寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3043話) お墓供養

2020年10月31日 | 意見

 “実家の祖母の七回忌が九月にありました。感染拡大が続く新型コロナウイルスの影響で皆が集まっての会食はせず、時間差で訪問して仏壇の前で手を合わせる簡素なものにしました。
 実家にはもちろん墓はありますが、祖母の納骨はまだ終わっていません。近年よく話題になる「墓じまい」を意識してか、納骨をためらっているようです。
 嫁いだわが家は自宅近くの墓地に一区画を用意していますが、私が死んでからここに入りたいかと問われれば、答えは「いいえ」です。誰がこの先墓を守るのかと思うと、正直ちゅうちょしてしまいます。供養のかたちは多種多様で正解はありません。心がこもっていればそれが一番ではないでしょうか。”(10月6日付け中日新聞)

 愛知県弥富市の主婦・大河内さん(50)の投稿文です。最近はお墓のあり方についてもいろいろな提案がある。考えも多種多様である。
 昨年2月、義弟が急逝し、妻の実家を処分することを進めてきた。その時墓をどうするかと言うことになった。一時は墓じまいと考えたが、最後的にはそのまま残すことにした。義弟の墓碑銘も入れた。わが家からそれ程遠くもなく、妻は毎月墓参りをしている。妻もボクもいけなくなったとき、どうなるか。娘も近くにいる。そして娘にも話した。できることをはやってくれるだろう。そんな先のことまで案じておられない。
 残したのは、父母始め先祖伝来の墓を処分するのは忍びなかった、ということが第一理由である。処分などいつでもできる、急ぐことはない、と言うことである。
 ボクはどちらかというと、今の流れには疑問を持っている。誰もが先祖があって今の自分がある。その先祖をないがしろにすることは、身の程知らず、傲慢である。人間は楽を求め、またすぐ忘れます。形のないものはより忘れられるでしょう。そういう意味で、形のあるお墓の形態はいいものだと思います。亡母は「お墓は先祖のためのものではなく、子孫のためのもの」とよく言っていました。また、法要など故人に関わるいろいろな行事も、故人のためのものではなく、残された人のためのものだ、と言っていたことをよく考えてみたいものです。


(第3042話) 優しさに触れ

2020年10月29日 | 出来事

 “土曜の夜、思い通りにいかない育児に、夫との意見対立も加わって我慢は限界に達して私は家を飛び出しました。行く当てもなく近所の歩道橋に上がり車の流れを見ながらボォーとしていました。すると父ぐらいの年齢の男性がライトを見ながら「奇麗だな」と言って私のそぱを通り過ぎました。何げない言葉でしたが、頬を涙が落ちました。先の男性はすぐに戻って来て「大丈夫か?」と優しく声を掛けてくれ、一気に思いがあふれてきました。男性は私の話に耳を傾け、うなずいたり助言してくれたりしながら一緒に泣いてくれました。最後には「頑張れよ」と手を振ってくれました。
 見ず知らずの人との思いがけない触れ合いで嫌なことは吹っ飛びスッキリした気持ちで帰宅できました。”(10月5日付け中日新聞)

 名古屋市のパート・船越さん(女・41)の投稿文です。何かドラマを見ているような光景です。この男性には自殺するようにでもみえたのでしょうか?通り過ぎてまた戻ってきたところを見ると、よほど気になったのでしょう。すれ違いに「奇麗だな」と独り言を言う。この言葉もドラマですね。この場面でこんな言葉をはける人は詩人でしょう。そしてこんな優しい展開になる。人生にはこんなことも起こるのだ。
 先日は出産のことを書きました。今回は育児のことです。最近の育児を見ていると大変だな、と思う。今では母親もほとんどが働いている。働かざるを得ない状況である。働きながらの子育ては、周りの理解と協力がなくては成り立たない。船越さんのようなことも度々であろう。でも早まってはならない。どこかに解決の道はある。このような触れ合いもあるのである。


