寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3733話) 体操

2024年09月30日 | 活動
 “近所の知人の誘いで5月下旬から毎日、町内会が区民会館広場で催している朝のラジオ体操に夫と参加しています。爽やかな空気を吸って体を動かせば心地よい満足感に浸れます。ラジオ体操の参加者20人ほどの大半が中高年。首に下げる出席カードに参加ごとにはんこを一つずつ押してもら、それが15個以上になると、ご褒美として会館で月に1度開かれるお茶会の参加券がもらえます。日々の体操に加え、お茶会にも顔を出し、家族や天気、スポーツなどでのおしゃべりに興じられ、私も夫も随分明るくなった気がします。この先も、皆さんへの感謝を忘れず、夫と元気に通い続けたいです。”(9月3日付け中日新聞)


 愛知県豊田市の主婦・市川さん(76)の投稿文です。ラジオ体操についてはもう何度も取り上げた。こうして毎朝地域で行っている例も紹介した。しかし原田さんの地域はその続きもあるのである。出席カードにスタンプも押す。これはボクも今年の夏休みの体操で実施した。子どもと一緒に大人も押したのである。皆結構その気になって押してもらっていた。子どもには出席回数に応じて景品を渡したが、大人は皆一律にした。原田さんのところは15回の出席でサロンの参加券が貰えるという。そういう方法もあるのか、ボクには非常に参考になる。ボクはサロンも主催しているのである。今、サロンの参加者は減り気味である。特に男性は少ない。これで誘ってみるという方法はある。来年に向けて考えてみよう。知恵は生きている間にしか使えない。



(第3732話) 最愛の亡妻

2024年09月28日 | 人生
 “2月中旬、66年連れ添った妻を亡くしました。病院から妻が危篤という連絡を受けて私は駆けつけました。私が声をかけても妻は反応しませんでしたが、ティッシュに水を含ませて口に入れたらかすかに吸ったようでした。30分ほどして逝きました。86歳でした。
 妻とは40年近く布団店を営んできました。息子3人を育てつつ、家事を担い、私の母の介護も頑張ってくれ、何かと苦労をかけました。20年ほど前に店を閉じてからは妻と2人で全国各地を旅行しました。
 妻は5年前に転倒して股関節を骨折し、車椅子生活を余儀なくされました。胆のうを患って入院したこともありました。私はこれまでの感謝を込めて、妻へはできる限りの介護に努めました。最愛の妻を失って半年。懐かしい写真を見返しては在りし日の思い出に浸っていますが、やはり寂しいです。”(9月2日付け中日新聞)


 岐阜県下呂市の熊崎さん(男・91)の投稿文です。夫婦生活66年、86歳の妻を亡くした91歳の男性の嘆き。最愛の亡妻と言われる。夫婦、普通に生活しているときは空気のようなもの、あまり意識しなこともある。ところが亡くなると大きな悲嘆に暮れる。空気ですから、なくなっては大変です。悲嘆は少ないのが良いでしょう。ではどうすればいいのか。お互い生存中によく尽くすことでしょうか。よく尽くしたら悲嘆は少ないのでしょうか。いや、返って大きいのかもしれません。夫婦仲が悪いのであれば悲嘆も少ないでしょうが、良ければ良いだけで大きいでしょう。これが自然でしょう。これで良いと思います。
 ボクは結婚のいきさつからして大変だった。そうしてもう59年過ぎた。どちらかが亡くなった時、どうなるだろう。ボクはなってみなければ分からない。妻は以外に冷静かもしれない。



(第3731話) 息子の夏休み

2024年09月26日 | 行動
 “夏休みに高校生の息子が、浜名湖まで自転車でキャンプに出かけると言う。中学生の頃から県内で1人でキャンプをしていた。今回は初の県外だし、誘った友達には断られ1人だし、本当に行くんかいな、と思った。
 直前に九州と神奈川で地震があって、息子は「キャンプやめた方がいいかなぁ」と、さすがに迷っていた。そう聞くと不思議なもので「ぜひ行ってきてほしい」と思ってしまう。そう思っても口には出さなかったが、息子は行くことに決めた。
 「浜名湖で泳いでくるわ」と言うのを「溺れてウナギのエサにならないでよ」と冗談で返す余裕があった。朝3時半に起きて4時に出発。一緒に起きて見送った。まだ暗い闇の中に自転車はスーッと消えていった。
 その日は一日家にいた。オンポロ自転車が山の中で動けなくなったら、母が車で迎えに行かなくちゃ。キャンプ場には時間内に着けるだろうか。暗い時間に山道を走るのは危ないのでは、とか。1日目も2日目も何の連絡もしてこなかったから余計に心配した。夜11時に戻る予定だが、帰ってこない。こちらはアルバイトがあるので先に寝てしまったが、夜中起きて息子の部屋を覗いたら、布団でぐっすり寝ている息子がいて、無事に戻ったんだとほっとした。”(8月31日付け中日新聞)


