寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3750話) 妻への感謝

2024年11月03日 | 行動
 “27日で、結婚50周年を迎えます。結婚してからは、正月を迎えるたび家族写真を欠かさずに撮ってアルバムに収めてきました。最初は兵庫県の妻の実家で親族と一緒に納まりましたが、わが子が生まれれば家族3人の写真となり、すぐに家族4人となりました。わが子2人が就職して巣立ったら、私と妻の2人だけとなりましたが、長男は結婚して子どもが2人でき、近年は3世代の記念写真となっています。15年ほど前から撮影する場所は家の裏庭と定まり、アルバムをめくれば孫の成長ぶりは一目瞭然。
 わが家には、私たちの結婚を記念して親戚からもらった振り子の柱時計があり、今も時を刻んでいます。年に2~3回、振り子を調整するのが常。どんなに感謝してもし尽くせない妻には「ありがとう」という気持ちでいっぱいです。”(10月12日付け)中日新聞)


 岐阜県多治見市の清水さん(男・75)の投稿文です。家族写真を正月に毎年撮る、それが50年と言われる。写真である、生きた家族の歴史である。50枚の写真で家族の変化も一目瞭然である。続けるというのは素晴らしい成果を生む。ボクもやるべきだったと、思う。だがそんな発想はほとんどなかった。人生、ほとんどのことは戻ることはできない。残念だった。
 ただ残念だったでいいだろうか。ボクの夫婦はあと何年あろうか。数年だろうか、それとも十数年だろうか、いやもっと長かろうか、それが今のところでは誰も分からない。今からでもおめかしして撮るのも良かろう。もうおめかしさえ忘れている。本気で考える必要がある。
 そして清水さんは奥さんへの感謝も忘れていない。ボクも妻がいることは本当にありがたい、と思っている。共にある間にできることは何でもするべきである。



(第3749話) 歩いて気づく

2024年11月01日 | 行動
 “少しでも運動しようと自転車通勤をやめて4月から徒歩に改めた。片道20分の道中、ハンドルを握っているだけでは見落としていた街の四季折々の風景に気付く日々。サルスベリやアサガオを眺めるだけで気持ちも和らぐ。中でも最近私が気になっているのが、接骨院の前に置かれた看板だ。
 看板には日替わりで言葉の解説が書かれている。凹凸と凸凹の違いをはじめ、ゴルフのバーディーやイーグルといった鳥に関する言葉が登場する理由といった雑学のオンパレード。野球の投球練習場であるブルペンは雄牛の囲い場という意味とあり、野球好きの高校生の長男にそのことを伝えたら興味を示していた。さて次はどんな話題だろうか? 私の朝の楽しみとなっている。”(10月12日付け中日新聞)


 名古屋市のパート・林さん(女・53)の投稿文です。この投稿文で驚いたのは、毎日掲示板の文が違うと言うことです。接骨医院の方が、通る人に向けての発信でしょう。通る人に雑学的情報で楽しみを与える。毎日にとなると何事も大変です。大変な努力を要します。それだけ勉強もしなければならない。でもする方も楽しみになっているはずです。それでなければ続きません。ボクのこの「話・話」 も同じです。大変な努力を要しますが、楽しみもあって続いています。
 そしてもう一つビックリしたのは、自転車から歩きに変えて、風景が一変したということです。見落としていたものが見えるようになった、と言われる。では車だったらどうでしょう。全く何も見えていないことになります。でもこれは本当です。ウォーキング愛好家のボクだからよく分かります。いろいろ歩きましょう。そしていろいろな発見をしましょう。



