寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3223話) 草むらコンサート

2021年10月31日 | 出来事

 “夕方になれば暑さは和らぎ、涼しい風が吹く今日この頃だ。日暮れを待ちかねたのか虫は競うように嗚き始める。耳を傾けながら部屋の電気を消して、しばしの合唱を楽しんでいる。虫が一日を通じて最も元気なのはこの時間帯。「リーリーリーリーリー・・・」。室外機の中にコオロギがいるのかしら。「リーリー」「リーリー」と鳴き合う二匹の声は愛らしい。はす向かいの公園の草むらでは大合唱だ。その高低や大小が彼のように湧き上がるコーラスは実に見事だ。寝転がって、じっと目を閉じている。
 「シューッ」―。車が通ると虫はしばし沈黙し、またゆっくりと奏でる。夜は始まったばかりだ。”(10月5日付け中日新聞)

 愛知県日進市の自営業・青山さん(女・58)の投稿文です。「草むらコンサート」この言葉にハッとした。防音が良くなったせいか、耳が遠くなったせいか、それとも虫が少なくなったせいか、ボクは最近虫の声を意識したことがない。聞く時間的余裕がないとは言えない、傾ける意識がないのだろうか。青山さんは電気を消して合唱を楽しんだと言われる。至極の時間であったろう。でもそうするかしないかは個人の姿勢である。生活は豊かになったが、心のゆとりはなくなった。それが現代だとすると、何かがおかしい。スマホやテレビに向ける時間を、もう少し自然の中におけないだろうか。


(第3222話) しそジュース

2021年10月29日 | 出来事

 “三重県四日市市に住む小・中学校、高校と同級生だった友達から「赤じそある?スーパーにはもう売ってない」との電話があった。梅干しをこしらえる時季が終わったからのようだった。「ある、ある」と私が答えたら早速葉を取りに来た。これを使って、しそジュースにするそうだ。私も友達みたいに作りたくなって、どうすればいいかを教わった上、スマートフォンを介してレシピを自ら調べてみた。出来上がったジュースに氷を入れて飲むと爽やかな味がしておいしかった。
 青じそでも作ったらさっぱりしたジュースができた。しその葉もやがて少なくなり最後は赤・青混合にすると双方の特徴のものが完成した。”(10月4日付け中日新聞)
 
 三重県いなべ市の伊藤さん(女・74)の投稿文です。しそジュースはボクの妻も毎年作っている。煮込んで漉して酢と砂糖を入れてもう一度煮込む。聞くとこれだけであるが、酢が入っているので全く爽やか、健康食品である。暑い夏野には最適である。買ってくる生ジュースに劣らない。こう書いていてもボクはやったことがない。
 しそは強い。もう何十年と作っているが、種を蒔いたことはない。種がこぼれて毎年同じ場所に生えてくる。同じ場所どころか、種が飛んで至る所に生える。余分なところを抜いて回ることが大変なくらいである。昔は梅の木があったので梅を漬けるために使っていたが、なくなった今はジュースのみである。赤じそも青じそも同じである。ありがたい野菜である。


(第3221話) 透明マスク

2021年10月27日 | 意見

 “二年生の時から手話コミュニケーションの選択授業を受けている。手話で会話をする際は表情が大切と学んだ。表情を変えるだけで意味が変わる手話もある。
 授業中は透明のマスクに着け替えて表情や口の動きが分かりやすいようにする。そうすることで、耳の不自由な先生にも伝わりやすくなる。しかしコロナ禍の中、透明のマスクを着けることに抵抗がある。不織布マスクと比べて飛沫感染防止効果が低いため、白い目で見られるからだ。耳の不自由な人が不織布マスクでは生活しづらいことを知る人は少ない。学校でも手話は選択授業のため、それを知る人はほとんどいない。
 感染防止効果の高い不織布マスクを使いたくても使えない人がいることを、より多くの人が理解することで、今よりずっと生きやすくなる人がたくさんいる。”(10月4日付け中日新聞)

 三重県津市の高校3年生・米川さん(女)の投稿文です。先日ボクはテレビで、視覚障害の人がこのコロナ禍の中でいかに苦労をしているかを見た。人の流れがあって、その雰囲気で状況を察知していた。ところが人の流れなくなって、まさに真っ暗になってしまったと言うのである。気がつかないことが全く多い。この聴覚障害の人についても同じである。口の動きや顔の表情を見て察知していたことが、マスクで見えなくなってしまったのである。でもこの人たちにとって口元が見える透明マスクは一定の効果があるのだ。ところがこの透明マスクは不織布マスクに比べ感染防止効果が薄いという。米川さんは人にはいろいろな状況があることを理解して欲しいと言われる。もっともである。通常と思われていることと違っていた場合、すぐに避難することなく、何か理由がるのかな、とまず聞くなり考えてみることであろう。そうして自分の考えを固めていくことが必要ではあるまいか。今は、SNSなどすぐに思ったままに反応してしまいがちである。要注意である。


