寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3729話) 目指せ100歳

2024年09月21日 | 人生
 “100歳の作家、佐藤愛子さんのエッセーを基にした映画「九十歳。何かめでたい」を見た。主演の草笛光子さんは90歳。ストーリーが進むうちに演じる草笛さんが若返って見えてきたのは、佐藤さんの元気の秘訣である飽くなき探求心と好奇心を演技で体現できたからだろう。
 スクリーンの前で、10年ほど前に老衰のため90歳で逝った母が私の脳裏に浮かんでは消えた。死後すぐに母の担当医から「長寿でした」と言われ、私は母の生きた年齢を目標にしたが、さらにその先のI00歳を目指そうと思った。私はこれまで以上に、ウオーキングや野菜作り、絵手紙といった趣味に励もうと考えている。”(8月27日付け中日新聞)


 愛知県安城市の主婦・浅見さん(74)の投稿文です。ボクは先日バスの中で「老後資金が足りません!」を見ました。草笛光子さんの溌剌とした演技、これが90歳近い人かと信じられない思いで見ました。健康器具のPRでもよく見ますね。浅見さんのお母さんは90歳で亡くなりました。そして更に上の100歳を目指すと言われます。お母さんの上を目指すのは当然でしょう、時代は進み、寿命も延びています。人生100年時代と言われるこの時代です。励んでください。
 ボクの母親は老衰で96歳で亡くなりました。父親は68歳でした。父親はすでに超えました。次は母親です。男と女は平均寿命も違います。でも100年時代です。まずは母親を目指そうと思っています。その間、どうして過ごして行くか、これも問題です。今の生活は充実していると言っていいでしょう。この期間を少しでも長くし、その後です。励みたいと思います。



(第3728話) おんぶ

2024年09月19日 | 行動
 “名古屋に住む50歳の息子から「母さんの顔が見たくなった。これから行くね」と、突然の電話。嬉しくなった。新鮮な野菜、あり合わせの食材をスーパーの袋に詰め込み待っていた。
 「急に思い立って何もみやげないよ。御免ね」と変わりなく優しい。「いいのよ、元気な姿を見せてくれるだけで嬉しいから」と私。久しぶりでも、これといった会話もなく、幼い頃から新聞が大好きな彼は、隅から隅まで読んでいる。静かな時間が流れる。
 突拍子もなく「ねぇ、おんぶして」と私。彼は「おんぶですむなら安いむんだ」と私を背負い、和室、応接間、リビング、部屋の中をぐるぐる。赤ちゃんを寝かせるように揺すって「ねんね、ねんね、寝る子は育つ」と子守唄を歌ってくれる。四十数年前に逝った父さんに「いつもおんぶしてもらった」と息子。「俺と同じことやってるな」と、主人は笑っていたことでしょう。
 大きな背中、ほっこりするぬくもり、とっても嬉しい。ああ幸せ。涙がこぼれそう。グウグウグウ。「オーイ本当に寝るなよ。この調子ならまだまだ元気でいられるな」。息子は笑いながら帰っていった。母と子の勿体ほどの、幸せな午後のひとときでした。息子よありがとう。またおんぶしてね。”(8月25日付け中日新聞)


 愛知県江南市の主婦・樋口さん(84)の投稿文です。84歳のお母さんが50歳の息子におんぶしてと言う。そしてそれを快く受け入れられた。こんなことがあるのだ。ボクから見れば、おんぶして、と言うお母さんの方が勇気がいると思う。言われた方は「仕方がないな】と言って只受け入れればいいのだ。でもこう言える親子関係、なかなかないと思う。84歳ともなると言えるのだろうか。ボクにはまず無理だ。
 妻は、20歳を超えた孫と時折ハグをしている。孫は逃げない。この行動は続きそうな気がする。家族関係もいろいろある。親子、孫がこうした行為ができるのは良い関係でなければできない。日本人は肌を触れあうことが苦手、少ないという。それだけにどんどんやってほしいものである。