(第3748話) 骨密度

2024年10月30日 | 出来事
 “無料検診クーポンが名古屋市から届いたこともあり、8月、かかりつけの病院で初めて骨密度を計測し、手のひらにエックス線を当てた。結果は正常値でホッとした。この2~3年、ともに今は亡き父方の祖母と母方の祖母が90代で相次いで大腿骨を折ったことから、私は間食の際、なるべく小魚やチーズ、ヨーグルトといったカルシウム摂取に努めてきたことが奏功したのかもしれない。
 クーポンと一緒に配布された冊子によれば、女性は男性より骨粗しょう症になりやすく、50代以降は特に気を付けなくてはならないとか。悲しいかな、もう、私も若いとはいえない年代になってきた。ウオーキングを継続することと、一層バランスの良い食事を心がけることをまず励行するつもりだ。”(10月4日付け中日新聞)


 名古屋市の宅地建物取引士・畑中さん(女・45)の投稿文です。名古屋市は骨密度検査の無料検診クーポンが配られるのか、初めて知りました。こうした無料検診の内容は市町によって違います。私の市にはありません。何年に1度とか、そういった方法でもいいので、この骨密度その他あまりしない検査も取り入れてほしいと思います。そういった手法もある気がします。
 ボクは今年に入って骨密度検査をもう4回ばかり受けました。今年から行くようになった店で、月2日ばかり骨密度検査をしてくれる日があるのです。できるだけその日に行くようにしています。簡易な検査ですので、どれだけ信用できるか分かりませんが、同じ器具ですので、変化は分かるでしょう。今のところ歳相応のようです。老いていくと自然のままでは維持が難しくなります。努力が必要です。健康に老いると言うことは本当に大変です、しみじみ感じます。



(第3747話) 地震の記憶

2024年10月28日 | 出来事
 “今でいう小学生だった戦時中、住んでいた名古屋市中村区から現岐阜県垂井町に集団疎開した。そのとき大地が2度、大きく揺れた。最初は1944年12月7日の東南海地震。仲間と寺の境内で遊んでいたら突如すごい揺れで、目の前で高さ1m以上の石灯龍が倒れた。2度目は翌45年1月13日未明の三河地震。就寝中の揺れで皆飛び起きたが、そのままやり過ごした。後日、震源地近くの愛知県の寺では建物が倒壊し、寝泊まりしていた集団疎開の児童が何人も犠牲になったと聞いた。
 8月、気象庁は初めて南海トラフ地震臨時情報としての巨大地震注意を出した。幸いにも東海地方はその後、大きな地震には見舞われていないが、油断は禁物。”(10月3日付け中日新聞)


 名古屋市の大河内さん(男・89)の投稿文です。また災害の話しです。特に地震は大変です。人の都合などお構いなしです。今年1月元旦の能登半島地震はその見本のような気がします。更に豪雨府が襲いました。全ての財産、人命まで失います。未だ復旧はほとんど進んでいないようです。こうした災害も、防ぐことはできませんが、備えて被害を少なくすることはできます。
 ボクの住んでいる地域は災害に比較的襲われにくい地域です。大雨が降っても土砂崩れや洪水の心配はほとんどありません。あるとすれば地震でしょう。大河内さんのこの投稿のように、ボクの地域も地震には襲われた記録があります。そして今回は南海トラフ地震臨時情報で少し騒ぎになりました。そして他にあるとすれば台風の風のは被害です。このことは10月20日の「話・話」 第3743話で書きました。全て自分の思うようには行かないことを心得て、備えを怠らないことでしょうか。昨日27日に町内の防災訓練があり参加しました。いろいろ体験してきました。



(第3746話) 燕の恩返し

2024年10月26日 | 知識
 “稲刈り真っ最中の時期です。私も小規模ですが、お米を作っています。やっと稲刈りが終了したところですが、今年は猛暑のせいか、出来が少し悪いようです。
 先日のことです。稲刈りを始めると、6、7羽のツバメが飛来し、私の頭上を行ったり来たりしました。すぐ近くまで寄っては離れを繰り返します。コンバイン上から伸ばした手のすれすれまで近寄ってきます。作業終了まで半日近く、全く去っていくことなく頭上を飛び交い、不思議な光景でした。
 我が家では、毎年2回ツバメが飛来し、倉庫内で巣作りをします。過去にはカラスや猫などの被害に遭い、悲しい思いをしました。夜間はシャッターを下ろし、昼間は手製のネットでガラスの侵入を防ぎ、守っています。ここ数年、被害に遭うことはなくなりました。年々ツバメの姿が少なくなったように思いますが、我が家の前の電線に多いときには十数羽が止まり、倉庫に出たり入ったりする姿が見られます。
 今年は8月中旬から全く姿を見せなくなり、南方に飛び立ってしまったと思っていました。突然、青空に飛び交う姿を見て、巣立ったツバメたちが励ましに来てくれたのかと嬉しくなり、暑さも忘れて楽しく稲刈りができました。”(10月1日付け中日新聞)