 名古屋市のアルバイト・飯田さん(女・49)の投稿文です。名古屋から浜名湖まで1人自転車で行く高校生。心配する母親。そんなやり取りの投稿文です。ボクは大学1年の時に、ほぼ同じことをしている。もう60年も前のことで状況はかなり違っているが、気持ちは分かる。ボクの時も両親はかなり心配したようだ。ボクに今の若い日人のことはよく分からないが、でもこんなこと位はした方がいい。スマホやゲームなど家に閉じこもることでなく、野外で活発に動く。今若い人の体力が大分落ちているという。飯田さんの息子さんは健全だと思う。
 ボクはこの時、2人で箱根まで行って帰った。5日間だった。その後、姫路城までが1週間、紀伊半島1週が2週間、北九州が23日間の自転車旅行を経験した。今思うとまさに青春であった。今その記録をパソコンに移している。いずれHPに掲載することになると思うが、その時は読んでいただきたい。



(第3730話) 夜空に咲く花

2024年09月24日 | 行動
 “めいの誘いで7月下旬のツアー旅行に参加し静岡県袋井市で開かれた全国花火名人選抜競技大会を楽しんできました。乗車したバスの駐車場から会場までの道中1.5kmほどは混雑していて、花火の人気ぶりがうかがえました。おなかにずしんと響くようなごう音が次々とし、夜空を焦がしていくと「わっ」「すごい」といった歓声があちこちで上がりました。降り注ぐ滝や四季折々を象徴する花、富士山みたいな各種の光の芸術を、うっとりとして見上げました。
 昨年の新潟県柏崎市での花火に続き、今年も夏の風物詩に触れることができ、いい思い出ができました。さて来年はどこに行こうかしら。”(8月29日付け中日新聞)
 
 愛知県稲沢市の主婦・杉浦さん(73)の投稿文です。ボクも久しぶり、今年花火大会に出かけました。8月16日、バスツアーで敦賀へ行きました。駐車場から見学場所まで、同じように1km以上歩きました。席は有料席です。ほとんどの旅行社がこのツアーを組んでいる感じで、凄い数の有料席です。今までこんなことは知りませんでした。今年のニュースを見ていると、花火大会も問題が多く、中止されたところも多くあったようです。いろいろものが言える時代になったということか、協力が得られにくくなったというか、時代は変わっていきます。大らかさや絆が減っていくのは淋しいことです。
 ボクも久しぶり目の前で花火の上がるのを見て興奮しました。全く杉浦さんと同じ感想です。杉浦さんはまた来年もどこかに行くと言われる。ボクには、機会があれば、と言うことしか言えない。



(第3729話) 目指せ100歳

2024年09月21日 | 人生
 “100歳の作家、佐藤愛子さんのエッセーを基にした映画「九十歳。何かめでたい」を見た。主演の草笛光子さんは90歳。ストーリーが進むうちに演じる草笛さんが若返って見えてきたのは、佐藤さんの元気の秘訣である飽くなき探求心と好奇心を演技で体現できたからだろう。
 スクリーンの前で、10年ほど前に老衰のため90歳で逝った母が私の脳裏に浮かんでは消えた。死後すぐに母の担当医から「長寿でした」と言われ、私は母の生きた年齢を目標にしたが、さらにその先のI00歳を目指そうと思った。私はこれまで以上に、ウオーキングや野菜作り、絵手紙といった趣味に励もうと考えている。”(8月27日付け中日新聞)


 愛知県安城市の主婦・浅見さん(74)の投稿文です。ボクは先日バスの中で「老後資金が足りません!」を見ました。草笛光子さんの溌剌とした演技、これが90歳近い人かと信じられない思いで見ました。健康器具のPRでもよく見ますね。浅見さんのお母さんは90歳で亡くなりました。そして更に上の100歳を目指すと言われます。お母さんの上を目指すのは当然でしょう、時代は進み、寿命も延びています。人生100年時代と言われるこの時代です。励んでください。
 ボクの母親は老衰で96歳で亡くなりました。父親は68歳でした。父親はすでに超えました。次は母親です。男と女は平均寿命も違います。でも100年時代です。まずは母親を目指そうと思っています。その間、どうして過ごして行くか、これも問題です。今の生活は充実していると言っていいでしょう。この期間を少しでも長くし、その後です。励みたいと思います。



