てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

装丁の鬼たち(3)

2011年09月15日 | その他の随想

北杜夫『どくとるマンボウ航海記』(新潮文庫、背表紙の一部)
〔草〕の時代である


 文庫本の装丁というのは、単行本よりもはるかに制約が多い。その点、文庫本のみを取り上げて装丁のあれこれを語ろうとするのは充分でないというか、いわば邪道であるのは承知している。

 各社の文庫とも、書棚にしまわれて背表紙しか見えないときのために、背表紙の書体やフォーマットを統一しているのである。ご承知のように、作家ごとに地の色を決めているものが多い。ぼくは子供のときに本屋で最初に買った本が新潮文庫だったので、昔から新潮文庫を買うことが多く、黒に白字なら太宰治、オレンジ色なら三島由紀夫、などというふうにセットで覚えてきた。

 吉行淳之介の場合、背表紙はベージュのような地色に黒字でタイトルが書かれているが、なかに一文字か二文字ほど、ピンク色の文字がまじっている。最初に見たときはシャレたものだなと感心したが、今ではテレビ番組でタレント名を出すときや、街頭の広告などにその趣向が普通にみられるようになった。吉行の新潮文庫は、何年も前に流行を先んじていたことになる。これを考案したのは誰だろう。名前だけはお馴染みの、それでいて実態はちょっと謎めいた「新潮社装幀室」の人だろうか?

 要するに何がいいたいのかというと、文庫本に関してはカバーの絵を描いた人がすべて装丁(幀)を受け持っているわけではなく、出版社の担当者が全体を取り仕切っているのだろう、ということだ。調べたわけではないので本当のところはわからないけれども、そうでもしないと一貫した共通のデザインを守ることができないはずである。

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川端康成『雪国』(新潮文庫、背表紙の一部)
価格の下のラインは「内税」のしるし。消費税導入直後に一時期みられた


 新潮文庫の背表紙を新旧並べて眺めてみると、いろんな発見がある。そもそも昔は ― といってもぼくが生まれて以降の話だが ― 日本文学には〔草〕、海外文学には〔赤〕と書かれ、その下に分類番号みたいなものが印刷されていた(トップの画像参照)。この〔草〕〔赤〕というのは、おそらくもっと昔の新潮文庫において、日本文学には草色の帯(いわゆる“腰巻き”)を、海外文学には赤い帯を巻いて売っていた名残ではないかと想像するが、実際に見たことがないので本当のことはわからない。今でも岩波文庫に関しては、日本近代文学は緑、海外は赤などと色分けされているが、色の傾向まで似ているのは不思議である(角川も以前はそうだったような気がする)。

 それにしても、帯を廃止したあとなのに〔草〕〔赤〕などという文字だけが残っていたのは奇妙だ。その後、〔草〕〔赤〕の区別は廃止され、読者にもよくわかる「作家の頭文字 - その文字の通し番号 - その作家の通し番号」という整理番号が登場した。たとえば川端康成の『雪国』であれば「か - 1 - 1」。「か」ではじまる作家の、ひとり目の、一冊目、ということになる(ちなみに中扉の下に書かれている新潮文庫全体の通し番号を見ると、『雪国』は1となっている。つまり、『雪国』が新潮文庫の記念すべき最初の1冊だったわけだ。現在の新刊書はもう9000番を超えている)。

 なお、ドストエフスキーは「ト - 1」で、トルストイは「ト - 2」。気持ちとしては同列1位だが、そういうわけにもいかない。だが、文庫編集部のなかで多少の議論があっただろうことは容易に想像できる。この整理の仕方をはじめたのはどこか知らないが、今ではほぼすべての文庫が採用しているようだ。

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島田雅彦『優しいサヨクのための嬉遊曲』
今はない福武文庫のカバー


 もうひとつ、文庫カバーの歴史のうえでの大事件といえば、バーコードの導入である。これは、本の体裁に決定的な影響を与えることになった。

 今では文庫本の裏表紙はだいたい白色で、本の要約の横に2段のバーコードが印刷されていることがほとんどだ(岩波はバーコードとマークのみ)。もちろん、こうしないと正確に読み込めないからである。だが、もっと昔は新潮文庫の裏表紙にも絵が描かれているものがあった。古書店でそれを見つけたとき、ぼくは本当にびっくりしたものだ。

 たとえば山下菊二がカバー絵を担当した大江健三郎の初期の本などは、一枚の横に長い絵を、カバーの表から裏にかけて印刷していた。バーコードを表示する必要が生じて、裏の絵はバッサリと削除されてしまったのである。これは画家にとっても、新潮社装幀室の人間にとっても、苦渋の決断であったろう。

 1985年には、福武文庫なるものが創刊された。他の文庫では読めないような特徴あるラインナップで、ぼくも最初のころはよく買った。今でもごくごくまれに、古書店などで見かけることがある。このシリーズのカバーは、表も裏も対角線上に境界が引かれていて、文字と絵やイラストのエリアがくっきりわかれていた。三角定規をふたつ組み合わせて四角形にしたような、斬新でスタイリッシュなデザインだった。

 だがこれも、バーコードのおかげで、裏面のデザインが廃止された。それからしばらくして福武文庫は廃刊となり、福武書店そのものも名前を変えてしまった。ベネッセコーポレーションという新社名を見て、もうここは文庫本を出さないだろうな、と思ったものである。

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