(第3041話) 免許更新

2020年10月27日 | 行動

 “運転免許証の更新を迎えましたが、感染が拡大した新型コロナウイルスの影響で認知機能検査や講習はニカ月遅れ、免許交付までに時間がかかりました。講習では安全運転を再認識するのが常で、今回は信号機のない横断歩道での注意点を学びました。以前の講習で「横断歩道は歩行者のためのスペースで、車両はそこを通らせていただくという謙虚さが必要です」と言われたことを思い出しました。
 私はほぼ毎日車を運転していて、幸いにもこの三十年間は無事故無違反です。スピードを控えめにして時間にゆとりを持った運転を心掛けていて、免許証を返納する日まで安全運転に努めることを誓いました。”(10月5日付け中日新聞)

 愛知県江南市の高田さん(75)の投稿文です。高田さんも今年運転免許更新で、後期高齢者の認知機能検査も受けられたようです。ボクも全く同じです。コロナ禍でいろいろ状況が変わる中、無事先月免許更新ができました。ボクは割とスムーズにいった方で、誕生日前に新しい免許証を手にすることができました。更新は今も大変なようです。蜜を避けるため1回あたりの人数制限をしているだけに、まずなかなか試験の予約が取れません。高田さんは2ヶ月遅れのようでした。
 交通事故がなかなか減らぬ中、高齢者の事故が多いということで、特に高齢者の更新手続きが複雑になりました。認知機能検査では、今日の日にちを書いて下さいとか、時計の文字盤を書いて下さい、といった問題も出されます。これができない人が車を運転していると言うことでしょう。自分のことは分からないものです。まだ良いと思っている内に衰えています。この試験もやむを得ないことなのでしょう。ボクも40年以上、無事故無違反です。ボクの知人で免許返納をした人がいます。その後の行動は全く制約されています。これも考えねばなりませんが、無事故無違反は免許返納の日まで続けたいものです。


(第3040話) 厄介なこと

2020年10月25日 | 意見

 “私は剣道の指導ボランティアをしています。剣道着、はかま、防具の着装では結ぶという作業が随所にあり、子どもにさせるのは大変です。体の前だけでなく、後ろにも手を伸ばして見えないところで結ばなければなりません。それでも根気よく続けていけば子どもでもいずれできるようになります。達成感と自信を味わい、自らの成長も感じられるので、剣道にはこういったことにも価値がある気がします。同時にこれが日本の文化の継承なのではと感じています。
 合理的なことがより求められる昨今ですが、厄介なことにも意味があるのです。それと真剣に向かい合うことも必要ではないでしょうか。”(10月3日付け中日新聞)

 愛知県高浜市の自営業・竹内さん(女・52)の投稿文です。厄介なことは誰もが避けます。そして機械文明の発展は厄介なことを機械にさせることであったと言ってもいいでしょう。でも、その分人間の能力は衰えます。小刀で削ることも、火をおこすことも、ご飯を炊くことも苦手になりました。今の若者がどの程度か知りませんが、ひもを結ぶこともその一つでしょう。竹内さんは、こういった面での剣道の価値を認められました。
 ボクの高校時代の部活動は剣道でした。この意見に意を強くしました。ボクも剣道は非常に良い運動だと思っています。今中学3年の孫が、小学校の高学年から剣道を始めました。ボクはこのことを聞いたとき、良いことに始めてくれたと嬉しく思いました。今年が中学最後の部活動でしたがこのコロナ禍です。先日最後の対抗試合があったようです。リーグ戦で4勝1敗だったと報告してきました。その後2段の昇級試験もあり、合格したと報告がありました。ボクは高校で初段ですから、ボクよりかなり上を言っています。また高校に入っても剣道を続けると言っていたことも非常に嬉しいことです。竹内さんが言われる他に、剣道にはもっといろいろ良いことがあります。


