藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

私の生まれたところ

2017-01-22 16:01:51 | 日記・エッセイ・コラム

 私が生まれたのは、昭和20年4月8日。 原爆投下の四か月前です。 場所は、この神社から東南に200mの所、かつての山陽道沿いで、己斐西中町2372番地。 戦後も松並木が残っていました。 原爆投下時、私は南向きの縁側から畳一枚入った所に、布団の上に花ござをひき、その上に寝かされていました。 当時の日本家屋は床下は開放的で、湿気を逃がすために風邪通しを良くしてありました。 私が小学校に進学するころ、この縁側の下で「鶏」を飼っていました。

 原爆投下時、私は畳と布団と花ござと共に、南西に6m飛ばされたのでした。 母は、勝手口横の井戸端で、盥で「おしめ」を洗っていたので、頭の上を窓枠や窓ガラスが飛び去り、けがをすることはありませんでしたが、土煙の中私を探し出すのに苦労したそうです。 爆心地から2.5kmの所です。 北東150mにある善法寺が、爆風をある程度抑えてくれたようです。 しかし、隣の家の「簾」は、熱線で火を噴き始めていたそうです。 子供の頃よく聞いた話のほんの一部なのです。

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