(第3220話) 紙芝居

2021年10月25日 | その他

 “その昔、小学校低学年のときのことです。近くの神社の境内に紙芝居屋のおじさんが枯れ枝を使ってほこりをあげながら線を引き、「この線より内に入ってはいけないよ」と。線の中には見物料の菓子代を払った五、六人の子どもがいました。線の外に私と妹を含めて同数ぐらいの子どもがおり、おじさんは私たちの「ただ聞き」を許してくれました。大きな声と派手なジェスチャーで絵は見えなくとも、聞いているだけで心が躍りました。今思えば優しさだったのでしょう。
 紙芝居屋さんは関西には今も残っているようで、うちで製造したミルクせんべいを注文してくれます。菓子の優しい甘さと一緒に、紙芝居という昭和の古き良き文化が次代に伝わればと思う今日この頃です。”(10月2日付け中日新聞)

 愛知県安城市の菓子製造業・松川さん(男・72)の投稿文です。村にやってくる紙芝居とは、また懐かしい話です。ボクにも思い出すことがあります。松川さんと全く同じ話になります。まだ小学2、3年生の頃だと思いますが、神社に紙芝居屋さんがやってきていました。ボクに小遣いをくれるような家庭ではなかったので、料金を払って紙芝居など見られません。そこで木陰に隠れて見た記憶です。そんな時代もあった。松川さんは、今も紙芝居屋さんのために菓子を作っておられるとは、そんな商売もあるのだ。
 この話から思い出すことに、新聞配りのことがあります。多分小学5年生の時だったと思うが、ボクの同級生が新聞配りを始めた。そしたらお金が入るので、結構駄菓子屋さんに行くようになった。多分驕ってもらったこともあると思う。多分紙芝居もお金を払って見ただろう。羨ましくなって、ボクは親に黙って新聞配りを申し込んだ。ところが親に知れて、断られてしまった。これも懐かしい思い出です。


(第3219話) 私は幸せ者

2021年10月23日 | 人生

 “六月五日付本欄「親孝行は健在なうちに」に同感です。一年半前、百五歳で逝った母の口癖は「オレの面倒を見よ。嫁ぎ先の両親にもしっかり親孝行せよ」でした。母は弟任せで親孝行できず、娘の私には同じ後悔をさせたくなかったのでしょう。母は兄夫婦の配慮で晩年、わが家に近い施設に入所しそこで三年半世話になり、私も毎日施設に通いました。長年母を介護した兄夫婦の優しさと気遣いに母は幸せを感じているようでした。
 私にとって異性ということもあり、互いに少し遠慮がちになったものの、母の言葉通り義父の世話もしました。義母が亡くなって十五年間一人暮らしをしてきた義父と五年間同居し、九十七歳でみとりました。
 母と義父の介護はいずれも自分なりに精いっぱい尽くしたつもりですが、思い起こせば正直悔いはいろいろとあります。それでも、ともに長生きした二人に孝行できた自分は幸せ者だと考えています。”(10月1日付け中日新聞)

 岐阜県恵那市の主婦・安藤さん(72)の投稿文です。親孝行ができて幸せと感じる。そうであろうと思う。親孝行はほとんどの人がしたいと思っている。でもなかなか生前にはできないものである。後に後悔することが多い。できて幸せと感じられる人は、本当に幸せである。
 ところがその親孝行が老後の面倒となると、かなりいろいろな場合が生じる。安藤さんの場合、まだ容易い方ではなかろうか。長い期間、そして重労働となるともう親孝行の域を超えている場合も生じる。面倒を看る子供の方が参ってしまう場合もある。親子共倒れである。こうなるともう悲劇である。人間の寿命は延びた。全くありがたいことである。いくら延びても死をまぬがれることはできない。ピンピンコロリといければいい。しかし、自分の思うとおりには行かないのが人生である。そうなった時どうすればいいのか。今は地域包括支援センターなどいろいろな相談施設がある。自分一人や家族だけでするのではなく、頼れるところは頼るべきであろう。
 ボクの母親が老人性痴呆症と診断され、近くに老人施設ができた時、すぐ頼った。どのくらいの期間世話をしなければ分からない、と言って妻を納得させた。結局15年くらい面倒を看ることになった。もう25年以上前のことで、当時はまだ施設等もあまりなかった。


