寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3777話) 知人の通夜

2024年12月30日 | 出来事
 “近くに住む知人の女性が10月、79歳で亡くなった。病気のため余命を宣告されてからの数力月間、彼女は家族のために遺言を残しながらも、つらさを見せることなく常に前向きに振る舞っていた気がする。自らの葬儀の段取りを決め、招待者リストもこしらえていたと聞く。通夜には本人の願い通り百数十人が集まった。スクリーンで彼女が演歌を披露する姿が映し出され、その演出に皆笑顔で見入っていた。遺言に「七回忌まで営んでほしい」とあったのは、明るく優しかった彼女のこと、夫に「それまで元気でいて」というメッセージだろうと感じた。私の悲しみは癒えないが、彼女とは幸せな別れだったと思っている。”(12月2日付け中日新聞)


 名古屋市のパート・寺沢さん(女・61)の投稿文です。人間の真価は死ぬまで分からない。寺沢さんの友人はみごとな最後であった、と言われる。自分の葬儀の段取り、更にはその後のことまで配慮されている。この投稿文を読んで、ボクもそのように思う。人間最後の振る舞いはどのようになるのか、なってみなけらば分からない。平生は悟ったようなことを言っていても、支離滅裂な振る舞いになるかもしれない。多分、この方が多いのではなかろうか。
 自分は何も残せなかった、と思われている人も、この友人のように、最後を讃えられることもあろう。だから生きている間は命を粗末にしてはいけない。与えられた命である、慈しみ全うしよう。



(第3776話) 恩師の一言

2024年12月28日 | 教訓
 “小学校5~6年生で担任だった先生は、児童に分け隔てなく接して声をかける優しい人でした。友達に誘われて私は小・中学生向けの写生大会に行きました。そこで先生と偶然会い、描きかけの私の絵をのぞき込んで「この絵、好きだよ。温かみがあるから」と。あまり他人に褒められた経験がなかった私はこの先生の一言ですっかり気分を良くしました。私の絵は入選に輝き、後日、先生は級友の前で私の受賞を報告してくれました。これが私の自信につながり、どちらかというと引っ込み思案だった面は霧散し、われながら性格は随分と明るくなることができました。
 思い返せば、先生と出会えたことが私にとって人生の岐路になりました。感謝しています。”(11月29日付け中日新聞)


 名古屋市の高井さん(男・71)の投稿文です。恩師の言葉が与える影響は大きい。そして小さい頃のことはより大きい。高井さんは、小学校の時に先生からかけられた言葉で、気分が良くなり、その後積極的になられたと言われる。これは先生に限らず、親や周りの人も心がけねばならないことである。最近、子供は誉めて育てよ、とよく言われることである。それがこれである。
 ボクは田舎の小さな小学校の優等生であったので、よくは覚えていないが、誉められていたのだろう。でも誉められたことより叱られたことの方がよく覚えている。廊下に立たされて往復ビンタを食らったこともある。今なら問題視されていたかもしれない。そして今の若者は、誉められて育った故に、打たれ弱い、そして気に食わないとすぐ止めてしまう、そんな気がするのはボクだけだろうか。何事も一面ばかりではいけない気がする。



(第3775話) 母の口癖

2024年12月26日 | 教訓
 “1日付本欄「母への感謝し尽くせず」を読んでまさにその通りだと感じ、母への思いが一層増してきました。私は母と同居していて、母のところにご飯を持っていくと「こんなにもありがとう、ありがとう」と言いました。私が「もう言わんでいい」と繰り返しても、いつもこんな調子でした。4年前、母は101歳で逝きました。そこで初めて私は母に私の方から「ありがとう」と言っただろうかと自問しました。父は戦死して、母は女手一つで苦労しながら私を育ててくれました。孫にあたる私の子どもたちにも愛情をいっぱい注いでくれ、私の育児や家事を助けてくれました。孫たちが来るとうれしそうで、皆で母の車椅子を押して散歩に行ったり、食事に行ったりしました。「もっともっと親孝行したかったのに・・・・」仏壇やお墓で私は母に感謝の念を示しつつ「親孝行できなくてごめんね」と語りかけています”(11月29日付け中日新聞)


