寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3740話) デイの皆さん

2024年10月14日 | 人生
 “デイサービスを受けるべく6月から介護施設に週2日、送迎バスで通っています。施設では新聞や本を読んだり、筆で写経したり、体操やカラオケをしたり・・・。中でも、通うようになってできた友人とのおしゃべりは格別。施設で提供される昼食もおいしくて、訪問の楽しみの一つとなっています。
 スタッフは皆親切です。私が椅子から立ち上がろうとしたとき、転ばないようにとさっと手を差し伸べてくれます。家族との連絡ノートでは、その日の取り組み状況や健康状態を丁寧に書いてくれます。それを妻は毎回目にして安心しているよう。スタッフの皆さん、これからもよろしくお願いします。”(9月23日付け中日新聞)


 三重県大台町の小西さん(男・82)の投稿文です。高齢になれば体の衰えは避けられないことである。いくら健康でも、ぽっくりいかない限り、いつかは誰かに頼らざるをえない。小西さんは週2回のデイサービスを受けられるようになった。そしてこの様に楽しく感謝の日々である。本当によかった。
 ところがこうは言えない人が多そうである。行ってもつまらない。何もすることもなくポケット過ごして返って悪くなってしまう。もう行きたくない。そんな声をたくさん聞く。ボクの母も長いこと施設でお世話になった。その状況を見てきた。2人とも老人施設にはできるだけお世話になりたくないと思っている。先日、サロンで在宅医療について話しを聞いた。今はかなりのことを在宅で受けられるようになっていることを知った。昔に比べ選択肢は増えている。いろいろ知識も得て、その時の状況に応じた適切な選択をしたい。



(第3739話) 句集完成

2024年10月12日 | 行動
 “月に1度通っている川柳の同好会は創設6年目に入った。そこで過去5年間に会員が思い思いに詠んだ句をまとめることになった。私は、半世紀前に参加していた現代詩の同好会で冊子を作った経験があり、今回の句集作りに立候補した。
 会員たちの句は600以上。それを一つずつ入力して印刷し、ページを割り付けてホチキスでとじ込み、最後に背表紙をのりで貼るのに4カ月を要した。そして仲間7人に出来上がった句集を配れたのは7月の句会だった。皆が喜ぶ顔を見ただけでこの間の疲れが吹き飛んだ。句集を開けば、作句の参考にもなりそうで、今後のレベルアップが期待できそうな気がしている。”(9月20日付け中日新聞)


 愛知県岩倉市の松波さん(男・85)の投稿文です。川柳句集の作成を85歳の松波さんが立候補して完成された。1人でされたのであろうか。苦労もあるが、楽しい作業でもある。そして完成したときの喜びは大きい。そして、今後の句作りにも参考になる。過去の経験が自信になって立候補だったようだ。いいことずくめである。何でもやってみるものである。
 ボクも今年は、一宮友歩会50回達成記念誌に続いて、例会100回達成記念誌を作った。150部作った。ほぼ1人で行った。過去を思い出しながら楽しい作業であった。まとめることによってこれからの参考にもなる。
 今、学生時代に行った「中国・北九州1周自転車旅行」の記録を、パソコンに向かってデジタル化の作業を始めた。もう50年近い昔のことで、覚えていることも多いが、忘れていることも多い。読んでビックリしながら進めている。この作成は100回達成記念誌より手間がかかりそうだ。年内には終えたいと思っている。これも作る楽しさである。



