寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3792話) 警察沙汰?

2025年01月31日 | 出来事
 “「65歳以上のお客さまは、警察に連絡させていただきます」と、銀行員の女性がにこやかに笑っておっしゃいました。私は、何事が起こっているのか分からず、唖然としました。ちょっと大きな買い物をし、年末年始の生活費も必要だったので、虎の子の定期預金を解約したのです。運転免許証を見せたら、コピーまでされたのが本人だと確認できたに、どうして? 私が頑張って貯めたお金なのに、どうして?
 何がなんだか分からないうちに、警察の方と電話口で話をする羽目になりました。警察の方は「何に使いますか?」「どうして現金が必要ですか? 現金を持ち歩くのは危険です」「振り込みにできませんか?」と矢継ぎ早に問いかけてきます。私は、給料もボーナスもないから、生活費が必要だと説明して許してもらいました。許してもらうは大袈裟かもしれませんね。警察の方も特殊詐欺の被害に遭わないようにと熱心にご指導されているのですもの。私事で大切なお仕事の時間を奪い、申し訳なく思っています。詐欺がなければ、警察の方のお手を煩わせることはありません。
 特殊詐欺をしているあなたへ。子や孫の幸福と健康を願い、一生懸命生きている老人を騙さないでください。おぱあさんのお願いです。”(1月8日付け中日新聞)


 愛知県一宮市の主婦・川合さん(69)の投稿文です。大変な世の中になったと思う。特に高齢者はそれまでの扱いから一変する。1人前扱いではないことが多々である。保険料、運転免許、そして金融機関での扱い等々。腹立たしいというか、情けないというか、本当に高齢者のことを思っての扱いなのだろうか。人間の多くのことは年齢で区別できることではない。体力、知力、人間の能力は人様々である。でも社会の公平さを図るに、年齢を持ち出すのは納得がいきやすいのであろう。
 そしてこの金融機関の話である。65歳以上は警察に話すことまでされるとは知らなかった。特殊詐欺の話はボクも講演などで随分聞いた。そしてその高額なことにいつも驚いた。そしてこれは圧倒的に高齢者多いようだ。これだけ多くなると、金融機関もそれだけのことをせざるを得ないのであろう。川合さんが言われるように、高齢者は腹を立てるより、金融機関や警察に感謝をしなければいけないのだ。そしてこの場合でいいのは、定期預金を解約したら普通預金に一度入れる。そして徐々に引き出す、と言うことであろうか。



(第3791話) 早朝の読書

2025年01月29日 | 行動
 “週I~2日はいつもより1時間早い午前4時半に起き、図書館で借りた本を読みます。昼間の家事の合間に読むよりも集中できるため、内容が頭に入り、気付けばページをかなり繰っています。林真理子さん、石田衣良さん、桜木紫乃さんの恋愛ものや時代小説が好きです。読書は至福のとき。読了すれば、また次の本を借りてきます。現在20~30代のわが子が中学生のときに学校で毎朝10分ほど、自ら選んだ本を静かに読むことが課されていましたが、その意図が今の私は分かります。
 泊まり込みで読書ができる書店があることを、テレビを見て知りました。そんなぜいたくな体験をぜひしてみたいです。”(1月6日付け中日新聞)


 愛知県弥富市の主婦・大河内さん(55)の投稿文です。普通より1時間早く起きて読書をする、これはいい発想と思う。特別の日を作り、楽しみに費やす。何かをするために特別の日を作るのである。特別の日と思うと、気分が高揚してくる。毎日同じパターンよりいいかもしれない。
 ボクは年中5時起きである。そしてその後の2、3時間はほぼすることも順序も決まっている。非常に集中でき効率の良い時間と思っている。至福の時間というのは言い過ぎだろうか。大河内さんは同じパターンから少し抜け出た日をつくられた。ボクも一考していい考え方と思う。頭に入れておきたい。



(第3790話) 青春の宝物

2025年01月27日 | その他
 “部屋の書棚には昔私が見た映画のパンフレット数百冊がある。中学生から大学生ぐらいまでに小遣いでせっせと買い集めたものだ。まさに青春の宝物。最初に映画を見たのは確か小学校高学年のときだった。以降、「ペン・ハー」「ウエスト・サイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」といった洋画を堪能し、大型スクリーンで躍動する役者に一喜一憂してきた。昨今のような特殊撮影やCGはなくても映像の迫力に興奮した。
 かつて一緒に映画を見た友と昨年10月に会った際、「映画のパンフレットを古書店に売却したら、手放す寂しさと買い取り額の安さに涙がこぽれた」と言っていた。さて私はこれらの宝をどうしよう? 処分したらいいのか、そのままか・・・・。”(1月5日付け中日新聞)


