寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3013話) エール

2020年08月31日 | 人生

 “長男が中学一年、長女が小学五年の時、末っ子の次男が生まれました。実は次男のおめでたが分かった時、主人に反対されたのです。主人が四十六歳の時に生まれてくる次男に、親として十分なことをしてやれないからだと言いました。
 私はとても諦めることができず、同居のしゅうとめに言うと、「産めばいいよ」と言ってくれ、産む決心をしました。次男の出産は早朝だったので、主人は初めて出産に立ち会ってくれました。生まれた時、主人はとても感動し、とても喜んでくれました。
 次男が五ヵ月の時、主人の両親が事故で突然亡くなりました。悲しみの中、主人、私、長男長女の心を癒やしてくれたのは、赤ちゃんの次男の笑顔でした。次男が生まれてきてくれたのは、主人のためだったんだと、その時思いました。一度に両親を亡くした主人の寂しさはいかぱかりだったでしょう。その寂しさを埋めてくれたのが、次男の存在でした。
 長男長女が結婚したあと、しばらく主人、次男と三人の生活でしたが、親を助けてくれる息子に育ちました。二年前に社会人になり、わが家から巣立っていった次男。もう親孝行は十分です。仕事を頑張れと、エールを送ります。”(8月10日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の主婦・大沢さん(61)の投稿文です。こういう文を読むと家族の歴史というものを感じます。二男になる子を産むなと言ったご主人が、出産に立ち会い感動したという。そして、ご主人の両親が亡くなったとき、その悲しみを癒やしたのが生まれた赤ちゃんの二男だったという。その二男も孝行を尽くし、巣立っていった。人生50年、いや、今や90年、100年である。この間には言い尽くせない出来事が起こる。ほとんどが想定したとおりには行かない。良いこと、悪いこと、入り交じって起きる。誰もがその気になれば一編の自分史など書けるだろう。どういう経緯をたどろうとも、最後に「良い人生だったな」と思えればこれに勝るものはなかろう。
 ボクはホームページに数ヶ月かかって「青春放浪記」を掲載した。これを自伝的フィクション小説としたが、固有名詞を除けば概ね自分の姿である。まだ終末の大事業が残っているが、ここまでのところで言えば「良い人生だったな」と言えるだろう。


(第3012話) 読み始めた新聞

2020年08月29日 | 行動

 “三月に大学を卒業しました。在学中から希望して十月から働くことにし、春先から海外留学する予定でしたが感染拡大が続いた新型コロナウイルスの影響で頓挫してしまいました。当初留学できずに落ち込みましたが、「ステイホーム」だからこそ得られた知識や身に付いた習慣のことを思うと、大切なのは自分かどう行動するかだとよく分かりました。この自粛中に日記、家事、断捨離、筋トレ、そして新聞を読むことを始めました。
 新聞を開くようになっていかに自分が世の中の流れを知らなかったかを痛感し、気になったニュースを三つ選んで日記に書き留めるようにしました。留学して英語を極めることも将来の仕事に役立つでしょうが、新聞を読むことも成長するための良き習慣だと思います。入社を予定する会社もコロナ禍で大打撃を受けていますが、「置かれた場所で咲く」をモットーに頑張るつもりです。”(8月8日付け中日新聞)

 愛知県東海市のアルバイト・阿部さん(女・23)の投稿文です。このコロナ禍がプラスに働いた人もあろうが、ほとんどの人はマイナスになったであろう。特に新大学生や新社会人には辛いものになった気がする。阿部さんはその新社会人である。海外留学が頓挫し、10月からの勤めにも不安がつきまとう。その中で、得られた知識があるという。その第1が新聞を読むことであると言われる。新聞を開くようになって、世の中の流れを知らなかったかを痛感し、気になったニュースを三つ選んで日記に書き留めるようにした、と言われる。新聞を今まで読まれなかったことに、今の若い人はそんなものかと思うが、それでも阿部さんは、新聞のニュースを日記に書き留める、と言う行動に移されたことに感心する。さすが就職前に半期の海外留学をする意欲のある人のすることだと、納得もする。「置かれた場所で咲く」というモットーもいい。無い物ねだりをしても仕方がない。今後の活躍を期待します。