(第3727話) 偉人に学ぶ

2024年09月17日 | 行動
 “日本人の平均寿命は女性87歳、男性81歳ー。医療の進歩もあって随分長くなった気がするものの、やはり肝心なのは生きた期間より、どう生きたかではなかろうか。
 6月の関東旅行で妻と千葉県の伊能忠孝記念館を訪ねた。忠孝は日本地図の作成で有名だが、それを始めたのは55歳と知って驚いた。73歳で亡くなるまでに9回、計3.5万km以上を歩いて測量したというのだから頭が下がる。持病の気管支炎に苦しみつつの作業だと聞き、並々ならぬ情熱を感じずにはいられなかった。自らの可能性を追求し、挑戦し続けた彼の姿は、没後200年を経た現代でも輝かしく映る。
 私は趣味でウオーキングや読書に励んでいるが、忠敬みたいに50代で新しいことに取り組みたいと思う。”(8月24日付け中日新聞)


 愛知県犬山市の自営業・重田さん(男・51)の投稿文です。重田さんは伊能忠敬記念館を訪れられた。そしてこの偉人からいろいろなことを学ばれた。特に高齢になってからの功績に感動された。重田さんはまだ51歳、男の平均寿命は81歳。伊能忠敬の大事業はこの年代の中で始められ、功績も示された。これではウカウカしておられない、今から新しいことを始めても十分成し遂げられる。そんな気持ちになられたのである。そして「生きた期間より、どう生きたかではなかろうか」と言われる。「ただ生きてきた、だけではいけない、どう生きるかである」と言われる。もっともである。どうせ生きるならのんべんだらりではなく、生きがいを持っていきたい。頑張って欲しいと思う。ボクは平均寿命まであとわずかである。



(第3726話) 伝統行事 

2024年09月15日 | 活動
 “わが集落では「お日待ち」と題し梅雨明け直後に催された伝統行事がありました。半世紀ぐらい前は自治会の組長宅で催されていました。用意されたおけの水で清めてから、長老がおはらいして天照大神の掛け軸の前で祝詞を唱え、農作物の豊かな実りと住民の健康を祈りました。酒を酌み交わしながら夜遅くまで仲間と世間話に興じていました。時は流れ、近年は簡素化され、料理店に同じ組の20人ほどが集まって食事を取るだけとなっていました。しかし新型コロナウイルスの影響で5年前を最後に中止になったままです。寂しい限り。来年こそは再開してほしいです。”(8月16日付け中日新聞)


 岐阜県美濃市の農業・猿渡さん(男・80)の投稿文です。ボクの村にも似たような行事があり、似たような経過をたどっている。ボクのところでは「お七夜」と言って12月であった。親鸞聖人の命日にちなんだ行事である。講組の家を順に宿とした。町内会の組と同じ組み合わせであった。全家庭が浄土真宗であったので問題はなかった。ところが新しい人が入ってくる。宗教も違ってくる。仏壇のない家も出てくる。少しずつ形を変えていく。そして宗教抜きの町内会組織となり、全くの親睦会となっていった。場所も家庭から料理屋となっていった。そしてコロナ禍で一時中止となったが、昨年からまた復活した。猿渡さんの地域と同じである。
 町内会の一つの組の年1回の顔合わせである。これがなくなると、親睦の機会はなくなる。貴重な場である。ところが高齢になりこの会に出席できない家庭が出てくる。今21軒のうち5軒が出られない。そして出席する人の中でボクが最年長者になっている。いずれ出られなくなるだろう。その時この親睦会はどうなっていくのであろうか。



(第3725話) のど自慢

2024年09月13日 | 出来事
 “番組が始まってから78年という「NHKのど自慢」を見るたび、遠い昔のあの日を思い出します。大学生だった38年前の1月でした。地元・愛知県知立市で催されることとなり、私は「チェッカーズ」のヒット曲「ジュリアに傷心」を熱唱しました。会場でのかけ声と盛んな拍手に力 をもらって見事合格した上、出場した25組のチャンピオンに選ぱれました。
 その2ヵ月後、各週チャンピオンから選ばれた20組による年間チャンピオン大会があり、私はそれに出場しました。司会者から「紅白歌合戦と同じ、このNHKホールで歌えるのはあなた方だけ」と言われたときは感激しました。日本一になることは逃したものの、憧れの舞台に立てたのはわが人生の誇りです。そのとき日本一に輝いた男性とは今も年賀状のやりとりを続けています。”(8月23日付け中日新聞)