 愛知県安城市の主婦・稲垣さん(78)の投稿文です。ありがとう、と言われて気分を悪くする人はいないだろう。ほとんどは嬉しいはずである。それは誰もが感じている。感じていながらも、自分からは発しない。人間は何とも理不尽なものである。稲垣さんのお母さんは「ありがとう」を連発されていた。そして自分はと振り返られる。そしてもっと親孝行したかった、と嘆かれる。親の恩に勝るものなし、いくら孝行しても後悔は尽きない、それが親子であろうか。全く何もできなかった赤児からある程度の成長までの苦労と同じ事を親に尽くすことはしょせん無理である。できることはその恩を自分の子供に尽くすことであろう。
 でも「ありがとう」は言える。これは心がけ次第である。ボクは昔は「済みません」とよく使ったものだが、反省した。使うなら、ありがとう、である。ボクは何かにつけて、ありがとう、を言っているつもりである。ボクら夫婦はお互いに、ありがとう、をよく言う、と思っている。でも少し、慣れ、惰性になっている気がする。心から伝えるようにしなければいけないだろう。



(第3774話) お華束

2024年12月24日 | 知識
 “浄土真宗の宗祖、親鸞の命日を28日に控え、本山の東本願寺(京都市)に奉納する餅飾り「お華束」が20日、一宮市の正念寺で完成した。28日までの法要「報恩講」の間、東本願寺に飾られる。
 一宮、稲沢両市などの木曽川沿岸の旧中島郡の大谷派門徒でつくる「中島郡会」のメンバーら約100人が、300キロの米でおよそ8千個の丸餅をつくり、大小12基のお華束を製作。東本願寺にマイクロバスで運んだ。
 正念寺住職の野田広実さん(66)によると、旧中島郡は133年前の濃尾地震で甚大な被害を受けた地域。惨状を知った東本願寺の現如上人が救援活動に訪れた。その恩返しとして、お華束の奉納が始まったという。野田さんは「中島郡会の高齢化が進んでいるが、地域の伝統を守っていきたい」と話した。”(11月26日付け中日新聞)


 記事からです。 中島郡は丹羽郡の隣である。そして中島郡会の会員に知り合いがあって少しは状況を聞いている。そしてボクの所属する丹羽郡十八日講とは、比較にならない規模ということも知っている。そしてこの記事である。違いをもっと知った。丹羽郡十八日講では12月12日に御華束作りをした。少し比較してみる。中島郡は100人、300キロとある。丹羽郡は35人、120キロである。もうこれだけで分かろうというものである。中島郡は東本願寺本山用であり、丹羽郡は名古屋東別院用である。当然であろうか。
 しかし、規模に違いはあっても、浄土真宗の支援団体であることは同じである。中島郡の野田さんが「中島郡会の高齢化が進んでいるが、地域の伝統を守っていきたい」と言うことも同じである。高齢化まっしぐらである。若い人でも70歳半ば、上は90歳に近い。どこまで続けられるか、一番は人であろう。宗教に限らず既存の組織はどこも同じの気がする。



(第3773話) まさか私にも

2024年12月22日 | 出来事
 “平日の正午ごろ、わが家の固定電話が鳴り、同居の長男を名乗る男が「寄ってもいいかな。今、名古屋だから1時間半ぐらい後。投資のトラブルがあって・・・」と。受話器を手にした私はそぱの妻ともども平常心を失いました。15分後、再び電話があり、出た妻は「今日中に200万円ほしい」と言われて慌てだしたため私は電話を代わりました。男は「100万円でもいい」と続けたので、私は「そんなお金はない。投資をやめ、早く帰って説明しなさい」と声を荒らげました。すると電話は切れました。
 夕方、仕事から帰宅した長男に妻が説明を求めると、キョトンとしながら「それは、詐欺だよ」と。わが家はニセ電話詐欺とは無縁と信じ切ってきただけに、反省しきりです。”(11月26日付け中日新聞)


 愛知県一宮市の和田さん(男・93)の投稿文です。電話はいろいろなことがかかってくる、特に固定電話はそうである。そして多くはセールス、アンケートなど余りありがたくない要件が多い。そしてこの詐欺電話である。ボクの家ではほとんど覚えがないが、聞いてみるとかなりの人に聞く。少し対応を見違えれば大事である。これでは固定電話はない方がいい。今はスマホあるので、常時の人はスマホがほとんどである。
 詐欺被害は、報道等で見ると凄い額である。他人事と思わず、常に気をつけておらねばいけない。そして、これは高齢者ほど多いようだ。今は良いと思っても、いつそうなるか分からない。便利になるのもいいが、本当にこれがいいのだろうか、疑問に思うことも多い。特にSNSなどどうだろう。いい加減な発言で、世の中まで動かしてしまう。それも最初は一人であろう。触らぬ神に祟りなし、高齢者はほどほどにしておいた方がいいかもしれない。