(第3039話) 帝王切開

2020年10月23日 | 出来事

 “六十一年前の今ごろ、私は手術の痛みに必死で耐えていました。東海地方を襲った伊勢湾台風の影響で、水道もガスも電気もない親戚の病院の手術室の中です。院長夫人と父の、それぞれの両手が持つ懐中電灯四本の光だけでの帝王切開による出産でした。院長夫人から「もう少し我慢して、恵子ちゃん。赤ちゃんが出たら麻酔かけてあげるから」と言われたことは記憶にあります。それから後のことは覚えていません。
 両親や祖母は、この非常時の中での手術は大反対でした。しかし、この赤ちゃんの命は、父親である主人に決定権がありました。主人の「お願いします」の一言で手術は行われ、無事3180の女の子が誕生しました。
 産湯は古井戸の泥水しかなく、体中に湿疹ができ、退院一ヵ月後も毎日タクシーで隣町の皮膚科へ通いました。あの日、娘を産んでいなかったら今の幸せはありません。その娘は大勢の教え子に恵まれ、幸せな教員生活を送っています。非常事態の中、私のために手術をしてくださった、今は亡き院長ご夫妻に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。”(9月29日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の主婦・栗田さん(84)の投稿文です。10月の川柳連れ連れ草の句【産声が苦しみの中聞こえたよ(ペ天使)】に、ボクは「5年くらい前の連続テレビドラマのようですが、最近、アマゾンビデオで“コウノドリ”というドラマを見ました。お産のドラマです。ドラマですが、いろいろな事例を見ました。出産は奇跡と感じました。誰もがこの奇跡があって今があることを知りました」と言うコメントを添えました。
 そしてこの投稿文です。伊勢湾台風の影響がまだ残る中、懐中電灯で帝王切開の出産です。無事生まれ、今幸せな生活を送っている。ドラマ以上に奇跡です。出産は時期状況を待たない、こういう出産もあるのだ。こんなドラマを見た後だけに、より感激を覚えます。反対のある中、ご主人は出産を希望された、一瞬の判断です。この判断が違ったらこの幸せはなかった。
 ボクの家では3子目をどうするかとなった時、身近で出産で亡くなる母親が2人続いた。妻はうろたえた。そうして3子目は諦めた。これも運命です。出産を軽く見てはいけない。特に男性は気を配らねばならない。その点でボクは落第生だった。


(第3038話) 前向きに

2020年10月21日 | 意見

 “感染拡大が続く新型コロナウイルスの収束が見通せないからか、私の周りで「コロナのせいで」という悲観的な声をよく耳にする。当たり前だった日常が奪われてしまい、我慢を強いられ続けていることもあり不安が高まり、ストレスを抱えているからか。先の読めない今の状況にいつまでもネガティブな気持ちで向かっていても何ら打開策とはならない。そこで今こそ「ピンチをチャンスに」という精神が改めて必要だと私は考える。
 「コロナのせいで」と悲観することなくコロナ禍の今だからこそできることは何だろうか。思い思いに前向きな考えを持って自分と向き合えば必ず違った次の一手が思い浮かぶはずだ。大学はオンライン授業になり、私には時間に余裕ができたためジョギングと筋肉トレーニングを始めた。来春のフルマラソン初挑戦を目標にしていて、コロナ禍前よりも今は充実した生活を送れている気がする。”(9月29日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の大学生・杉村さん(男・21))の投稿文です。できないことを何かのせいにする、人が大いに陥りがちなことである。特に今回のコロナ禍は、人にいろいろな制限を加えた。ストレスをためている人は多かろう。「コロナのせいで」と言えば、すべて許されるくらいであろう。しかし、それは人には許されても、自分には何の解決にもならない。杉村さんはいいことに気づかれた。その中で何をするかである。「自分と向き合えば必ず違った次の一手が思い浮かぶはず」は良い。人にはできても自分にはできないこともある。逆もある。やはり自分を見つめて考えることであろう。「コロナ禍前よりも今は充実した生活」と言われるのは素晴らしい。ボクも中断していたラジオ体操を復活させ、お参りを兼ねた朝の散歩が定着した。新聞欄の写し書きも定着した。これらは朝に集中している。他の時間はまだまだと思うので、次の一手を探したい。ボクの机の上には「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」と言うガンジーの言葉が張ってある。