(第3728話) おんぶ

2024年09月19日 | 行動
 “名古屋に住む50歳の息子から「母さんの顔が見たくなった。これから行くね」と、突然の電話。嬉しくなった。新鮮な野菜、あり合わせの食材をスーパーの袋に詰め込み待っていた。
 「急に思い立って何もみやげないよ。御免ね」と変わりなく優しい。「いいのよ、元気な姿を見せてくれるだけで嬉しいから」と私。久しぶりでも、これといった会話もなく、幼い頃から新聞が大好きな彼は、隅から隅まで読んでいる。静かな時間が流れる。
 突拍子もなく「ねぇ、おんぶして」と私。彼は「おんぶですむなら安いむんだ」と私を背負い、和室、応接間、リビング、部屋の中をぐるぐる。赤ちゃんを寝かせるように揺すって「ねんね、ねんね、寝る子は育つ」と子守唄を歌ってくれる。四十数年前に逝った父さんに「いつもおんぶしてもらった」と息子。「俺と同じことやってるな」と、主人は笑っていたことでしょう。
 大きな背中、ほっこりするぬくもり、とっても嬉しい。ああ幸せ。涙がこぼれそう。グウグウグウ。「オーイ本当に寝るなよ。この調子ならまだまだ元気でいられるな」。息子は笑いながら帰っていった。母と子の勿体ほどの、幸せな午後のひとときでした。息子よありがとう。またおんぶしてね。”(8月25日付け中日新聞)


 愛知県江南市の主婦・樋口さん(84)の投稿文です。84歳のお母さんが50歳の息子におんぶしてと言う。そしてそれを快く受け入れられた。こんなことがあるのだ。ボクから見れば、おんぶして、と言うお母さんの方が勇気がいると思う。言われた方は「仕方がないな】と言って只受け入れればいいのだ。でもこう言える親子関係、なかなかないと思う。84歳ともなると言えるのだろうか。ボクにはまず無理だ。
 妻は、20歳を超えた孫と時折ハグをしている。孫は逃げない。この行動は続きそうな気がする。家族関係もいろいろある。親子、孫がこうした行為ができるのは良い関係でなければできない。日本人は肌を触れあうことが苦手、少ないという。それだけにどんどんやってほしいものである。



(第3727話) 偉人に学ぶ

2024年09月17日 | 行動
 “日本人の平均寿命は女性87歳、男性81歳ー。医療の進歩もあって随分長くなった気がするものの、やはり肝心なのは生きた期間より、どう生きたかではなかろうか。
 6月の関東旅行で妻と千葉県の伊能忠孝記念館を訪ねた。忠孝は日本地図の作成で有名だが、それを始めたのは55歳と知って驚いた。73歳で亡くなるまでに9回、計3.5万km以上を歩いて測量したというのだから頭が下がる。持病の気管支炎に苦しみつつの作業だと聞き、並々ならぬ情熱を感じずにはいられなかった。自らの可能性を追求し、挑戦し続けた彼の姿は、没後200年を経た現代でも輝かしく映る。
 私は趣味でウオーキングや読書に励んでいるが、忠敬みたいに50代で新しいことに取り組みたいと思う。”(8月24日付け中日新聞)


 愛知県犬山市の自営業・重田さん(男・51)の投稿文です。重田さんは伊能忠敬記念館を訪れられた。そしてこの偉人からいろいろなことを学ばれた。特に高齢になってからの功績に感動された。重田さんはまだ51歳、男の平均寿命は81歳。伊能忠敬の大事業はこの年代の中で始められ、功績も示された。これではウカウカしておられない、今から新しいことを始めても十分成し遂げられる。そんな気持ちになられたのである。そして「生きた期間より、どう生きたかではなかろうか」と言われる。「ただ生きてきた、だけではいけない、どう生きるかである」と言われる。もっともである。どうせ生きるならのんべんだらりではなく、生きがいを持っていきたい。頑張って欲しいと思う。ボクは平均寿命まであとわずかである。



(第3726話) 伝統行事 

2024年09月15日 | 活動
 “わが集落では「お日待ち」と題し梅雨明け直後に催された伝統行事がありました。半世紀ぐらい前は自治会の組長宅で催されていました。用意されたおけの水で清めてから、長老がおはらいして天照大神の掛け軸の前で祝詞を唱え、農作物の豊かな実りと住民の健康を祈りました。酒を酌み交わしながら夜遅くまで仲間と世間話に興じていました。時は流れ、近年は簡素化され、料理店に同じ組の20人ほどが集まって食事を取るだけとなっていました。しかし新型コロナウイルスの影響で5年前を最後に中止になったままです。寂しい限り。来年こそは再開してほしいです。”(8月16日付け中日新聞)


