藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

原爆で死んだ米兵秘史 (3)

2017-01-16 14:26:28 | 日記・エッセイ・コラム

 この本の中に、数点の写真が納めてある。 そのなかに、B24爆撃機の乗組員犠牲者の、墓の写真が目に留まった。 この爆撃機は、昭和20年7月28日、呉の空襲に参加し、撃墜された一機に乗っていた米兵の墓である。 機体と共に広島市の郊外、五日市の山林に墜落し、逃げ遅れた六名が亡くなった。 落下傘で逃げ延びた米兵も、後に原爆の犠牲となった。 この写真を見た時、背筋を電気が走った。 「鬼畜米英」と教育された国民が、十字架の墓標を立て、「米軍勇士之墓」と黒々と書かれている。 あの「キチガイ」のような戦争中に、日本人の本来持っている優しさを忘れず、犠牲者を葬った行為に感動を覚えた。 

 一部の軍人の地位欲が、戦線を拡大させ国民に多大な犠牲を強いたのはたった七十数年前である。 「のど元過ぎれば熱さを忘れ」、資本家のための政策に奔走する政治家もまた、当時のままである。 若者の学力低下は、甚だしい。 矛先を選挙権で躱そうとする、政治力のなさ。 嘆かわしい事態である。

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