 名古屋市の自営業・田中さん(男・75)の投稿文です。映画で青春を楽しんだ、そして思い出にパンフレットを買い求めた。それが数百冊である。75歳になった。終活が頭をよぎる。一緒に映画を見た友人に聞く。古書店に売却したら余りの安さに涙がこぼれたという。そして田中さんは考え込んでしまった。
 さてボクならどうするか、どう助言するか。死ぬまでそのまま持っていなさい、と言うでしょう。冊子数百冊で今置き場所に困っているなら別ですが、そうでもなさそうです。青春の宝物です。また見たくなることもあるでしょう。持っているだけで豊かな気持ちになることもあるでしょう。処分使用しようとするのは残された人に迷惑を掛けたくない、そんな気持ちでしょうか。それでも処分は不要と言いたい。何の思い出もない人はさっさと処分するでしょう。ボクも妻に急かされて処分したものがあります。でも何かの折りに持っていたら、と思ったことが1度や2度ではありません。こんなことに気を惑わされることはないと思ってます。



(第3789話) システム障害

2025年01月25日 | 出来事
 “NTTドコモは2日、ポータルサイト「goo」など一部のサービスでシステム障害が一時発生したと発表した。大量のデータを送り付けてサーバーに負荷をかける「DDOS(ディードス)攻撃」を受けたことが原因だと説明。午前5時27分ごろからサービスに接続しにくくなったが、攻撃への対応を行い、午後4時10分に解消した。
 障害はスフートフォン決済「d払い」の検索機能でも確認された。ドコモによると、復旧作業に伴い、主にニュース配信サービスなどに影響が残った。「最新の情報は各サービスサイトなどで随時お知らせする」としている。携帯電話などの通信サービスに影響はなかった。”(1月4日付け中日新聞)


 記事からです。ボクの「話・話」 が1月2日から繋がらなくなりました。様子を見ていましたが、3日も繋がりません。そしてこの記事です。ポータルサイト「goo」は確かボクが借りているブログだ、気づきました。これで繋がらなかったのか?ボクには関係ないことと思っていたことが、関係していた。ボクも世の中の出来事に離れては過ごせない。改めて知ることになりました。そして、4日夕方には繋がり「話・話」も継続できています。
 「DDOS(ディードス)攻撃」をする人にどんな益があるのだろうか?ただ人に迷惑を掛けて楽しんでいるのだろうか。そんなことはあるまい、何かの益があるのだろう。SNSのフェイク記事など、世の中何を信じていいか、分からなくなってきました。フェイクはチェックされると思っていたので少しは安心していたが、それもチェックしなくなるという。世の中ますます不安になっていくばかりです。



(第3788話) 木守柿

2025年01月23日 | 出来事
 “昨年の10月、庭が少し寂しいので、次郎柿を1本植えた。ホームセンターで買い求めたもので、背丈は1メートルにも満たないが、接ぎ木もされており、これなら立派な柿の木に成長するだろうと思っていた。
 やがて年が明け春を迎えた。3月には新芽をたくさん出した。5月になると十数個が開花した。夏には果実が日に日に成長していった。しかし初秋になると、成長した実は日毎に落ちてしまった。やはり1年目は実らないだろうと諦めていた。が、幸いにも1個だけ残ったものがあった。今、それが形、色艶もよく成熟している。まさしく食べ頃だ。
 以前本紙で、柿を収穫した後、1個もしくは数個採らずに残しておく風習があることを知った。これを「木守柿」と言う。この風習は、一つには今年たくさん実った柿の木に感謝し、来年も豊作であることを願う。二つには、鳥や動物たちの食べ物になるという。自然の恵みを独り占めせず、皆で分かち合う先人の知恵である。
 わが家の柿は、偶然にも1個だけ残ったものだが、私は木守柿と呼ぶことにした。来年以降の収穫を願いつつ、鳥たちが寒い冬を乗り切るための食料となるのもよいだろう。これからもそっとしておこう。いつか本来の姿の木守柿を見たいものだ。”(12月31日付け中日新聞)


 静岡県掛川市の堀川さん(男・74)の投稿文です。木守柿、こういう言葉があり、最後まで取らず残す風習があることはボクも知っている。そうしてボクもそうしてきた。堀川さんはたった一つ成った柿を、木守柿として残された。たった一つ成った柿である。ボクの家のように食べきれないくらい成った柿ではない。たった一つ成った柿である。話は全く違うと思う。愛しく思われたのであろうか。自分が食べるのはもったいないと思われたのであろうか。人の気持ちは面白いと思う。その後残された柿はどうなったのであろうか、知りたいところである。
 果物の成り具合は隔年の気がしている。ボクの家の柿は昨年はほとんど成らなかった。今年は鈴なりである。妻が配って歩いたが、それでも食べきれない位であった。ボクの家にはキウイもある。これも最後まで取らず、かなり残してある。今盛んに鳥がついばんでいる。ミカンもある。ところがこれは人が食べるより先にカラスに食べられてしまった。急いで網を掛けたが遅かりしである。そして夏みかんである。これは毎年鈴なり、食べきれないのである。ところがこれはいくら残しておいても、鳥も食べないのである。



