寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3675話) 文通66年

2024年05月30日 | 人生

 “66年来のペンフレンドがいる。小学校4年生のとき、児童向け学習雑誌の絵画コーナーに応募したら私の作品が入選し、その上位だった特選に輝いたのが山口県・下関駅が描かれた水彩画だった。その素晴らしさに感動して私と同学年の作者に手紙を書いたのが文通の始まりだった。以降、私は平均して月に2度ほど手紙を送っている。
 互いの学校や家族の近況報告を書き合ってすぐに意気投合した。中学校、高校、大学へと進み、やがて関東に移った彼女は画家となった。私は英語教師として学習塾や高校で教えてきた。ともに結婚と出産を経験し、仕事も含めて文通の話題は尽きない。絵本を出し、挿絵も描いている彼女のは、たいてい絵手紙風だった。
 これまで直接顔を合わせたのは3回だけだが、手紙のやりとりだけで十分に意思疎通でき、互いを十分感じられている。”(5月6日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の主婦・重野さん(76)の投稿文です。人生長くやっていると、何十年と継続していることもできてくる。ボクも日記やこの「話・話」 、そして川柳やウォークなど2,3はある。でも66年は凄い。小学4年から76歳までである。文通である。平均月に2回とある。会ったのは3度と言われる。よほど気が合ったのであろう。生きがいであった。それでなければできない。元は絵の入選である。一人は画家にまでなられるのであるから、才能があった。そして重野さんも教師となられる。釣り合いがとれていたと思う。
 そしてこのきっかけは、重野さんが手紙を書かれたことである。これがなかったら、ありえなかった。何が幸いするか分からない。まずは行動を起こすことである。そしてこの二人は何年続くのだろう。平均年齢的に言えば、まだ15年は行けるだろう。


(第3674話) 礼儀は大切

2024年05月28日 | 出来事

 “ほぼ毎朝、30~40分ほど散歩しています。3歳ぐらいの男児を連れた父親らしき男性と擦れ違って「こんにちは」とあいさつを交わしました。男性は立ち止まって、下の方を向く男児に「お顔を見て言うんだよ」と諭しました。すると男児は私の顔を見てもう一度「こんにちは」と言ってくれました。私はうれしくなって、「えらいわね」と笑顔で褒めました。男児はにこにこして、手を振りながら別れました。
 2人とは初対面で、礼儀の大切さを再認識できました。その際に感じた心の温かみが消えません。再会できたら「大事なことを教えてくれてありがとう」と伝えたいです。”(5月4日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・土屋さん(83)の投稿文です。挨拶の仕方の話である。顔を見て挨拶しなさい、3歳位の子ども父親が諭す。よそを見て話すのではなく、顔を見て話す、礼儀である。この父親は素晴らしい、そしてその子どもはきっと素晴らしい人になるであろう。大きくなっても忘れなければである。
 ところが、挨拶というものは顔を見てするどころか、小さいときにはしていても大きくなるとしないのが、多い気がする。これは何だろう。昔は知らない人でも村中であったら挨拶をしなさい、と教えられ、又子供らにも教えたが・・・。孫は小さいとき、よく挨拶をすると誉められたことがあるが、今はどうだろうか。やっていれば立派なものである。一度聞いてみる必要がある。


(第3673話) 救急車呼ぶか

2024年05月26日 | 出来事

 “2月下旬、救急車を呼ぶべきかどうかで迷った。起床直後に足元がふらついて後ろに倒れて、机の縁辺左顎を強く打ちつけた。顔は大きく腫れあがったが、けがの大小がいまひとつよく分からなかった。休日だったこともあって、結局タクシーを呼んで自力で病院に向かうことにした。着くと、驚くぐらいたくさんの患者が救急外来にいて診察を待っていた。私の診断は打撲と内出血で、骨に異常はなかった。
 救急車を呼ぶか自粛するかを素人が判断するのは難しい。病院で診断を受けない限り、重傷か軽傷かの区別ができないからだ。一方で、一刻も早く診てもらいたいという心理もとてもよく分かる。実際に緊急の処置が必要だったケースなら、なおさら。実に悩ましい。”(4月27日付け中日新聞)