(第3011話) 釣り場の出会い

2020年08月27日 | 出来事

 “釣りに出掛けるたび、いつも思い出す光景があります。二年前の大型連休中、名古屋港へ釣りに行きました。さおや針といった道具の準備をしていたら、年配の男性が近づいてきて「この釣り場はどんな魚が釣れますか」と聞いてきました。いろいろと話すうちに、釣りに行くと言ったら息子がこの釣り揚が安全だと送ってくれたこと、お嫁さんが朝早くから起きて弁当を作ってくれたこと、麦わら帽子も用意してくれたことなどをにこにこと話してくれました。
 その方は何より家族の心遣いがとてもうれしかったのだと思います。弁当を食べるのが楽しみだと話された笑顔が印象的でした。幸せそうで、心底うらやましいと思いました。”(8月6日付け中日新聞)

 愛知県知立市の会社員・渡辺さん(男・62)の投稿文です。渡辺さんがこれほど印象に残るほど、息子さんとそのお嫁さんの配慮に対する年配の男性の嬉しさが見えたのである。社会の最小単位は夫婦、そして家族である。社会がいくら喜びにあふれていようとも、夫婦、その家族にその喜びが来さない限り、その夫婦、家族に心からの喜びは少ない。夫婦、家族は喜びも悲しみも共にする。そこには肉親の情や配慮、思いやりがある。健全な家族には当たり前のことである。しかし、これも当たり前であって当たり前ではないのである。それだから年配の男性の喜びが大きいのである。渡辺さんも心底羨ましいと思われる。
 夫婦はどうか知らないが、家族関係は近年随分希薄になってきたと思う。例えば家族内での行事も簡素化、またはしなくなった。このコロナ禍がそれに拍車をかける気がする。少子化で家族関係が強くなるかと思えば、これも逆である。親は子供に負担をかけたくないという。ボクは子育てで負担した分、負担をかければいいと思うが、これは全く通用しない。ボクの終末はどうなるのだろうか。


(第3010話) 絵本

2020年08月25日 | 活動

 “三年前、体調を崩し仕事を続けることができなくなった。忙しい毎日から一変、何をして過ごそうと途方に暮れた。幸い、図書館や小学校の傷んだ本を修理する製本ボランティアをしていたので、この機会にこども園の絵本も修理できたらと考えた。
 さっそくご縁のあった園に連絡しスタート。たくさんの絵本を前に、どこから手を付けたらいいのかと思いながらも、一冊一冊表紙を磨き、破れたページを直していく。傷みが激しい本は人気の証し。手ごわい本ほど、よみがえっていくのがうれしく楽しい。今までこの本を何人の子が手に取り、ページをめくったのかな、などといろいろ思いが巡る。本に残る傷や、かわいい歯形。一つ一つがいとおしくて笑えてくる。
 始まりは時間つぶしのような感覚だったのに、すてきな作家との出会いや、楽しい発見に私の心は幸せになっていく。時には読み込んでしまい、思わず涙がこぼれたり。絵本の癒やし効果を実感。仕事に復帰した今も空いた時間は絵本修理をする。生活の中にバランスよく定着した。
 今はコロナ自粛で、園の本を預かり自宅で音楽を聴きながらだが、やっぱり園を訪問して、子どもたちの元気な声をBGMにやった方が楽しいな。そんな日が待ち達しい。”(8月3日付け中日新聞)

 愛知県豊田市のパート保育士・東さん(女・63)の投稿文です。本の修理、こんなボランティアもあるのだ。図書館や小学校、そして、時間が空いたらと更にこども園の絵本も手がけられた。これも気持ちと技術があったからできることである。そして、何事も行えば行っただけの意味がある。その意味は喜べる場合もあるし、あまり喜べない場合もある。この場合の東さんは大きな喜びを与えられたようである。
 仕事に費やす時間大きい。そして辞めたとき、その時間の過ごし方が大きな課題となる。新たな上手な使い方を見つけられるのか、楽になったとただ無為に過ごしていくのか、ここはその後の生き方の大きな分かれ目である。定年後のいろいろやりたいと思われる人は多い。ところが、いざ定年となるとすぐに時間を持てます人が多い。特に男性に多い気がする。ボクが思うに、定年になってから準備するのは遅すぎるのである。その前から少しずつ手を付けておくのが賢明と思っている。
 その点ボクは恵まれてきたと思っているが、しかしこのコロナ禍でいろいろ奪われてしまった。この後どうするか、ここが本当の正念場という気がしている。