(第3772話) 挑戦してみたい

2024年12月20日 | 行動
 “ジョギングやジャズダンス、バレエ、和太鼓・・・・。さまざまな趣味に挑戦してきた私ですが、高校生のときから憧れた武道はなかなか始めるきっかけを見いだせません。特に関心が強かったのは合気道や弓道、空手で、技を決めるのが実に格好良く見えました。特に空手はテレビ番組で紹介されると、ついまねをしたくなってテレビの前で体を動かしてきました。
 近くに住む小学校3年生の孫娘が今年から空手を習っています。技を習得すると楽しいらしく、体全体が柔らかくなった上、言葉遣いが丁寧になったのも空手の効果のよう。孫娘の様子に触れ、私は「七十の手習い」を前向きに考え始めました。”(11月21日付け中日新聞)


名古屋市のパート・古橋さん(女・72)の投稿文です。本当に様々な事に挑戦された古橋さんです。今度は空手と言われる。72歳の女性です。人様々と言いますが、これほどの人があるのでしょうか。好奇心は大切です。それがいろいろな引き金になる。発展になる。高齢者は、とかく引っ込み思案になると思いますが、高齢者こそ大切です。うまくならなくてもいい、まずはやることです。それが老化防止に繋がります。若い人はジッとしていてもそれ程に衰えないが、高齢者はすぐに衰えます。今日行くところがある、用事がある、それにはいろいろなことをすることです。ボクもいろいろなことをやってきたが、これらはしたことがないし、こんなにはしてこなかった。でもやり始めことは、比較的長く続けてきた。それが今も暇を持て余すことなく過ごせる理由であろう。



(第3771話) 中学同窓会

2024年12月18日 | 活動
 “中学校の同窓会が10月、岐阜県美濃市で催されました。1966年に閉校となったものの、同窓会は数年ごとに開かれて、今回は7年ぶりでした。卒業生150人のうち半数近くが鬼籍に入り、皆高齢となったこともあって今回が最後の開催となりました。私も含め40人ほどが出席し、食事をしながら懐かしい学校生活を思い返しつつも、近況報告では自身の体調や家族の話題も出て互いに気遣いました。校歌を合唱しましたが、皆まだ歌詞とメロディーを覚えていて実に盛況でした。最後の幹事あいさつの一環として私は、音楽の授業で習った米国の黒人哀悼歌「オールド・ブラック・ジョー」を歌いました。中学校の仲間は永遠-。機会があればまた集まりたいです。”(11月19日付け中日新聞)


 岐阜県美濃市の沢村さん(男・80)の投稿文です。何とか終いが多くなりました。年賀状にこうした同窓会もそうです。そして80歳が一つの区切りのようです。他にも同じような投稿文がありました。沢村さんは7年ぶり、150人のうち40名が出席とあります。それだけの出席があればボクにはまだ続けてもいい気がします。
 というのはボクも今年11月30日に開きました。元々は108名、今回は35名に案内を出して21名の参加でした。そして今後も続けていきます。3年ほど前にこれを最後にしようと思いましたが、続くて欲しいという要望があり、それに応えることにしました。本当はボクは参加者があれば何人の出席者でもいいのです。ただいろいろな機会を持ちたいだけです。



(第3770話) 17音に没頭

2024年12月15日 | 行動
 “10年ほど前から本紙の時事川柳への投稿に挑戦している。「軽く」「明るく」「はすに」の三つのイメージを、五・七・五に盛り込むよう、心がけている。自分でもひねりが効いたものができると、気持ちが明るくなって、憂さが晴れたような気になれる。
 新聞各面の見出しから題材を探している。題材が決まったら、その記事を何度も読み、そこでの印象的な語句をスマートフォンのメモアプリに記録しておく。それら語句を入れ替えて推敲して、記事一つあたり3作品を詠むことを目指している。
 たった17音でも大変な集中力と根気が必要。―句を完成させるのに半日かかることだってある。それでも新聞を読むのは楽しく、投稿作品が選者の目に留まって入選でもしようものなら天にも昇る気持ちとなる。認知症予防にもつながれば、まさに「一石二鳥」以上。”(11月21日付け中日新聞)