 名古屋市の市川さん(男・81)の投稿文です。救急車を呼ぶかについてはいろいろな意見が出されている。あまりに呼ぶ人が多く、大変なのであろう。そこで市川さんのような誠実な人には迷いが生じる。救急車で行くとすぐ診察して貰えるが、自分で行くと順番待ちでなかなか診察して貰えない、という話も聞く。救急車を有料化する話しもある。こんな話を聞くとよけいに迷う。誠実な人が不利になる対策だけは止めにして欲しい。一時を争うのか、余裕はあるのか、素人にはなかなか判断できない。ボクは救急車を呼んだ経験がない。
 日本は少子化、高齢化社会、人口減少社会である。日本社会はますます人不足なっていく。今まではそれなりに人口があったのに、長時間労働であった。この長時間労働にも問題が当てられ、いろいろ規制が加わっている。この先どうなるのかは、ボクに分かる問題ではない。すべてにおいて厳しくなる、その覚悟が必要な気がする。


(第3672話) 逆境負けない

2024年05月24日 | 知識

 “趣味の史跡巡りで愛知県常滑市の小学校を訪れた昨年春、下村とう(1843~1927年)という女性の像を見つけました。江戸末期に現在の同市に生まれ、若くして夫を失い、貧困にあえぎつつも働いて義祖父や義母の面倒を見て自らの財を国に寄付しました。「国の誇りで婦人の手本」として褒賞を受けたそうです。勤勉さや親孝行の象徴としてわが母校にあった像の二宮金次郎と重なりました。
 近代の、おそらく逆境にも負けなかった女性が像になっていることに私は興味を持ちました。同県岡崎市の小学校でも献身的な親孝行で藩主から褒美をもらった「とら」という名の女性が孝婦とされていました。今の私たちにとって彼女たちから学ぶ点は多く、見習いたいです。”(4月25日付け中日新聞)

 愛知県東海市の堀口さん(男・60)の投稿文です。逆行に負けなかった女性「下村とう」、また「とら」と言う女性の話です。こういう話が各地に残っているのだな、という感想です。そして、ボクはすぐに2人の女性を思い出しました。また一宮友歩会の話で恐縮ですが、訪れた地で孝女の話があったのです。まず第64回例会から紹介します。「八屋村に貧しくて3度の食事もままならない善立という修験道がいたが、2人の娘曽与(そよ)と久米(くめ)が孝養を尽くし、19歳と16歳で亡くなる。この善行を伝えるために、村人が塚を天明3年(1783)に建立した」。そして第68回例会です。「享保13(1728)年、鳥ヶ地で生まれた曽與(そよ)は、幼いときに母親と別れ父親に苦労して育てられたため、父親の有り難さを思い一生懸命働いた。酒を飲み生活の寂しさを忘れようとした父親を、曽與は哀れに思い孝養を尽くした」。
 やはり孝養は尊いのです。昔の話がいつまでも伝わっている。そして、こうして隠れた史跡を歩いて回る。一宮友歩会の存在を改めて知りました。


(第3671話) パソコン教室

2024年05月22日 | 行動

 “町内会の会計役員となりました。任期は1年。会計処理や報告書作成にパソコンソフトが必須となりますが、10年ほど前にスマートフォンを手にしてからパソコンすら使わない生活を送ってきただけに、無事この役を果たせるかどうかの不安もあり、地元のパソコン教室に週I~2日通うようになりました。
 教室には、私と似た理由で教えを請う同年代の人が少なくありません。まず動画を見て分からないところは先生に聞くのですが、先生は「人間は忘れる動物ですから・・・」と優しく接してくれます。うまくいったら褒めてくれ、おかげで理解も随分深まりました。少しでも学んだことが定着するよう、帰宅後に復習しています。会計役員の仕事以外でも活用したいな。”(4月23日付け中日新聞)

 岐阜県多治見市の安藤さん(男・75)の投稿文です。75歳で町内会役員か、大変だと思う。今や書類はパソコンが必須である。70代後半の人には、知らない人も多かろう。知っていても、もう長年使っていなかったり、うろ覚えの人もあろう。安藤さんはこのためにパソコン教室に入られた。行ってみたら同じ理由の人が少なくなかった、と言われる。高齢化したものである。ボクは安藤さんには良かったと思う。こうしてパソコン教室に入られ、次に使うことも模索されている。良い刺激になったと思う。
 この文からいろいろなことを思い出す。ボクが町会長をしたのは67歳の時である。当時規約では町会長の年齢制限を69歳としていた。ボクはこの規約では近々人選に困ることになるだろうと思って、75歳にした。今やほとんど毎年70代の人である。
 そしてボクは、この歳でパソコンが使えるのは大きな強みである。どれだけ得をしてきたのか、数え切れない。