(第3037話) 分け合った

2020年10月19日 | 出来事

 “その昔、私が今でいう小学校六年生だったとき、遠足のために父が果物や菓子を買って来てくれました。夏ミカンやキャラメルなど私も妹も弟も口にしたことのないものばかりでした。遠足前夜、詰めたリュックの中身が気になってなかなか寝つけませんでした。
 母は当日の朝、麦飯にシソを入れたおにぎりを作ってくれました。遠足の行き先は学校から約五キロ離れた冷泉でした。決して広くはありませんが、湧きでる水はおいしくて卵のようなにおいがしました。その水は水筒に入れて持ち帰りました。
 遠足に持って行った果物や菓子類はもったいなくて、そのほとんどを食べることなく帰宅しました。家で妹や弟と分け合いながら食べました。”(9月28日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の糟屋さん(男・80)の投稿文です。糟屋さんは良い思い出を持たれた。貧しい中、親は精一杯の努力をし、また子供はそれを十分に理解した。まさに昔の家族愛の気がする。
 この話からボクの小学校の時の遠足を思い出した。ボクのおやつは甘納豆一袋だった。ボクはそれ程に甘納豆が好きだったようだし、親にそれでいいと言ったと思う。人に比べれば随分少なかった。親に大きな負担を掛けないようにと思ったかも知れない。陰で小さくなって食べた気がする。それでも一部持って帰った気がする。普通の日におやつなどはなかったからであろう。
 こうして思い出し始めるといろいろなことが出てくる。思い出というのはないようでもあるのである。今は当時と比べる比較できない豊かさである。豊かな分、良い思い出を作って欲しいものだ。まさか逆と言うことはあるまい。


(第3036話) 誕生祝い

2020年10月17日 | 出来事

 “昨年、病気で妻が他界した。夢も希望も遠のき、独居老人として生きる中、八十四回目の誕生日を迎えた日、思わぬ来訪者に、びっくり胸が高鳴った。近くに住む長男の子どもたち、つまり孫三人が玄関に立ち、大きな声で「誕生日おめでとうございます」と言ってくれた。「誕生祝いに三人の結婚相手を連れてきた」という。頭が真っ白になり、言葉が出なかった。
 婚姻届を三人一度に出すことは、めったにない。誕生祝いに報告をと計画し、実行してくれたとのこと。心遣いに涙がにじんだ。三人がそれぞれ相手を紹介してくれ、三組とも職場結婚であることに私は感銘を受けた。仏壇に手を合わせる六人の姿に、胸がいっぱいになった。天国に旅立った妻もさぞかし喜んで祝福していると察し、心に温かみが押し寄せた。生前の笑顔が思い出され、天を仰いだ。
 十二月に最初に次男が結婚式を挙げ、来年一月には長男、二月には長女と続く。相次いで挙式に招待され、うれしい悲鳴となった。今回の誕生祝いは冥土の土産と言っても過言ではなく、感謝の一言に尽きる。ひ孫誕生まで何とか生き抜きたい。小さな望みが押し寄せてきた。孫たちよ、ありがとう!”(9月25日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の赤松さん(男・84)の投稿文です。3兄妹が婚約者を連れて訪れ、次々と結婚式を挙げる。こんなにめでたいことは、今の世ならずとも昔でも希有のことではなかろうか。こんなことしようと思ってもできないことで、世の中にはいろいろなことがあるものだ。誕生日の日にこんな訪れを図ってくれたお孫さんは、また赤松さんの誇りであろう。
 今の世の中、2人3人の兄弟があって、全員が結婚している家庭を探すのが難しいくらいである。ボクの近くを見回すと、1人は未婚の人がいる家庭が多い。また離婚して実家に戻ってくる人も目につく。要はそれ程に結婚に執着がないのである。もちろん結婚は自由であるし、できる巡り合わせ、環境もあろう。それにしてもそれ程結婚に魅力がないのだろうか。
 今の世の中、いろいろ魅力のあるものも多い。結婚すればいろいろな制約が出てくる。これを嫌うのであろうか。それとも出会いの機会が少ないのだろうか。これについてはボクはノーと言いたい。昔に比べれば随分多い気がする。結婚を考えて付き合う勇気がないのか、また高望みが多いのか。いろいろ考えられるが、未婚者が多いのが良い傾向とは思えない。少数なら問題なかろうが、これだけ多くなると、大げさに言えば日本の存続に関わる。
 ボクはつい先日金婚式を迎えた。結婚して今までもよかったし、これからのことを考えるとよりよかったと思う。赤松さんのお孫さんたちは本当によかったと思う。この幸運を大切にして欲しい。


