“66年来のペンフレンドがいる。小学校4年生のとき、児童向け学習雑誌の絵画コーナーに応募したら私の作品が入選し、その上位だった特選に輝いたのが山口県・下関駅が描かれた水彩画だった。その素晴らしさに感動して私と同学年の作者に手紙を書いたのが文通の始まりだった。以降、私は平均して月に2度ほど手紙を送っている。
互いの学校や家族の近況報告を書き合ってすぐに意気投合した。中学校、高校、大学へと進み、やがて関東に移った彼女は画家となった。私は英語教師として学習塾や高校で教えてきた。ともに結婚と出産を経験し、仕事も含めて文通の話題は尽きない。絵本を出し、挿絵も描いている彼女のは、たいてい絵手紙風だった。
これまで直接顔を合わせたのは3回だけだが、手紙のやりとりだけで十分に意思疎通でき、互いを十分感じられている。”(5月6日付け中日新聞)
愛知県刈谷市の主婦・重野さん(76)の投稿文です。人生長くやっていると、何十年と継続していることもできてくる。ボクも日記やこの「話・話」 、そして川柳やウォークなど2,3はある。でも66年は凄い。小学4年から76歳までである。文通である。平均月に2回とある。会ったのは3度と言われる。よほど気が合ったのであろう。生きがいであった。それでなければできない。元は絵の入選である。一人は画家にまでなられるのであるから、才能があった。そして重野さんも教師となられる。釣り合いがとれていたと思う。
そしてこのきっかけは、重野さんが手紙を書かれたことである。これがなかったら、ありえなかった。何が幸いするか分からない。まずは行動を起こすことである。そしてこの二人は何年続くのだろう。平均年齢的に言えば、まだ15年は行けるだろう。