藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

私学の経営者の再考を望む。

2012-12-28 10:48:19 | 社会・経済

今回の事の起こりは、11月7日のいつも訪れる「ブログのひとつ」http://pub.ne.jp/20071203MOTOTO/にあった記事だった。

お孫さんが広島で開かれるウインターカップに神奈川県代表としてやってくるとのことであった。

この記事を読んだ時、なぜかこのことが今までの生活や、活動を根本から変えてくれる気がした。まずベッドの中古を買いに行き、24時間いつでも今までの活動に取り組めるように配置し、2台のパソコンを使いこなすべく、ネットワークに組み替えて、2台のパソコンと、3台の大きさの違うプリンターと、二台のスキャナーからなる情報処理のための体制をつくり直した。その過程で、2台のパソコンは私の要求に反発するように不調に陥り、連日その対応に追われた。全て順調に作動し始めたのは本日午前3時であった。その間、ご主人を「アスベストによる中皮腫」で亡くされた方の裁判を支援することになり、連日その資料作りに奔走していたが、疲れればすぐ横にベッドがあり、疲れを癒すことができ準備が随分はかどった。

高校バスケットボール優勝大会は43回を誇る大会である。広島での大会は2度目ではないかと記憶しているが定かではない。記憶していることは、山口大会に母校のバスケット部が出場することになり、助人マネージャーとして参加したくらいである。放送部のアイツなら、引き受けてくれるだろうくらいの事であり、此方もタダで旅行ができるくらいの気持ちで引き受けたが、物事はそう簡単には行かなかった。進行の打ち合わせや、細々とした準備に追いまくられた記憶だけが残っている。オマケに一回戦で帰る予定が準決勝まで残り、宿屋の準備やお金の工面など大変な思いをした。バスケット音痴の私をこの時鍛えてくれた。そのせいで好きなスポーツの一つになった。

我が母校は、藩校を元となし県下で一番古い男子学校である。スポーツも盛んで、サッカーは一時期日本有数の実力を誇り幾度となく全国大会で優勝している。近年では、歌手の吉川晃司が所属していた水球部が実業団チームに負けない力を見せつけている。

そうした環境の中で中学一年から過ごした私には、今回40幾年ぶりに訪れたリフレシュの時となった。それと同時に、高校スポーツ界が大きく様変わりしたことを実感した。学校経営のためとはいえ、奨学金つきの外国選手を揃え、売名的クラブ活動に走る学校や、有名監督を招聘し、選手を集める学校が目に付いた。広島県も同じ穴に陥っている。特に高校野球と、駅伝である。そうしたチームから、次世代を背負う選手が出てこないのも不思議である。そのような余分なお金が存在するなら、私学助成金を減らせば良い。減らさぬまでも、父親を若くして「ガンや難病でなくした子弟」や、「労災遺児」、「交通事故遺児」たちの奨学金に回すべきであろう。私学の経営者に、教育のなんたるかを、今一度考え直して欲しいものである。

コメント (1)
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