 岐阜県恵那市の農業・遠山さん(男・74)の投稿文です。ツバメの恩返し、こんなことがあるのですね。ツバメは毎年同じ鳥が同じ家に巣を作ると聞いています。そしてこういう様子を聞くと本当だな、と思いますし、家族と同じだな、と思います。飼っている鳥と同じです。人の方も巣を作られ迷惑と思う人と嬉しく思う人と様々でしょう。
 実は今まで、ボクは野鳥にはあまり良い気持ちを持っていませんでした。カラスや鳩などの迷惑ばかりに目が行っていた気がします。昨年から車庫のシャーターを終日開けておくことにしました。毎朝上げるのがおっくうになってきたからです。そしたら何と今年ツバメが天井に巣を作ったのです。そのままにしておいたら、雛のツバメが顔を出すようになりました。糞が車の上に落ちるのですが、ブルーシートを乗せました。いつの間にか巣立っていきました。これで毎年巣を作りに来るでしょうか。



(第3745話) 命守る

2024年10月24日 | 行動
 “5年ほど前、黒くて泥状の便が数カ月続きました。体調の異変は特段感じませんでしたが、「おかしい」と思って病院で精密検査を受けたら胃がんのステージ2と診断され、即入院し手術を受けました。発見が比較的早かったからか、胃の3分の2の切除で済みました。術後の経過は幸いにも良好です。それでも術前と比べたら食事の量はずっと3分の1ほどの水準にとどまったまま。15kgほど減った体重も、ほんのごく一部しか回復するには至っていません。
 がんは日本人の2人に1人がかかるそうです。つくづく、あのとき、すぐに病院に行って良かったと思っています。この先も少しでも異変を感じれば、自ら命を守る行動をするつもりです。”(10月1日付け中日新聞)


 三重県松阪市の熊谷さん(男・78)の投稿文です。病気は早期発見早期治療が重要、と言われています。特にがんはそのように言われます。多くは自覚症状がないからでしょう。この投稿は、その実体験をされた方からのものです。少しの時期の違いで、その後の治療に雲泥の差が出てきます。時には命に関わるでしょう。このことは多くの人が知っているでしょうが、問題は行動です。
 ボクもがん手術をしてもう10年が経ちます。その後、生活に大きな障害もなくやってこられたのも治療が早かったからでしょう。今年は、定期検診で心臓に問題があると言われて、ビックリしました。心臓など何の問題もないと思っていました。すぐに精密検査を受けました。まだ手術の必要性はなく、薬が処方されました。気をつけねばならないことを自覚しました。


(第3744話) 週刊日記

2024年10月22日 | 行動
 “週刊日記を書いて22年。パソコンで個人用ホームページを開設するのがはやっていて、自分もやってみようと思って始めました。書きためた日記は毎土曜にまとめて載せました。内容は家庭の話題や趣味、地域の催しといった日常の出来事に加え、災害やわが国の政治情勢といった時事もつづりました。誰が読んでも内容が分かりやすいよう、書き方や表現には私なりに十分気を使いました。スタートから12年たち、プライバシーヘの懸念を抱くようになり、ホームページに掲載することはやめました。それでも日記は書き続け、毎回印刷してはバインダーにとじています。
 週刊日記はわが人生の一部ゆえ、いつか、これを基に自分史としてまとめようかなと考えています。”(9月28日付け中日新聞)


