寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3219話) 私は幸せ者

2021年10月23日 | 人生

 “六月五日付本欄「親孝行は健在なうちに」に同感です。一年半前、百五歳で逝った母の口癖は「オレの面倒を見よ。嫁ぎ先の両親にもしっかり親孝行せよ」でした。母は弟任せで親孝行できず、娘の私には同じ後悔をさせたくなかったのでしょう。母は兄夫婦の配慮で晩年、わが家に近い施設に入所しそこで三年半世話になり、私も毎日施設に通いました。長年母を介護した兄夫婦の優しさと気遣いに母は幸せを感じているようでした。
 私にとって異性ということもあり、互いに少し遠慮がちになったものの、母の言葉通り義父の世話もしました。義母が亡くなって十五年間一人暮らしをしてきた義父と五年間同居し、九十七歳でみとりました。
 母と義父の介護はいずれも自分なりに精いっぱい尽くしたつもりですが、思い起こせば正直悔いはいろいろとあります。それでも、ともに長生きした二人に孝行できた自分は幸せ者だと考えています。”(10月1日付け中日新聞)

 岐阜県恵那市の主婦・安藤さん(72)の投稿文です。親孝行ができて幸せと感じる。そうであろうと思う。親孝行はほとんどの人がしたいと思っている。でもなかなか生前にはできないものである。後に後悔することが多い。できて幸せと感じられる人は、本当に幸せである。
 ところがその親孝行が老後の面倒となると、かなりいろいろな場合が生じる。安藤さんの場合、まだ容易い方ではなかろうか。長い期間、そして重労働となるともう親孝行の域を超えている場合も生じる。面倒を看る子供の方が参ってしまう場合もある。親子共倒れである。こうなるともう悲劇である。人間の寿命は延びた。全くありがたいことである。いくら延びても死をまぬがれることはできない。ピンピンコロリといければいい。しかし、自分の思うとおりには行かないのが人生である。そうなった時どうすればいいのか。今は地域包括支援センターなどいろいろな相談施設がある。自分一人や家族だけでするのではなく、頼れるところは頼るべきであろう。
 ボクの母親が老人性痴呆症と診断され、近くに老人施設ができた時、すぐ頼った。どのくらいの期間世話をしなければ分からない、と言って妻を納得させた。結局15年くらい面倒を看ることになった。もう25年以上前のことで、当時はまだ施設等もあまりなかった。