(第3218話) 孫の朝顔

2021年10月21日 | 出来事

 “去年の春のことです。「これつかっていいよ」。真っ赤な折り紙の裏に大きく力いっぱい書かれた意味不明の手紙。封筒の中には三粒の種も入っていました。小学二年生になった東京の孫からの、おばあちゃんあての初めての手紙です。
 調べてみると、入っていたのは朝顔の種でした。今年は、その花から取った六粒の種を植えました。去年と同じように毎朝、新聞受けから朝刊を取り出すたびに、朝顔の花の数を確認します。もうすっかり私の大事な日課です。「今日はいくつ咲いたか」と、部屋に戻るなり主人に出す「朝顔の花の数当てクイズ」も、楽しみの一つになりました。多い日は十個咲いた日もありました。でも季節はもう秋。葉は所々枯れてきて、花も小さくなってきました。
 わが家の玄関先の鉢植えで、真っ赤な大きな花を咲かせていた、あのキラキラした毎日は、もう終わってしまいました。花の数も「今日はゼロ」という日が何日も続いています。今は来年用にたくさんの種を取っています。
 コロナ禍で孫にはなかなか会えません。孫たちは会わぬ間に大きくなっていきます。「今年はりっちゃんの朝顔、二百個以上咲いたよ」と手紙を書いて知らせようと思っています。”(9月30日付け中日新聞)

 愛知県蟹江町のパート・久田さん(女・64)の投稿文です。孫から朝顔の種を送ってきた。これはもう宝物である。一生懸命育てる。そして6粒の種が採れた。それを蒔いた今年は200個以上の花が咲いた。小さな種もうまくいけばこのように凄い数の花になる。いい贈り物である。
 朝顔はボクも育てている。最初は1本の苗を買ってきただけである。棚を作って登らせていく。もう何年前のことになろうか。落ちた種から毎年芽が出てくる。今まで種を採ったこともない。それでも生き延びてきた。朝顔は本当に強い。今年棚を作るのにいい場所を見つけた。そして鉢植えにして育てた。今年は種を採ろうと思う。花はいい。わが家は野菜畑がどんどん花畑に変わっている。通る人に楽しんでもらえるようにしている。ところがこれは以外に大変なのである。


(第3217話) 冷や汗

2021年10月19日 | 出来事

 “今年の夏は雨が降り続き、各地で災害があり、大変だった。そんな折、テレビで報道関係の方がインタビューをしているのをよく見かけるが、みんな上手に答えているのに感心した。私には関係ないと思っていたが、それがこんな田舎のおばあさんが出くわして恥ずかしい思いをした。八月の十七日ごろだった。
 雨がやみ、近くの畑を見ようと、お粗末な支度で県道へ出た。十メートルばかり下に車が止まって女の人が立っていた。「今日は」と声を掛けると「私、飯田ケーブルテレビの者で、インタビューをお願いします」と言う。「難しいことはダメです」と言うと「簡単ですからお願いします」と言うので応じることにした。
 「水害はどうでしたか」「川の水が増したくらいで、早く雨がやむのを待っていました」「この上のバス停の方で土砂が崩れて通行止めになっているのを知っていますか」「えっ、そのそばにうちの山があって木が倒れて迷惑をかけたことがあるので心配です」と答えた。
 家にはケーブルテレビがないので忘れていたが、四日ばかりして娘が買い物に行くと 「お宅のおぱあさん、テレビに出ていたよ」と二人の方が教えてくれたとか。私は冷や汗を感じたが、よい経験もしたと思った。”(9月25日付け中日新聞)

 長野県飯田市の家事手伝い・横田さん(女・88)の投稿文です。テレビでは毎日、毎回のようにインタビュー画面が現れる。そして何人もの人が受け答えしている。多分、これはと思ったものを採択し流しているとは思うが、うまく答えている。横田さんはその時の気持ちを投稿された。冷や汗と言われるが、そうであったろうと思う。いきなりである。心の準備もできていない。でもテレビで流されたと言うことは、適切であった訳である。これも1つの経験、言われるように思い出になった。逃げることはない、自然体であればいい。
 ボクは今年4月の一宮友歩会例会で、ケーブルテレビの取材を受けた。でもこれは事前に分かっていたし、多分インタービューを受けることは予想されたので、心の準備はできていた。仕事でテレビに映ったことはあるが、その他インタービューを受けたことは思い出せない。横田さんの経験もなかなかあり得ることではないのだ。いい冷や汗であった。


(第3216話) 自転車にヘルメット

2021年10月17日 | 知識

 “自転車の安全利用を呼び掛けようと、一宮署は県警のマスコット「コノハけいぶ」にヘルメットをかぶせた新デザインを発表した。署の交通安全の啓発イベントなどで使用する。新デザインでは、ヘルメットと夜光チョッキ、交通安全を呼び掛ける緑色の腕章を身に着ける。チョッキには「一宮けいさつ」の文字も。啓発イベント時の交通課員の服装をモデルに、課員がデザインした。署の「コノハけいぶ」と一宮市の「いちみん」を並べた反射材のステッカーも制作。ヘルメットを着用する自転車利用者への配布を予定する。
 十月からは県の条例でヘルメット着用が努力義務化される。同課の北村光課長代理(三七)は「身近なキャラクターから関心を持ち、命を守るためのヘルメットをかぶってほしい」と呼び掛けた。”(9月25日付け中日新聞)

