寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3719話) 夫婦で闘病

2024年08月30日 | 出来事
 “今の世の中、2人に1人はがん患者になると言われています。私ども夫婦もがん患者で闘病中であります。妻は乳がんが骨に転移。私はタチの悪いスキルス胃がん。現在、化学療法を受けています。抗がん剤2種類の点滴治療3時間を終えた後、2週間、飲み薬の抗がん剤を1日2回服用しています。
 特に辛いのは抗がん剤の副作用です。いざ直面して初めて理解できました。副作用には個人差があり、強く出る人と軽くすむ人がいて、症状の出ない人もいます。困ったことに副作用は多岐にわたり、私の場合、足のむくみ、食欲不振、お腹の不快感、痰のからみなどがあります。妻も副作用の出方に違いはあれど、心境は同じです。同病相哀れむというべきか、老老介護の状態に窮しています。とは言っても2人きりの生活。時に喧嘩しながらも、共に助け合って日常を過ごしています。週に1度、息子と娘、それに孫が特製人参ジュースを作り、わが家をのぞいてくれることが、唯一の楽しみであり、元気をもらいます。
 ある日、主治医に「健康寿命は何歳かわかりますか」と聞かれたので「さあ?」と言ったら「約70歳ですよ」と。それ以降は何か起きてもおかしくはないとの話です。息子と娘には、改めて定期健診を勧めています。”(7月30日付け中日新聞)


 愛知県津島市の岩田さん(男・77)の投稿文です。夫婦でがんの闘病、何で私たちが、と思うようなことではないでしょう。2人に1人がなるのだから。そして、わが夫婦もそうなのですから。自身も体験し、またいろいろ見てきました。ということで岩田さんの状況はある程度分かります。抗がん剤の副作用の辛さも分かります。でもわが夫婦と比べるとかなり大変なようです。がんの症状、治療は様々、千差万別です。ある程度の年齢なら、そう悲観するより受け入れるより仕方がありません。周りの意見を聞き、自分で考え、前向きに進む、これしかありません。
 岩田さんは共に理解し助け合える。息子さんや娘さんも気を使ってくれる。健康寿命の平均よりもうかなり超えました。病は気からと言います、真向きに捉えれば、良い方向へ進むこともあります。
 ボクらのことも少し記しておきます。ボクは70歳の時前立腺ガンで全摘出の手術を受けました。手術は問題なく終わったのですが、よくある尿漏れに苦労しました。昨年、人工尿道括約筋埋め込み手術というのを受けました。これで尿漏れなほぼ気にならなくなりました。
 妻はリンパ腫です。最初の頃はできたところを放射線治療で対応していました。そしてもう一昨年になりますが、放射線治療と共に抗がん剤治療を受けました。抗がん剤治療の時は苦しんでいました。そしてそれを乗り越え、今は安定しています。今はほとんどがんのことは考えず生活しています。



(第3718話) 恋愛で幸せ

2024年08月28日 | 意見
 “部活動でも勉強でも頑張った分、たいてい結果が出ます。ところが、恋愛はどんなに頑張っても成就しないことがよくあります。恋愛には「イエス」か「ノー」しかありません。自分がどんなに好きでも、相手が自分のことを嫌いだったら成立しません。相手が自分を受け入れてくれないのなら諦めるしかないのです。しかも、恋愛関係は永遠に続くものでもありません。
 どんなに自分がかわいかったとしても、相手が自分のことを気付いてくれなければ駄目。自分のことを認識してくれたら、どうすれば好かれるかを考えて、相手があまりよく思わないであろう部分は直し、相手をつなぎ留めようとするものです。私も、つらい経験をしました。恋愛は実に難しい。でも私はたくさん失敗しても、幸せを何としてもつかみ取りたいです。”(7月29日付け中日新聞)


