寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2565話) 平和のために

2018年01月30日 | 意見

 ”    【平成のために何をしたらよいか 君自身が平和の人になり給え(毎田周一)】
 今日の世界を見てみると、あちらこちらで紛争や戦争が起きている。日本は抑止力と称して武器を持って平和を望んでいる。仏教では兵戈無用といって、本当の豊かさや平和は武器も戦争のための自衛隊も要らないと説く。
 ところが最近の日本は、自衛隊を軍隊として憲法九条に付け加える案が出ている。それはいつでもどこでも戦争ができる国にすることである。「集団的自衛権」を国会で強行採決した。この法案がある以上、米国から要請があれば地球の裏側であろうと自衛隊は参加しなければならない。現在の自衛隊は二面ある。一つは軍隊でなく災害救助隊としての活躍。だから自衛隊は必要だという人もいる。それなら武器は要らない。防衛費五兆円の一部を福祉に使えば、どれだけ国民のためになるか。作家の住井すゑさんは「憲法九条は日本文化の宝である」という。私自身改めて平和の人となることを考えたい。”(1月16日付け中日新聞)

「今週の言葉」から同朋大名誉教授の中村薫さんの文です。「話・話」では身近な出来事を紹介することに努め、政治的なことや宗教的なこともあまり取り上げていない。それは政治宗教はいろいろな主張意見があり、賛否両論様々であるからである。またあまり意見も採り上げていない。言うだけなら何でも言えるからである。今回取り上げたのは、毎田周一さんの「君自身が平和の人になり給え」という言葉に強く同感を覚えたからである。これは何も平和だけのことではない。地域活動でも会社でも家庭でもまず自分が望む人になりなさい、と言うことである。現代社会、自分をかえりみず、人に要求するだけのことが多すぎる気がしている。要求の結果がどのように繋がっていくのか、よく考えて発言したいものだ。
 そして中村薫さんは、ボクにとって時折話を聞く機会がある身近な人であるからである。中村さんはボクのことは知らない。でもこういう文を読んで、中村さんにますます興味を覚えるのである。


(第2564話) 「落ちない」

2018年01月28日 | 活動

 ”大学入試センター試験初日の十三日、稲沢市平和町のメタウォーター下水道科学館あいも(県下水道科学館)で、落ちない、滑らない仕組みのマンホールのふたに願掛けする企画展「マンホールDEゲン担ぎ!」が始まった。三月十八日まで。
 マンホールのふたは円形で直径が一定のため、開け閉めの際に落下してしまうことはない。表面は滑らないよう、さまざまな溝も施されている。展示は「落ちない、滑らない」にちなみ、試験に臨む受験生を応援しようと、初めて企画した。
 会場では、ふたが落下しない仕組みをプラスチックの模型で解説。昨年十月に新しく決まった県のマンホールのふたのデザインも並ぶ。県の鳥で幸運を呼ぶ鳥といわれるコノハズクと、県花で花言葉は「幸運が来る」のカキツバタがモチーフになっており、縁起がいいという。円形のシールに願い事を書き込むスペースも用意した。(後略)”(1月14日付け中日新聞)

 記事からです。愛知県下水道科学館はボクも少し関係したことがあって、いつも関心がある。そこで粋な企画である。期間中に一度訪れてみたいと思う。
 街中を歩けば、下水道に限らずいろいろなマンホールがある。ボクはホームページを作り始めてその題材として、マンホールの写真を撮って紹介しようと思った。ウォーキング中にできることであり、ボクのホームページにふさわしい内容である。が、あまりにあり過ぎて、ウォーキングにならないのであきらめた、と言う経緯がある。マンホールの多くはその土地にふさわしいデザインが施してある。眺めるだけでも楽しいし、その土地を知ることにもなる。そのマンホールをゲン担ぎにするとはまた面白い発想である。いろいろな人がいろいろな知恵を出す。当たる場合もあるし、残念で終わることもある。でもいろいろやってみることである。


