寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3475話) 電動自転車

2023年03月30日 | 出来事

 “家の車を手放して、電動アシスト付き自転車に乗るようになって三ヵ月。喫茶店や図書館、買い物に行くのに愛用している。寒い日もあるが、ペダルは軽くて電動補助のおかげで楽に快走できている。
 この自転車が突然、わが家に届いたのは昨年十二月六日。持ってきた自転車店員から受け取ったメモに「長い間、車の運転ご苦労さまでした。あすからこの自転車に乗り換えてください」とあった。同じ市内に住む長男が、すっかり年を重ねた私のこの先の車の運転について心配して新たな手段にと贈ってくれたのだ。五十八年間握った車のハンドル生活を終えることを決意し、すぐに長男に電話して礼を伝えた。私は今、この自転車で行く先々の春を見つけたいと思っている。”(3月6日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の赤松さん(男・86)の投稿文です。車を手放す決意はなかなか難しい。ボクなど車の運転が苦手でそれ程乗らないし、タクシーの方が余程経済的であろう。それでも手放せない。手軽さがあるのだ。ボクは数ヶ月後、免許の更新である。当然受ける。そしていつ運転をあきらめるのだろうか。
 赤松さんは息子さんから電動自転車を贈ってもらって、それが自動車を手放す決意をされるきっかけになった。86歳である。周りから運転を止めるように言われてもなかなか承知しなくて、困っている話もよく聞く。この息子さんの知恵はどうだろうか。電動自転車も乗ってみればその良さを理解できるかも知れない。これなら車を手放しても良いと思えるかも知れない。争いもなく自然の流れになる。賢い方策と思う。ボクはどうなるのだろうか。そう遠い話しではない。


(第3474話) ラインと私

2023年03月28日 | 行動

 “我が家の朝は、ラインで始まる。「お早う今日も元気だ、寒い朝」と父さん。「天気が悪いから布団干せない」と外に嫁いだ長女。「仕事です、行って来ます」と次女。たわいもないラインですが、朝晩見るのが楽しみです。
 ラインが日課になったのは令和二年三月ごろ。微熱が続いていたので、子どもたちが心配して病院に予約を取ってくれました。リンパ腫でした。びっくりしました。ちょうど新型コロナが流行し始めた頃で、父さん以外は面会できなくなりました。下の娘がラインを家族でしようと提案してくれました。これが家族ラインの始まりです。
 抗がん剤を始めた頃は、患部が大腸で水分以外は何もとることができず、抗がん剤もだんだん強くなり、毛も抜け始めました。気持ち悪く、どうしようもない時、ラインでの家族の励ましと、孫の写真、飼い犬の大ちゃんの写真を見て「もう一歩、もう一歩」と自分を励ましました。
 抗がん剤が終わり、今度は放射線。これもラインのおかげで乗り越えられたのです。退院後もラインは続き、毎朝毎晩、お互いの一日の出来事や体調を確認できます。私は一人でない。いつも見守られている。私も見守っている。ラインができる幸せに感謝する今日この頃です。”(3月2日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・清水さん(72)の投稿文です。清水さんのリンパ腫が見つかったことから始まった家族間のLINE。いい機会、発展になった。リンパ腫の治療で、抗がん剤から放射線治療。そして、清水さんは家族間で毎日のLINE連絡となった。それでこの辛さを乗り越えられたと言っておられる。そして、治療を終えた後でも続いている。
 ボクの妻もほぼ同じ経過をたどっている。まだ3月初旬に治療を終えたばかりで、4月に検査を受けその後の対応が決まる。そして、家族間のLINEは、今のところ個々となっていて、グループとはなっていない。妻に来て、ボクに伝えたいことがあれば口頭で伝える。グループにすればこの面倒くささはなくなるが、ボクに言いたくないこともあろう。女同士の気楽さもあろう。わが家では今のところこの方が良さそうである。いつか清水さんと同じようにグループになることもあろう。成り行きに任せよう。それにしてもLINEは便利なものである。


(第3473話) 再会感激

2023年03月26日 | 出来事

  “地元の道の駅でバスを待っていたら、突然若い男性から「ご無沙汰しております。二十一歳になりました」と声をかけられた。数年前に出会った、あのかわいらしい中学生だと気付いた。あれは夏だった。三重県大台町の施設であった句会を終えて同じ施設内の図書室に入った。そこで私から勉強中の彼につい話しかけ、俳句や季語の話題になった。同じ山でも「山笑う」は春、「山開き」は夏、「山粧う」は秋、「山眠る」は冬だと教えたら、熱心に聞いてくれた彼。高校生になっても町内で会うたびあいさつしてくれたが、ここ二、三年は顔を合わせることがなかった。
 あの彼がすてきな社会人になっているなんて。再会の感激もひとしおだった。”(3月2日付け中日新聞)