 岐阜県関市の高校生・森さん(女・18)の投稿文です。若い人の意見を聞く機会はほとんどないので、今の若い人の恋愛観についてよく知りません。新聞等マスコミで知る位です。女性が社会進出をし、女性の地位は大きく上がった。でも恋愛や婚活と言われる部分を見ているとあまり変わっていない気がする。女性は受け身で選ぶ立場である。又は選ばれるのを待っている。婚活パーティーの参加費などを見ていると、男性は○○円、女性は0円とある。なぜ差があるのだろう。需要と供給の関係だろうか。先日新聞を見ていて、男性は陳列棚のハンドバックか、という嘆きの意見が出ていた。何か昔と変わらず対等とは思えない。
 恋愛は人生の大きな部分である。最大の出来事かもしれない。恋愛から結婚に繋がればこれぞ幸せであろう。森さんはよく考えておられる。これからもいろいろなことが起ころう。よく考えて進んで欲しい。前話のリスペクトを忘れず。



(第3717話) リスペクト

2024年08月26日 | 意見
 “4年前の私の結婚式のあいさつで上司が語った「夫婦にはリスペクトが欠かせない。それがあれば、どんなことも乗り越えられる」を最近になって実感した。リスペクトとは相手への思いやり、敬意という意味。
 わが家は共働きのため、当然のごとく家事を交代でし、一緒に買い物に行った。私は出産前に仕事を休み、昨年5月に娘が生まれると、常に子ども優先のバタバタした生活が始まった。気付けば、夫とゆっくり話をする時間は大幅に減った。
 6月下旬、仕事から帰宅した夫が、おもちゃや洗濯物で散らかった部屋を見て「大変だったんだね」とつぶやいた。夫のために用意した夕食の簡単な野菜炒めも「ありがとう。おいしいよ」と食べてくれた。ともに短い言葉ながら、私へのリスペクトを感じてハッとした。苦労が報われた気がした。「もっと寛容にならなきゃ」と思った。”(7月29日付け中日新聞)


 名古屋市の公務員・大川さん(女・31)の投稿文です。「リスペクト」、最近よく聞くようになったが、意味は知らないままであった。何しろカタカナ言葉が氾濫し、ここが日本かと思うばかりである。ボクは昔からカタカナ言葉の氾濫には抵抗があって、あえて避ける気もあった。「リスペクト」、なぜ思いやり、敬意でいけないのか。思いやり、敬意以上の意味があるのだろうか。
 不満はこの程度にしておいて「リスペクト」思いやりや敬意、これは本当に大切である。だから他人にはよく気を使う。ところが、夫婦だとないがしろにするのである。夫婦だから当たり前、言わなくても分かる、そして「ありがとう」も言わない。昔はこれで通ったかもしれないが、今は通らない。夫婦に従属関係はない、平等である。これは昔も今もない。これを間違えた夫婦は不仲にいたる。夫婦にとっては特に意識しなければならないリスペクトである。



(第3716話) アロハで明るく

2024年08月24日 | 行動
 “青色のアロハシャツを着ていつもの薬局に行った。中年の男性薬剤師に「奇麗なシャツですね」と言われたのがうれしく、照れ隠しから「派手な服装で年寄りくささをカバーしているんだよ」と返した。
 もとは黒や茶、グレーといった地味な色の服を好んだ私だが、70代を機に少しでも老けて見えない服装を考えるようになった。そこで思い付いたのが、所属していたハワイアンバンドの衣装で袖を通したアロハシャツ。ステージではないため青や赤といった派手な配色に気恥ずかしさを覚えたものの、勇気を出して着ている。自分が少しでも若く映り、周囲にいる人の心を明るくできたらいいな。”(7月27日付中日新聞)


 愛知県岩倉市の松波さん(男・85)の投稿文です。老人は明るい衣服を着なさい、最近よく言われることである。昔は逆であった。歳を取るとだんだん地味な服にしていった。それがふさわしいと思われた。派手な服を着ようものなら年甲斐もなく、と非難を受けた。考えるとおかしなものである。どこにこんな理屈があったのであろうか。地味な服を着れば自然気持ちも地味に、後ろ向きになる。明るい衣服はやはり気持ちを高揚させる。
 ボクには娘がハワイに行った時に買ってきてくれたアロハシャツがある。やはり華やかである。長いことタンスにしまわれていた。それを数年前から着だした。先日、古いシャツを捨て、できるだけ華やかなシャツを買ってきた。今はそれを愛用している。本人はやはり明るい気分になる。周りの人はどうだろうか、負けまいと思ってくれるとありがたい。