(第3738話) 我慢せず

2024年10月10日 | 意見
 “「薬を飲むのは体に良くないこと」―。そう思っている人はとても多いです。確かに薬には副作用があるので、ある意味正しいかもしれませんが、本当に必要な薬でも避けてしまう患者さんがいます。よくあるのは、痛み止めを我慢してしまう患者さんです。私が専門にしている膵臓がんは、痛みが出やすいことで有名な病気です。あおむけなどの体を反るような体勢をとると、痛みが強くなります。そのため、いつも猫背で生活し、横向きで丸まって就寝することが多くなります。
 「我慢はできるけど、一日中おなかが重い感じ」というのは、よくある症状です。それでも「我慢できるから、痛み止めは必要ありません」という患者さんが多いのです。我慢強い日本人特有の性質かもしれませんが、頑張り過ぎるのは良くありません。日本人は気持ちを表現することや、人に頼ることが苦手です。でも、病気になったときぐらい、我慢せずに頼ってください。痛みを取って気持ちを打ち明けると、心が楽になり、余裕が生まれ、安心できます。医療者側の理解も深まり、いいケアにつながります。
 病院には、優れた痛み止めがあります。頼れる専門看護師が、何でも相談に乗ってくれます。「我慢強い日本人」をやめましょう。いつもそう思っていますが、それができる患者さんは少ないです。”(9月17日付け中日新聞)


 「メディカル・トーク」から愛知県がんセンター消化器内科部長原さんの話です。薬には副作用がある、多くの人が知っていることです。そしてなぜ痛み止めは我慢する人が多いのでしょう。痛いのは自分で分かるからでしょう。この程度なら我慢できる、副作用の恐さよりこの方が先に立つのでしょう。その他の薬は自分で判断できないので、言われたままに飲むより仕方がありません。全てとは言いませんが、医者は次から次へと薬を出します。どこか気になると言えばすぐ薬が出ます。医者も病院もある面商売です。薬を出すことによって経営が成り立っています。大きなレジ袋をいっぱいにして帰る人も見かけます。このことを多くの人は知っています。ですから何か用心する気持ちが生じていると思います。この多くは妻を見ていての感想です。妻は少々のことは医師には告げません。言えば薬が出ることを用心しているからです。変な話しです。患者と医師は信頼関係です。信頼がなければ成り立ちません。
 長原さんは我慢はしないでください、信頼してください、と言われます。本当にそうでしょう。そうなって欲しいと思います。



(第3737話) 盆ちょうちん

2024年10月08日 | 行動
 “昨年9月に81歳で他界した妻の初盆の準備をしていて、思い出したのは40年前に逝った父の初盆。故人の霊を迎える際の目印とされる「盆ちょうちん」を妻と葬儀屋で四つ買い集めて仏壇の前に飾ったものの、訪れた人は残念ながら少なかった。今回、妻の盆ちょうちんは準備するのをやめようと思ってきたが、7月に葬式を営んだ農協からカタログが届いて考えが変わった。やはりできる限りのことをしようと思い、玄関用に一つ、仏壇用に二つを購入し、仏壇の二つは妻が好きだった桜の絵入りとした。祭壇の供物は同居の次男の妻が用意してくれた。
 56年連れ添った妻の初盆は今回限り。子どもや孫、親族、近所の人と来訪者は多くなかったが、「帰省」した妻は喜んでくれたかな。”(9月13日付け中日新聞)


 愛知県新城市の平沢さん(男・84)の投稿文です。盆ちょうちん、ボクも昔は飾っていた。特に意味も知らず、季節の行事とし、風流を愛でる位の気分であった。平沢さんの投稿文で意味を知った。また最近知り合いになった女性の家庭も飾っていると聞いた。最近は外ばかりでなく、家庭でもいろいろ省略することが多い。「話・話」第3726話や第3726話でも書きました。省略は潤いのない生活に繋がります。高齢になって面倒が嫌になったこともありますが、時間が無いわけではない。もう一度見直したい、そんな気分です。いろいろな人のやり方を知りながら、自分の生活も見直す、これが「話・話」 の価値です。



(第3736話) 3つの趣味

2024年10月06日 | 行動
 “属する老人会を介して、いずれも20年以上続ける三つの趣味が生きがいとなっています。まずは絵手紙。知人の誘いで25年前から教室に月2回通っています。仲間6人で和気あいあいとしながら月10枚を目標に描いています。次がグラウンドゴルフ。週3回、公園で仲間10人と楽しんでいて、年が若いメンバーと一緒だと私まで若返った気がします。月2回のカラオケは大声で歌えば格好のストレス解消。私にとってまさに健康の秘訣です。
 夫は98歳。庭で野菜作りにいそしみ、それを見ているだけで励みになります。私も「負けじ」と料理や娘同伴による買い物に出かけます。小・中学生のひ孫3人の成長がとにかく楽しみです。”(9月7日付け中日新聞)