 愛知県知立市の高校教員・秋田さん(男・59)の投稿文です。この思い出は大きいだろう。一般人がテレビなどのマスコミに出る機会というのは、ありそうでなかなかないのではなかろうか。毎日多くの一般人が出ている。でも国民の割合にすればどれだけになるのであろうか。私の周りを見てもほとんど知らない。
 そういう意味ではのど自慢は出る機会の大きいものであろう。先日その裏側を放映していたが、それでも何百人の中の20組である。秋田さんはその中で各週のチャンピオンに輝き、年間チャンピオン大会まで出場された。プロになれる可能性もあったろう。人生の誇りと思われて当然である。挑戦されてよかったと思う。もしプロになられたらどうだったろう。良い思い出などとは言っておられないだろう。厳しい世界が待っていたと思う。



(第3724話) 会話できるレジ

2024年09月10日 | 意見
 “近くのスーパーでは数台あるレジのうち有人は1台しかなく、買い物客が列をなすため、私はすぐに精算できるセルフレジを好む。しかしセルフだと電子音が響くだけで、寂しくなって有人レジに並びたくなる。レジの店員から「支払いはクレジットカードですか? 現金ですか?」「マイバッグ、ありますか?」と矢継ぎ早に尋ねられると一瞬ドギマギするが、そんなやりとりに妙に温かみを覚えてホッとする。思い返せば子どものとき、なじみの青果店や鮮魚店に行けば店員の「新鮮なものが入ったよ。まけとくよ」とにぎやかな声が行き交っていた。
 セルフレジが世の中に増えるのも、昨今の人手不足や経費節減ゆえだろうが、レジ全てを無人とするのはやめてもらいたい。”(8月10日付け中日新聞)


 愛知県半田市の竹内さん(女・62)の投稿文です。高齢者には辛い時代になった。世の中は常に変わっており、これはいつの時代でも同じかもしれない。でも昨今の変化は大きすぎる。ついちょっと前の時代を懐かしむ気持ちも起きる。この投稿もその一つであろう。どこへ行っても何の話もしなくても過ぎてしまう時代である。何か機械に動かされている感じである。人との触れ合いがない。これが合理的、人手不足などいろいろあろう。でもこれが本当に良い社会なのだろう。
 人間が触れあってこそ、人間社会である。その触れ合いがなくなる。絆もなくなる。便利に生きていくだけが人間社会だろうか。人間は一人では生きていけない。今までの触れ合い、絆に変わるものは何だろうか。それが見つかればいいが・・・。



(第3723話) 年中行事

2024年09月08日 | 行動
 “わが家ではこの半世紀、各季節の行事を大切にしてきました。1月にはお節料理をいだたき、2月の節分の日に豆をまき、3月のひな祭り用にひな人形を飾り、5月のこどもの日に小さなこいのぼりを掲げます。七夕は、夫と同居の次女一家と家族計5人それぞれが短冊に「家族が健康でいられるように」「勉強の成績が上がるように」などと願い事を書きササにくくりつけて中庭に飾りました。次は9月の中秋の名月。夜空を見上げながら団子を頬張る予定です。師走に入ればクリスマスツリーを玄関に飾ります。
 こんな各行事を意識すれば1年はあっという間。メリハリを利かせて家族で有意義に過ごせています。”(8月10日付け中日新聞)


 津市の主婦・小嶋さん(74)の投稿文です。年中行事を大切にする、素晴らしい。それもこれだけ多くしている。今こんな家庭があるだろうか。ボクもできるだけやろうと心がけていた時期がある。でもいつの間にかおろそかになり、今はほとんどしない、と言ってもいい位である。
 生活にできるだけメリハリをつける、家族揃ってする。良いことだらけであるが、それが面倒で止めてしまう。人間怠け始めるとキリが無い、そんなことができないほど時間がないわけではない。特に高齢者はのんべんだらりになるだけに、メリハリつけた生活を心がけたい。それが豊かな生活の元であり、元気な長生きに繋がる。



(第3722話) 健康留意

2024年09月05日 | 行動
 “来年3月で100歳を迎えるにあたり、これまでのことを振り返る機会が増えた。幼いときは体が弱くて病気がちだった。戦争で、専門学校を繰り上げ卒業し19歳で海軍に入ったが、戦火を交えることなく終戦を迎えた。そして公務員となり、20~30代は時折体調を崩しつつも懸命に働いた。50歳で虫垂炎を発症し開腹手術を受けた。1994年に妻を病気で亡くし一人暮らしとなった。朝はパン、昼はうどんかそばを食べ、夜は米飯に徹して過食を戒めている。6年前に入所した老人ホームでは体操や散歩、歌、ゲーム、おしゃべりを楽しんでいる。この調子。この夏を乗り切り、秋、冬を無事に過ごしたい。”(8月9日付け中日新聞)