(第3715話) リーダーになる 

2024年08月22日 | 意見
 “昨春高校に進学した私は主にボランティア活動をする部活動に入りました。コミュニケーション能力をさらに高め、リ-ダーシップを養うという目標を掲げましたが、有言実行できませんでした。後輩ができる前に一度はやっておこうと思い、ボランティア活動のリーダーをやってみました。そこでいろいろな気付きがありました。
 リーダーは、ボランティアの内容をどうするかはもちろん、集合時間や場所を決め、訪問先との調整も1人でやらなけれぱなりません。それができたら、今度は部員にそれらを周知徹底する必要があります。仕事はとても大変だからこそ、活動を終えたときの達成感、充実感はとても大きかったです。
 高校2年生の私たちは間もなく部活でのリーダーとなります。みんなをまとめつつ、自分も一層輝けたらと思っています。”(7月24日付け中日新聞)


 愛知県半田市の高校生・シーブリッジ笑里さん(女・16)の投稿文です。 リーダーになる、その気概を持っていることがまず素晴らしい。そしてこうして投稿する、これでまた気分が高まる。リーダーはやろうと思ってやれることではない。リーダーは格好がいいだけではない。まずはその素養を備わっていなければならない。行動もついてこなければならない。かけ声だけでは誰もついてきてくれない。素養や行動力は一朝一夕でできるものではない。常日頃から養わねばならない。まずは心がけである。 シーブリッジ笑里さんはそれを心がけようとされている。何となく自然についてくることがあるかもしれないが、心がけをも持てはより早いだろう。
 もう気がつかれているようにリーダーは大変である。責任もある。この大変さに、リーダーを逃げる人もある。でも逃げたら人間としての向上は起こらない。高校生である。人生はまだ長い、始まったばかりである。多いに体験し、学んで欲しいものである。



(第3714話) 分け合う心

2024年08月20日 | 教訓
 “主に戦時中と戦後が舞台のNHK連続テレビ小説「虎に翼」を見るたび、子どものときのことを思い出す。小学生だった1950年代半ば、私と2歳下の弟が学校から帰宅すると台所の戸棚を開けた。たいていふかし芋が一つ置いてあり、にぎり飯のときもあった。これらは農業をしていた今は亡き母が用意してくれたもの。農作業を終えた母が家に戻って、準備した夕食を皆で囲む際、私たちに「食ったか?」と尋ね、仲良く分け合って食べたかを確認するのが常だった。
 時は流れた。やがて、ふかし芋やにぎり飯をあえて二つにしなかったところに母の願いと知恵が込められていることを悟った。生きるか死ぬかの戦争をくぐり抜けた母の「分け合う心を大切にしなさい」というメッセージ。私は隣接市に住む弟とは仲が良く、それを天国の母が見ていてくれたらうれしい。”(7月23日付け中日新聞)


 愛知県豊田市の富田さん(男・77)の投稿文です。2人の子供に一つのふかし芋や握り飯を与える母親。そこには願いが込められていた。豊かになっても2つにはならなかった。兄弟仲良く分け合って食べなさい、というものである。その母の愛も素晴らしいが、その教訓、願いを理解した富田さん兄弟も素晴らしいと思う。十分に食べたい子供の気持ちも分かるが、そこは母の愛である。気持ちを殺して、子供ために良かろうと思うことをする。
 豊かになった。子供の要求を満たしてやろうとするればどれだけでもできる。そして、そうしてやることが子供への愛と思っている親も多かろう。今の子供は耐えることを知らないと、よく聞く。いつまでも今のような豊かな時代が続くわけではなかろう。子供にとって何がいいのか、よく考えねばならない。爺婆も孫に甘いだけではいけない。