(第3009話) スイカ栽培

2020年08月23日 | 出来事

 “感染拡大が続いた新型コロナウイルスの影響で春先は三ヵ月も遊びに出掛けられませんでしたので、生まれて初めて畑仕事をしました。荒れ地を整備して、五月初めにスイカの苗を植えました。
 インターネットで育て方を調べると「雌花が咲いたら雄花と人工授粉するとよい」「人工授粉後四十五日が収穫どき」とありました。病気にならないよう、小まめな消毒を続けたら、六月中旬にソフトボール大の実がなりました。それでも、まだ実が白いからと少し油断していたら、いつの間にか六個もカラスに次次と穴を開けられてしまいました。腹が立ちましたが、後の祭りです。
 まだ無事な実が四個あったので、急いでネットを張り外敵からスイカを守る対策をしました。しかしネットの隙間から引っ張り出されたものもあり、収穫できたのは一個だけでした。来年はカラスに負けないぞ!”(8月3日付け中日新聞)

 愛知県犬山市の西村さん(男・82)の投稿文です。82歳にして生まれて初めての畑仕事でスイカ作りとは、ボクから見れば冒険ですね。そして10個もなったのですから、素人とは思えません。野菜作りの素質十分です。もっと早く始められると良かったと思います。
 そして、スイカ作りはカラス始め鳥との闘いです。ボクの周りではほとんどの方が、スイカ畑をすっぽり覆い、人が入れるほどのネットの家を作っています。ここまでしないと万全とは言えません。しかし、ボクはこんな手間のかかることはできません。使わなくなったレースカーテンを切り、それでスイカを包みます。いくつかは必ずカラスにつつかれ、腐ります。この悔しさと言ったらありません。少し説明が難しいので省きますが、今年はもっといい方法を見つけました。ところが残念ながら今年は天候不順で肝心のスイカがなりません。思うようにいかないのが野菜作りです。マアー職業ではないので、これも楽しみの内でしょう。西村さんも楽しんでください。


(第3008話) 「生きるんだ」

2020年08月21日 | 出来事

 “終戦直前、私たち家族は中国東北部の旧満州にいて、それこそ裸一貫で日本に引き揚げてきました。玉音放送を聞いたのはその途中でした。私たちは生死の境をくぐり抜けながら収容所を転々としたとき、引率する責任者から「日本人として辱めを受けたときや、どうしようもない悩みにぶつかったときはこれを飲んでください」と一人一人に紙に包んだ青酸カリを渡されました。母は即座に家族全員分の紙を取り上げ、「どんなことがあっても生きるんだよ」と繰り返しました。
 たどり着いた祖国でも食料は不足していて、バッタやカエルはもちろん、犬や猫、ヘビも食べました。母は私たち子どもの成長を考え栄養のありそうなものを次々と与えてくれました。サンマが一匹手に入ったときは家族五人で分け合いました。母が命の大切さを教えてくれたからこそ、今の自分があると思っています。亡き母には感謝の気持ちでいっぱいです。”(8月3日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・小野寺さん(82)の投稿文です。戦中戦後の苦しさである。引き揚げ者は特に大変だったであろう。今日本はコロナ禍で大変な事態であるが、この苦しさはそんなものではない。もしもの時のために青酸カリを渡されたという。こんなことは体験者じゃないと知らない。「バッタやカエルはもちろん、犬や猫、ヘビも食べました」と言われる。それにしても小野寺さんのお母さんは強かった。状況がそうさせたのであろうか。でも誰もがそうではなかったであろう。
 8月2日の中日新聞に「日本が戦後戦争をしなかった理由」のアンケート結果が載っていた。1番は「憲法九条があったから」で47%、2番は「戦争体験者や被爆者が悲惨さを訴えてきたから」で23%、3番は「日米同盟があったから」で14%とあった。この結果にはボクもうなずくところがある。特に2番をいいたい。この理由は大きいと思う。この投稿もそうである。実体験の話は心に響く。新聞社の意向もあろうが「発言」欄には戦争体験者の投稿が多い。しかし、今後ますます体験者は少なくなる。語れる人が減ってくる。2番の理由はまもなくなくなる。これをボクは憂える。今憲法9条を変える話もある。全体的に好戦的な方向に向かっている気がする。理由などどうでもつく。本音のところで何を思っているかである。