 愛知県刈谷市の森島さん(女・93)の投稿文です。三つの趣味が生きがいと言われる。絵手紙、グラウンドゴルフ、カラオケである。いずれも高齢者にはふさわしいものである。いいものに出合われたと思う。それだから93歳である。そしてご主人は98歳と言われる。こうした話しを聞くと本当に長生きできる社会になったと実感する。2人揃って100歳までいけるだろう、至福の夫婦である。
 ボクは先日「人生120年時代」と言われる78歳の人の講演を聴いてきた。120歳を目指すと言われるのである。冗談でも凄いものである。本人は至って元気、やる気満々である。今の状態を見ていれば120歳と言いたくなるのも無理ないかもしれない。「人は考えたとおりの人間になる」という言葉もある。まずは夢を描くことであろう。
 三つの趣味については、絵手紙は英人書で、カラオケは読経で、グラウンドゴルフはそのままで、ボクに当てはまる。



(第3735話) マンホールカード

2024年10月04日 | 行動
 “夫は、マンホールカードの収集に熱心である。ご当地のデザインにこだわったマンホールの蓋のカードだ。初めのころは、旅行やウォーキング大会のついでにもらってきていた。最近はカードをもらうためだけに、あちこち出掛けている。
 8月はJRの青春18きっぷを使って福井・敦賀、三重・伊賀、滋賀・大津などに行った。数日前から配布場所や電車の乗り継ぎなどをインターネットで調べてシミュレーションしている。当日の朝は始発の電車に乗るため、4時半に起床。リュックサックを背負って意気揚々と出掛けていく。
 夕方、汗だくになって帰ってくる。だいたい3~5ヵ所ぐらい回って、歩数にすると2万歩前後のようだ。元気に歩き回っているが、7月下旬に心臓のカテーテル手術をしたばかりで、私としては大丈夫か心配している。ある時、「死んだら棺桶にマンホールカード入れてあげようか」と言ったら「そんなもったいないことやめて。俺だと思って大切にして」と返ってきた。聞いておいてよかった。私はてっきり喜んでもらえると思っていたから。
 夫は、ステージ3のがん患者でもある。だけど落ち込んだり悩んだりしている暇はない。今日も三重・松阪ヘマンホールカードを求めて出掛けていった。”(9月3日付け中日新聞)


 名古屋市の主婦・榊原さん(65)の投稿文です。昔からいろいろな収集する人はあった。美術品や骨董品は財産的価値があった。紙類で行けば切手や神社仏閣の御朱印帳があった。それくらいではなかったか。それが今や何でもありの感がする。特に紙類は集めやすい。城だのダムだの、そしてこの話のようにマンホールまであるという。集めてもらう方にしてみれば知恵の出しどころである。それが金銭に繋がることも多い。榊原さんのご主人は健康にも繋がっている。一石二鳥である。一石三鳥かもしれない。続けて欲しいと思う。
 人の趣味にとやかく言うつもりはない。そしてその多くはその人の趣味止まりである。そのまま残されたら遺族は処分に迷うだろう。榊原さんは奥さんに自分だと思って大切にして欲しいと言われた。希望は伝えておくべきである。



(第3734話) 高齢者衣服に

2024年10月02日 | 知識
 “弥富市は、徘徊の可能性がある市内のお年寄りらの衣服やかばんなどに貼り付けるシールの無償配布を2日から始めた。発見者がシールに印字されたQRコードをスマートフォンで読み取ると、家族に電子メールで通知される仕組みで、行方不明になった場合の早期発見につなげる狙い。
 シールは衣服やバッグ、つえなどの持ち物に貼ることを想定。洗濯可能なものと、夜間に光るものを1人計30枚配る。対象は市に住民票があり、在宅で生活している行方不明の恐れがある人。市介護高齢課で登録する人の名前や写真、身長などを登録すると、初回は無料でシールをもらえる。
 QRコードを読み込んだ第三者からは、個人情報が読み取れない仕組みとなっている。担当者は「各地で行方が分からなくなる人が増えている。元気なうちに見つかるよう、シールを見つけた人も積極的にQRコードの読み込みをしてもらえたら」と話した。(9月3日付け中日新聞)


