藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

朝の目覚めは、・・・

2021-07-13 06:45:10 | 日記・エッセイ・コラム

 節々の痛みで午前四時半、目が覚めた。 何時もの朝と少し感じが違う事に気付いた。 「カナカナカナカナ・・・・」、 今年初めて聞く蝉の声である。 「日暮」が大量に鳴いている様だ。 新聞屋さんのバイクの音が聞こえてきた。 早朝の雰囲気がだんだんに増えてくる。 さて我が家の朝食だが、何時もの「ピザトースト」に、「キリマンジャロ」のコーヒー。 代り映えしないので、布団の中で色々考えてみるのだが、やはりそこに落ち着いてしまう。 其のうち、子供の頃の事が蘇って来た。 「イタチ」・・・。 広島から東に車で30分。 熊野町と言う所がある。 日本全国に、「筆の里」として知られているのだが、そこで作られる筆は多岐にわたる。 書道用から、女性の化粧用まで・・・・。 その熊野町が存在していた関係で、子供たちの「小遣い」稼ぎが出来た時代が有った。 「オスのイタチ」一匹が三十円程で、買い取ってくれる場所が有った。 雌を取っていくと大目玉。 「イタチ」は、野ネズミやモグラを取ってくれる益獣として、保護されていたのだ。 川土手の敵は、「モグラ」である。 「モグラ」を侮ると、・・・・洒落ではない。 その穴を掘る能力は並ではないのだそうだ。 30m位の長さの穴など、朝飯前に掘ってしまう。 もし大雨が降ると、其の穴が原因で、護岸が崩壊するのだ。 川岸の草が常に刈り取ってあるのは、其の「モグラ」対策なのだ。 昼間は空から、「鷹」や「鷲」が見回りして、夜には、「イタチ」や「狐」が巡回して「モグラ」退治に奮闘しているのだそうだ。そこで、子供を産んで育てる雌の「イタチ」は捕獲禁止なのである。 基本的には、「狸」、「狐」等も同じなのだが、「イタチ」程、雄雌の区別がつかないので(イタチのオスはメスの倍以上の大きさが有る)大目に見ているらしい。 尤も狐などは、嘗ては養殖していた。 若い女性の成人式には、狐の襟巻が一時大流行したものだ。 時がたってば、「ミンク」に変わった。 小金を貯めた、親父は「狸」の襟巻をしていた時代が有る。 私の子供時代の事だ。 今は見る事が亡くなった。

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2 コメント

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Unknown (マリヤンカ)
2021-07-13 20:59:40
子どもたちの小遣い稼ぎの話も、モグラのことも大変興味深いです。
モグラの穴を利用してネズミがやって来てイモを齧る、というのは聞いたことがあります。けれど、護岸を崩すというのは知りませんでした。今我が家の庭や畑で、一日で出来るモグラの塚の大きさや数から想像すると、モグラの活動は何となく想像できます。なるほど護岸も崩すかもしれない、と思いました。モグラの毛並みも素晴らしいそうです!が、まだ出合ったことがありません。
昔の子どもたちは学校では教わらないたくさんのことを、校外で学んだのですね。
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昔々、昭和20年代には (藤森照幸)
2021-07-14 05:24:20
私の子供の頃は、子供の集団には、餓鬼大将と、知恵大将が居ました。 餓鬼大将は、喧嘩だけではなく、生きて行く方法、当時は、食べ物を得る方法を指南してくれました。もちろん「いたずら」もですが。 夏休みが来ると、農家の大きな納屋に集まって、宿題を指導してくれたのが、知恵大将。それが終わると、バケツを持って、六尺褌で太田川の河口に出かけて、「あさり、はまぐり」夕飯のおかず取り。 それから「べたがい」という「食べても不味い貝」をみんなで採ります。草津漁港の近くの漁師に売りつけに行くのです。 鯛、クロダイ、特にヒラメ釣りの餌にうってつけで、「高値」で買ってくれるのです。 そのお金はみんなで山分け、もしくは明日の昼飯を、自分たちで作って食べるのです。 そんな時代も有りましたよ。
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