 愛知県知立市の三浦さん(男・73)の投稿文です。週刊日記とは、またいろいろなやり方があるものだ、と感心しました。それを22年、素晴らしい。長く続ければ続けたことの価値はある、ボクはそう思っている。それをホームページに掲載された。そして12年で、プライバシーに疑問を持たれ、掲載は止められた。
 これはボクにもいろいろな示唆を与えてくれる。ボクのこの「話・話」 も似たような面がある。そして、著作権やプライバシーについて迷ったこともある。そして著作権については、それなりの配慮をしているし、人の言葉もあって問題なとして続けている。プライバシーについては自分の問題であり、どこまで許すかである。ボクはその話題に関係あるボクの体験を書くことにしている。そして、20年、ほとんど何の問題もなく過ぎてきた。今では生活の一端、掲載を楽しみとしてやっている。掲示板にも似たような面がある。読まれていることに十分配慮を払いながら、続けていきたいと思っている。



(第3743話) 恐怖の一夜

2024年10月20日 | 出来事
 “伊勢湾台風が愛知県一宮市の実家に接近したのは私が小学校6年生だった1959年9月26日。ラジオが台風の情報を得る有力な手段だった。夕方、強い暴風雨に見舞われた。ともに今は亡き両親が「台風を寝たままやり過ごそう」と言い、私たち子ども3人は両親と一緒に床に就いた。眠りに落ちてしぱらくして、「天井が揺れてる!」という母の叫び声で皆飛び起きた。居間に行くと、かやぶき屋根を支える大黒柱が「ギイッ、ギイーッ・・・」と低い音を立てながら大きく揺れていた。家がすぐにも倒壊しそうだった。
 父が「このまま屋内にいては危ない」と判断し、家族5人で建物を離れて敷地内の竹やぶに避難した。むしろの上で輪になって一晩過ごした。私はとっさに羽織った雨がっぱで何とか風雨と寒さをしのいだ。家は奇跡的に倒壊を免れた。”(9月28日付け中日新聞)


 愛知県一宮市の後藤さん(男・76)の投稿文です。また災害の話しです。愛知県の人にとって、伊勢湾台風は忘れられない災害です。ボクは中学2年の時でした。ボクの家は1軒家に近く、風の影響をまともに受ける。台風が来るというと、父はいつも十分な対策をしていたが、この時はなぜか何もしなかった記憶である。風が家の中を通り抜ける。壁が抜けたらしい。戸箱が飛ぶ。ガラスが割れる。雨漏りがする。そんな中、一生懸命に戸を押さえていた記憶である。朝周りを見てみる。農家住宅の平屋の母屋が傾いている。物置にしていた離れは倒れる寸前である。瓦は多く落ちていた。その後の修理は大変だった。幸いボクの村は水害に遭う地形ではない。また土砂崩れの心配もない。村では数軒の建物が倒壊していたが、人的被害は聞いていない。
 そして翌年は第二室戸台風であった。以来、台風というとトラウマになっている。ボクは早めに対策をするのが常になっている。



(第3742話) 開花遅れ

2024年10月18日 | 出来事
 “約300万本のヒガンバナが植えられている半田市、阿久比町境の矢勝川周辺では、川べりを散策する人たちの姿が見られた。厳しい残暑の影響で開花は遅れているが、観光客らは一部で咲き始めたヒガンバナにカメラのピントを合わせていた。
 ヒガンバナは気温が低くなると開花が進み、9月半ば~下旬に見ごろを迎えるが、今年は暑さの影響で一分咲きにとどまっている。今後の天候や気温の推移にもよるが、市観光協会によると、見ごろは9月末~10月初旬にずれ込むとみられる。
 岐阜県御嵩町から訪れた60代の夫婦は「もっと咲いていると思っていたので、少し残念」と肩を落とした。ヒガンバナの保全に取り組む「矢勝川の環境を守る会」代表の山内幸治さん(73)は「(自然相手で)何ともならないことだが、早くきれいに咲いてほしい」と一帯が赤く色づくのを心待ちにしていた。”(9月24日付け中日新聞)


