“生まれ故郷である現長野県飯田市の菩提寺が発行する月報「寺便り」に1月から毎回、「思い出便り」と題してつづっています。小学生のときに学校の校庭でスクリーンを掲げて夜に映画を見たり、高校を卒業して名古屋に就職する日の朝に今は亡き祖母と一緒に泣いたり、社会人になりたてでいろいろ苦労したり・・・:。その都度、浮かんだエピソードをつれづれなるままに書いています。涙をこぼすこともしばしば。
故郷には同級生をはじめ、多くの友人や知人がいます。少しでもわが駄文で、昔を想起させられたらとの一心で投稿しています。10月、兄の三回忌法要があった際、私の文を喜んでいる人がいることを住職から聞き、うれしく思いました。できる限り続ける所存です。”(12月3日付け中日新聞)
明けましておめでとうございます。今年も続けていきます、ご愛読のほどをよろしくお願い致します。
故郷には同級生をはじめ、多くの友人や知人がいます。少しでもわが駄文で、昔を想起させられたらとの一心で投稿しています。10月、兄の三回忌法要があった際、私の文を喜んでいる人がいることを住職から聞き、うれしく思いました。できる限り続ける所存です。”(12月3日付け中日新聞)
明けましておめでとうございます。今年も続けていきます、ご愛読のほどをよろしくお願い致します。
愛知県一宮市の近藤さん(男・81)の投稿文です。故郷の月報に毎月投稿する、いろいろな人があるものである。故郷を離れて60年以上経った人から、今の状況や思い出話を聞く。そこに住み続けた人から見たら、新鮮にみられるかもしれない。思いがけないことに気づかされるかもしれない。故郷の良さを改めて知ることになることもあろう。喜んでいる人があるのも頷ける。良い話と思う。
一生同じ所に住み続けられるのも一つの幸運である。でも慣れて気づかないことも多かろう。ボクは結婚して11年ばかり離れていて、また生まれた土地に戻った。その間住んでいたのは分譲団地であった。大手企業に勤めている人が多く、比較的豊かな人が多かった。そして戻ったのは農業主体の田舎である。その落差にいろいろ驚いた。でも今思いだせば、それも体験であった。いろいろあるが、やはり故郷に勝るものはない。
一生同じ所に住み続けられるのも一つの幸運である。でも慣れて気づかないことも多かろう。ボクは結婚して11年ばかり離れていて、また生まれた土地に戻った。その間住んでいたのは分譲団地であった。大手企業に勤めている人が多く、比較的豊かな人が多かった。そして戻ったのは農業主体の田舎である。その落差にいろいろ驚いた。でも今思いだせば、それも体験であった。いろいろあるが、やはり故郷に勝るものはない。