(第3713話) 体操で交流

2024年08月18日 | 活動
 “地元の高齢者や子どもら20人以上と毎朝、近所の公園でラジオ体操をしています。ある高齢夫妻が持参したラジカセを使って散歩の合間に体操をしていて、私も含めた他の住民がそれに加わっていき、二十数年続いています。私は少し早めにその場に行き、友人と好きなプロ野球チームの試合や地域の話題を語り合うのが常です。春には公園内の桜の老木2本の前で花を楽しみながら朝食の弁当を広げました。
 東京から愛知県日進市に引っ越して40年。同時期の移住者は多く、皆気兼ねなく過ごせるのがここの良さです。この先も仲間との絆を深めつつ、体操を通じて健康寿命を延ばせたらと考えています。”(7月22日付け中日新聞)


 愛知県春日井市の本田さん(男・87)の投稿文です。毎朝近所の公園で、もう20数年ラジオ体操を続けている。毎朝、子供もいるといわれる。本田さんは87歳である、素晴らしい。時折聞く話ではあるし、ボクも関心があるが、自分のところでそれを想定することは難しい。
 ボクのところでは、朝のNHKラジオ体操に合わせて、今年は夏休みの17日間、寺院主催で行った。老人会が協力している。そうだから実質ボクが中心になっている。もう何十年と続いていることであるが、老人会が協力するようになっては8年目である。毎年参加者が増えていて、今年は平均大人20人、子供40人位であった。昨年から、出席回数に応じて鉛筆を配った。最終日、皆出席の子供さんに階段上に上がってもらった。何と14人いた。ビックリである。皆出席したいという子供さんの声に、家族旅行を延期したという声も聞いた。子供さんを相手にしていると、こちらも楽しくなる。ボクの村ではこんな状況であるが、年中大人を集めて、と言うことを考えると難しい。まずはボクがほとんど出席しなければならない、と言うことを考えるだけでも声が出せない。



(第3712話) 着物孫まで 

2024年08月16日 | 出来事
 “60年大切にしている着物がある。私がその昔勤めた商社では女性社員は新年行事に着物で行くのが恒例だったため、呉服会社で働く三兄に頼んで見繕ってもらった反物を、長兄の妻である義姉に縫ってもらったのがこの着物。地はスカイブルーで、裾にカトレアのようなピンクと白の絵が入ったデザインが気に入った。私は生け花の発表会や友人の結婚式で着たが、この着物は娘や嫁2人もそれぞれ晴れの席で袖を通した。
 兵庫県に住む長男が、高校生の自分の娘にこの着物を着せたいと言いだした。所々汚れていて裏地は色あせていたため、呉服店に持ち込んで相談し、仕立て直してもらうことにした。5月に私の手元に戻った着物は色鮮やかになり、見違えるようだった。孫娘がお盆に帰省した折にでも手渡したら、さて、どんな表情を浮かべることか。”(7月20日付け中日新聞)


 愛知県小牧市の主婦・井上さん(79)の投稿文です。着物は高価なものである、それだけに芸術品と言っていいかもしれない。時にはこの様に何世代も受け継がれていく。まさに日本の文化である。使い捨ての世の中である。それだけにこうした文化をもっと大切にしたい。
 井上さんにはこのように受け継いでいく着物があった。息子さんから娘に着せたいという話しが来た。息子さんもそれだけこの着物に関心があったのだ。無関心ではなかったのだ。嬉しいことである。仕立て直しをして、手元に戻ってきた。お孫さんに渡されたら、この着物はまた生きてくる。またその先に受け継がれていく可能性も生じた。
 わが家はどうなっているか、妻に聞いてみた。娘らは貸衣装で済ませ、今タンスに眠っているという。処分しようかと考えている、と言っている。残念ながらわが家は井上さんのようにはならなかった。