 記事からです。徘徊する人をいかに見つけ出すか、危険から救うか、その一つの方法である。QRコードの付いたシールを付けてもらい、これはと思う人に会った人がそのQRコードを読み取るのである。高齢化社会である。認知症の人も徘徊する人も増えてくる。いくらか遅らせることはできるが、増えるのはやむを得ないことである。特に徘徊は大変である。本人の危険もさることながら、その家族は右往左往である。寝るにも寝られない。地域で、社会でこれをどう防ぐか、いろいろな方法が示されている。スマホでその人の位置を把握する方法もあるらしい。ともかくできる手法は駆使しなければならない。個人も役所もである。
 ボクの母も数回徘徊らしきことがあったが、、足が弱かったので遠くは出かけられなかった。ボクはどうなるであろう。足が丈夫なままだったら、それこそどこまで行くか分からないだろう。こんなことを考えていたら生きていけない。皆に見守ってもらうより仕方がない。



(第3733話) 体操

2024年09月30日 | 活動
 “近所の知人の誘いで5月下旬から毎日、町内会が区民会館広場で催している朝のラジオ体操に夫と参加しています。爽やかな空気を吸って体を動かせば心地よい満足感に浸れます。ラジオ体操の参加者20人ほどの大半が中高年。首に下げる出席カードに参加ごとにはんこを一つずつ押してもら、それが15個以上になると、ご褒美として会館で月に1度開かれるお茶会の参加券がもらえます。日々の体操に加え、お茶会にも顔を出し、家族や天気、スポーツなどでのおしゃべりに興じられ、私も夫も随分明るくなった気がします。この先も、皆さんへの感謝を忘れず、夫と元気に通い続けたいです。”(9月3日付け中日新聞)


 愛知県豊田市の主婦・市川さん(76)の投稿文です。ラジオ体操についてはもう何度も取り上げた。こうして毎朝地域で行っている例も紹介した。しかし原田さんの地域はその続きもあるのである。出席カードにスタンプも押す。これはボクも今年の夏休みの体操で実施した。子どもと一緒に大人も押したのである。皆結構その気になって押してもらっていた。子どもには出席回数に応じて景品を渡したが、大人は皆一律にした。原田さんのところは15回の出席でサロンの参加券が貰えるという。そういう方法もあるのか、ボクには非常に参考になる。ボクはサロンも主催しているのである。今、サロンの参加者は減り気味である。特に男性は少ない。これで誘ってみるという方法はある。来年に向けて考えてみよう。知恵は生きている間にしか使えない。



(第3732話) 最愛の亡妻

2024年09月28日 | 人生
 “2月中旬、66年連れ添った妻を亡くしました。病院から妻が危篤という連絡を受けて私は駆けつけました。私が声をかけても妻は反応しませんでしたが、ティッシュに水を含ませて口に入れたらかすかに吸ったようでした。30分ほどして逝きました。86歳でした。
 妻とは40年近く布団店を営んできました。息子3人を育てつつ、家事を担い、私の母の介護も頑張ってくれ、何かと苦労をかけました。20年ほど前に店を閉じてからは妻と2人で全国各地を旅行しました。
 妻は5年前に転倒して股関節を骨折し、車椅子生活を余儀なくされました。胆のうを患って入院したこともありました。私はこれまでの感謝を込めて、妻へはできる限りの介護に努めました。最愛の妻を失って半年。懐かしい写真を見返しては在りし日の思い出に浸っていますが、やはり寂しいです。”(9月2日付け中日新聞)