(第2563話) 湖上の水田

2018年01月26日 | 知識

 ”湖上に浮かび、舟でしか行くことのできない水田が滋賀県近江八幡市にあることを昨年知った。「権座(ごんざ)」と呼ばれているそうだ。同じ県内に長年いながら、私はそれまでまったく知らなかった。
 つなぎ合わせた小舟に鉄板を置き、その上に農機具を載せて田んぼまで運ぶ。収獲物も舟で岸まで運ぶという。転覆の危険もあり舟の上での作業には時間を要する。通常の稲作の何倍も手間がかかるだろうが、地元の人たちが田を守るために汗を流している。人と人とのつながりを大切にしながら集落を守ろうとする地元住民のひたむきな姿勢に私は感動すら覚えた。
 昨年は骨折して現地に行くことはできなかったが、今年は収穫期の風景を見に行きたいと思っている。”(1月14日付け中日新聞)

 滋賀県彦根市の主婦・松本さん(79)の投稿文です。「権座」、初めて聞く言葉です。水郷の町、近江八幡ですからそんな知恵もあったのだろうと、納得できます。昔、大名が大きな川を渡った時にやった舟橋のようなものでしょう。これほどまでにして稲作をし、水田を守った来たのかと、日本人の知恵と苦労に感慨を覚えます。現代はそんな知恵も放棄し、休耕田を増やし続けてきた。時代の流れというのはこんなものなのでしょうか。今では貴重な風景でしょう。
 少し風景は違いますが、ボクの隣村に「島畑」というものがあります。田んぼの中に小さな畑が点々とあります。水田を開墾する際に、導水できる高さまで土地を掘り下げた際に出る残土を水田の中に積み上げたもののようです。昔は各地にあったようですが、隣村の島畑は、残された貴重な風景のようです。ここにも先人の知恵や苦労があります。そう遠くない時期になくなるでしょう。今のうちに見ておかれるのもいいでしょう。


(第2562話) 繰り返す日々

2018年01月24日 | 活動

 ”日の出は遅く、まだ暗い中、五時半の目覚ましで起床するのは勇気がいる。愛犬の元気をもらい、「エイ」と声を出して布団から出る。列車通勤の息子を六時半に送り出し、身支度をしてまた「ヨシ」と掛け声。愛犬が散歩を心待ちにしている。
 歩くうちに、日の出とともに朝日に照らされ、山々が赤く染まっていく。ああ、なんて美しいんだろう。感動の白い息を吐き、散歩を終え、私の職場、小学校へ出勤。校務の仕事はもっぱら外仕事が主である。しっかり防寒しての作業。今日は剪定した枝の片付けをした。枝の下は切り取って何日もそこに置いてあったせいで、葉が腐り小さな昆虫がわいていた。片付けていると、ジョウビタキがじっとこちらを見ている。虫を食べに来たようだ。「たくさん召し上がれ」と声をかけてみた。山吹色をした尾羽の美しいこと。見ていて笑顔になった。
 給食の支度と片付けをし、一日の仕事を終え帰宅すれば、また愛犬の散歩だ。午後五時になると、夕焼けの赤を背に帰り、夕食の準備をする。そんな日々は繰り返されるが、それが幸せなのだと、年を重ねて感じるようになった。今日も自然に感謝の一日だった。また明日も頑張ろう。”(1月14日付け中日新聞)

 岐阜県川辺町の公務員・今井さん(女・54)の投稿文です。前回は毎日の行動、今回は繰り返す日々です。関連ありです。日々を見ればそれ程に変化がないのが普通です。時折は大きな出来事や変化が起こりますが、日々の変化は少しずつです。同じ事を繰り返しながら、後になって見てみたら結構な変化があったことに驚きます。これが我々凡人の生活です。毎日同じ事が繰り返されることに物足りなさを持ったら、苦痛の日々です。今井さんはそれを幸せと理解された。今井さんは毎日の行動をよく見つめ、観察し、喜びを見つけるように過ごされている。平凡は幸せなのです。前回の嶋村さんは、それを記録し、振り返ることによって、平凡を幸せと感じ、変化も覚えられているのでしょう。
 実はボクは今年4月以降を心配しています。昨年6月までの在職中はないと言ってもいろいろあります。また昨年4月から老人クラブ連合会長になり、それ以前より忙しくなりました。それも今年3月で終わり、4月から本当の無職になります。ボクはどちらかというと自分を追い込み、忙しくして来た人と思っています。暇なことに耐えられるでしょうか。次第に慣れるとは思いますが、当分戸惑う気がします。この文を思い出したいものです。


