“近くに住む知人の女性が10月、79歳で亡くなった。病気のため余命を宣告されてからの数力月間、彼女は家族のために遺言を残しながらも、つらさを見せることなく常に前向きに振る舞っていた気がする。自らの葬儀の段取りを決め、招待者リストもこしらえていたと聞く。通夜には本人の願い通り百数十人が集まった。スクリーンで彼女が演歌を披露する姿が映し出され、その演出に皆笑顔で見入っていた。遺言に「七回忌まで営んでほしい」とあったのは、明るく優しかった彼女のこと、夫に「それまで元気でいて」というメッセージだろうと感じた。私の悲しみは癒えないが、彼女とは幸せな別れだったと思っている。”(12月2日付け中日新聞)
名古屋市のパート・寺沢さん(女・61)の投稿文です。人間の真価は死ぬまで分からない。寺沢さんの友人はみごとな最後であった、と言われる。自分の葬儀の段取り、更にはその後のことまで配慮されている。この投稿文を読んで、ボクもそのように思う。人間最後の振る舞いはどのようになるのか、なってみなけらば分からない。平生は悟ったようなことを言っていても、支離滅裂な振る舞いになるかもしれない。多分、この方が多いのではなかろうか。
自分は何も残せなかった、と思われている人も、この友人のように、最後を讃えられることもあろう。だから生きている間は命を粗末にしてはいけない。与えられた命である、慈しみ全うしよう。
名古屋市のパート・寺沢さん(女・61)の投稿文です。人間の真価は死ぬまで分からない。寺沢さんの友人はみごとな最後であった、と言われる。自分の葬儀の段取り、更にはその後のことまで配慮されている。この投稿文を読んで、ボクもそのように思う。人間最後の振る舞いはどのようになるのか、なってみなけらば分からない。平生は悟ったようなことを言っていても、支離滅裂な振る舞いになるかもしれない。多分、この方が多いのではなかろうか。
自分は何も残せなかった、と思われている人も、この友人のように、最後を讃えられることもあろう。だから生きている間は命を粗末にしてはいけない。与えられた命である、慈しみ全うしよう。