寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3724話) 会話できるレジ

2024年09月10日 | 意見
 “近くのスーパーでは数台あるレジのうち有人は1台しかなく、買い物客が列をなすため、私はすぐに精算できるセルフレジを好む。しかしセルフだと電子音が響くだけで、寂しくなって有人レジに並びたくなる。レジの店員から「支払いはクレジットカードですか? 現金ですか?」「マイバッグ、ありますか?」と矢継ぎ早に尋ねられると一瞬ドギマギするが、そんなやりとりに妙に温かみを覚えてホッとする。思い返せば子どものとき、なじみの青果店や鮮魚店に行けば店員の「新鮮なものが入ったよ。まけとくよ」とにぎやかな声が行き交っていた。
 セルフレジが世の中に増えるのも、昨今の人手不足や経費節減ゆえだろうが、レジ全てを無人とするのはやめてもらいたい。”(8月10日付け中日新聞)


 愛知県半田市の竹内さん(女・62)の投稿文です。高齢者には辛い時代になった。世の中は常に変わっており、これはいつの時代でも同じかもしれない。でも昨今の変化は大きすぎる。ついちょっと前の時代を懐かしむ気持ちも起きる。この投稿もその一つであろう。どこへ行っても何の話もしなくても過ぎてしまう時代である。何か機械に動かされている感じである。人との触れ合いがない。これが合理的、人手不足などいろいろあろう。でもこれが本当に良い社会なのだろう。
 人間が触れあってこそ、人間社会である。その触れ合いがなくなる。絆もなくなる。便利に生きていくだけが人間社会だろうか。人間は一人では生きていけない。今までの触れ合い、絆に変わるものは何だろうか。それが見つかればいいが・・・。



(第3718話) 恋愛で幸せ

2024年08月28日 | 意見
 “部活動でも勉強でも頑張った分、たいてい結果が出ます。ところが、恋愛はどんなに頑張っても成就しないことがよくあります。恋愛には「イエス」か「ノー」しかありません。自分がどんなに好きでも、相手が自分のことを嫌いだったら成立しません。相手が自分を受け入れてくれないのなら諦めるしかないのです。しかも、恋愛関係は永遠に続くものでもありません。
 どんなに自分がかわいかったとしても、相手が自分のことを気付いてくれなければ駄目。自分のことを認識してくれたら、どうすれば好かれるかを考えて、相手があまりよく思わないであろう部分は直し、相手をつなぎ留めようとするものです。私も、つらい経験をしました。恋愛は実に難しい。でも私はたくさん失敗しても、幸せを何としてもつかみ取りたいです。”(7月29日付け中日新聞)


 岐阜県関市の高校生・森さん(女・18)の投稿文です。若い人の意見を聞く機会はほとんどないので、今の若い人の恋愛観についてよく知りません。新聞等マスコミで知る位です。女性が社会進出をし、女性の地位は大きく上がった。でも恋愛や婚活と言われる部分を見ているとあまり変わっていない気がする。女性は受け身で選ぶ立場である。又は選ばれるのを待っている。婚活パーティーの参加費などを見ていると、男性は○○円、女性は0円とある。なぜ差があるのだろう。需要と供給の関係だろうか。先日新聞を見ていて、男性は陳列棚のハンドバックか、という嘆きの意見が出ていた。何か昔と変わらず対等とは思えない。
 恋愛は人生の大きな部分である。最大の出来事かもしれない。恋愛から結婚に繋がればこれぞ幸せであろう。森さんはよく考えておられる。これからもいろいろなことが起ころう。よく考えて進んで欲しい。前話のリスペクトを忘れず。



(第3717話) リスペクト

2024年08月26日 | 意見
 “4年前の私の結婚式のあいさつで上司が語った「夫婦にはリスペクトが欠かせない。それがあれば、どんなことも乗り越えられる」を最近になって実感した。リスペクトとは相手への思いやり、敬意という意味。
 わが家は共働きのため、当然のごとく家事を交代でし、一緒に買い物に行った。私は出産前に仕事を休み、昨年5月に娘が生まれると、常に子ども優先のバタバタした生活が始まった。気付けば、夫とゆっくり話をする時間は大幅に減った。
 6月下旬、仕事から帰宅した夫が、おもちゃや洗濯物で散らかった部屋を見て「大変だったんだね」とつぶやいた。夫のために用意した夕食の簡単な野菜炒めも「ありがとう。おいしいよ」と食べてくれた。ともに短い言葉ながら、私へのリスペクトを感じてハッとした。苦労が報われた気がした。「もっと寛容にならなきゃ」と思った。”(7月29日付け中日新聞)