 岐阜県下呂市の熊崎さん(男・91)の投稿文です。夫婦生活66年、86歳の妻を亡くした91歳の男性の嘆き。最愛の亡妻と言われる。夫婦、普通に生活しているときは空気のようなもの、あまり意識しなこともある。ところが亡くなると大きな悲嘆に暮れる。空気ですから、なくなっては大変です。悲嘆は少ないのが良いでしょう。ではどうすればいいのか。お互い生存中によく尽くすことでしょうか。よく尽くしたら悲嘆は少ないのでしょうか。いや、返って大きいのかもしれません。夫婦仲が悪いのであれば悲嘆も少ないでしょうが、良ければ良いだけで大きいでしょう。これが自然でしょう。これで良いと思います。
 ボクは結婚のいきさつからして大変だった。そうしてもう59年過ぎた。どちらかが亡くなった時、どうなるだろう。ボクはなってみなければ分からない。妻は以外に冷静かもしれない。



(第3731話) 息子の夏休み

2024年09月26日 | 行動
 “夏休みに高校生の息子が、浜名湖まで自転車でキャンプに出かけると言う。中学生の頃から県内で1人でキャンプをしていた。今回は初の県外だし、誘った友達には断られ1人だし、本当に行くんかいな、と思った。
 直前に九州と神奈川で地震があって、息子は「キャンプやめた方がいいかなぁ」と、さすがに迷っていた。そう聞くと不思議なもので「ぜひ行ってきてほしい」と思ってしまう。そう思っても口には出さなかったが、息子は行くことに決めた。
 「浜名湖で泳いでくるわ」と言うのを「溺れてウナギのエサにならないでよ」と冗談で返す余裕があった。朝3時半に起きて4時に出発。一緒に起きて見送った。まだ暗い闇の中に自転車はスーッと消えていった。
 その日は一日家にいた。オンポロ自転車が山の中で動けなくなったら、母が車で迎えに行かなくちゃ。キャンプ場には時間内に着けるだろうか。暗い時間に山道を走るのは危ないのでは、とか。1日目も2日目も何の連絡もしてこなかったから余計に心配した。夜11時に戻る予定だが、帰ってこない。こちらはアルバイトがあるので先に寝てしまったが、夜中起きて息子の部屋を覗いたら、布団でぐっすり寝ている息子がいて、無事に戻ったんだとほっとした。”(8月31日付け中日新聞)


 名古屋市のアルバイト・飯田さん(女・49)の投稿文です。名古屋から浜名湖まで1人自転車で行く高校生。心配する母親。そんなやり取りの投稿文です。ボクは大学1年の時に、ほぼ同じことをしている。もう60年も前のことで状況はかなり違っているが、気持ちは分かる。ボクの時も両親はかなり心配したようだ。ボクに今の若い日人のことはよく分からないが、でもこんなこと位はした方がいい。スマホやゲームなど家に閉じこもることでなく、野外で活発に動く。今若い人の体力が大分落ちているという。飯田さんの息子さんは健全だと思う。
 ボクはこの時、2人で箱根まで行って帰った。5日間だった。その後、姫路城までが1週間、紀伊半島1週が2週間、北九州が23日間の自転車旅行を経験した。今思うとまさに青春であった。今その記録をパソコンに移している。いずれHPに掲載することになると思うが、その時は読んでいただきたい。



(第3730話) 夜空に咲く花

2024年09月24日 | 行動
 “めいの誘いで7月下旬のツアー旅行に参加し静岡県袋井市で開かれた全国花火名人選抜競技大会を楽しんできました。乗車したバスの駐車場から会場までの道中1.5kmほどは混雑していて、花火の人気ぶりがうかがえました。おなかにずしんと響くようなごう音が次々とし、夜空を焦がしていくと「わっ」「すごい」といった歓声があちこちで上がりました。降り注ぐ滝や四季折々を象徴する花、富士山みたいな各種の光の芸術を、うっとりとして見上げました。
 昨年の新潟県柏崎市での花火に続き、今年も夏の風物詩に触れることができ、いい思い出ができました。さて来年はどこに行こうかしら。”(8月29日付け中日新聞)
 