 愛知県一宮市の後藤さん(男・76)の投稿文です。17音に没頭である。17音の最も一般的は俳句であろうが、その他にもある。後藤さんは時事川柳と言われる。川柳とは言われていない、何か意図があるのであろうか。ボクは川柳を始めて40年以上である。それなりの流れは分かっているつもりである。川柳と一言で言っても、一人一派というほど様々である。そこを心得て時事川柳と言われたのだろうか。ボクも昔はいろいろ思ったが、今は何も気にしていない。それぞれ良いと思うこと、やりたいことをやること、続けることが重要と思っている。
 先日に続いて一石二鳥の話しであった。高齢者は何をやっても一石二鳥になるのである。本来の楽しみとやることによる心身の健康である。面白いものである。



(第3769話) 家計簿の中に

2024年12月13日 | 行動
 “結婚して家計簿をつけだしてはや40年。これまでの家計簿は全て収納棚に保管しており、気になったときに開いている。毎日の出入金をはじめ、その日の献立、ちょっとした出来事もつづってある。
 わが子2人が幼かったときのものを見ると、書かれた病院名と医療費から、風邪をひいた子どもをおんぶしたり、自転車に乗せたりして病院まで寒い日に連れて行った記憶がよみがえってくる。2人が成長するたびに私と夫それぞれの実家から祝い金をもらってきて、そんな記述を目にすれば、感謝の念が込み上げてくる。こんな家計簿はわが家の「生き証人」。これからも大切にしたい。”(11月16日付け中日新聞)


 愛知県幸田町の主婦・吉見さん(64)の投稿文です。わが妻も全く同じことをしている。結婚して以来同じ家計簿を使い続けている。毎日の余白欄は日記代わりになっている。考えて見ればボクの日記よりも長い。読み返してみれば、貴重な記録であろう。先日頼まれて来年の家計簿を買ってきた。黙っていても死ぬまで続けてくれるだろう。時にはボクにも参考になっている。続けるということは大変であるが、その分価値があることである。頼もしい相方である。



(第3768話) 大きな夢を

2024年12月11日 | 行動
 “次女の通う高校のPTA研修会が10月にあり、在宅医療に尽力する地元の医療法人理事長の講演を聴いた。患者とその家族の思いに応えようという奮闘ぶり、在宅医療への熱意が伝わってきた。中でも特に私の心に残ったのは「夢以上のことはかなわないから大きな夢を持つことが大事だ」という言葉。49歳という理事長自身も、日本一の在宅緩和ケアの診療所をつくるという夢を掲げているそう。
 私も現在の職を定年まで務め上げるとすると、あと5年半。そろそろ定年後を真剣に考えなけれぱならなくなってきた。わが家には介助が必要な障害がある長女がおり、その経験を生かしたことはできないかと考え始めた。かの理事長みたいに大きな夢を掲げられたらと思う。”(11月16日付け中日新聞)


 三重県四日市市の会社員・鈴木さん(男・54)の投稿文です。「夢以上のことはかなわない」という言葉、だから大きな夢を持ちなさい、と言われる。そうとばかりは言い切れないと思うが、一理であろう。夢を描いて邁進する、邁進する目標がなくてはどこに邁進していいか分からない。鈴木さんは定年退職まであと5年は、その先を考えるに早過ぎると言うことはない。退職だから終わりではない。平均寿命まで生きても20年以上ある。もっと長い可能性は大である。短いと言うことはない。ことによっては定年退職は新たな始まりでもある。鈴木さんは良い話を聞かれた。是非真剣に考えてほしい。
 ボクはどうだったか、ただ流れに任せた気分はある。でも、それまでの体験を生かして一宮友歩会を始めた。そして老人会にも関わった。それが今となっては大きな効果となっている。退職後をもっと真剣に考えて始めたらどうなっていたろうか。もっと生き生きとした老後があったろうか。人生、その年に戻ることはできない。ただ今もこうした生活ができているので、良しとしておこう。