 名古屋市の公務員・大川さん(女・31)の投稿文です。「リスペクト」、最近よく聞くようになったが、意味は知らないままであった。何しろカタカナ言葉が氾濫し、ここが日本かと思うばかりである。ボクは昔からカタカナ言葉の氾濫には抵抗があって、あえて避ける気もあった。「リスペクト」、なぜ思いやり、敬意でいけないのか。思いやり、敬意以上の意味があるのだろうか。
 不満はこの程度にしておいて「リスペクト」思いやりや敬意、これは本当に大切である。だから他人にはよく気を使う。ところが、夫婦だとないがしろにするのである。夫婦だから当たり前、言わなくても分かる、そして「ありがとう」も言わない。昔はこれで通ったかもしれないが、今は通らない。夫婦に従属関係はない、平等である。これは昔も今もない。これを間違えた夫婦は不仲にいたる。夫婦にとっては特に意識しなければならないリスペクトである。



(第3715話) リーダーになる 

2024年08月22日 | 意見
 “昨春高校に進学した私は主にボランティア活動をする部活動に入りました。コミュニケーション能力をさらに高め、リ-ダーシップを養うという目標を掲げましたが、有言実行できませんでした。後輩ができる前に一度はやっておこうと思い、ボランティア活動のリーダーをやってみました。そこでいろいろな気付きがありました。
 リーダーは、ボランティアの内容をどうするかはもちろん、集合時間や場所を決め、訪問先との調整も1人でやらなけれぱなりません。それができたら、今度は部員にそれらを周知徹底する必要があります。仕事はとても大変だからこそ、活動を終えたときの達成感、充実感はとても大きかったです。
 高校2年生の私たちは間もなく部活でのリーダーとなります。みんなをまとめつつ、自分も一層輝けたらと思っています。”(7月24日付け中日新聞)


 愛知県半田市の高校生・シーブリッジ笑里さん(女・16)の投稿文です。 リーダーになる、その気概を持っていることがまず素晴らしい。そしてこうして投稿する、これでまた気分が高まる。リーダーはやろうと思ってやれることではない。リーダーは格好がいいだけではない。まずはその素養を備わっていなければならない。行動もついてこなければならない。かけ声だけでは誰もついてきてくれない。素養や行動力は一朝一夕でできるものではない。常日頃から養わねばならない。まずは心がけである。 シーブリッジ笑里さんはそれを心がけようとされている。何となく自然についてくることがあるかもしれないが、心がけをも持てはより早いだろう。
 もう気がつかれているようにリーダーは大変である。責任もある。この大変さに、リーダーを逃げる人もある。でも逃げたら人間としての向上は起こらない。高校生である。人生はまだ長い、始まったばかりである。多いに体験し、学んで欲しいものである。



(第3701話) にっくきスマホ

2024年07月22日 | 意見
 “またスマホ批判か、と思われるかもしれないが、たとえごまめの歯ぎしりと一蹴されても、スマホの危うさを訴え続けたい。スマホという魔法の小箱はまことに便利きわまりない。通信手段としてはもちろんのこと、写真や動画をはじめ楽しさの要素がぎっしりと詰め込まれていて、辞書機能もあるから重宝この上ない。それだけに、スマホの魔力にはまり込むと、危険な事態となる。
 まずは記憶力が退化する。脳の記憶力は反すうすることで強化され、活性化する。少し前までは大事な電話番号は己の記憶の中にあった。今は全部スマホに記憶を代行させている。覚える必要がなくなるので脳は使われなくなる。使われなくなると脳のその箇所は錆びてくる。
 スマホは娯楽の殿堂だ。ラインや電子メールでのおしゃべりは楽しくて切りがなく、なかなかやめられない。ゲームをやり始めたら歩行中でも夢中になる。動画も見放題。ということは「思考」する時間がなくなることを意味する。生成AIが登場し、スマホもさらに進化するだろう。が、人の「思考」こそが人を人たらしめるものだ。「思考」までもスマホに委ねたら人類は終わる。”(6月23日付け中日新聞)


 エッセイストの飛鳥圭介さんの「おじさん図鑑」からです。飛鳥圭介さんは同年代だろうか、同調することが多く、取り上げ始めたらキリが無い。意見であることが多いので、控えながらも時折取り上げたくなる。今回もそうである。スマホについてその便利さは数え上げたらこれまたキリが無い。ボクも使っているがその使い方は、スマホの能力のほんの一部である。ボクは動画は見ないし、ゲームもしない。こんな使い方は少数派であろうが、それでも凄く便利、凄い。便利さに頼るということは、それだけ自分の能力を落とす一面がある。浮いた時間をそれ以上の能力を蓄える時間にすれば、それで良いが、これはまた難しい。凡人にはスマホを使うの能力はあっても、それ以上の能力はない。更に進んだAIはどうだろう、人類を滅ぼすと言う人もある。飛鳥さんはそれに近い危惧を抱かれる。思考まで委ねたら、人間は器具に振り回される道具である。地球環境といい、世界情勢といい、人類は破滅に向かっている・・・杞憂であろうか。どうも言いたいことがうまくまとまっていない文である。