 愛知県稲沢市の主婦・杉浦さん(73)の投稿文です。ボクも久しぶり、今年花火大会に出かけました。8月16日、バスツアーで敦賀へ行きました。駐車場から見学場所まで、同じように1km以上歩きました。席は有料席です。ほとんどの旅行社がこのツアーを組んでいる感じで、凄い数の有料席です。今までこんなことは知りませんでした。今年のニュースを見ていると、花火大会も問題が多く、中止されたところも多くあったようです。いろいろものが言える時代になったということか、協力が得られにくくなったというか、時代は変わっていきます。大らかさや絆が減っていくのは淋しいことです。
 ボクも久しぶり目の前で花火の上がるのを見て興奮しました。全く杉浦さんと同じ感想です。杉浦さんはまた来年もどこかに行くと言われる。ボクには、機会があれば、と言うことしか言えない。



(第3729話) 目指せ100歳

2024年09月21日 | 人生
 “100歳の作家、佐藤愛子さんのエッセーを基にした映画「九十歳。何かめでたい」を見た。主演の草笛光子さんは90歳。ストーリーが進むうちに演じる草笛さんが若返って見えてきたのは、佐藤さんの元気の秘訣である飽くなき探求心と好奇心を演技で体現できたからだろう。
 スクリーンの前で、10年ほど前に老衰のため90歳で逝った母が私の脳裏に浮かんでは消えた。死後すぐに母の担当医から「長寿でした」と言われ、私は母の生きた年齢を目標にしたが、さらにその先のI00歳を目指そうと思った。私はこれまで以上に、ウオーキングや野菜作り、絵手紙といった趣味に励もうと考えている。”(8月27日付け中日新聞)


 愛知県安城市の主婦・浅見さん(74)の投稿文です。ボクは先日バスの中で「老後資金が足りません!」を見ました。草笛光子さんの溌剌とした演技、これが90歳近い人かと信じられない思いで見ました。健康器具のPRでもよく見ますね。浅見さんのお母さんは90歳で亡くなりました。そして更に上の100歳を目指すと言われます。お母さんの上を目指すのは当然でしょう、時代は進み、寿命も延びています。人生100年時代と言われるこの時代です。励んでください。
 ボクの母親は老衰で96歳で亡くなりました。父親は68歳でした。父親はすでに超えました。次は母親です。男と女は平均寿命も違います。でも100年時代です。まずは母親を目指そうと思っています。その間、どうして過ごして行くか、これも問題です。今の生活は充実していると言っていいでしょう。この期間を少しでも長くし、その後です。励みたいと思います。



(第3728話) おんぶ

2024年09月19日 | 行動
 “名古屋に住む50歳の息子から「母さんの顔が見たくなった。これから行くね」と、突然の電話。嬉しくなった。新鮮な野菜、あり合わせの食材をスーパーの袋に詰め込み待っていた。
 「急に思い立って何もみやげないよ。御免ね」と変わりなく優しい。「いいのよ、元気な姿を見せてくれるだけで嬉しいから」と私。久しぶりでも、これといった会話もなく、幼い頃から新聞が大好きな彼は、隅から隅まで読んでいる。静かな時間が流れる。
 突拍子もなく「ねぇ、おんぶして」と私。彼は「おんぶですむなら安いむんだ」と私を背負い、和室、応接間、リビング、部屋の中をぐるぐる。赤ちゃんを寝かせるように揺すって「ねんね、ねんね、寝る子は育つ」と子守唄を歌ってくれる。四十数年前に逝った父さんに「いつもおんぶしてもらった」と息子。「俺と同じことやってるな」と、主人は笑っていたことでしょう。
 大きな背中、ほっこりするぬくもり、とっても嬉しい。ああ幸せ。涙がこぼれそう。グウグウグウ。「オーイ本当に寝るなよ。この調子ならまだまだ元気でいられるな」。息子は笑いながら帰っていった。母と子の勿体ほどの、幸せな午後のひとときでした。息子よありがとう。またおんぶしてね。”(8月25日付け中日新聞)