(第3787話) 周囲の気遣い

2025年01月21日 | 行動
 “たまに電車やバスに乗ると、赤ん坊を乗せたベビーカーを父か母が車内に入れるや周辺の乗客がスペースを空けようとする。そんな光景を目の当たりにし、私は隔世の感を覚える。
 私が、現在37歳と36歳になった年子の息子2人の子育て真っ盛りのとき、子どもを連れてバスを利用するのは大仕事だった。ベビーカーは邪魔にならないように折り畳んだ上、即座に長男を背負って、次男を抱きかかえた。降車する際、運転手から「速やかにお願いします」と言われて、泣きそうになりながら何度も頭を下げた。
 少子高齢化で子どもは地域の宝だからか、近年、親子運れへの周囲の視線は変わってきた。気遣いも、子育て家庭にはきっと温かいはず。”(12月28日付け中日新聞)


 愛知県豊川市のパート・宇井さん(女・61)の投稿文です。こうした親子連ればかりでなく弱者に優しい社会になってきましたね。以前に比べればですが。バスには車椅子の場所も用意されています。そして乗り降りに運転手さんも手助けをする。
 しかし、電車の優先席を見るとがっかりする。その席で若い人がスマホに夢中になっている、そんな光景が多い。それも混雑した電車に多い。席が空いていればそれは何の問題もない。弱者の人も優先席でなく、空いている席に座ればいい。混んでいるときが問題である。座っていてもいいが、そんな人が来たらすぐに替わるべきである。ボクはどちらかと言うと優先席を設けることに反対である。どこの席でも弱者と思われる人が乗ってきたら替わればいいのである。それが正常であろう。それができないから優先席ということであろうが、何かおかしい、とボクは思っている。



(第3786話) 心筋梗塞

2025年01月18日 | 出来事
 “1年前の12月のある日突然、思いがけない病気、心筋梗塞となり、九死に一生を得ました。この病気の恐ろしいのは「関連痛」が招く迷走。心臓以外の箇所に症状が出て発見が遅れる場合があること。私の場合、胃や奥歯の痛みに始まり、息苦しさを感じるようになりました。
 近くの病院で診察を受けると「心の病」とされ、総合病院へ。血液検査や心電図で「異常なし」として様子見に。その後も体調はますます悪化。発症から10日後、あまりに苦しくて仕事を早退して再び診てもらいますが、またしても特に異常なし。そこで必死に訴えたところ、別の医師が対応し、精密検査を実施すると、心筋梗塞と判明して即入何院。翌日、手術を行い、命を取り留めました。
 ただし、血管のつまりが解消したら元に戻るわけではなく、心臓の一部が壊死したということ。その弱くなった心臓で生きていかなければいけません。そうなったのは痛恨の極み。それでも、命だけは助かりました。見方を変えると、紙一重の状況に身を置き、命を削るのと引き換えに得た貴重な体験です。
 心筋梗塞は誰の身にも起こりうること。冬場は、危険が増す時期でもあります。関連痛の恐ろしさ、命の危険が迫った時の感覚など、多くの方に伝えられたらと思っています。”(12月24日付け中日新聞)


 愛知県幸田町の県職員・本多さん(男・60)の投稿文です。心筋梗塞、この病がいかに大変かは知っているが、どのような症状を起こすのかも知らなかった。発見も遅れた。それだけ医師でも分からない。医師でも分からないことは、手遅れになりより大変なことになる。医師なら何でも分かるわけではないこと当然分かるが、ここで見つけて貰えるか運命の分かれ目である。他のことでも人生には往々にあることである。
 実はボクも昨年、心臓に問題があることが分かった。市の無料健康診断からである。更に詳しい検査を受けた。結局まだ手術の必要はなく、当分薬を飲むことになった。心臓に問題があるとは思ってもいなかった。助かった、と言うべきであろう。これからは随時、心臓の検査を受けることになろう。今は言われることはやろうと思っている。世間にはいろいろな意見があって、日本は検査のし過ぎで、病気を作り出しているという人もある。高齢になれば病気の一つや二つはあって当たり前である。医師の言われるままにしていれば検査漬け、薬漬けになることもあろう。どこまで、医師の言われること受け入れるのか、素人には難しいことである。