(第3697話) 全ての人に

2024年07月14日 | 意見
“夕食を食べながら思った。この食事ができるまでに一体どれぐらいの人が関わっているのだろうか、と。
 その日の献立はギョーザ、みそ汁、ご飯。どれも同じスーパーで買った食材だが、ご飯は米農家と流通業者、みそは大豆生産者と加工業者をそれぞれ経ている。焼くだけの状態のギョーザに至っては、あんはキャベツや豚肉、、皮は小麦からそれぞれ作られていて、店頭に並ぶまでに関与した人の数は計り知れない。調理にはガスや電気、水道を使った。盛り付けた食器の製作者もいる。実にたくさんの人の力があって、いただくことができる夕食。感謝を忘れてはいけないと痛感した。”(6月18日付け中日新聞)


 岐阜市のパート・加納さん(女・56)の投稿文です。夕食しながらフト思われたのであろう、この食材にどのくらいに人の手が加わったか?購入したものながら、それこそ数え切れないだろう。農産物であれば生産者から問屋業者、運送業者、加工業者、販売者等。生産者は種を買うし肥料も買う。農機具も必要である。消毒薬やビニールハウスなどの材料も必要である。たどればたどる程キリが無い。本当に自分一人では何もできないのである。数え切れないほどの人が何かを負担しながら、食べ物であれば人の口に入る。本当に感謝、感謝である。
 ところがボクのやっている家庭菜園となるとどうなるだろう。どこまでたどるかは、少し限定して、種は自己採取である。備中で耕し、肥料はほとんど鶏糞と石灰のみである。できれば採取して妻が料理して口に入る。この違いに驚く。やはり家庭菜園を全国民に義務付けるべきである。日本の抱えるいろいろな課題が解決されるだろう。これは冗談交じりの昔からのボクの主張である。



(第3648話) リュック登校

2024年03月25日 | 意見

 “ぼくは、ランドセルよりもリュックの方がいいと思っている。いつも背負うランドセルは重い。たしかにランドセルは頑丈だけど、値段はすごく高いという。それにくらべてリュックはものすごく軽い上、たくさんのものを入れることができ、値段もかなり安めだ。
 ランドセルにはもちろん安全面や耐久性でリュックに勝るところはある。でも成長期のぽくたちがタブレットや教科書などが入った重たいものを背負うことで体を悪くしたら元も子もない。学校に行くときは絶対ランドセルでとは決めないで、時にリュックで登校することもできるようにしてほしいな。”(2月28日付け中日新聞)

 名古屋市の小学生・三浦さん(男・11)の投稿文です。ボクは登下校の児童見守りに時折出かけている。小さな児童が、あんな大きなランドセルを背負って大変だろう、とまず思う。いつか持ち物が重くて歩けない、と言っていた児童がいた。ボクが皆で持ってあげて、と言ったらすぐに皆で分担していた。そして手を繋いで登校していった。皆優しいな、と思った。
 今のランドセルの規制がどうなっているか知らないが、昔は華美になりがちなものに、そうならないように規制があった気がする。つい競争意識が働いて、ドンドン華美になって、そうできない人のための規制なら理解できる。三浦さんは、もっと安いリュックを許せ、と言っている。個性を重んじよ、と言っていながら逆のことが多い。
 話は飛ぶが、夫婦別姓も同じである。世界の多くは別姓を認めているようだ。何も全員が別姓にせよ、と言っているわけではない。そうしたい人にはそれだけの理由があるのである。何もいつまでもこんな規制を強いる必要性がどこにあるのだろうか。時代はドンドン変わっている。


(第3645話) 食事中のテレビ

2024年03月19日 | 意見

 “私の家のルールは、食事中にテレビなどを見ないことです。私の家では何年も前からこのルールがありました。あまり気にしていなかったのですが、友達に朝のニュース番組を見ていると聞いてとてもうらやましくなりました。家に帰って母に見てよいか聞いてみましたが、よいとは言ってもらえなかったのでとても不満でしたし、理由が分かりませんでした。
 母が出かけて夕食を母以外の家族で食べることになったときに私はテレビを見ました。そのときの夕食はとても楽しかったですが、あまりご飯の味がしなくておいしいと感じられませんでした。そのときに食事中にテレビを見てはいけない理由が分かりました。苦労してご飯を作ってくれた人への感謝を忘れずに食べるためだと思います。私はこのときからテレビを見て食事をしたいと思わなくなりました。食事に感謝しながら失礼のないように大切に食べたいです。 ”(2月24日付け中日新聞)