(第2561話) 毎日の行動

2018年01月22日 | 人生

 ”五年ほど前まで自分の一日の行動を手帳に書き込んでいました。作業が終わって線を引くとき、この上ない達成感を得られたものです。手帳をめくれば一週間分の動きなどがすぐに分かったものです。忙しさにかまけていつしかメモをしなくなってしまった今、自分が何をしていたかをすぐに忘れてしまうことが多く、不安に感じることがあります。「あのときにメモしておけば良かった」。そう後悔することも少なくありません。
 それで一念発起して昨年のうちに新年用のメモ帳を買いました。家事でもどんな仕事でもメモをするという作業はその人の力になり、財産にもなると思うからです。新しいメモ帳には一日のやるべきことを記入し、前向きな気持ちで一日一日を大切にして過ごしていくつもりです。そうすれば日々の充実感ももっと味わえるのではないでしょうか。私はそう考えています。”(1月4日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の訪問看護士・嶋村さん(女・43)の投稿文です。日々の行動を記録する、している人もしていない人もあろう。習慣であろう。していた人がしなくなると、落ち着かないものである。嶋村さんはまさにそんな体験者であり、ボクも最近全く同じ体験をした。
 ボクは在職中は毎年同じ手帳を使っていた。予定を書き込み、また行動結果を書き込む。行動結果は、行動時間も分かるように何時から何時と棒線を入れるものであった。昨年6月の退職し、今年からはそんな必要もあるまいと思って、100円ショップで適当なものを買ってきた。ところが使い始めてみると何とももの足りないのである。ここで数百円を惜しむこともあるまいと思って、ネットで探して買い直した。昨年までとは違うものではあるが、今にあうよりいいものが見つかった。習慣ではあろうが、記録することは大切なことである。これだけ物覚えが悪くなると、より大切である。予定も結果も書き込む。書き込む作業もボケ防止である。


(第2560話) 丁寧にありがとう 

2018年01月20日 | 出来事

 ”師走に入ったみぞれの降る寒い日のこと。急ぎ足で銀行に入ろうと角を曲がった時、「ピシャツ」と私の足に水がかかった。すぐに若い男性が、「すみません」と言った。私とすれ違い、走り彼けていった男性が、わざわざ戻って来たのだった。そして、もう一度頭を下げて「すみませんでした」と言い、忙しそうに走り去った。
 とっさのことで、私は「いいえ」としか応えられなかった。ふと、「どういう人だったのかな」と振り返ってみると、その男性は宅配便の配達の車に乗り込むところだった。仕事柄、猫の手も借りたいほど多忙な師走の時期だろうに、わざわざ戻ってきた男性の態度に感心した。
 急いでいたため水たまりに足を踏み入れ、彼自身の靴もきっとぬれただろう。「故意にしたわけでもないのに、何と丁寧なこと」と思いながら、男性が乗る車を見た。「『ご苦労様、ありがとう』と、こちらからも声掛けすればよかった」と侮やんだ時には、車はもう走り去ってしまっていた。寒い冬の朝、一瞬の出来事だった。この心温まる出来事は、一日中私の心を優しく包んでくれた。”(1月1日付け朝日新聞)

 新潟県長岡市の大久保さん(女・73)の投稿文です。悪意はなかった、少し注意が散漫だった、こんな間違いは人間茶飯事である。自分自身で納まっていることはほとんど毎日であろう。それが人に影響を与えることとなると、少し問題だ、この青年は、とっさに謝った。しかし走り抜けてから、謝り方がぞんざいであったと思った。すぐ引き返して再度丁寧に謝った、こんな光景であろう。大久保さんはその態度に感心された。走らねばならないほど急いでいるのである。一度きりの出会いである。一応は謝った。少し気にはなるが、このままでも何ら気にすることはない。そんな時引き返すのである。これはその青年がそうせねば気が済まない誠意、精神である。いつまでも気になって居心地が悪いことはしたくない。それならすぐに行動に移すべきだ。こうは思ってもしないことが多いのが普通である。