(第3007話) 障子張り

2020年08月19日 | 行動

 “今日も雨、テレビは連日、新型コロナの話題であふれている。何か気分が晴れることはないかしら。ふうーっと障子に視線を移すと、小さな障子の穴を桜の花びらやモミジの形をした紙で繕ってあるのが目に映った。障子紙も黄ぱんでいる。そういえば、もう何年も張り替えていない。そうだ、お盆も近いことだから張り替えよう。やる気スイッチが入った。「陽ちゃんの部屋の障子も外してね」。孫に言った。さすが男の子、ヒョイヒョイと持って来た。
 私が障子を指さし、「破る?」と聞いた。小さいころは真っ先に飛んで来て、喜んで破っていた孫も、さすがに十六歳になると照れ笑い。でも、「うん」とうなずいて、最初プスッ、次はグーでバリッ。次第に乗ってきた。そこへ息子がやって来た。「楽しそうだな」と参加した。息子の嫁さんも加わり、ストレス解消と親子三人でバリバリ。みるみる六枚の障子は桟だけになった。
 それからが大変。孫と嫁さんに手伝ってもらい、「押さえて」「引っ張って」「のりを付け過ぎた」と大騒ぎして、何とか張り終えた。いつもなら一人だが、コロナによる自粛で息子夫婦も家にいたから家族でできた。部屋も心もパーッと明るくなった。”(8月2日付け中日新聞)

 三重県伊勢市の理容業・笠江さん(女・75)の投稿文です。「障子張り」か・・・忘れていた懐かしい言葉の気がする。ボクの家も昔は何十本という障子があった。この文のように子供の頃、障子破りをした経験もある。ボクも手伝ったのであろうが、その張り替えは父母の大きな仕事であった。一人で張り替えるのは難しい。紙の両側をそれぞれ持ち、呼吸を合わせゆっくり桟に下ろす。共同作業である。笠江さん家族はこのコロナ禍の中でその体験をされた。いい思い出になったであろう。
 今のボクの家に障子は8本のみである。それももう十何年前に職人さんにやってもらったままである。生活様式は変わる。過ごし方も変わる。今障子のない家も多かろう。大きく変わり始めたのは昭和40年代からであろうか。それ以前を知っている年代は、幾百年と続いてきた日本を曲がりなりにも知っている。ボクらが最後の世代かも知れない。そう思うとボクらの世代は次に伝えねばならない。


(第3006話) オンライン料理

2020年08月17日 | 行動

 “感染拡大が続いた新型コロナウイルスの影響で「オンライン」が脚光を浴びる昨今、わが家では、それぞれ一人暮らしをしている三人の娘と五月からオンライン料理教室をしている。娘たちは外出自粛でどう過ごしているか、食事はきちんと作っているかが気になって私が企画した。事前にレシピを送り、それぞれ材料を準備しておく。私が調理するところを夫に撮影してもらって、娘たちは質問しながら私のやり方を学んでいく。私が作り終えたら、次は娘たちが作る。
 出来上がっていざ食事という段階で、今度はオンラインによる食事会が始まる。料理の出来栄えは画面からよく分かり味や作り方で盛り上がる。わが家にいた際、料理を教える機会もないまま一人暮らしを始めた娘たちだが、手際よく作っていたのには驚いた。このウイルス禍、思いがけず料理を通して家族がつながった。娘からのリクエストに応えながらオンライン料理教室は第二弾、第三弾と続いている。”(7月30日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・鏡味さん(60)の投稿文です。続いてオンラインの話である。母親と娘さん3人でオンライン料理教師室という、こんな知恵もあった。ボクはテレビで、料理教室をオンラインで始めたという番組をいくつも見た。家族版というのは見たことがなかった。このコロナ禍で思いがけない展開ができた。知恵を出せばいくらでもできることはありそうだ。
 ただボクらの年齢になると、できる人は限られるだろう。残念ながらボクの周りでパソコンやタブレットを使っている人は限られる。更に気持ちを同じくする人というとほとんど見当たらない。若い人から声がかかることを待つのみか。考えてみればこのコロナ禍で、ボクはいろいろ奪われても新たに始めたことはほとんどない。自分の意欲が減退していることは、自分でもはっきり分かる。これが恐れていたことである。所詮ボクもこんな程度だったのだと、少しむなしくなる。ここはもう一度奮起し、じっくり見つめ直す必要がある。