 三重県大台町の主婦・上平さん(81)の投稿文です。本当に出会いというのは面白い。全くの偶然もあろうが、種を蒔いておくとその機会はより多くなろう。上平さんは図書館でよく見かけた中学生に話し掛けた。そして21歳になった彼から話し掛けられた。上平さんにとってこの出会いは、投稿したくなるほど嬉しかったのである。これは種を蒔いておいたからである。こうした出会いが人生を豊かにさせるのである。
 ボクも最近、こんな出会いをつくづく味わっている。シルバーカレッジで親しくなった女性から、彼女の叔母さんがボクの家に近くに住んでいることを聞いた。そして、その叔母さんがシルバーカレッジの卒業生であり、オカリナをやっていることも聞いていた。そして、ボクがたまたま参加したウォーキング大会で、その叔母さんに出会うのである。考えてみると10個くらいの偶然が重なっての出会いである。オカリナをやっていると言うことで、いつかその叔母さんを紹介して欲しい、と彼女に頼んでおいたのが、紹介される前に出会ってしまったのである。これは奇跡である。これだから人生やめられない。


(第3472話) デジタル駆使

2023年03月24日 | 意見

 “高齢者は「デジタル弱者」とひとくくりにされますが、機器の使い方は案外簡単で、使いこなせたら生活は豊かになります。
 三十年ほど前からインターネットを駆使してオークションやフリーマーケットをずっと利用しています。不用になった衣類や植物の苗、食器を売っては、欲する食べ物や服を買ってきました。売り買いでポイントがたまれば、それでさらに買い物ができる上、ものを捨てないサイクルにもつながります。地球環境にも優しくまさに一石二鳥以上です。
 今や手放せない多機能のスマートフォンも、足腰が衰えたときには強い味方になるはず。私はこの先も「デジタル強者」でいたいです。” (3月2日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・佐藤さん(75)の投稿文です。まさにデジタル社会に入っています。どこもかしこももっと推進することを騒ぎ立てます。これでも世界からみれば遅れているらしい。高齢者にはますます辛い社会になります。佐藤さんはボクと同年代、30年程前からインターネットでオークションやフリーマーケット利用してきたと言われる。凄いデジタル強者である。ボクは2000年にホームページを開設しているので、インターネットを使うようになったのはその数年前からと思う。割と早いほうだと思うが、それでも25年くらいである。そして、ネットで買い物をするようになったのはまだ十数年であろう。それを思うと、佐藤さんがいかに早いかを感じます。
 デジタル社会は危うい面も多いが、確かに便利である。道具である。使いようである。ここまで来ると、高齢者だからと言って避けるのはあまり賢いこととは思えない。ここはやはり挑戦である。90歳からスマホを始められた人の話も時折聞く。呆け防止と思って、できるところから始められるといい。思いがけない発展がある。


(第3471話) 新たな目標

2023年03月22日 | 意見

 “六十五歳になった昨年秋から生活面でいろいろな変化があった。老齢基礎年金の受給が始まり、敬老パスが使用できるようになった。何かと自分について回る「老」という文字にも慣れてきた。敬老パスは買い物へ行くのに便利で、新型コロナウイルスの影響が落ち着いたら運動がてらあちこちに出かけようと思う。三十年以上携わってきた通信教育の添削の仕事も昨年末で終えた。子育て中に始めたものだったが、最近では「頭の体操として認知症予防に」と続けてきた。それでも近年は集中力や理解力の衰えを痛感し、思い切ってやめることにした。
 自分なりの新たな目標を早く見つけなきゃと思っている。”(2月28日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・原田さん(65)の投稿文です。社会の制度的に65歳は大きな変化の歳になっています。本人がどう思っていようと、何か一度に老人になった気にさせます。原田さんもそれを感じ取られました。良い面、悪い面、いろいろあります。仕事を辞めれらた。敬老パスが使えるようになった。名古屋に住んでいない者にとってこの名古屋の敬老パスは羨ましい。原田さんは次の目標を早く見つけなくては、と思われた。65歳、多くの人がまだ元気です。人生、生活を変えるいい機会になります。次の挑戦をして欲しいものです。
 次の変化は75歳、後期高齢者です。ここは大変です。多くの人が体も頭もかなり老化しています。本当に老人になった気にさせます。ここを何気なく通り過ぎるのには、かなりな幸運と努力が必要です。ボクはもう半年も過ぎれば78歳です。75歳は無事通り過ぎたでしょう。まだ気力体力とも十分です。今やっていることだけでも継続できれば不足はないでしょうが、新た何できることはないか、模索しています。明日知れぬ命ではあるが、この気力も大切思っています。