(第3785話) 山車文楽

2025年01月16日 | 行動
 “地元・愛知県知立市の知立まつりで上演され、国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産となった「知立山車文楽」を初めて見たのは2019年5月。豪華絢爛な山車で太夫が三味線に合わせて語り、3人がかりで巧みに人形を動かす文楽の魅力にはまった。
 子育ての大変な時期を終えた私は新たな趣味を探していた。新型コロナウイルスの影響もあって、しばらくそのままにしてきたが、昨春、太夫の試し稽古を申し込んだ。独特な口調や音がなかなかできなかった。今春に正式メンバーになれたものの、四苦八苦しつつ毎土曜の練習に参加している。先生や先輩の語りを繰り返し聞き、何とかものにしようと励む日々。11月の秋の山車文楽上演で私はついに太夫としてデビューした。私もさらに技量を高め、いずれは250年続く伝統をこの手で継承できたらと思っている。”(12月23日付け中日新聞)


 愛知県知立市の会社員・橋本さん(女・47)の投稿文です。子育てが一段落したので、山車文楽の太夫を志す。こういう人があるから伝統は守られていくのである。橋本さんの生き方もポジティブである。一段落したので、自分の思うまま気ままに過ごそう、ゆっくりしよう、などが多いでしょうが、橋本さんは、社会活動に目を向けられた。何に目を向けるか、ここらが人生の大きな分かれ道である。やはり建設的、創造的でありたい。橋本さんは若い。まさにこれからである。思いがけないつながりや縁ができよう。
 伝統を続けていくのが本当に難しい時代になったと思う。地域のしきたりなどほとんどが風前のともしびである。代わりにもっといい物が生まれればいいが、非常に疑問である。



(第3784話) 登校見守り

2025年01月14日 | 行動
 “学校がある平日は午前7時半になると、自宅前の三差路交差点に30分ほど立って児童の登校を見守る。そんな生活を続けてはや22年-。
 この交差点は通勤ラッシュ時、混雑を回避するための抜け道として使う車がひっきりなしに行き交うため、気が抜けない場所だ。私は黄色の帽子にジャンパー姿で旗を持ち、児童に「おはよう。行ってらっしゃい」と声をかける。当初は恥ずかしがって返事ができなかった子どもも、やがて元気にあいさつできるようになり、私とハイタッチしてくれるまでになると、私も心底うれしさを覚える。間もなく冬休み。「児童の皆が元気いっぱいに新年を迎えられますように」。(12月21日付け中日新聞)


 愛知県知立市の三浦さん(男・74)の投稿文です。児童の登校見守りを続けて22年と言われる。52歳からである。素晴らしい。ボクも老人会で年10数日見守りに出かける日がある。これだけの日であるが、児童を見て接すると、いろいろ知らないことを発見する。孫はもう皆大人の域であるから、児童と接する機会はない。この見守りも大切な機会と思っている。
 ボクの知人で長年児童の登校見守りを続けている人がある。ボクのように地域の役割でなく、自発的のようだ。このことについてまだよく話を聞いたことはないが、素晴らしいと思う。この日は早起きをしているという。自身の生活のメリハリにもなっている。何事も行えば相手の益ばかりでなく、自分の益もある。ポジティブに生きること、老いてますます重要なことである。



(第3783話) 孫の憧れ

2025年01月12日 | 出来事
 “長女宅に行き、そこの次女である中学校3年生の孫娘が学校で「将来どんな大人になりたい?」と聞かれ、「ぱあちゃんみたいな人」と答えたとか。ぱあちゃんは私で、どうやら日本舞踊の師範をしながら、読み聞かせボランティアをし、この他、何種類ものダンスやコーラスといった趣味をこなし、年に十数回国内外を旅していることを踏まえ、何事も楽しく積極的に挑戦していることを見習いたいと思ったよう。この話を長女から聞き、私はうれしくて目頭が熱くなりました。1月で結婚50年を迎えた私がこんな生き方をできているのも夫のおかげで、改めて感謝の念をかみしめました。
 孫娘の「ぱあちゃんみたいな人になりたい」を励みとして、私はこの先も自分なりに頑張る所存です。”(12月16日付け中日新聞)


 愛知県一宮市の主婦・今枝さん(74)の投稿文です。孫に「ぱあちゃんみたいな人」になりたい、と言われれば至福の言葉でしょう。それだけ尊敬、信頼されているのですから。それはやはり今枝さんが行動的、積極的な人生を送られているからです。この姿勢は若い人に憧れになるのです。老いてますます盛ん、本人も至福です。
 ボクはどう思われているのでしょう、聞いてみたいところですが、聞いて得られた言葉は本音かどうか分かりません。自分のいないところで言われた言葉を人伝えに聞いて本音が分かります。この投稿のように今枝さんがそうであった。
 そして今枝さんは、夫のおかげと言われる。ボクは妻のおかげです。先日奥さんを亡くされた知り合いから、家事に時間を取られて今までのような活動ができない、と言われた。これはボクも思う。食事だよ、と言われて食卓へ向かえばよい。妻がいなかったら、その準備からしなければならない。半分も今までの時間が取れるだろうか、難しいと思う。