寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2936話) 短歌投稿

2020年03月30日 | 活動

 “関西から地元の三重県松阪市に戻ってきた二〇〇九年以降、中日歌壇に投稿している。独学で、結社には入っていないものの、自分を表現するのに短歌はぴったりだと思っている。私の短歌が掲載されると親戚や友人、中日歌壇を通じて知り合った仲間から「読んだよ」と電話や電子メール、手紙をもらう。投稿しても選に漏れることの方が多く、しばらく掲載されないと「元気なのか」との連絡が来ることもあり、そんな心遣いをうれしく感じている。
 先日、いつも掲載を楽しみにしてくれたという高校時代の恩師が亡くなった。「病気ではないかと心配している」という先生からのはがきはもう届かないが、これからも私は詠み続けていくつもりだ。”(3月9日付け中日新聞)

 三重県松阪市の主婦・小山さん(61)の投稿文です。ボクは長年川柳を作っていながら、新聞等へ投稿したことはない。ホームページに掲載しているから、その気にならないのだろうか。佳作とか入選というのに興味がないからだろうか。でも投稿して掲載去れば嬉しいものである。中日新聞では、見る人も多かろう。小山さんの話のように反応もあろう。輪も広がろう。そうなれば意欲も湧こう。良いことずくめである。ただボクには、投稿する意欲と採択される自信がないだけだろう。ただ投稿される人には、採択されるために思ってもいないことや技巧に走ることには気をつけて欲しいと思う。不採択が続くと、続ける意欲を失なうものである。まずは続けることが大切と思っている。ボクなど淡々と書き続けて、もう40年である。続けてきたことが最大の評価である。


(第2935話) 無償の愛

2020年03月28日 | 行動

 “幼年期より、わが家には常に生き物がいた。犬、ウサギ、ニワトリ、ハト、昆虫、金魚、そして勝手にすみ着いた野良猫・・・。小学校二年生だった私は祖母からわが家の「生き物係」に指名された。
 一番好きだったのは犬で、飼育に苦労したのはウサギたった。冬場はウサギの餌となる草が少なく、小・中学校の下校時に川の堤防で雑草や枯れ草を収穫するのが大変たった。私が一番感動したのは犬とウサギの誕生の場面に立ち会えたことだった。育児放棄した野良猫の赤ちゃんへ、わが家の犬が乳を与えるようになったことには心打たれた。そんな生き物が死ぬときは実に悲しかった。十年前に愛犬を失ってから、私はもう生き物を飼わないことにした。
 亡き祖母と身の回りの生き物からは無償の愛と命の大切さを教わった。現代の子どもたちにも事情が許す限り、動物を飼うことを私は勧めたい。”(3月7日付け中日新聞)

 岐阜県関市の浅野さん・(男・71)の投稿文です。浅野さんは小さい頃から生き物係として生活してこられた。そして、いろいろな体験をされた。無償の愛と命の大切さを知られた。人柄も養われたと思う。
 ボクが小学生の頃は、家に犬や鶏がいた。愛玩動物と言うより実用であった。犬は番犬であり、鶏は卵を産ませるためである。そしてボクは小鳥を飼っていた。ジュウシマツやインコなどである。金魚やキリギリスがいた時もある。いつしかそれらはいなくなっていた。ですから、ボクは生き物に携わったことは少ない。そして、結婚以後は飼っていないので子供らは動物を飼う経験は全くない。だから子供らは動物を通じての無償の愛や命の大切さを知らないだろう。少し偏ったかも知れない。
 最近は犬や猫などの愛玩動物は大はやりのようである。家族が少なくなったので、その代用物のような感じもする。人の生活をどうこう言うつもりはないが、行き過ぎの感もある気がする。


