藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

2013-03-02 11:55:30

2013-03-02 11:55:30 | 社会・経済

Photo 昭和三十五年、私は中学生のため校則で、親子同伴でなければ映画には行けなかった。

私立の母校は、高校に進学すれば規制が解禁になるが、中学部の間はひじょうに厳しい校則があった。 しかし、その校則はあまり適用された例がなかったが、映画館への出入りは厳しかった。それは自らの身を守るためで、不良学生から脅し等から遠ざける為であった。

その為に「吉永小百合」の存在を肌で感じて「サユリスト」に成るまでには昭和三十七年まで待たねばならなかった。

「ガラスの中の少女」という映画が存在し、その撮影現場でのエピソードなどは多く知っていたが、映画を鑑賞する機会が存在しなかった。 

いやいや、高校生になった頃に三流館では上映していたが、広島の三流館は不良の巣窟で、親の同伴がなければ恐ろしくて行けなかった。 

なにせ「仁義なき戦い」の予備軍の巣窟が、三流館と呼ばれる中心街から離れた場所にある映画館であった。 連中は暇だから、本物のヤクザから小遣いを貰い、映画を見て一日を過ごす。 時々露店の店番を遣ってこずかい稼ぎをする。

ただ地元に、二軒の映画館があってそこは少なくとも私には安全な映画館であったが、残念ながら「松竹」と「東宝」の映画のみを上映していたので、「日活」の映画は鑑賞できなかった。 ただ時々、「PTA」が主催して、優良映画を映画会社に交渉し、上映していたことはある。

それにしても、昨日やっと手に入れた「ガラスの中の少女」のDVDである。今夜から十分堪能すべく、早朝から不調の体に鞭打って夕食を作っておいた。 DVDを見るのも体力が必要である。 これからストーブに火を入れて部屋を十分に温めて置くことにする。 今朝は雪がちらつき、冷え込みが激しい。 こういう日は、寝るに限る。 先ずは体力温存、布団に潜り込もうと思う。 夕食後が楽しみである。

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