(第2559話) 裏切りたい

2018年01月18日 | 人生

 ”死というものがまだ遠い存在だった二十代の頃、占い師に将来の運勢をみてもらった。そのときに「寿命は七十一歳だ」とはっきりと言われた。その運命の七十一歳に、私は十月になるのだ。
 塩分やプリン体を取りすぎないように食事に気を付け、運転免許証を返納してなるべく歩くようにしてきたにもかかわらず、昨年は大腸がんを患った。高血圧などの体のあちこちの不調から逃れることはできなかった。
 いよいよ私にとって運命となる新しい年を迎えたが、心身ともにまだ健康でなるべく長く社会を支える側でいたいと思っている。まずは数年前に消滅してしまった地域の老人会を復活させることが目標だ。参加者は多いのだが、運営する人がほとんどいない状況だからだ。今年こそ、占い師の見立てが間違いだったと私が身を持って証明したいと思っています。”(1月1日付け中日新聞)

 愛知県尾張旭市の山木田さん(男・70)の投稿文です。20代の人に「寿命は七十一歳だ」とはっきりと言われるとは、どんな占い師であったろうか。ボクは占いやおみくじ、姓名判断、血液型などほとんど信じない。ほとんどと言うより全くと言った方がいいだろう。実はボクも20代の頃に姓名判断をしてもらったことがある。職場に印鑑を売りに来た人である。その姓名判断では、もうこの世にいることが不思議なくらい悪い判断であった。山木田さん以上であったろう。子供が生まれた時名付けの本を読んだことがある。その本に、ある占い師に付けてもらった名前を持って、別の占い師のところへ行ったら必ず否定するだろう、と書かれていた。全く納得である。以来こういうことは信じないことにしている。山木田さんは自分を信じて精進されることであろう。
 ボクがこの文で気になったことは「数年前に消滅してしまった地域の老人会を復活させることが目標だ」と書かれていることである。「参加者は多いのだが、運営する人がほとんどいない状況」と書かれていて、どこも同じだなあ、と感心してしまう。ボクの地域も、と言うより全国どこも同じであろう。なくなって、惜しんでも遅いのである。ボクもこの問題に今直面している。


(第2558話) 今日のほっこり

2018年01月16日 | 活動

 ”昼時。「今日のほっこりな記事」がLINE(ライン)を通じて私に届く。夫が仕事の昼休みに新聞各紙から選んだ心にしみ込む、癒やしてくれる投稿記事だ。ここ8ヵ月ほど、毎日続いている。
 犬を飼ったことのない私が「犬を飼いたい」と言った時は、ペットをどんな覚悟で飼うのかを教えてくれる記事。客の落とした1円玉を大切に扱う店員さんの思いやりの記事や、実のなる木を庭に植えるのが好きな夫とそっくりな人の記事が届く日もある。どれも共感できて、その時その時を、私たち2人で共に生きていることを確認させてくれる内容だ。
 30年以上一緒に暮らしていても時折すれ違ってしまう心を、ほっこりな記事は「こっちだよ!」と引き寄せてくれる気がしてうれしくなる。私も毎回、メッセージを返す。それは「夫に優しくできているかな。思いやりを持らて接しているかな」と振り返る、大切なひとときでもある。多くの記事から教えてもらった生き方をスパイスに、よりいい味を出し、自分らしく、人にも尽くせる未来を歩んでいきたいと思う。さて、今日のほっこりは何だろう。”(12月25日付け朝日新聞)

 山梨県山梨市の主婦・志村さん(58)の投稿文です。会社の昼休みに新聞を読んで過ごす人は多かろう。そして、読んだ新聞で気になったことをLINEで妻に知らせる。現代らしい夫婦の交流に1つの方法であろう。夫婦と言えども面と向かっては言いにくいこと、伝えにくいことはある。後でと思ったことを忘れてしまうこともある。LINEでそれを上手に補う。志村さんはそれをほっこりな記事として嬉しく受け入れている。夫婦の中も、生活も、いろいろなものを上手に取れ入れれば良い。世の中には一途にならねばならないものもあるし、いろいろなものを使い分けるものもある。道具などは使い分けるものの1つであろう。現代ではスマホなどは使い分けるものの代表であろう。素村さんのほっこりな記事は8ヶ月である。8ヶ月をもうというか、まだというか・・・夫婦の期間にしてみればまだ8ヵ月である。続けられることを期待したい。


