旭山神社は、原爆爆心地から2.5kmの小高い丘の上にあります。
近年「被爆建物」として修復されましたが、戦後すぐに町民の手で修復されて、昭和20年十月二十九日に秋祭りが行われました。 市内で最初に秋祭りが復興した神社です。
「己斐」という地名の由来は、神功皇后が三韓征伐の時、この地で休息を取った時に食事として「鯉」を料理して提供したところ、大変喜ばれて、「この魚はなんという魚か」と、問われて「鯉」と答えたところ、以後この地は「己斐」と名乗るようにと言われたのが始まりだとされています。 だからプロ野球は、「広島カープ」であり、広島城は別名「鯉城」と呼ばれます。
私の子供時代は、参道が石畳ではなくただの広場でした。 しかしこの地が、「己斐淵断層」のすぐ西に位置しているため、東側のがけが崩落しないように排水を兼ねて整備されました。 秋祭りでは各町内会から「俵神輿」が出て、広島一の賑わいでしたが、都市化の波で後継者がいなくなり、さみしい限りです。
左手からは広島市内が一望出来、かつてはデートの場所でしたが・・・・・。 今はどうなのだろうか。
この神社には、いろいろ思い出がありますが、本日はここまでにしておきます。