(第2934話) 祈りの絵

2020年03月26日 | 行動

 “ハンセン病患者の支援に尽力し、六十五歳で亡くなった一宮市千秋町浮野の法林寺住職、真野正志さんの絵画展「菩薩の願い ハンセン病を知る」が同市起の尾西歴史民俗資料館で開かれている。八日まで。
 金沢美大を卒業した真野さんは一九九二年、「ハンセン病隔絶四十年」の著書がある伊奈教勝さんと出会い、支援に取り組んだ。伊奈さんが亡くなった九五年から、伊奈さんの著書にあった「普通の人間としてつきあってください」などといった言葉とともに菩薩や花、風景のイラストを描いた作品を制作。創作は食道がんで二〇〇四年に亡くなる直前まで続いた。
 今回の絵画展は真野さんの十七回忌に合わせ、妻の孝子さん(六七)が企画。縦百五センチ、横七十五センチのベニヤ板や段ボールに描いた作品など多彩な約三十点が並ぶ。菩薩のイラストを中心に、患者を隔離した長島と本土の間に架かった岡山県の邑久長島大橋や患者たちの遺骨が眠る同県の万霊山納骨堂なども鮮やかな色づかいで表現している。
 孝子さんは「主人が伊奈さんの思いを広めるためにしていた活動を多くの人に知ってほしい」と来場を呼び掛けている。”(3月5日付け中日新聞)

 記事からです。奥さんの孝子さんとは数年前に知り合い、今は親しくしてもらっています。そして、この絵画展を知り、最終日に妻と行ってきました。この絵画展で知るまで、真野正志さんについて何も知りませんでした。自分の近くにこんな人がみえたことに驚きです。正志さんは1000枚のかまぼこ板に菩薩等の絵を残されていました。妻と1枚ずつ貰ってきました。
 ハンセン病については、一宮友歩会の平成22年4月10日(土)「第25回例会ー史跡巡りシリーズ・西尾張編part7」で、円周寺を訪れています。円周寺は、ハンセン病について活動した小笠原登医師の生家です。本堂にあげて貰ってハンセン病の話や登医師の話を聞きました。それ以後多くのことを知りました。ホームページの「付録・随想(zu068)小笠原登を知る」を読んでいただくとありがたいです。
 2月27日の中日新聞に「ハンセン病患者の特別法廷を違憲とする初判断を示した熊本地裁判決は、司法の場での人権侵害を明白にし、尊厳を取り戻そうと裁判を起こした元患者らの切実な声に応えたものだ。裁判所が過去の憲法違反を自ら断罪した異例の司法判断であり、判決の持つ意味は極めて重い」とありました。そして、特別法廷とは「最高裁が認めた場合に裁判所以外で法廷を開く方法。ハンセン病患者の裁判では、隔離先の療養所や専用の刑事施設に設けられ、四八年から七二年にかけ九十五件が開かれた」とあります。今もまだ被害者のいろいろな活動が続いているのです。権威、権力の恐ろしさを覚えます。


(第2933話) 後回しせず

2020年03月24日 | 出来事

 “~明日があるさ 明日がある・・・。この曲を口ずさむと私には明日という日が本当に来るのだろうかと最近思うようになりました。身近な方を亡くしてから一層そう考えるようになりました。亡くなる前の晩は笑顔で会話をしたのに、翌朝私が目覚めたら、その人が亡くなっていたことは、五ヵ月たった今も信じられません。あの人も明日は当然来ると思って横たわった気がするからです。
 今までは「明日やればいい」と後回しにしたことが何度もありましたが、やれることはなるべくその日のうちに済ませるようにしています。洗濯や片付けなどもやり残さないように気を付け、一日一日の大切さを感じつつ平穏だった日々に感謝しています。”(3月4日付け中日新聞)

 名古屋市の岩崎さん(女・78)の投稿文です。「朝には紅顔ありて夕べには白骨となる」と言う諺があるように、人の命は全く分からないものです。そして、高齢者になると岩崎さんのような話をよく聞くようになります。ボクの近くでも最近聞きました。「ピンピンコロリ」を願う人も多く、そういう人には全く理想の死に方になります。死に方はどう思おうと、その人の意思通りにはいきません。思う通りに行ったとしてもそれは偶然でしょう。良いと思うことをやれるだけやって天命を待つ、これしかないでしょう。
 そして高齢者には、岩崎さんの言われるように、確かな明日はありません。今日できることは今日する。もう何度もこの「話・話」 で書きましたが、ボクの机の上には「明日死ぬと思って生きなさい」と書いた紙が置いてあります。どこまでできているかは疑問ですが、ボクの心がけです。そして、最近はほぼ毎朝散歩し、その途中お墓に寄り、昨日の平穏を報告し、今日の平穏をお願いしています。