(第3711話) シミ取り

2024年08月13日 | 出来事
 “私が中学2年生だったある日、母と近くの市場に買い物に出かけた。それをクラスメートが見ていたようだ。次の日、同じクラスの女子に「室谷くん、昨日お姉さんと歩いていたでしょ」と言われた。私は絶句した。が、色白で顔にシミ一つない母が若く見えるから、姉弟に見られるのだと自分を納得させた。
 高校2年生の時は、バイト先で大学生だと思われていた。「落ち着いて見えるのかな」と思って、さほど気にしなかった。しかし、である。17年ほど前、母72歳、私50歳の時のこと。入院中の母の見舞いに行ったら「ご主人ですか?」とヘルパーさんに言われた。しかも2回も。これは堪えた。私の顔は、そんなにも老けて見えるのか。
 とどめは55歳の時、当時4歳の孫娘の一言であった。膝の上に乗せていたら、私の顔をじっと見てこう言った。「ねえ、大人になると顔が汚くなるの?」。確かに私の顔はシミが目立つ。「もう何も買ってやらないぞ」と思いつつ、子どもは正直だから仕方がないかと諦めた。私は完全に打ちのめされた。
 先日、長女が小さなペットボトルを買ってきた。「シミ取り」だと言う。しめた、と顔に塗ろうとしたら、妻が「あっ」と声を上げ、制止した。よく見ると「シミ取り洗剤」と書いてあった。やれやれ。”(7月15日付け中日新聞)


 名古屋市の主夫・室谷さん(男・67)の投稿文です。全く愉快な話であるし、後半部は付け足したような面白さである。でも人の本音をついているので取り上げた。実年齢によって、歳より上に見られて嬉しいときもあるし、若く見られて嬉しい時も気もある。人は早く老い、大方は若く見られて嬉しいものであり、逆の場合はショックを受けるのである。母親と兄弟に見られたり、また伴侶と間違われたり、室谷さんは大変だった。お母さんがよほど若く見られたからであろう。母親が若くみられるのも嬉しいことである。でも室谷さんはその弊害を味わったことになる。
 でも室谷さんもこれからである。この母親の子である、若く見られる努力をしなければなるまい。気持ちに張りを持つ、姿勢をキチンとする、若々しい服を着る。実は今、ボクはこれらに気をつけている。立っている姿勢がいいことはよく誉められる。若く見えるのはそのせいかな、と言われることもある。先日、少し派手めなシャツを数枚買ってきた。黒ぽいシャツは捨てた。気持ちの張りは、いろいろ興味を示し挑戦することである。頑張りたい。



(第3710話) 里山整備

2024年08月11日 | 活動
 “地元の工業団地周辺で里山が整備されることになり、4年前、それに関わるボランティア団体が結成されて、私もメンバーとなった。以降、50~80代の仲間20人と月に1度活動している。教師や市議、銀行員などと仲間の経歴は多種多様。話をするだけで視野がぐんと広がった気がする。まずは皆で協力して山の木を切り出して、標高353びメートルの山頂までの登山道をつくった。展望台を建設するための資材運びも手伝った。それから山道沿いにベンチや案内看板を設けた。里山での景観を楽しめるよう、視界を遮らないための伐採を続けている。桜やツツジの植栽もしている。
 私は5月からボランティア団体の副会長。里山整備を通じた地域活性化に貢献すべく頑張る所存だ。”(7月13日付け中日新聞)


 岐阜県土岐市の伊藤さん(男・72)の投稿文です。里山を整備する団体が結成され、それに参加された伊藤さんの投稿である。地域住民がこうした団体を結成することは、本当に素晴らしいことである。誰もが何かで地域に貢献する。この積み重ねが地域の力、魅力になる。これは人のためにもなるが、大きくは自分の為である。豊かな地域で過ごせることは幸せである。
ボクも働いていた頃、県立公園の整備団体に加わったことがある。また環境整備のNPO法人に加入していたこともある。今はそれらは止め、その代わりが老人会や歩く会である。こうしたことに関われて本当によかったと思っている。