ヤン・ステーン『恋わずらい』(1660-1662年頃)
風俗画は、フェルメールがもっとも得意とした絵画のジャンルだといえる。けれども前にも触れたように、マウリッツハイス美術館が所蔵しているフェルメール作品には、風俗画はひとつもない。そこで他の画家に眼を向けることになるのだが、それはこの際、いいきっかけになるだろう。
ヤン・ステーンの『恋わずらい』には、フェルメールにもお馴染みのモチーフがちりばめられている。足温器、壁に掛けられた絵、鋲の打たれた椅子など。けれども、こちらのほうがはるかに部屋のなかが雑然としていて、生活臭がぷんぷんと立ちのぼってくるようだ。人間のなにげない日常生活を描く舞台として、いかにもふさわしい感じがする。
そして、絵の主題となっているのは、恋わずらいである。もちろん、今の日本でも恋わずらいというものは存在するだろうが、ここでは医者が大真面目に脈を取り、尿検査の準備まで整えているのだから ― 娘のかたわらの机に置かれているフラスコはそのためのものらしい ― かなり本格的だ。それというのも、この時代はまだ西洋医学の大系が確立されていなかったからだろう。
厚手のガウンを着て、頭巾のようなもので頭部をすっぽり覆った娘は、まるで風邪ひきのように見えるほど病人然として、気力も萎えてしまっている。しかしこめかみには付けぼくろなどして、おしゃれをするにも未練があるところをみると、この娘がどこまで深刻な病気なのか疑いたくもなるというものだ。
医師はすこぶる厳粛な顔をして、診察にあたっている。あたかも、不治の病の患者と相対するごとくに。ただ、彼らの背後にいる家政婦だけは、どうやらすべてを見抜いているように思える。彼女の表情には、ごくかすかな薄笑いと、娘がこうなることもやむなしとする分別とが同時にあらわれているように見えるのである。
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こういった三者三様の心理の交錯、思惑の行きちがいやすれちがいを想像するのが、風俗画を観る楽しみのひとつだろう。周辺に描かれたさまざまなモチーフには、主題を暗示する隠れた意味が与えられているようだが、そういった絵解きのようなことをしていても、当時のオランダの生活習慣を生き生きと感じることはできない。
たとえば、右下に描かれたクッションの上の犬はどうだろう。こういったモチーフは、フェルメールの絵にはまったく登場しない(フェルメールの描いた犬としては、以前の回で取り上げた『ディアナとニンフたち』が唯一の例である)。だが、ステーンは犬好きだったらしく、多くの作品に犬を登場させている。ことに『医師の往診』という絵は、『恋わずらい』と同じテーマを扱っているせいか、ほとんど同じポーズの犬が描かれている。
参考画像:ヤン・ステーン『医師の往診』(1661-1662年頃、ウェリントン美術館蔵)
もちろん、この犬にも何らかの意味はあるにちがいない。だが、犬の表情をよくよく観察してみると、まるであの家政婦と同じように、人間の複雑な感情の機微を把握しているような“訳知り”な顔をしているのに気づく。
犬は家庭生活の大切なパートナーとして愛玩されるのみならず、人間どもの生活をときには批評的な眼で見る、冷静な観察者としての一面も担わされていたのであろう。恋に病んだ女性と、それを医学の力で快癒させようとする医師の滑稽な奮闘ぶりを。
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勉強になるなあ・・
テツさんは、守備範囲が広いですねぇ。
ありがとうございました。
ただ、ぼくは自分の主観をありのままに綴っているだけですから、間違ったことを書いているかもしれません。「個人の感想」なので、あまり鵜呑みにされないことをオススメします(笑)。