でそこにある。そんな奥床しさが、ぼくには気持ちよかった。

                    ***



 庭園は思ったよりも広くて、くねくねとした道が心細くつづいている。歩いているうちに日の射す向きが変わり、庭の景観も一変して見えた。途中、なぜかギリシャ風の彫刻が置かれている一画があったが、しっとりした紅葉に見合うはずもなく、そこだけが異空間のように浮いていた。

 園内にはまた、楠木正行(まさつら)の首塚と足利義詮(よしあきら)の墓が仲よく並んで建っている。彼らの父、楠木正成と足利尊氏とは宿敵同士であるはずだが、義詮は正行のことを非常に慕っていたので、遺言によって隣に葬られたのだということだ。歴史の表層にはなかなか出てこない人情の複雑さが、このような場所に秘めやかに息づいている。京都のふところの深さである。



 宝筐院を出たあと少し欲が出てしまい、近くにある二尊院もちょっとのぞいてみようと思って立ち寄った。ところが、長蛇の列が門の外までつづいている。門前に乗り付けた車に向かって、交通整理のおじさんが「誰が入っていいといったか」と詰め寄るような殺伐とした空気が漂っていた。こんな状況で、心を無にして紅葉を愛でるなどできるものではない。

 あとからわかったことだが、ここは今年のJR東海のポスターに使われた寺だということだ。だからとりわけ人が多かったのだろうか(なお関西にいては、その広告を眼にすることはない)。遠方から京都にまで観光客を呼び込んでくれるのはありがたいが、宝筐院のような穴場はどんどん少なくなってしまうような気がする。杞憂であればいいのだが・・・。

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