(第3005話) オンライン金婚式

2020年08月15日 | 出来事

 “今年は私たち夫婦の金婚式にあたるので、二月にハワイ旅行に出掛けた。六月の結婚記念日には家族総勢十一人で集まってお食事会でもと思っていたのに、感染が拡大した新型コロナウイルスの影響で皆が集うことはできなくなった。そんな折、東京に住む長女の提案でオンラインで祝賀会をやることになった。東京と私たちの名古屋、次女の住む福井と、長女の夫が単身赴任している愛知県知多市とをつないだ。
 わが家の自宅に金婚式にちなんで届いた五十本のバラの大きな花束を、大きな花瓶に生けて良い香りが漂う映像を皆に見てもらった。全員で乾杯した後、高校二年生から小学校一年生までの孫五人が歌ったり、踊ったり、フルートを演奏したり、バスケットボールを自在に操ったり・・・。夫と私がそれぞれこの五十年で一番印象に残ったことを発表して、祝賀会はお開きになった。自宅にいながらでも、こんなことができるなんて想像もしなかった。かえって印象深い金婚式になった気がしている。”(7月28日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・小原さん(75)の投稿文です。会えないならオンラインで、と言うことでオンラインのできる人はオンライン花盛りである。小原さんは東京、名古屋、知多、福井と画面でつながった。この投稿を読んで、オンライン金婚式も楽しいものと知った。いろいろな趣向が成された。面と向かうと照れもあってなかなか素直になれないものだが、画面に向かって話し掛けると意外に簡単なもので、思いがけない展開があったかも知れない。「夫と私がそれぞれこの五十年で一番印象に残ったことを発表して」とあるが、こんなこともできるのだ。
 ボクはまだ新たなオンラインを何もしていない。しようと思えばできるだろうが、ボクにはまだどうしていいのか分からない。そして、娘からも孫からも何の話もない。ボクも今年金婚式である。娘らは知っているだろうか。何か考えてくれるだろうか。二人で食事ということだけで終わるのだろうか。


(第3004話) ギターの先生

2020年08月13日 | 出来事

 “コロナウイルスの影響で、フリーランスの方々の仕事が奪われていると聞きます。私がお世話になっていたギターの先生も例外ではないようです。私は五十四歳になったとき、思い切ってギターを習おうと決心し、音楽教室を訪れました。先生は、私の娘と年の変わらない若い方でした。
 私は遠近両用眼鏡をかけ、思うように動いてくれない指で頑張ってレッスンを続けました。仕事が忙しいときには、全く練習せずにレッスンに臨んだこともありました。先生はそんな時も、粘り強くこの劣等生に教えてくださいました。習い始めて六年目、初めて先生と発表会に出ました。脚がガタガタ震えていたことを覚えています。
 今年定年を迎え、心も体も落ち着き、改めてレッスンに臨もうとしていたらコロナ禍です。教室もお休み。そして先日電話で、先生が教室をやめられると聞きました。本当に残念でなりません。
 音楽はつらい時や悲しい時、人の心に寄り添ってくれます。私も定年まで六年間、音楽に励まされてきました。フリーランスの音楽家の皆さん、皆さんの奏でる音楽は、きっと誰かの力になってくれています。コロナに負けず、頑張って活動を続けてください。応援しています。”(7月26日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の安田さん(女・60)の投稿文です。54歳の時に、自分の娘さんほどの先生について、ギターを学び始められた。そして先生と発表会にも出演された。いろいろ思い出を作られた。今年定年で更に励もうとされたが、このコロナ騒動で教室も閉鎖されてしまった。この意欲に水を差され、全く残念な思いであろう。本当にこのコロナ騒動は、社会に大きな変化をもたらしている。このような事例は数え切れないだろう。一時的中止ならいいが、そのまま終わってしまうことが恐ろしい。このギターの先生はこの後どうされたのであろう。職を奪われたままになったら大変だ。各種の教室の多くは、このようにフリーランスの方が指導者であろう。休止が長引くほど、復活は無理な気がする。
 「3密」回避、つまり換気の悪い「密閉」空間、多数が集まる「密集」場所、間近で会話や発声をする「密接」場面を避けた行動をしなさいという。密閉空間は別にして、密集、密接は社会の求めるところであった。これは絆を深めることでもあった。それをするなと言うのである。この騒動が収まったとき、社会はどうなっているだろうか。ボクは高齢者を特に心配する。老化は早い。元に戻す余力は残っているだろうか。