藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

久しぶりの山道

2012-09-29 08:15:49 | 社会・経済

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昨日は、久しぶりに体調が良かった、少し散歩に出かけてみた。福王寺の旧参道沿いを歩いた。歩く事5分。。旧参道の案内石柱は、数十年の落ち葉の中に、その姿を辛うじて残している。

今日この旧参道を通って参詣される人は限られている。道標も百幾十年かの過程で落ち葉に埋もれ、傾いている。その道標の裏面に、今は無き「横堀町」の町名を見つけた。昭和30年台の末に、町名変更が行われ、歴史的町名が次々に消えていった。

日本文学史に名の残る「鈴木三重吉の生誕地「猿楽町」もその一つである。左官町、木挽町・・・消えてなくなった。広島の町名は三分の一になってしまった。

郵便行政に振り回された結果である。

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そのうちに一つの石碑に辿り着いた

昭和20年8月6日、この地に起こった事実を語る石碑である。

原爆投下時に、B-29が観測用機器を個、落下傘で投下した一つがこの写真の地に落下した。この山は、福王寺という真言宗の別格本山が山頂に鎮座している。その旧参道の傍である。この山の持ち主自身も被爆された。彼は、平成元年歴史的事実を後世に伝える為にこの石碑を建てた。

彼は戦国大名「安芸武田」氏の末裔である。

石碑の傍に、小さなお堂が設けられ被爆者の」が奉られている。

爆心地から25kmこにも原爆の爪あとは残っている。

帰路、一軒の家の裏に、「マンジュシャゲ」を見つけた。

長崎物語の歌詞では、「マンジュシャゲ」は赤であるが、この集落の花は「白い」

しかし、旧参道には赤い「マンジュシャゲ」が咲いていた。

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今も、自民党総裁に就任した安部信三氏の顔がTVに映し出される。確か前回「総理」の座をいとも簡単に投げ出した方が再び「総理」の座に挑むとは思いもよらなかった。「潰瘍性大腸炎」という病気を本人が十分に理解していないようだ。と言うより担当医の見識を疑う。学者により、いろんな説が存在するが、私が、ボランティアとして難病に関わってきた経験から「総理」の激務は無理である。特効薬が出来たと言うが、精神的、体力的激務の元での、効き目は実証されていない。復職すると再発する例のほうが多い。

自民党の国会議員の見識もその程度だから、障害者や病弱者に対する政策が無いのである。心身症と言う言葉があるが、心と体は一体となって動いている事を、まづ学んで欲しい。

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