 記事からです。「ヘルメット着用が努力義務化される」という。今まではただのお願いであったのか、改めて知る。そして、小中学生はほとんどがヘルメットをしているが、その他は時折にしか見かけない。ボクは5年前にヘルメットを買った。それは老人クラブ連合会長になり、村内を回る時は自転車にしようと、自転車を新たに購入し、ついでにヘルメットも買ったのである。手本を示すつもりでもあったが、老人では一人として現れなかった。ボクは自転車で出かける時にはほとんどしてきたし、今もしている。変人と思われてきたかも知れない。そしてこの記事である。老人の自転車事故は多いという。これからヘルメットを付けた老人は多くなろうか。期待したい。
 愛知県ではヘルメットの努力義務化と共に賠償保険加入が義務化された。そしたら先日の老人会役員会で、自転車事故の賠償保険付の傷害保険の説明があった。途中入会は今回限りであり、その勧めである。商売の期を逃さない対応に感心した。ボクはこの保険を回覧し、そして加入した。


(第3215話) 無事受験

2021年10月15日 | 出来事

 “養護教諭を目指しているという教え子の女子学生からこんな話を聞きました。教員採用の二次試験を受けるため会場近くの愛知県・蒲郡駅に向かっていたら、大雨で乗った電車のダイヤが乱れ、動いたり止まったりしていました。「試験開始時刻に間に合わないかも」。焦ってきた女学生は隣席の男性に事情を伝えたら「次の岡崎駅で降り、タクシーで行きなさい」とその場でスマートフォンを介して車の手配までしてくれました。下車した岡崎駅では「きっと合格するよ」と温かい言葉をかけてもらったそうです。おかげで試験時刻に間に合ったといいます。
 試験を受けられなければ学生の努力は無駄になるところだっただけに私からも男性に「その節はありがとうございました」と伝えたいです。”(9月25日付け中日新聞)
 
 愛知県岡崎市の大学教員・鈴木さん(女・62)の投稿文です。前回は「当たり前はない」という話でしたが、この学生さんは、電車が予定通り動かず、男性の助けで何とか受験会場に間に合ったという、幸運な話です。このように、長い人生の間には予定通り事が運ばないことが多々あり、そしてそれを無事乗り切って今があるのです。60歳、70歳まで無事に生きてきた人はどれだけの幸運を受けてきたのでしょう。ボクなど後期高齢者になり、幾多の苦労もあったけれども、よくここまで生き延びてきて、このように「話・話」 など書いていることだと、本当に幸運なことと思わざるを得ないです。
 それにしてもこの女学生が隣の男性に事情を話し、その男性が本当に頼りになる人でした。このように行動の取れる人はなかなかないでしょう。話さなければ、またこの男性でなければ、これはなかったでしょう。幸運の連続でした。そして多くの人はこの様に幸運を受けてきたのです。いろいろ振り返ってみたいものです。そうすれば感謝の念はますます起こると思います。


(第3214話) 与えられた1日

2021年10月13日 | 意見

 “~新しい朝が来た 希望の朝だ・・・「ラジオ体操の歌」が大好きだ。口ずさむたび、明るく元気になれます。子どもだったその昔、夏休みや体育の授業でこの曲を耳にすると浮き浮きしました。
 三十年ほど前までの二十年近く病院の看護師をしてきました。前日は元気におしゃべりした患者をみとることもたびたびでした。そんな時に年上の方からよく言われたのは「元気でいられるのは当たり前じゃない。後悔しないよう、家族や周りの人を大事にしなさい」でした。この世界には新しい日を迎えることが奇跡である人も実は少なくないのです。この先も私は与えられた一日を大切に生きていくつもりです。”(9月21日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の主婦・竹沢さん(女・72)の投稿文です。ボクもこの歌は好きである。歌詞もいいし快活である。そしてわが家は毎朝、この歌が流れる。ラジオ体操の開始である。妻の日課である。そしてボクもかなりの日一緒に行う。ボクはラジオ体操の信奉者である。
 平穏に日々過ぎていくと、それが当たり前の気がしてくるが、実はそうではないのである。これはかなりの幸運が付いているのである。例えばこれだけ車が走っている街中に出て、無事帰ってこられるのは、ルールを守らない人に出会わなかったからである。そして、一人で生きていけるつもりか知らないが、実は一人では1日も生きていけないのである。例えば毎日の食べ物は買わないと賄えない。お金があればいいと思うかも知れないが、お金は食べられないのである。少しへりくつの例になってしまったが、肝心の部分は生かされているのである。無駄にしてはいけない。