(第3470話) 卵かけごはん

2023年03月20日 | 行動

 “去年の四月に外国赴任の父親についていった孫息子が、年末に一人で帰国した。高校二年で、かの他の学校に通っているが、日本の高校にも籍を置いていて、リモートで勉強している。今年一月に設定されたスクーリングに通うため戻ってきたのである。
 我が家に一ヶ月滞在した。帰国当日、何が食べたいか聞くと「卵かけごはん」と言う。生卵を食べられるのは日本くらいらしい。その夜、彼はごはんを三杯平らげた。翌朝は納豆ごはん。「納豆はなかなかないし、あってもワンパック三百円くらいだよ」と言う。次は、あんこ餅に舌鼓を打った。刺し身やうなぎ、お好み焼きなど、いろいろ食べさせた。その様子を息子夫婦に知らせると「うらやましい」と侮しがった。「米のうまさは抜群。日本食は素晴らしい」と言う孫の言葉に、外国暮らしの大変さを知ることになった。
 冬休み中で、スクーリングも四日ほどだったので、友達と思う存分、遊んだようだ。ある夜、終電を逃して電話をしてきたので迎えに行くと「深夜でも、こうして安心して出られる。日本って治安がいいね」と改めて自分の国を見直していた。日本の冬を惜しむように昧わった孫息子は、父母への沢山のおみやげを抱えて帰っていった。”(2月25日付け中日新聞)

 愛知県安城市の今井さん(女・75)の投稿文です。どこの国に行かれたのか分からないが、これだけ日本食の良さをあげられると、そうなのだ、と改めて思う。卵かけご飯に納豆にあんこ餅、更に米と来る。これらはまさに日本の常食である。特別のものでなく、常食が美味しいとは、何という嬉しいことではなかろうか。我々はそれを当たり前と思っている。世界では当たり前ではないのだ。今井さんは日本人だから、これを離れて住んでみてよく分かられたのだ。
 その国ごとの美味しいもの、自慢すべきものはあるのだろうが、自分の国が良いと思えるのはありがたいことである。治安の話まで出てきた。治安に到っては、もうほとんど右に出る国はなかろう。でも、不安は増えてきた。卵はどんどん高くなる。サンマも庶民の食べ物だったが、いつしか口に入らなくなった。卵もそうならないとは限らない。いかんせん、食糧自給率30%代の国である。家畜の飼料に到っても同じである。


(第3469話) 大役無事終え

2023年03月18日 | 行動

 “菩提寺の世話役である「年行司」を昨年務めた。前回の二十年以上前は、私に仕事があり、同居の義母に任せきりだった。自分の順番が来ることが分かっていた数年前から、寺の全行事に参加し、仕事の内容の理解はもちろん、住職やその家族、檀家との関係を大切にしてきた。
 年行司の仕事の一つは春と秋の永代供養の案内状を四十軒ほどに配ることだ。近所を回る際は配布漏れがないよう、住宅地図のコピーを手にして一軒一軒ポストの位置を確かめながら届けた。会う人には笑顔でのあいさつを励行した。境内の清掃はお茶のペットボトルに参加者名を記した付箋を貼り、手渡す相手の顔を見て覚えようとした。「お疲れさまです」と積極的に声をかけたら初対面でも随分話がしやすくなった。地元で管理する共同墓地も頻繁に訪れ、ごみ拾いや洗い場掃除をした。最後の仕事は年末の門松作り。初めてのことゆえ心配したが、事前に前年のものを写真に撮り、インターネットで作り方を調べておいたおかげで奇麗に仕上がった。
 無事大役を終えてホッとしている。この先も寺の行事に積極的に参加し皆さんに恩返ししたいと思う。”(2月21日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の山崎さん(女・61)の投稿文です。地域によって組織は違うので、ボクにはスッと理解できないが、それでも1年の年行司でここまでされるとは、驚きである。ボクは3年任期の檀家総代を3期務めたが、とてもここまでしなかったし、考えなかった。そうした体験があるだけに、凄いと思う。全く真摯な誠実な人である。
 年行司の役が来る数年前からいろいろ参加し、予備知識を得、そしてなったらなったで、ペットボトルから墓地の掃除、門松作りとその気配りは凄い。この体験は今後、絶対に生きると思う。人からも当てにされるであろう。いい老後を送られると思う。人によっていろいろあろうと思うが、老後はまずは地域が第一と思っている。
 この文から一昨年のことを思い出した。神社総代をしていて、神社へ行ったときである。掃除当番の組の人が自己紹介をしていた。同じ組でも集まるときがない。近くなのに顔も知らない。いい機会と自己紹介をしていたのである。今はそんな時代である。


