てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

年越しあれこれ(1)

2017年01月02日 | その他の随想
 長いあいだブログをサボっていると、再び書きはじめるのも気が引けるものだが、筆者がまだ生きているということを示すためにも、何か書いておいたほうがいいように思う。

 というわけで、このたびの年越しのことでも書いておこうか。もちろん、新年が来るたびに定める決意などというものが、その年の後半にもなるとすでに跡形もなくなっているという事実は、これまで何度も繰り返しているので分かりきっていることだけれど・・・。

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 年越しそばを食べ終えると、久しぶりに年末の奈良へと足を伸ばした。とにかく、家でダラダラしながら2017年を迎えることだけは、何としても避けたい一心であった。

 近鉄に乗り換え、大和西大寺という駅でさらに乗り換えて、橿原神宮方面へ2駅。数年ぶりに訪れる、薬師寺である。ここには以前、たしか元日にも来たことがあるような気がしたので調べてみたら、2008年のブログにその記述があった(「越年顛末記(2)(3)」)。もうずいぶん昔の話だ。

 とにかく、足を運ぶたびに薬師寺は変貌を遂げているように思われる。それというのも、この寺は何年も前から壮大な工事現場といった様相を呈していて、新しい(というよりは、かつて存在していた)建物が続々と復元されているのである。それとは別に、創建当時から現存している唯一の建造物だという東塔は数年前から解体修理がおこなわれており、今はすっかり覆い隠されてしまっている。薬師寺の目印でもある2本の塔が再び揃うのは、まだ数年先のことになろう。

 深夜の薬師寺へやってくるのは、はじめてのことである。寺に隣接する西ノ京という駅は、観光名所に近い割りには小さく、これといって特徴のない駅だが、新年に間近い時間に電車から降りてみると、周辺にはほとんど人影がなく、まるで地の果てに迷い込んでしまったような心細さを感じた。今ごろ渋谷とか、何とかランドといった賑やかなところでは、カウントダウンに向けて人ごみがますます膨れ上がっているであろうことはまったく別世界のできごとであるかのように。


〔西ノ京駅のホームには石碑が建つ〕

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 駅を出て、ひっそりと暗い駐車場のようなところを進む。以前、そういえばここを通ったにちがいない、というような曖昧な記憶を頼りにしながら。道案内をしてくれる係員がいるわけでもなく、他に薬師寺に向かうとおぼしき人もほとんどいない。観光客には不親切すぎるぐらいの、そっけなさ。いや、やはり不安をかき立てるのは、周囲に広がっているはずの伽藍が闇に沈んでしまい、何も見えないからだろう。

 ただ、近年のやたら観光地化された寺社のたたずまいを削ぎ落としたその姿からは、一種の厳しさが感じられたのもたしかだ。本来、お寺にお参りするにはこういう厳しさが求められたはずであって、単なる名所を訪れるのとは心構えも異なるべきなのであろう。だいたい、学校の修学旅行なるものが、そういったダラケた気分の遠因になっているような気がしないでもない。先生に引率されて、列を作って私語を交わしながら見て回るような場所ではないのである。

 奈良の夜は暗い。まして薬師寺付近は、奈良の都会からもかなり離れていて、夜空に星がまたたいているのがよく見える。ぼくが暮らす大阪では滅多にお眼にかかれない、満天の星空である。そんななかを、ところどころに灯された提灯の光を頼りに、寺のほうへと近づいて行く。

 どうやら拝観入口らしい場所にたどり着いた。しかし、周囲にはちらほらと人がいるばかりで、家の近所の名もないお寺と変わらないほど閑散としている。以前、東大寺に年越しに来て、閉じた門の前に並んで何十分も待ったときとは明らかに事情がちがう。

 もしかしたら、とんでもない穴場に来てしまったのだろうか? そんな、やや不謹慎な喜びに逸る気持ちを抑えながら「東僧坊」という建物を抜けると、普段は気がつかなかったが、そこに鐘楼があった。そして、百人をはるかに超える人々が、梵鐘を囲んで群がっているのだ。新年の訪れを、今か今かと待ち構えながら。何とかランドには及ぶまいが、これこそが現実なのであった。


〔鐘楼の周囲には足の踏み場もない〕

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