 岐阜県美濃市の農業・猿渡さん(男・80)の投稿文です。ボクの村にも似たような行事があり、似たような経過をたどっている。ボクのところでは「お七夜」と言って12月であった。親鸞聖人の命日にちなんだ行事である。講組の家を順に宿とした。町内会の組と同じ組み合わせであった。全家庭が浄土真宗であったので問題はなかった。ところが新しい人が入ってくる。宗教も違ってくる。仏壇のない家も出てくる。少しずつ形を変えていく。そして宗教抜きの町内会組織となり、全くの親睦会となっていった。場所も家庭から料理屋となっていった。そしてコロナ禍で一時中止となったが、昨年からまた復活した。猿渡さんの地域と同じである。
 町内会の一つの組の年1回の顔合わせである。これがなくなると、親睦の機会はなくなる。貴重な場である。ところが高齢になりこの会に出席できない家庭が出てくる。今21軒のうち5軒が出られない。そして出席する人の中でボクが最年長者になっている。いずれ出られなくなるだろう。その時この親睦会はどうなっていくのであろうか。



(第3725話) のど自慢

2024年09月13日 | 出来事
 “番組が始まってから78年という「NHKのど自慢」を見るたび、遠い昔のあの日を思い出します。大学生だった38年前の1月でした。地元・愛知県知立市で催されることとなり、私は「チェッカーズ」のヒット曲「ジュリアに傷心」を熱唱しました。会場でのかけ声と盛んな拍手に力 をもらって見事合格した上、出場した25組のチャンピオンに選ぱれました。
 その2ヵ月後、各週チャンピオンから選ばれた20組による年間チャンピオン大会があり、私はそれに出場しました。司会者から「紅白歌合戦と同じ、このNHKホールで歌えるのはあなた方だけ」と言われたときは感激しました。日本一になることは逃したものの、憧れの舞台に立てたのはわが人生の誇りです。そのとき日本一に輝いた男性とは今も年賀状のやりとりを続けています。”(8月23日付け中日新聞)


 愛知県知立市の高校教員・秋田さん(男・59)の投稿文です。この思い出は大きいだろう。一般人がテレビなどのマスコミに出る機会というのは、ありそうでなかなかないのではなかろうか。毎日多くの一般人が出ている。でも国民の割合にすればどれだけになるのであろうか。私の周りを見てもほとんど知らない。
 そういう意味ではのど自慢は出る機会の大きいものであろう。先日その裏側を放映していたが、それでも何百人の中の20組である。秋田さんはその中で各週のチャンピオンに輝き、年間チャンピオン大会まで出場された。プロになれる可能性もあったろう。人生の誇りと思われて当然である。挑戦されてよかったと思う。もしプロになられたらどうだったろう。良い思い出などとは言っておられないだろう。厳しい世界が待っていたと思う。



(第3724話) 会話できるレジ

2024年09月10日 | 意見
 “近くのスーパーでは数台あるレジのうち有人は1台しかなく、買い物客が列をなすため、私はすぐに精算できるセルフレジを好む。しかしセルフだと電子音が響くだけで、寂しくなって有人レジに並びたくなる。レジの店員から「支払いはクレジットカードですか? 現金ですか?」「マイバッグ、ありますか?」と矢継ぎ早に尋ねられると一瞬ドギマギするが、そんなやりとりに妙に温かみを覚えてホッとする。思い返せば子どものとき、なじみの青果店や鮮魚店に行けば店員の「新鮮なものが入ったよ。まけとくよ」とにぎやかな声が行き交っていた。
 セルフレジが世の中に増えるのも、昨今の人手不足や経費節減ゆえだろうが、レジ全てを無人とするのはやめてもらいたい。”(8月10日付け中日新聞)


 愛知県半田市の竹内さん(女・62)の投稿文です。高齢者には辛い時代になった。世の中は常に変わっており、これはいつの時代でも同じかもしれない。でも昨今の変化は大きすぎる。ついちょっと前の時代を懐かしむ気持ちも起きる。この投稿もその一つであろう。どこへ行っても何の話もしなくても過ぎてしまう時代である。何か機械に動かされている感じである。人との触れ合いがない。これが合理的、人手不足などいろいろあろう。でもこれが本当に良い社会なのだろう。
 人間が触れあってこそ、人間社会である。その触れ合いがなくなる。絆もなくなる。便利に生きていくだけが人間社会だろうか。人間は一人では生きていけない。今までの触れ合い、絆に変わるものは何だろうか。それが見つかればいいが・・・。