藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

「己斐」の名前の由来

2017-01-21 10:27:47 | 日記・エッセイ・コラム

 旭山神社は、原爆爆心地から2.5kmの小高い丘の上にあります。

 近年「被爆建物」として修復されましたが、戦後すぐに町民の手で修復されて、昭和20年十月二十九日に秋祭りが行われました。 市内で最初に秋祭りが復興した神社です。 

 「己斐」という地名の由来は、神功皇后が三韓征伐の時、この地で休息を取った時に食事として「鯉」を料理して提供したところ、大変喜ばれて、「この魚はなんという魚か」と、問われて「鯉」と答えたところ、以後この地は「己斐」と名乗るようにと言われたのが始まりだとされています。 だからプロ野球は、「広島カープ」であり、広島城は別名「鯉城」と呼ばれます。

 私の子供時代は、参道が石畳ではなくただの広場でした。 しかしこの地が、「己斐淵断層」のすぐ西に位置しているため、東側のがけが崩落しないように排水を兼ねて整備されました。 秋祭りでは各町内会から「俵神輿」が出て、広島一の賑わいでしたが、都市化の波で後継者がいなくなり、さみしい限りです。

 左手からは広島市内が一望出来、かつてはデートの場所でしたが・・・・・。 今はどうなのだろうか。

 この神社には、いろいろ思い出がありますが、本日はここまでにしておきます。

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