“近くの入浴施設に行くと、50代ほどの女性が母親らしき人の背中を洗い流していた。その日は、くしくも「母の日」。思わず涙がこぼれ落ちた。
10年ぐらい前までの数年間、私は岐阜県郡上市の実家に毎週帰省しては、自力での入浴が難しくなった母を連れて周辺の温泉施設に行った。湯船に漬かり母の笑顔を見るのが楽しみだった。いつものように母の背中を私が洗っていたら、70代ぐらいの女性が「お母さんですか? いいですね。私もやりたいけど、もういないんです」と声をかけてきた。その母は既に逝き、あのときの女性の言葉が今回一層身に染みた。見かけたあの母子にとって、この日がかけがえのない思い出になることを願わずにいられなかった。”(6月22日付け中日新聞)
岐阜県関市の主婦・伊藤さん(74)の投稿文です。娘さんが母親の背中を流す、何といういい風景であろう。母娘の姿でこれ以上いい風景を探すのは難しい。伊藤さんもされていた時期があった。そんな風景を見て、昔の出来事を思い出された。それは、伊藤さんが母親の背中を流していたとき、羨ましがられたことである。この短い文の中に3人の娘さんが登場する。それぞれの時の立場がある。
「親孝行したい頃に親はなし」、こんな思いを抱いた人の多さ、数え切れないであろう。親子というのはそんなことが多いのである。悲しい宿命である。でも成長しなければいけない。いつまでも同じ過ちを繰り返していてはいけない。
10年ぐらい前までの数年間、私は岐阜県郡上市の実家に毎週帰省しては、自力での入浴が難しくなった母を連れて周辺の温泉施設に行った。湯船に漬かり母の笑顔を見るのが楽しみだった。いつものように母の背中を私が洗っていたら、70代ぐらいの女性が「お母さんですか? いいですね。私もやりたいけど、もういないんです」と声をかけてきた。その母は既に逝き、あのときの女性の言葉が今回一層身に染みた。見かけたあの母子にとって、この日がかけがえのない思い出になることを願わずにいられなかった。”(6月22日付け中日新聞)
岐阜県関市の主婦・伊藤さん(74)の投稿文です。娘さんが母親の背中を流す、何といういい風景であろう。母娘の姿でこれ以上いい風景を探すのは難しい。伊藤さんもされていた時期があった。そんな風景を見て、昔の出来事を思い出された。それは、伊藤さんが母親の背中を流していたとき、羨ましがられたことである。この短い文の中に3人の娘さんが登場する。それぞれの時の立場がある。
「親孝行したい頃に親はなし」、こんな思いを抱いた人の多さ、数え切れないであろう。親子というのはそんなことが多いのである。悲しい宿命である。でも成長しなければいけない。いつまでも同じ過ちを繰り返していてはいけない。
志賀高原を回り、善光寺参りを終えて和風の落ち着いた宿で一泊しました。
その時生まれて初めて一緒に温泉に入りました。
そして母の背中を洗いました。その時母は、なんて幸せな事、こんな日が来るなんてと
、泣いていました。
後日弟嫁に、お母さんを温泉に連れて行く日があったら、背中を流してやってな。
娘に背中を流してもらうほど幸せはないでなと、言っていた言葉を思いだします。
子育てに追われ、仕事に追われの毎日、手伝ってもらった事は数知れずでしたが、親孝行をしている余裕はなく、やっと実現した過ぎし日の思い出です。