だが、若冲が西福寺のために描いたのは鶏の図だけではなかった。襖だから当然、表と裏があるわけだが、鮮やかな『仙人掌群鶏図』の裏側に彼が描いたのは、一転して暗く静かな、水墨による『蓮池図』(上図、部分)だった。
このように華麗な彩色画と地味な水墨画を同じ襖の両面に描くという例は、けっこう多い。襖というのはいうまでもなく部屋の建具の一種であるから、同じ一枚に描かれているとはいっても表と裏とはそれぞれちがった部屋に属するわけで、別々の作品が背中合わせになっていると考えたほうがよいのだろう。
先日もたまたま京都の智積院(ちしゃくいん)という名刹を訪れ、特別に公開されている堂本印象の襖絵を観たが、洋装と和装の女性が庭のテーブルで茶を飲むというモダンで色彩的な絵の裏側に、いたって古風な水墨淡彩の花鳥図が描かれていたので驚いた。奈良の唐招提寺にある御影堂の襖には、東山魁夷が青々とした海原に白波がうねる壮大な海景を描いているが、その裏には鏡のように静まりかえった湖が墨一色で描かれていて、同じ画家の手になるものとは思えない見事なコントラストをみせているのである。
若冲もまた、寺の内陣と外陣(げじん)を区切る6面の襖の裏表に、極彩色の鶏と単色の蓮を描き分けていたのだ。ただ、当初は同じ襖の両面に描かれていたこれらの絵は、保存上の理由からか『蓮池図』のほうは襖からはがして軸装され、『仙人掌群鶏図』の3面ずつのあいだに割り込むように掛けられていた。その眺めは、ぼくがかねてから気になっている若冲のふたつの顔、いわば色彩画家と水墨画家という二面性を改めて眼の前に突きつけた。
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前のほうでも書いたが、昨今の若冲人気というのは、色彩画家としての側面に過剰に光が当てられた、ややアンバランスなものではないかと思う。彼が下絵を描いたといわれる石峰寺の石仏も、若冲ゆかりの遺産としては非常に興味深いが、『動植綵絵』に熱狂したファンたちをじゅうぶん満足させるものではないような気がするのだ。
ただ最近、少しずつではあるが、水墨画家・若冲も次第に脚光を浴びはじめていると思う。すぐれた若冲作品をいくつか所蔵している京都の細見美術館では、館蔵品の人気投票によるリクエスト展を毎年開いているが、今年は水墨による『鶏図押絵貼屏風』がはじめて1位を勝ち取った。六曲一双、すなわち12枚の絵からなるこの屏風を改めてよく眺めてみると、そのなかの一枚には第3回で取り上げたおなじみのポーズをとる雄鶏の姿が ― 左右が逆転しているとはいえ ― ちゃんと登場している(上図、部分)。
『動植綵絵』展が京都を熱風のように過ぎた後だっただけに、この絵が1位だということには意外の感も否めなかったが、実はあのときの展覧会でも、鹿苑寺(ろくおんじ)のために若冲が描いた水墨による障壁画50面があわせて展示されていたのだった。鹿苑寺というのはいわゆる金閣寺のことであるから、若冲はここでも金ずくめの派手な楼閣との対比の妙を頭においていたのかもしれない(『鹿苑寺大書院(おおじょいん)竹図襖絵』、下図)。
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さて、西福寺に話を戻そう。
『仙人掌群鶏図』もたしかに素晴らしいのだが、ぼくはよりいっそう『蓮池図』のほうに強く惹きつけられた。蓮を描いた絵はこれまでいろいろ観てきたつもりだが、若冲の蓮はそのどれにもまして、ぼくを激しく揺さぶった。何というか、胸がかきむしられるような思いさえした。
お寺に蓮というのは、いわば付き物だ。奈良の大仏さまも、蓮華(れんげ)の上に座しておられる(ここでいう蓮華とは、れんげ草とはちがう)。若冲が、世話になった寺院の襖に蓮を描いたのは、鶏とサボテンを描くのよりずっと自然なことである。
だがここに描かれた蓮は、仏教的な意味合いを超えて、無残なほど徹底的に、極限まで写生しつくされているような気がするのだ。浄土の世界を象徴する“めでたい花”としての値打ちは、もはやそこにはない。あるのは、虫に食われて朽ちかけた、ひとつの植物が死に瀕した姿である。寺が死者を葬る場であるということを、これほど痛切に思い出させてくれる障壁画がほかにあるだろうか。
さらに重要だと思われるのは、先にも書いたように、若冲がこの絵を豪華な金襖の裏側に描いたということである。吉野五運をはじめ、檀家の人々の目に触れるようなところには『仙人掌群鶏図』を描き、本尊に面した側には、この驚くべき『蓮池図』を描いた。大阪商人の庇護を甘んじて受けながらも、若冲の心のなかには無常の風が音を立てて吹きすさんでいたのかもしれない。
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ぼくは長いこと正座したまま、『蓮池図』と向かい合っていた。そして何となく、この絵との対面が、若冲の墓参りの総仕上げになるような気がしていたのだった。
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私は、かれこれ20年前、
東博で、とてつもない鶏の極彩色をみて、
驚愕しました。以来気になる絵描きとなりましたが、
こんなにブームが起こるとは思っても見ませんでした。去年プイスコレクションを見て、
墨絵にぐっと振り子を振られました。
本当に凄いのは墨絵の方だと思ったのです。
てつさんのおかげで、追体験しつつ
じっくり若冲をお参りすることができました。
とてもうれしいコメント、ありがとうございます。
若冲の真価が明らかになるのはブームが去った後のことだと思うので、これからの成り行きを楽しみに見守っていこうかなと思っています。
関西には若冲の水墨画を観られるスポットが多いので、彼のことを身近に感じることができ、何だか得した気分ですよ。
拾い読みながら いくつかの記事拝見しておる者です
記事公開から かなり経ての一信にて
こうした形で いわば伊藤若冲の地元にて
足跡を辿る記事というのは 寡聞にして知りません
よく観て歩かれ まとめられたものである
まことに尊大で恐縮ですが 実感でもあります
忘れ去られていると思われる方で
土居次義さん(美術史家、京都恩賜博物館長などを務めた)というひとがおりますが
この人の随筆集に 何本か伊藤若冲関連のものがあり
当方読んでいる時期が 貴兄の記事の公開に前後し
その意味でも 興味深く拝見しました
そういえば今週末(2月2日)まで 京都国立博物館で
小特集(?)として かかるようですね
寒さますます厳しき折かと存じます
ご自愛ご健筆を・・・どうか何卒
お褒めにあずかりまして光栄です。いろんな方が、拙ブログを読んでくださっているのだなあと痛感します。
土居次義さんの名前は、知りませんでした。機会があったら御本を読んでみたいものです。
京博の特集展示には、会期末ギリギリに出かける予定です。また何か書ければと思っております。