 記事からです。ボクの近所でも今年の彼岸花の開花は全く遅かった。暑い影響だろうと想像していたが、やはりそうであった。気候の変化は思いがけないところにまで影響する。温暖化の影響はこれからマスマスであろう。例年通りには行かないことを頭に入れておく必要があると思う。その後矢勝川の彼岸花が満開になったニュースが流れた。
 ところが遅れたことが、ボクには幸いした。10月5日に一宮友歩会の例会を催した。彼岸花が真っ盛りであった。普通ならもう散った後であったろうが、きれいな彼岸花を見ながら、田舎道を楽しく歩けた。12月例会はイチョウの町を歩く計画です。黄葉したイチョウの木が見られるでしょうか?こんな所にも計画を立てるときは気を使っています。



(第3741話) 備えの大切さ

2024年10月16日 | 行動
 “気象庁が8月8日、南海トラフ地震臨時情報の巨大地震注意を出しました。翌9日朝、近くのスーパーに行くと飲料水や乾電池、米、紙類、離乳食、おむつは商品棚から完全に消えていて驚きました。男性店員によると、われ先にとまとめ買いをする人が多かったとか。店で会った知人女性は「家のトイレットペーパーがなくなってきたのに・・・」と困惑していました。
 わが家では常々、備蓄品が不足していないかに気を配ってきたので、今回は慌てずに済みました。それでも備えの大切さが身に染みました。飲料水や乾電池、米はどれぐらい残っているか、いつも意識をしておきたいと思いました。”(9月24日付け中日新聞)


 愛知県豊川市の主婦・水川さん(73)の投稿文です。このニュースにはビックリした。そしてわが家がよく行くスーパーにも物はなくなっていた。この情報でこの騒ぎである。災害への備蓄はよく言われてきたことである。それがしてあれば、水川さんのように慌てなくてもいいはずだ。わが家も何の行動も起こさなかった。多くの人は備えをしてないと言うことであろうか。
 そしてこういった情報が流れると、我先にと買い占めが始まる。人のことなど構っていない。「お一人様、いくつまで」という張り紙も出される。何か人間の浅ましさを感じてしまう。日頃から備え、こうしたときにももう少し冷静な判断ができれば、と思う。
 同じような投稿文で、何日分備えるかという話が出ていた。半月分、1ヶ月分という数字が出ていた。1ヶ月分には驚いた。多いに越したことはなかろうが、それを維持していくのは大変ではなかろうか。ここらもいろいろな知識が必要である。



(第3740話) デイの皆さん

2024年10月14日 | 人生
 “デイサービスを受けるべく6月から介護施設に週2日、送迎バスで通っています。施設では新聞や本を読んだり、筆で写経したり、体操やカラオケをしたり・・・。中でも、通うようになってできた友人とのおしゃべりは格別。施設で提供される昼食もおいしくて、訪問の楽しみの一つとなっています。
 スタッフは皆親切です。私が椅子から立ち上がろうとしたとき、転ばないようにとさっと手を差し伸べてくれます。家族との連絡ノートでは、その日の取り組み状況や健康状態を丁寧に書いてくれます。それを妻は毎回目にして安心しているよう。スタッフの皆さん、これからもよろしくお願いします。”(9月23日付け中日新聞)


 三重県大台町の小西さん(男・82)の投稿文です。高齢になれば体の衰えは避けられないことである。いくら健康でも、ぽっくりいかない限り、いつかは誰かに頼らざるをえない。小西さんは週2回のデイサービスを受けられるようになった。そしてこの様に楽しく感謝の日々である。本当によかった。
 ところがこうは言えない人が多そうである。行ってもつまらない。何もすることもなくポケット過ごして返って悪くなってしまう。もう行きたくない。そんな声をたくさん聞く。ボクの母も長いこと施設でお世話になった。その状況を見てきた。2人とも老人施設にはできるだけお世話になりたくないと思っている。先日、サロンで在宅医療について話しを聞いた。今はかなりのことを在宅で受けられるようになっていることを知った。昔に比べ選択肢は増えている。いろいろ知識も得て、その時の状況に応じた適切な選択をしたい。



