藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」   「出雲路珍道中記8」

2013-09-28 20:23:57 | 社会・経済

「医王山 一畑寺」から「島根鹿島原発」は今回の旅の計画道理のコースであった。

奥様が「原発」なる物を是非とも見たいとご希望であったので、本来見るべき「出雲豪農屋敷」や、「平田本陣」等は省略して目的の「原発」を目指していたが、国道431号線を鹿島町に向かっていた道路上に、「○○古墳公園」「××調査センター」なる道路案内看板を見つけてUターン。  

島根県埋蔵文化財調査センターなる施設の駐車場に車を止めた。 しかしながら本日は休日。 

入り口は堅く閉ざされており、半ば諦めながらも何の施設なのであろうかと物色していると、後ろから我妻「茜」が「お父さん鍵を開けて頂いたよ」と大声で呼んだ。 見ると四十台始めの女性が鍵を開けて、我が奥様と話をしている。 話によると、ここは島根県の発掘調査の、訓練研究施設だそうである。

今日は休館日であるが、たまたま自分の研究のために出勤していたそうである。 その女性研究員は、快く施設に招きいれてくれた。 その施設の中は小さな展示場も在るが、主に子供たちに対する考古学の体験場所として、又、各市町村の文化財担当者の育成の為の施設兼保存修復施設だそうである。 その女性研究員は、熱く考古学を語ってくれた。 出雲大社の「宇豆柱」の保存方法やその他の文化財の保存方法に至るまで丁寧に説明していただいた。

二時間があっという間に過ぎ去った。

Photo 山持遺跡発掘時の資料など、この施設が発行している冊子で丁寧に説明いただき「考古学」愛好家の私は感激した。

話は個人的な話に及び、どこの出身でどこの大学の出身かにまで及んだ。

彼女は22年前「島根大学文学部」を卒業したが、「考古学」を生かせる就職先が無かったが、偶々中途採用試験がありそれでここに入ったそうである。

島根大学といえば、私の高校時代の「日本史」の道重先生が、突然島根大学の教授に就任される事になり、一年分の授業を一学期間でされた記憶が有り、その授業の素晴らしかった事を語ったところ、その先生の事は良く知っているとの事であった。 その先生は、教育学部の社会科教育の教授で、その授業のすばらしさは学内でも評判であったそうである。 またその書かれた論文の多さは群を抜いて多く、後には東大の教授、島根大学図書館長、広島県文書館館長を兼任され、退任される時には全校あげて式典を行ったとの事であった。

こんな所で恩師のその後の活躍を聞き感激。 私の考古学好きはこの先生に始まったといまさら認識した。この施設の山側に「古墳の丘 古曽志公園」があり、古墳群が宍道湖を見下ろしていた。

Photo_2 もし皆さんが、出雲を尋ねられたら是非ともこの施設を訪ねて見られると感動されますよ。

この研究所の研究員の話では、出雲大社の「宇豆柱」の保存方法は、柱を「砂糖漬け」にしてあるそうである

砂糖と言っても食べる砂糖では無い。 人口甘味料「ソルビット」漬けなのだそうである。 そうする事により、一定の水分が保持され酸化が防げるそうである。 言うなれば、「ザボンの砂糖付け」である。

その方法が植物製品の出土品の保存には一番良い事がわかってきたそうである。

若き女性研究員に深く感謝しながらこの施設を離れ、古曽志古墳群の公園を散策し後、島根鹿島原発へ向かった。 

着いたのは午後三時過ぎ、辛うじて「原発資料館」の見学は出来たが、境港の先にある洞窟遺跡は見る事が出来なかった。

漫画家の水木茂生がまれ育った海の反対側に、縄文から弥生時代に人間が住んだ洞窟遺跡がある。 今回どうしても訪れたかったが叶わなかった。

それにしても我が奥様は、14日の午前4時から15日の夕刻六時過ぎまで車を転がし、私の願望を叶えていただいた。 感謝感謝である。 ここからは自宅まで私がノンストップで帰路に着いた。 

そうそう、佐田神社を紹介するのを忘れていた。

鹿島町佐田は、島根半島を縦断した水路で日本海と宍道湖を結んでいる。つまり、島根半島の3つの括れの一番大きい所である。そのくびれた所から日本海に向かって右に山一つ超えると日本海に出て「島根鹿島原発」が有る。 

250pxsada_jinja1 反対に宍道湖側に佐田神社がり、その御利役は「願い事成就」だそうである。効能の最後に、「縁切り」と書かれていた。 確かに「縁切り」も願い事の一つではあるが、鎌倉の「縁切り寺」以来こうした記述を見るのははじめてである。

併設された「出雲文化資料館は時間切れで見る事が出来なかった。

皆さんも出雲文化の奥深さを探りに一度ご訪問ください。 すばらしい「出雲人」がきっと待っていてくれますよ。

来春、奥様の定年を待って、今一度「出雲路」を尋ねたいと思う。 まだまだ奥深い「出雲」である。

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2 コメント

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偶然にも恩師に逢えた、出雲の旅ですね。また素敵... (かわぐちえいこう)
2013-10-02 12:52:57
偶然にも恩師に逢えた、出雲の旅ですね。また素敵な学芸員に逢えさせてくれたのも、出雲の神様の粋な計らいです。充分な古代のエネルギーを充電してきたようですね。
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えいこう様へ (深山 霞)
2013-10-02 17:55:59
えいこう様へ
出雲の神様のエネルギーに中てられたのか、はたまた島根鹿島原発の毒気に当てられたのか、どちらにしてもこの二日間いささかばてばてです。
健康診断検査疲れもあるのかもしれません。
中皮腫で亡くなられたSさんの裁判の応援はどんなに疲れててもやりぬく覚悟です。
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