(第3670話) ハスパーク

2024年05月18日 | その他

 “愛西市で再整備工事が進められている道の駅立田ふれあいの里の新しい名称が「道の駅 ふれあいの里HASU(ハス)パーク」に決まった。来年4月1日から名称変更する。市役所で19日、命名者となった佐屋中学校3年、中村明菜さんを招いて表彰式があった。
 道の駅は、敷地面積を現在のほぽ4倍に拡張する工事を進めており、2026年4月の全面開業を目指す。新たな名称を市内の六つの中学校の2年生各クラスからI点ずつ募集。応募があった16点から、市民らの電子投票で最も得票数が多かった中村さんの作品が採用された。
 日永貴章市長から表形状を受け取った中村さんは「みんなが楽しめる場所になれぱと名称を考えた。採用されてびっくりしたが、訪れる人に親しまれていくといいと思う」と喜んだ。”(4月14日付け中日新聞)

 続いて新聞記事からです。この立田ふれあいの里は、一宮友歩会の6月例会で訪ねます。先日下見に行ったとき、大々的に工事が進められていました。ボクは友歩会の例会には、いつも見所の説明文を書いた資料を渡しています。最初は渡す地図の余白に書いていましたが、これではあまりにスペースが少なく、数回目からA4版1枚にしました。この資料作りも、楽しいやらなかなか難儀であったりします。資料やらインターネットを使ったりしてしていますが、長かったり短かったり、以外に適当なものが見つからないのです。それなりの工夫がいります。そしてそれをもう100回してきました。そして今回は新聞記事を使います。それがこの記事です。そしてもう1つ使います。それは5月5日の多度大社の上げ馬神事の記事です。多分、新聞記事はほとんど使ったことがないのに、2つは偶然です。いろいろやっていればいろいろなところに目を光らせていなければなりません。それがまた面白いのです。


(第3669話) 三つ又池公園

2024年05月16日 | その他

 “弥富市の三ッ又池公園で、計5万株のシバザクラとネモフィラが見ごろになり、園をピンクと青色に染めている。今月下旬まで明るく彩られた公園の風景を楽しめそう。
 市や地元のボランティアが苗を育ててきた。市によると、今年はシバザクラ4万5千株とネモフィラ6千株の苗をところどころに植えている。3月20日ごろからネモフィラが開花し始め、シバラザクも続いて咲いた。
 晴天となった13日は、朝からカメラを持った人たちが集まり、ネモフィラの描く青と白のグラデーションを前にシャッターを切っていった。三重県鈴鹿市の無職女性(47)は「きれいな花の色に心が癒やされた」と話していた。”(4月14日付け中日新聞)

 記事からです。三ッ又池公園、一宮友歩会の例会で行って知った。名の通り大きな池がある公園である。シバサクラとネモフィラが見所という。最近この2つの花をよく見かける。大きな公園などで一面に咲くと見甲斐があるのである。
 ボクがこの記事を取り上げたのは、新聞のこの面に他にもう2つの公園が取り上げられていたからである。1つは、犬山市の青塚古墳と、もう1つは東浦町の於大公園である。共に、一宮友歩会の例会で始めていったところである。この偶然が面白かった。一宮友歩会は、近場でもこれだけの効果を発揮しているのだ、改めて思った。近場というのは以外に知らないことが多い。地域を知るということは重要なことである。例会100回を超えた一宮友歩会は役立っているのだ。もちろんボク自身にとってもである。


(第3668話) 絵手紙に笑顔

2024年05月14日 | 行動

 “3月15日付本欄「孫を励みに 1000の絵手紙」を読み、今は亡き両親とのことを思い出しました。私は父母が古里・新潟から送ってくれる米や野菜へのお礼として「ありがとうね」と電話をするのが常でしたが、難聴になった父には感謝の念を伝えることが難しくなり、いい方法はないかと考えた結果、絵手紙を描き始めました。姉さんかぶりをして一生懸命草取りをする女性を描いて送ったら、母は「自分みたいだ」と喜んでくれました。それから私は四季の草花や果物、送ってもらった野菜などを描き、お礼の言葉とともに実家へ送りました。父はそれら絵手紙全てをファイルに収め、雨や雪で農作業ができない間、ファイルをめくっては楽しんでいたとか。父は93歳で亡くなりました。母は92歳で2年前に逝きました。自分の絵手紙を親が見ている姿を常に想像することが絵筆を持つ私の原動力でした。”(4月12日付け中日新聞)
 