(第2932話) 河原の美化

2020年03月22日 | 活動

 “実家に帰った一月、父の姿を捜したら近くの河原にいました。竹を切って幹を太ももでへし折ってそれらを燃やしていました。畑も田もあって忙しくしている父がなぜ自分の土地でもない河原をきれいにしているのか、私は不思議で仕方ありませんでした。そこで理由を尋ねたら、父の回答は「汚くしているとごみをさらに捨てられてしまうから、そうならないようにきれいにしている」でした。
 私は父の言葉を聞いて「割れ窓理論」だと思いました。割れた窓を放置していると、誰も注意を払っていないという印象を周囲に与え、やがて他の窓も壊されていき、結果として周辺の治安が悪くなるというものです。
 父は実体験からそのことを知っていて努力していたのでしょう。私は周囲を考えて行動する父を誇らしく思いました。この先も元気ですてきな父でいてほしいです。その後ろ姿を孫たちにも見せてくださいね。”(3月3日付け中日新聞)

 岐阜県瑞浪市のパート・足立さん(女・48)の投稿文です。汚れたところはどんどん汚れていき、綺麗なところはそうはならない、これはボクも見てきた実感です。これを「窓割れ理論」というのは知らなかった。汚れたところはこれ以上少々汚しても構わないと思い、綺麗なところを汚すのは気が引ける、これが人間の心理でしょう。
 足立さんのお父さんは立派だ。自分の土地だけではなく、地域の環境も考えてみえる。どこかにこういう人はみえるものだ。1人で道路のごみを拾っている方を時折見かける。ボクがいつもしているのは自分の家に周りだけである。でも散歩道をほんのちょっとすることもあり、これを常のことにしようかな、とも思っている。


(第2931話) 気遣い

2020年03月20日 | 行動

 “職場の先輩でとても尊敬する方がいます。私が新米だった頃からさりげない声掛けをしてくれ、私たちを温かい気持ちにさせてくれました。私も先輩も互いに当然の作業をしているのに「掃き掃除、ありがとう」「きれいにしてくれて助かるわ」などと言ってくれるのです。日常業務でも「丁寧ね」「すご-い!」などと褒めてくれました。そのたびに私の心は浄化され、こんな気遣いができる人に私もなりたいと思ってきました。
 先日、少し忙しい仕事がようやく終わりに近づいたとき、先輩は「今日はありがとうね。あなたがいてくれて助かりました」と言ってくれ、私はとてもうれしくなりました。すてきな先輩のおかげで気持ち良く仕事ができています。”(3月2日付け中日新聞)

 三重県四日市市のパート・佐藤さん(女・41)の投稿文です。こうした優しい言葉を掛けてもらうと、本当に心安まり、嬉しいものです。新米の頃は心細いだけによりそうでしょう。それにしてもこの先輩は、どんな心持ちの方でしょうか。気遣いも大きいと思いますが、本当に優しいのでしょう。そうでなければここまで言葉が出てきません。子供の頃からの家庭にしつけでしょうか、その後の精進でしょうか。「情けは人のためならず」という言葉があります。自分にそのつもりはなくとも、その情けは自分に戻ってきます。現にこうして佐藤さんから感謝の言葉をいただけました。
 ボクはだめですね。でも、妻はかなりのところを行っていると思っています。そしてそのお陰をボクは随分受けています。本当にいい妻を得たと思っています。


