てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

「無言館」は語る(1)

2005年08月23日 | 美術随想
 長野県上田市に建つ戦没画学生慰霊美術館「無言館」に収められた作品が、京都に巡回してくるという。かねてからこの異色の美術館のことを知ってはいたが、特別な関心を抱いていたわけではなく、訪問してみようと考えたこともなかった。しかし奇しくも戦後60年というこの節目の年に、彼らの絵がやってくるというのも何かの因縁のような気がして、ぼくは少し前から「無言館」に関する本を図書館から借り出して読みはじめていた。

 その気になって探してみると、図書館では「無言館」館主の窪島誠一郎氏の著書をたくさん見つけることができる。窪島氏の著書というと、かなり以前になるが『わが愛する夭折画家たち』(講談社現代新書)という本を読んだことがあり、彼のやや特異な美術的嗜好について知らないわけではなかった。彼はいわゆる“巨匠”や“大家”の絵には目もくれず、ともすると歴史の荒波に掻き消されてしまいそうな存在に愛情を注ぐといったタイプのようである。

 「美の巨人たち」というテレビ番組で、21歳の命をみずから絶った高間筆子という画家を取り上げていたときも、窪島氏が登場していた。震災のために作品が1点も現存しないというこの画家の美術館を、彼は東京に作っていたのだ。美術館といっても絵は1枚もないのだから、写真や資料などで高間筆子を紹介するしかないわけだが、その施設は「絵のない美術館」と名づけられているという。そこには「無言館」アネックスギャラリーも併設されている。


 ある晩なにげなくテレビをつけると、「無言館」からの中継映像が映し出されていた。驚くほどシンプルな館内に、額装されていない絵が整然と掛けられている。コンクリート打ちっ放しの壁に、菅原文太氏の声が反響した。

 菅原氏はこの美術館をたびたび訪れるという。菅原氏の口から「無言館」を代表する何点かの作品の紹介と、画学生たちのエピソードが語られた。そのしぼり出すような声は、喪われた若い命を悼むようで惻々と胸に迫った。菅原氏は4年前に長男を鉄道事故で亡くしているが、このことが彼と「無言館」とを近づけたのかもしれない。彼の落ち着いた、しかし力のこもった声は、俳優としてというよりも、遺族のひとりとして語っているような気さえした。

 中継の最後で、前田美千雄という戦没画家が戦地から妻に送った700通に及ぶ絵手紙のことが紹介されていた。しかもそれは「無言館」ではなく、伊丹市にある柿衞(かきもり)文庫に収蔵されているという。調べてみるとちょうどこの夏、そこでも絵手紙を公開するらしい。ぼくは「無言館」の巡回展に行く前に、ぜひ柿衞文庫を訪ねてみようと思った。

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