 名古屋の椙山女学園の中学1年生・池田さん(女)の投稿文です。これは毎日のことであり、重要なことである。ボクの家の食事室にテレビはない。だからテレビを見て食事をすることは、昔からほとんどない。特に見たいことがる時は、食事をテレビのある居間に持っていかねばならない。時折はあるが、滅多にないことである。
 体験されたように、テレビを見ながら食事をしていては、何を食べているか全く分からないだろう。もったいないことである。そして作ってくれた人に失礼である。またそれ程にして見る番組があるのだろうか。最近のボクなど全くテレビ離れである。昔「一億総白痴化」と、言う言葉があった。ボクにしてみれば、この頃の番組は、そのころよりはるかに劣化していると思っている。


(第3639話) 受験結果

2024年03月07日 | 意見

 “受験をストレスに感じて不眠や不登校、抑うつ状態となり、精神的にかなり追い詰められている子どもたちに、精神科医として日々触れています。挑戦するという意昧での受験への頑張りは確かに大事だと思いますが、体や心を壊してまでやるものではないような気もします。
 わが身を思い返しても、受験の本番が迫れば、どうしても目の前のことしか見えなくなりがちでした。でも長い目で見れば受験の結果より受験後の未来をいかに有意義に生きるかの方が大切ではないでしょうか。受験生の皆さん、たかが受験です。肩の力を抜いて取り組んでください。くれぐれも頑張りすぎは禁物です。
 私は中学校受験と、2度の大学受験を経験しました。いずれも第1志望校合格は果たせませんでしたが、中学校では妻と、大学では生涯の友と出会えました。”(2月12日付け中日新聞)

 津市の精神科医・山村さん(男・43)の投稿文です。高校、大学の受験生にとって、入学試験は必死です。そこで第一希望に落ちれば人生、終わったような気分になる人もあるでしょう。でもそれは全くと言っていいほど間違いです。試験は、その学校に入るための試験です。そしてその試験内容が、人生にどれほど役立つか分からないものです。山村さんも言ってみえるように、受験生は目の前のものしか見えなくなっているのです。それだけ必死になっているのですから分からないこともないですが、その後は長いです。もし失敗すれば、その失敗をどのように今後に生かすか、その方が重要です。ボクも大学入試では第一希望に落ちました。でもボクは落ちて返ってよかったと思っています。あのまま順調に進んだら、天狗になっていたかもしれません。人間は入試、大学で決まるものではありません。
 ボクの孫も今年大学入試でした。第一希望の推薦は無理でした。でも昨日発表のあった大学は合格でした。今の入試制度がよく分かりませんが、聞いている限り孫には第二希望だったようです。でもこれで良かった、その上ボクと同じ大学なのです。孫の合格がこんなにホッとするもの、嬉しいものだとは、思っていませんでした。


(第3638話) 譲るために

2024年03月04日 | 意見

 “昨年12月8日付本欄「乗車中のスマホやめた」を読みました。バスと電車を使っての通学は大変ですよね。座らせてあげたいと思う人がいたのに、自分が座っていなかったから席を譲れなかったことを気にするあなたの優しさが身に染みました。私はとてもうれしくなりました。この先、一人でも多くの人が座れるように、バスや電車で座らないでおこうというすてきな決意を示されたことも立派です。
 若い投稿者は、少し肩の力を緩めてみたらどうでしょう。「私が座る席は思いやりの席」と考えてみては。優しい心を持つあなたなら、そこに座っていさえすればいつでも必要と感じた人に譲ることができるのです。日々席を譲ろうとするあなたが車内にいて、それに気づく人がいて、それを目にした他の人も譲ろうと思ったら・・・。登下校はきっとあなたにとってもっと楽しい時間になるような気がします。”(2月7日付け中日新聞)

 三重県川越町の太田さん(男・70)の投稿文です。ボクも太田さんの意見に賛成です。と言うより、この考え方はもう何回もこの「話・話」 で書いたと思います。若い人も席が空いていれば座ればいいのです。優先席でも座ればいいのです。ただ座ったら、席を譲った方がいい人がいないか、気にすればいいのです。「私が座る席は思いやりの席」、こういう言い方があるのか、と感心しました。まさにこれです。座っていなければ譲ることもできません。誰かが譲ってあげる人はいないのかな、気にすることもないです。自分が譲れるからです。
 いろいろなところで無関心な人が増えています。まわりの人に関心を待つ、これは電車の中ばかりでなく、どんな場所でも必要なことでしょう。