(第2930話) 1年4組の逆上がり

2020年03月18日 | 出来事

 “逆上がりがクラス全員できるようになりました。小学校入学後間もなく練習を始め、最後の子は冬休みにできました。一年生のクラス全員というのはなかなかありません。なぜできたのか考えてみました。まず、一人一人が努力したことです。少しの努力でできた子もいれば、何カ月も練習した子もいますが、とにかく、皆諦めずにできるまで頑張りました。
 この「頑張ったからできた」という経験は、子どもにはとても大切です。人生は頑張れば何でもできるというような単純なものではありません。でも、小さいうちは「頑張れ頑張れ」と励ましたいと思っています。もう一つは、できた子ができない子を応援したことです。子どもたち同士でよく一緒に練習したり、教えあったりしていました。体育の時間に、誰かが初めて逆上がりができると、「わあ、○○ちゃん、できた」と、見ている子たちからいつも、歓声が上がりました。
 こういう友達の優しさに支えられて、最後の一人まで頑張ることができたのは、間違いありません。みんな、本当によく頑張ったね。これからも逆上がりのように、いろいろなことにチャレンジして、大きく成長していってほしいと思います。”(2月23日付け中日新聞)

 三重県川越市の小学校教諭・藤井さん(女・56)の投稿文です。子どもたち同士で一緒に練習したり、教えあったりして、クラス全員が逆上がりができるようになったという話、これもまたいい話です。この体験は一生の思い出になり、何かの時にきっと役立つと思います。協力し合う、誰が助けてくれる、崩れそうになったとき、この思い出は生きてきます。特に小さいときの体験は心に残ります。藤井さんの努力、気遣いも大きかったと思います。
 今の時代、何事も個が中心になりがちです。そして、競争、競争です。こういう協力し合うと言う体験が少ないのではないでしょうか。昔のことをよかったとは言いませんが、少なくとも今よりは競争、競争とは言わなかったし、生活は貧しくても気持ちに余裕があった気がします。


(第2929話) 健康チェック 

2020年03月16日 | 意見

 六日付本欄「睡眠記録し体調良好に」を読み、手帳に記録することで気づきがあるというのはまさにその通りだと思いました。うっ血性心不全で約一ヵ月入院した数年前から私は日々の体重、血圧、体温などを手帳に記録しています。自分自身の体調変化とその原因を感じ取れるようになってきました。「特に体重の変動が大きいときは必ずどこかに原因があるので注意するように」と医師に言われました。そんなときこそ食べ過ぎや運動不足があって早めに手を打つことができています。
 健康管理は医療機関任せにせず、自分自身で体調を常にチェックするようにすることが大切です。気づきや行動改善に役立つ数値の記録と見返しを私は今後も続けていくつもりです。”(2月20日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の会社員・加藤さん(男・56)の投稿文です。名誉や財産があっても、健康を損ねていてはあまり意味がない。これらは健康があってその上でのことであろう。その健康のために何をするか。これは数え切れないほどあろうが、加藤さんは健康チェックと気づかれた。記録することによって、気づきがあると言われる。体験からである。これは重要である。
 先日ボクはびっくりする体験をした。感じることがあったのだろうか、久しぶりに血圧を測ったら、びっくりするほど高いのである。ボクは10年ほど前から、朝1粒の降圧剤を飲んでいる。飲み始めた頃は毎日のように血圧を測り記録していた。飲んでいるせいか、ずっと安定していた。それで2ヶ月に1度、医者で測る以外おざなりになっていた。そして、先日である。あわてた。でも数日で戻り、ホッとした。やはり体調に問題があったのだろうか。それ以後また測るようにした。またボクは体組成体重計を利用している。体脂肪や内臓脂肪、筋肉率や基礎代謝などさまざまな項目を示してくれる。前回のデータと比較もできるし、過去の記録も残っている。変化が大きければすぐに分かる。また最近ボクは、安物のスマートウォッチを購入した。これがまた体のいろいろなことを示してくれる。目安程度であろうが、参考にはなるし、記録も残してくれる。あまり神経質になるのは返ってまずいが、いろいろなもの上手に使うことであろう。