(第3468話) 病棟実習

2023年03月16日 | 意見

 “私は大学病院で実習をしている医学生です。医学部は六年制で四年生の前半までに教科書を基にした内容の講義や実習で学びます。その後、医師資格の「仮免」にあたる試験に合格すると、残りの学生期間は病棟で臨床実習をします。新型コロナウイルスの影響で何かと制限されてきた病棟実習は昨秋に再開されました。パーキンソン病や重症筋無力症など、今までは教科書の世界でしかなかった各種疾患に触れつつ、医学の知見を高められるのはありがたく、感謝の気持ちを持って患者さんに接しています。
 私が今向き合っているのは一症例でなく、患者さんの人生なのだということを決して忘れず、謙虚さを持って実習に励んでいきたい。”(2月21日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の大学生・金田さん(男・26)の投稿文です。「一症例でなく、患者さんの人生なのだ」と言う言葉には、大切なことに気づかれたと感心する。医師にとって患者は一人の他人、もっと言えば商売の相手である。しかし、患者にとっては、不安いっぱい、時には死ぬか生きるかが係っている。人生の一大事の場合もある。新聞を見ていても、親身な医師で良かった話、反対に不親切で怒りの話、よくでている。それだけ患者にとっては、重要はことなのである。それを知って診察に当たって欲しいと思う。
 しかし、医師も職業となれば、1日に何十人と対面診察をし、それが毎日続くのである。医師も人間、一人一人に感情移入をしていたら、それこそ参ってしまう。どこまで親身な対応ができるだろうか。ここはやはり医師と患者の誠意、敬意であろうか。患者もお客様は神様、などと間違っても思ってはいけない。


(第3467話) 女系家族

2023年03月14日 | 出来事

 “年頃の娘が三人いる家というのは、にぎやかだ。よく食べ、よく喋り、よく笑う。父親の居場所はなかなかない。
 食堂で笑っている声が聞こえると、仲間に入りたいけれどタイミングがつかめない。食堂へ行き「お茶をくれ」と言う。今まで笑っていた娘三人と妻はじろりと父を見て「部屋まで持って行ってあげるわ」と言う。お茶を運ぱれたら、またひとりぼっちになる。
 「ここで飲んでいくよ」と言うと、どっと笑われる。実は「お父さん、きっとこのあたりでお茶を飲みに来るわよ」と話していたところだった。父の心理はとっくに読まれていたのだ。かくして一家は「お菓子とお茶と笑声」と「お父さん」が交ざって、めでたしめでたしとなるのである。”(2月19日付け中日新聞)

 「300文字小説」から愛知県半田市の主婦・対比地さんの作品です。女系家族の父親の悲哀である。わが家は娘2人であるが、3人となると女性の威力また倍増であろう。昔は家長制で父親の権威絶対であったろうが、それがなくなったら全く逆転である。サラリーマンなど外で働く父親が多くなり、家庭は主婦任せになった事も一因であろう。
 家族といえども、女性多数の中に男性が入るのは難しかろう。ボクがどうだったか、今となってはよく思い出せないが、娘が嫁ぐまではそんなに悲哀を感じた覚えはない。妻が気づかってくれたのであろう。しかし今は、娘家族が来るとボクは悲哀を感じている。ボクが入り込む話題が少ないのである。そして父親ほったらかしで話が弾んでいる。この虚しさと言ったら、言い様がない。今はそんな場も控えたいくらいだ。
 この作品のお父さんは良い方だろう。自分で入る機会を作る意欲がある。しかし、入った後、会話に入っていけるだろうか。ぼくには不安に思える。


(第3466話) ジャム作り

2023年03月12日 | 出来事

 “家の庭で鈴なりとなったキンカンの実は大きかった。収穫したらスーパーの大きなレジ袋いっぱいになった。私はキンカン独特のえぐみが苦手で、食べても一日に二個がせいぜい。それをおやつにするなんて程遠い。でもせっかくなので利用できないかと考えていたら、娘が「ジャムなんか、どうかな」と言った。私は「うーん、まあ作ってみたら」と応じ、半信半疑ながら娘に全てを任せることにした。
 湯むきして種を取りミキサーで細かくし、蜂蜜を加えて煮込んだ。すると、えぐみは消え、程よい酸味と甘さになった。ヨーグルトに混ぜたりパンに塗ったりして食べた。美味だった。チャレンジして良かった。”(2月18日付け中日新聞)

 愛知県蒲郡市の主婦・明石さん(69)の投稿文です。ジャム作りは主婦の楽しみなのか、苦労なのか。ボクが妻を見ている限り楽しみの気がする。妻は苺、柿、柚でジャム作りをしている。キンカンはわが家にないので、作っていない。そして、明石さんと同じようにパンに塗ったり、ヨーグルトに入れている。
 先日知人から八朔の手作りジャムをもらった。妻は美味しいと言って食べていた。人から貰ったものは、自分で作ったもの以上に美味いらしい。ホテルなど据え膳が何よりという。と言うことは、やはりジャム作りも苦労なのだろう。ボクにはヨーグルトに入れて出してくれるが、もっと感謝しなければいけないのだ。