(第3739話) 句集完成

2024年10月12日 | 行動
 “月に1度通っている川柳の同好会は創設6年目に入った。そこで過去5年間に会員が思い思いに詠んだ句をまとめることになった。私は、半世紀前に参加していた現代詩の同好会で冊子を作った経験があり、今回の句集作りに立候補した。
 会員たちの句は600以上。それを一つずつ入力して印刷し、ページを割り付けてホチキスでとじ込み、最後に背表紙をのりで貼るのに4カ月を要した。そして仲間7人に出来上がった句集を配れたのは7月の句会だった。皆が喜ぶ顔を見ただけでこの間の疲れが吹き飛んだ。句集を開けば、作句の参考にもなりそうで、今後のレベルアップが期待できそうな気がしている。”(9月20日付け中日新聞)


 愛知県岩倉市の松波さん(男・85)の投稿文です。川柳句集の作成を85歳の松波さんが立候補して完成された。1人でされたのであろうか。苦労もあるが、楽しい作業でもある。そして完成したときの喜びは大きい。そして、今後の句作りにも参考になる。過去の経験が自信になって立候補だったようだ。いいことずくめである。何でもやってみるものである。
 ボクも今年は、一宮友歩会50回達成記念誌に続いて、例会100回達成記念誌を作った。150部作った。ほぼ1人で行った。過去を思い出しながら楽しい作業であった。まとめることによってこれからの参考にもなる。
 今、学生時代に行った「中国・北九州1周自転車旅行」の記録を、パソコンに向かってデジタル化の作業を始めた。もう50年近い昔のことで、覚えていることも多いが、忘れていることも多い。読んでビックリしながら進めている。この作成は100回達成記念誌より手間がかかりそうだ。年内には終えたいと思っている。これも作る楽しさである。



(第3738話) 我慢せず

2024年10月10日 | 意見
 “「薬を飲むのは体に良くないこと」―。そう思っている人はとても多いです。確かに薬には副作用があるので、ある意味正しいかもしれませんが、本当に必要な薬でも避けてしまう患者さんがいます。よくあるのは、痛み止めを我慢してしまう患者さんです。私が専門にしている膵臓がんは、痛みが出やすいことで有名な病気です。あおむけなどの体を反るような体勢をとると、痛みが強くなります。そのため、いつも猫背で生活し、横向きで丸まって就寝することが多くなります。
 「我慢はできるけど、一日中おなかが重い感じ」というのは、よくある症状です。それでも「我慢できるから、痛み止めは必要ありません」という患者さんが多いのです。我慢強い日本人特有の性質かもしれませんが、頑張り過ぎるのは良くありません。日本人は気持ちを表現することや、人に頼ることが苦手です。でも、病気になったときぐらい、我慢せずに頼ってください。痛みを取って気持ちを打ち明けると、心が楽になり、余裕が生まれ、安心できます。医療者側の理解も深まり、いいケアにつながります。
 病院には、優れた痛み止めがあります。頼れる専門看護師が、何でも相談に乗ってくれます。「我慢強い日本人」をやめましょう。いつもそう思っていますが、それができる患者さんは少ないです。”(9月17日付け中日新聞)