(第2557話) 「葬儀」様変わり

2018年01月14日 | 意見

 ”近所に葬儀社の車が止まっていたので、その家のお年寄りが亡くなったことを知った。後日、近くの自治会の組長に話すと「聞いていない。弔事の際の取り決めもある。香典などを準備しないと」と驚いた様子だった。以前は掲示板に訃報を知らせる案内があったが、いつしかそれも取りやめになった。
 かつて私の住む地区では住民の葬儀の日、係の住民が鐘を打って地区内を回ったものだ。午後一時なら一回、二時なら二回・・・と開始時刻も知らせていた。そんな風習を復活させられないものだろうか。
 新聞の地方版には「おくやみ欄」があり、住所と氏名が載っているが、公表を控える家族もいると聞く。家族だけで葬儀をする人も増えているそうだ。葬儀場所は斎場が主流となり、自宅で行う人は少なくなってきた。日本は世界トップクラスの長寿社会だが、隣近所で助け合う機会が減り寂しい限りだ。”(12月21日付け中日新聞)

 三重県津市の伊藤さん(男・69)の投稿文です。冠婚葬祭も時代と共に変わっていく。ボクの子供の頃と比べればすべてが大変わりであるが、特に葬儀について大きく変わったと思う。地域によって風習の違いもあると思うが、ボクの父親が亡くなった昭和50年代は、まだ近所の人が助け合って自宅でしていた。そして葬儀場ができ、次第にそちらに移っていった。それは大きな違いとなった。近所の手伝いも減り、その内なくなった。最近は家族葬が凄い勢いで増えている。近所なのに亡くなっていたことを随分後に知ることもある。冠婚葬祭の簡素化を叫ばれた結果であろうか。それはここまでを想定していたろうか。もうほとんど絆、人の付き合いが感じられない。全く個々である。だから埋葬の方法も様々になっている。お墓もなくなろうとしている。先祖のつながりも否定されてきている。懐古趣味に浸る気はないが、人間どこへ行こうとしているのだろうか。こうした時代になった現在の地域の仕組みができていない。行き着く先はどこだろうか。ボクには見えない。


(第2556話) ユズ

2018年01月11日 | 知識

 ”冬至にはカボチャを食べて、ユズ湯に入ってー思えば、ユズのように季節行事に絡む果物は、ほかにないのではないか。秋口に青い実をつけて、冬を迎える頃きれいな薄黄色に熟す香酸柑橘類。さわやかな酸味と上品な香りは和の雅を感じさせ、古くから親しまれてきた。
 ユズを湯船に浮かべるユズ湯は、江戸時代の湯屋で始まったという。寒さが厳しくなる時期、よく温まり、しかも香りや色に癒やされるとあって、広く定着したのもうなずける。
 和食の世界においては、料理を引き立てる名脇役だ。中身をくりぬいて使う柚子釜、料理に添える松葉柚子などの飾り切りこなどは、いかにも優美。果皮の一片を添えるだけでも、どこか特別感が漂う。(後略)(12月17日付け中日新聞)

  食のライター・清水ふみえさんの「旬のフルーツもの思い」からです。我が家にもユズの木はある。あまり手入れをしないから当然かもしれないが、あまり大きなユズはならない。でももったいない精神でそんなユズも使い切る。もっぱらユズ湯である。今は毎回湯に浮かんでいる。そんなユズを手で持ち、匂いを嗅ぎ遊んでいる。ユズは季節行事に絡む最大の果物かは、ボクには分からない。我が家にはあるから身近である。ない家では買ってでも使うのだろうか? 聞いてみたいものだ。あるというのはありがたいものだ。少し調べて見ると”寿命が長く病気にも強い柚子の木にならって、柚子風呂に入って無病息災を祈る風習になった”とある。我が家の柚の木も古くなった。
 今年はカボチャも長持ちした。そしてお陰で冬至に食べることができた。冬至にカボチャを食べると風邪を引かない、という。現にこの冬はまだ風邪を引いていない。