 愛知県江南市の主婦・樋口さん(84)の投稿文です。84歳のお母さんが50歳の息子におんぶしてと言う。そしてそれを快く受け入れられた。こんなことがあるのだ。ボクから見れば、おんぶして、と言うお母さんの方が勇気がいると思う。言われた方は「仕方がないな】と言って只受け入れればいいのだ。でもこう言える親子関係、なかなかないと思う。84歳ともなると言えるのだろうか。ボクにはまず無理だ。
 妻は、20歳を超えた孫と時折ハグをしている。孫は逃げない。この行動は続きそうな気がする。家族関係もいろいろある。親子、孫がこうした行為ができるのは良い関係でなければできない。日本人は肌を触れあうことが苦手、少ないという。それだけにどんどんやってほしいものである。



(第3727話) 偉人に学ぶ

2024年09月17日 | 行動
 “日本人の平均寿命は女性87歳、男性81歳ー。医療の進歩もあって随分長くなった気がするものの、やはり肝心なのは生きた期間より、どう生きたかではなかろうか。
 6月の関東旅行で妻と千葉県の伊能忠孝記念館を訪ねた。忠孝は日本地図の作成で有名だが、それを始めたのは55歳と知って驚いた。73歳で亡くなるまでに9回、計3.5万km以上を歩いて測量したというのだから頭が下がる。持病の気管支炎に苦しみつつの作業だと聞き、並々ならぬ情熱を感じずにはいられなかった。自らの可能性を追求し、挑戦し続けた彼の姿は、没後200年を経た現代でも輝かしく映る。
 私は趣味でウオーキングや読書に励んでいるが、忠敬みたいに50代で新しいことに取り組みたいと思う。”(8月24日付け中日新聞)


 愛知県犬山市の自営業・重田さん(男・51)の投稿文です。重田さんは伊能忠敬記念館を訪れられた。そしてこの偉人からいろいろなことを学ばれた。特に高齢になってからの功績に感動された。重田さんはまだ51歳、男の平均寿命は81歳。伊能忠敬の大事業はこの年代の中で始められ、功績も示された。これではウカウカしておられない、今から新しいことを始めても十分成し遂げられる。そんな気持ちになられたのである。そして「生きた期間より、どう生きたかではなかろうか」と言われる。「ただ生きてきた、だけではいけない、どう生きるかである」と言われる。もっともである。どうせ生きるならのんべんだらりではなく、生きがいを持っていきたい。頑張って欲しいと思う。ボクは平均寿命まであとわずかである。



(第3726話) 伝統行事 

2024年09月15日 | 活動
 “わが集落では「お日待ち」と題し梅雨明け直後に催された伝統行事がありました。半世紀ぐらい前は自治会の組長宅で催されていました。用意されたおけの水で清めてから、長老がおはらいして天照大神の掛け軸の前で祝詞を唱え、農作物の豊かな実りと住民の健康を祈りました。酒を酌み交わしながら夜遅くまで仲間と世間話に興じていました。時は流れ、近年は簡素化され、料理店に同じ組の20人ほどが集まって食事を取るだけとなっていました。しかし新型コロナウイルスの影響で5年前を最後に中止になったままです。寂しい限り。来年こそは再開してほしいです。”(8月16日付け中日新聞)


 岐阜県美濃市の農業・猿渡さん(男・80)の投稿文です。ボクの村にも似たような行事があり、似たような経過をたどっている。ボクのところでは「お七夜」と言って12月であった。親鸞聖人の命日にちなんだ行事である。講組の家を順に宿とした。町内会の組と同じ組み合わせであった。全家庭が浄土真宗であったので問題はなかった。ところが新しい人が入ってくる。宗教も違ってくる。仏壇のない家も出てくる。少しずつ形を変えていく。そして宗教抜きの町内会組織となり、全くの親睦会となっていった。場所も家庭から料理屋となっていった。そしてコロナ禍で一時中止となったが、昨年からまた復活した。猿渡さんの地域と同じである。
 町内会の一つの組の年1回の顔合わせである。これがなくなると、親睦の機会はなくなる。貴重な場である。ところが高齢になりこの会に出席できない家庭が出てくる。今21軒のうち5軒が出られない。そして出席する人の中でボクが最年長者になっている。いずれ出られなくなるだろう。その時この親睦会はどうなっていくのであろうか。