(第3035話) 同級生の会話

2020年10月15日 | 行動

 “退職してから小・中学校の同級生と毎週一回程度の割合でモーニングコーヒーを飲みながら互いの近況を語る定例会を催しています。男だけだと話が途切れて盛り上がりに欠けることがあったため、にぎやかで楽しい雰囲気の同級生の女性をゲストとして招いたことがありました。これが大成功でした。以降、定例会のたびに参加する女性は増え、今や女性メンバーは六人となりました。
 感染拡大が続く新型コロナウイルスの影響で男性陣では二月ごろから参加を自粛する人が増え、ここ最近はずっと私一人でした。一方の女性で自粛する人は少なく、定例会を開催し続けられていますが、最近は女子会みたいになり、自然と女性向きな会話が多くなっています。それにしても、これといった話題がないのに何となく話がつながるのは実に不思議です。定例会で耳にした面白い話はわが家での食事の際に妻との格好の話題としています。男性はロマンチスト、女性はリアリストであることを実感する今日この頃です。”(9月24日付け中日新聞)

 岐阜県多治見市の安藤さん(男・71)の投稿文です。同級生が毎週1回、喫茶店で会う、いいですね。そして、安藤さんの意見がよく分かります。ボクも似たような状況にありますので。ボクは月1回ですが、日を決めて、中学の同級生が会う機会を設けています。 平成27年からだと思いますので、もう6年になるのでしょうか。毎回10人前後が参加します。ところがこちらは、未だ男性ばかりです。でも話が途切れることはありません。同級生だからでしょうか、無駄話の中にもいい情報もあります。ボクが提案したのですが、いい催し物を提案したと思っています。
 他に、女性ばかりの中に、男性はボク1人が参加するお茶の会もあります。これはボクが老人クラブ連合会長をやったときの、女性部長だけの集まりです。ボクは特別参加です。毎月1回、10人前後が集まります。毎回2時間以上、時間を忘れて話しています。呆れていますが、楽しみでもあります。
 ボクはこうして世の中を見ながら、女性は長生きする訳だと、実感しています。女性は本当によくしゃべります。男性の集まりはほとんど無口です。一緒に座りながら、時には新聞や雑誌を読む人もいます。この違いは何でしょうか。


(第3034話) お返し

2020年10月13日 | 知識

 “六十年ほど前の昭和三十年代のことだ。明治生まれの祖母は他人から食べ物をいただくとお礼にマッチを渡していた。なぜ?ずっと不思議に思ってきた。
 今年初めに読んだ女性漫才師の第一人者内海桂子さんの本に「頂き物には必ずお返しをする」とあり「お付け木」を渡すことが紹介されていた。お付け木とは硫黄が塗ってある板切れで、かまどに火を移すときに使われたマッチのない時代の台所の必需品だったという。この本から、長い間の祖母にまつわる疑問が解けた。昭和三十年代はガスこんろを付ける際、マッチが必要だったからマッチをお返しとしたのだろう。
 九十七歳で亡くなった内海師匠の訃報に接して思った。昨今は何を渡したらいいのだろう、と。”(9月21日付け中日新聞)

 岐阜県大垣市の岩田さん(女・70)の投稿文です。またまた昔、昔の話です。頂いたもののお返しの話です。持ってきていただいたとき、お付け木やマッチを渡していたという。これは知らないが、この話から思い出したことがある。ボクが子供の頃、赤飯など重箱で持って行くと、すぐ移し替えて空の重箱を返してもらう。その時、子供の駄賃程度のお金が重箱に入っているのである。お使い賃である。当時はめでたいことがあると、赤飯をよく配ったものである。
 そうして、こうした頂き物をきちんと記録していたのである。もらったら返す、これが当時の習わしであった。礼儀であった。これを間違うと非難の対象になった。ボクの妻も母親の習慣を受け継ぎ、今もきちんと付けている。そして返礼に気をつけている。あげたものはあげたもの、貰ったものは貰ったもの、同等のものをお返ししなければならないなんておかしい、とボクは思っていた時期がある。そうして、ボクの意見のように、世の中こういうことに全く無頓着になっていった。そうなってみると、それにボクは違和感を感じるようになった。あの習慣は、世の中を円滑に、良い絆を保つための知恵であったのだ。話が長くなるので、ここらで止めますが、皆さんはどう思われるのでしょうか。