 「メディカル・トーク」から愛知県がんセンター消化器内科部長原さんの話です。薬には副作用がある、多くの人が知っていることです。そしてなぜ痛み止めは我慢する人が多いのでしょう。痛いのは自分で分かるからでしょう。この程度なら我慢できる、副作用の恐さよりこの方が先に立つのでしょう。その他の薬は自分で判断できないので、言われたままに飲むより仕方がありません。全てとは言いませんが、医者は次から次へと薬を出します。どこか気になると言えばすぐ薬が出ます。医者も病院もある面商売です。薬を出すことによって経営が成り立っています。大きなレジ袋をいっぱいにして帰る人も見かけます。このことを多くの人は知っています。ですから何か用心する気持ちが生じていると思います。この多くは妻を見ていての感想です。妻は少々のことは医師には告げません。言えば薬が出ることを用心しているからです。変な話しです。患者と医師は信頼関係です。信頼がなければ成り立ちません。
 長原さんは我慢はしないでください、信頼してください、と言われます。本当にそうでしょう。そうなって欲しいと思います。



(第3737話) 盆ちょうちん

2024年10月08日 | 行動
 “昨年9月に81歳で他界した妻の初盆の準備をしていて、思い出したのは40年前に逝った父の初盆。故人の霊を迎える際の目印とされる「盆ちょうちん」を妻と葬儀屋で四つ買い集めて仏壇の前に飾ったものの、訪れた人は残念ながら少なかった。今回、妻の盆ちょうちんは準備するのをやめようと思ってきたが、7月に葬式を営んだ農協からカタログが届いて考えが変わった。やはりできる限りのことをしようと思い、玄関用に一つ、仏壇用に二つを購入し、仏壇の二つは妻が好きだった桜の絵入りとした。祭壇の供物は同居の次男の妻が用意してくれた。
 56年連れ添った妻の初盆は今回限り。子どもや孫、親族、近所の人と来訪者は多くなかったが、「帰省」した妻は喜んでくれたかな。”(9月13日付け中日新聞)


 愛知県新城市の平沢さん(男・84)の投稿文です。盆ちょうちん、ボクも昔は飾っていた。特に意味も知らず、季節の行事とし、風流を愛でる位の気分であった。平沢さんの投稿文で意味を知った。また最近知り合いになった女性の家庭も飾っていると聞いた。最近は外ばかりでなく、家庭でもいろいろ省略することが多い。「話・話」第3726話や第3726話でも書きました。省略は潤いのない生活に繋がります。高齢になって面倒が嫌になったこともありますが、時間が無いわけではない。もう一度見直したい、そんな気分です。いろいろな人のやり方を知りながら、自分の生活も見直す、これが「話・話」 の価値です。



(第3736話) 3つの趣味

2024年10月06日 | 行動
 “属する老人会を介して、いずれも20年以上続ける三つの趣味が生きがいとなっています。まずは絵手紙。知人の誘いで25年前から教室に月2回通っています。仲間6人で和気あいあいとしながら月10枚を目標に描いています。次がグラウンドゴルフ。週3回、公園で仲間10人と楽しんでいて、年が若いメンバーと一緒だと私まで若返った気がします。月2回のカラオケは大声で歌えば格好のストレス解消。私にとってまさに健康の秘訣です。
 夫は98歳。庭で野菜作りにいそしみ、それを見ているだけで励みになります。私も「負けじ」と料理や娘同伴による買い物に出かけます。小・中学生のひ孫3人の成長がとにかく楽しみです。”(9月7日付け中日新聞)


 愛知県刈谷市の森島さん(女・93)の投稿文です。三つの趣味が生きがいと言われる。絵手紙、グラウンドゴルフ、カラオケである。いずれも高齢者にはふさわしいものである。いいものに出合われたと思う。それだから93歳である。そしてご主人は98歳と言われる。こうした話しを聞くと本当に長生きできる社会になったと実感する。2人揃って100歳までいけるだろう、至福の夫婦である。
 ボクは先日「人生120年時代」と言われる78歳の人の講演を聴いてきた。120歳を目指すと言われるのである。冗談でも凄いものである。本人は至って元気、やる気満々である。今の状態を見ていれば120歳と言いたくなるのも無理ないかもしれない。「人は考えたとおりの人間になる」という言葉もある。まずは夢を描くことであろう。
 三つの趣味については、絵手紙は英人書で、カラオケは読経で、グラウンドゴルフはそのままで、ボクに当てはまる。