 愛知県春日井市の主婦・若林さん(71)の投稿文です。絵手紙で親孝行ができた。絵手紙は比較的たやすい。下手ほど良い、とも言って取り組みやすくしている。孫に1000通を送ったという第3656話の話に、自分の行為を思い出された若林さん。芸は身を助く、まさしくそんな話である。思い出のこもったものだけに、もらった方は誰もが大切に扱う。若林さんのご両親もそうであった。そして、もらった時ばかりでなく、いつまでも癒やしの対象になった。絵手紙とはそう言うものである。
 ボクは己書ならぬ、英人書を書き始めて103枚になった。今のところ、川柳連れ連れ草の巻頭句を飾っている位の効用しか発揮していない。もっと活用法はないだろか?それを言うには、もっとましなものにするのが先決であろう。


(第3667話) 親切リレー

2024年05月12日 | 出来事

 “名古屋・栄の地下街で私よりやや年長とおぼしき女性が、買い物カートを持ち上げながら階段を上がろうとしていた。大変そうだったので、「持ちましょうか?」と声をかけて私は力-トを受け取った。ところがカートは意外と重かった。私が数段上がったら、若い男女のうちの女性が「持ちましょうか?」と言ってくれたので、その好意に甘えることにした。若い女性が力ートを持ち上げると、今度は女性と一緒にいた男性が「持ちましょうか?」と言い出して。皆で大笑いした
 こんな親切のリレーがつながってカートを運び終えることができた。持ち主の女性は階段を上っている最中だったため、私が代わってお礼を伝えたら若い女性は笑顔で「いいですよ」と。私はほっこりした。”(4月11日付け中日新聞)

 名古屋市の時任さん(女・81)の投稿文です。階段でカートを持ち上げる話である。第3665話の厚意リレーと同じような話である。時任さんは81歳である。その時任さんが、人のカートを替わって持ち上げようとされる。余程目に余ったのか、よく手を出されたと思う。する人はするのである。そして次の人は、それがまた目に余ったのであろう。今度も3人が関わった。小さな助け合い、やはりほほえましい。第3660話で、ボーイスカウトの一日一善の話を紹介した。このように関われればもちろんいい。でも関われなくても、そんな光景を見るだけでも1日何となく気分が良い。そんな気持ちで毎日を過ごせていければ、自分が助ける番も来よう。人助けは人のためではない、自分が気持ちよく過ごすためである。このことをもっと考えたい。


(第3666話) 店頭の気遣い

2024年05月10日 | 出来事

 “近くの洋菓子店に行きました。若い女性がレジの前でケーキをいくつか選んでは注文していました。その後ろに並んだ私を女性は振り返って「いちごショートケーーキ、買われますか?」と笑顔で聞いてきました。私が「いいえ、買いません」と答えるや、女性は「じゃ、いちごショート、もう一つください」と店員に告げました。ショーケースには「人気NO.1」と紹介されるいちごショートケーキが一つありました。なるほど、女性は私が買おうとしていたのなら、その分を残そうと考えたのですね。
 そんな女性の気遣いがありがたく心地よかったです。そのことを思い出すたび、今もうれしくなります。”(4月9日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・吉田さん(61)の投稿文です。最後の商品、私はすでに買ったがもう一つ買いたい、でも後の人が買いたかったら譲ろう。それを聞いてから行動に移した。小さなことながら良い話である。チョットした気遣いで、皆が何となくホンワリ温かい気持ちになる。
 ボクなどスーパーでもコンビニでも買っても1つ2つである。しかし、レジに並ぶと自分の前にたくさんの買物をした人がいる。そんな場面によく出合わす。終わるのを待つことにうんざりしてくる。順番を譲ってくれないかな、とつい思ってしまう。でもこんなことは起こりえない。でも違うことでボクはしたことがある。ボクは一宮友歩会や老人会の資料が多いとコンビニにコピーをしに行く。ボクがまだたくさんコピーが残っているとき、後に人が来ると、何枚程度か、聞くことがある。数枚程度なら譲ったことは1度2度ではない。同じような話である。