(第2928話) 節分の風習

2020年03月14日 | 行動

 “節分は義母の教えを守り七輪でいった大豆をまき、焼いたイワシの頭をヒイラギの枝に刺して戸口に立て掛けました。わが家の敷地には社がいくつかあるので、今年も氏神様に家族の一年間の無病息災を祈りながら豆をまきました。「トンビャーウチ(富は内)」「福は内・・・」。夫が大きな声で二、三度繰り返しながら各部屋を回り、最後に玄関から外に向かって「鬼は外」と言って豆をまきました。
 私たちはというと、自分の年齢に一つ加えた数の豆を手に取り、うち一つを昨年の無事に感謝して目をつむりながら後ろに投げました。儀式の最後として私が手作りした恵方巻きを一言もしゃべらず、西南西の方角に向かって丸かじりをし・・・ました。
 数年前までは日没を待ってどこの家でも庭先の七輪から煙が立ち上り、大豆をいる香ばしさとイワシを焼く匂いが漂ったものです。そんな風習もだいぶなくなってきたような気がしています。”(2月19日付け中日新聞)

 三重県大台町の小西さん(女・73)の投稿文です。前回に続いて節分の行事です。またまた手の込んだ行事をされている家や地域があるものだ。ボクが知らないだけかも知れないが。日本の風習は知るほどに驚くことが多い。昔の人はそれを信じ、地域で共同して続けてきたものであろう。それでも小西さんの地域でも、こうした風習は大分なくなってきたようです。
 何百年と続けてきたものを、ここ数十年で多くのものがなくなろうとしている。これは個が中心になり、理屈が先行するようになったからではなかろうか。焼いたイワシの頭をヒイラギの枝に刺して戸口に立て掛けたら、家内安全になると言われても、理屈では説明できない。理屈で説明できないものは不合理、やめとなる。でも人間のしていることはそれ程理屈で説明できるのだろうか。いや、人間していることこそ説明できないことが多い。説明できるものがあるとすれば、それは自我、自利であろうか。こう思うと、現代人の何と横暴、無謀さを思わざるを得ない。こうした行事はもとより、地域の連携ささえ怪しくなってきている。よってたかってどこへ行こうとしているのだろうか。


(第2927話) 96粒の豆

2020年03月12日 | 行動

 “節分の朝、デイサービスの車を待つ聞に、孫が聞いてきました。「おばあさん、今年は年の数の豆、大丈夫かなあ」。私は「多分大丈夫だと思うから、いつものように用意しといてね」。私は大正生まれ、数え年の九十六歳。年の豆は九十六粒。本当にこれだけの豆を食べ切ることができるのか、孫が案じるのも当然でしょう。
 でも私には、自分の歯が二十七本あるんです。治療した歯も何本かあるけど、入れ歯や差し歯は一本もありません。全部自分の歯です。
 夕げの膳には、小升に入った九十六粒の豆がありました。口に入れてゆっくりかみしめます。子どもの時、母がほうろくでいってくれた大豆は、ずいぶん硬かったと記憶していますが、現代のいり豆は軽くかむだけでほろりと崩れ、香ばしい味が口いっぱい広がります。小豆の甘納豆や落花生も交ぜてあり、味の変化も楽しみつつ今年も完食しました。
 振り返ってみれば、同級生も趣味の友も逝ってしまい、周囲は寂しくなってしまいました。残り少ない人生の終着駅まで持って行けそうな丈夫な歯を授けてくれた両親には、ただただ感謝です。来年もまた、無事に年の数の豆がいただけるのを願っています。”(2月18日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の黒太さん(女・94)の投稿文です。年齢分の豆を食べる、節分の行事です。ボクの家では子供が小さい頃に豆を蒔いたくらいで、その後は節分の行事に覚えがない。こうした行事をされる家は今もあるのだ。それにしても96粒とは凄い。
 そしても94歳で、自分の歯が27本、入れ歯も差し歯もないと言われると、これも感心してしまう。人間、どこが悪くてもいけないが、歯は特に重要であると思う。歯が悪くては食べるものも不便でおいしくなく、また他の臓器の健康にも関わってくる。幸いボクも妻も、黒太さんのようには行かないが、まあまあの健全さを保っている。ボクの場合、入れ歯が3本、インプラントが2本、他は自分の歯である。他にいろいろ詰めや被せはあるが、歯槽膿漏は今のところないようなので、このままを維持していきたい。3ヶ月ごとの定期検診を受けているので、何かあればすぐに対応してもらえる。やはり、早めの処置が最善であろうか。