 名古屋市の岩井さん(男・99)の投稿文です。100歳か?ボクには遠い話である。まだいくつもの関門を通らねばならない。岩井さんはこの機会にいろいろ振り返っておられる。戦争もあり大変な時代であった。体調もあまり芳しくなかった。それでも100歳である。感無量であろう。今は老人ホーム暮らしを楽しんでおられる。良い人生で終われそうである。
 ボクには岩井さんの歳までちょうど20年ある。でも80歳も立派な歳である。いろいろ振り返ってみたい。岩井さんは体が弱かったと言われる。でも長生きできるのは単に体の弱い強いではない。いろいろなことが作用する。ボクは見かけは強そうだし、実際もそうである。しかし、この歳になっていろいろな問題点が生じてきている。定期検診で心臓に問題があるらしいことが分かり先日再精密検査をしてきた。やれることをはやり、気持ちをしっかり持ち、あと20年を迎えたい。



(第3721話) 墓参り

2024年09月03日 | 出来事
 “散歩中につまずいて左足の甲を骨折したのは3月。以降、しばらくギプス生活を強いられた。冶ったら夫が痛風を発症したり、私が車を運転中に隣の車と接触したりと悪いことが続いた。心が重くなっていたとき、ふと70年近く前の記憶がよみがえってきた。大病を患っていた父が母に「先祖の墓参りに行ってきてくれ」と頼み、母がそうしたら父の病状は見る見るうちに回復したのだ。
 私の実家の墓は愛知県豊橋市にある。5年前までは盆や彼岸のたびにお参りしてきたが、新型コロナウイルスの影響もあって最近はご無沙汰だった。そこで7月上旬、姉と墓参し、天国の両親に「私たちを見守ってね」とお願いした。以来、わが生活に落ち善きが戻ってきた。このまま前向きに過ごしたいものだ。”(8月1日付け中日新聞)


 愛知県尾張旭市の鈴木さん(女・75)の投稿文です。いろいろ不運が続いたとき、何とかならないかと思う。自分の努力で解決すればいいが、そうでなければいろいろなものに頼りたくなる。神仏や占いや、時には怪しいもののこともある。
 鈴木さんは、お父さんの出来事を思い出された。墓参りをしたら、みるみるうちに病気が治ったという。そこで、今回の不運を何とかしたいと思って墓参りをされた。墓参りをしたとて、病が治るなんてことはないはず。その時いろいろな偶然が働いた、心待ちが変わった等々のことであろう。ボクはこれでいいと思う。これがきっかけでご無沙汰だった墓参りをされた。墓参りは大切なことである。そのきっかけは何でもいい、先祖に思いを馳せる事が大切である。これで気持ちは随分変わるであろう。病は気からと言う、気持ちが変われば病も治ろう。信じるものは救われる。良いことをするきっかけに事柄を問わない。



(第3720話) 確認徹底

2024年09月01日 | 出来事
 “クレジットカード会社から電話がかかってきた。担当者によれば、通信販売のサイトで立て続けに品物を購入しているというが、私に身に覚えはなく、「不正利用の可能性が高いですね」と。購入履歴を確認したら他にも不審な買い物があり、このカードの利用を停止した。別のクレジットカードの利用履歴にも記憶にないチケット購入があり、こちらも利用をすぐに止めた。いずれも補償期間内で、不正利用と思われる計15万円ほどの損害を被らなかった。
 その場で現金がなくて済む便利さゆえ、止めたカードは再発行したが、利用明細の確認は徹底したいと思っている。それにしても、悪用されたのはどうして私のカード?”(8月1日付け中日新聞)


 愛知県清須市の主婦・大野さん(40)の投稿文です。クレジットカードの悪用、もう到るところに張り巡らされています。大野さんは、クレジットカード会社の連絡から気がつかれた。会社が怪しいと思えば連絡してくれるのだ、知りませんでした。でもいつもそうだとは言えません。また大野さんは自分では気がつかれていなかった。それだけにより恐い気がします。
 ボクのインターネットのメールには日々何10通というフィッシング詐欺というか、迷惑メールが届きます。ほとんど見ずに削除しています。ボクはもう大分前ですが、引っかかりました。何かおかしいと思って、数時間後にクレジットカード会社に連絡したのですが、もう10何件、30万円ほど使われていました。まだ商品発送前で実害がなかったので、そのまま過ぎましたが、恐い思いをしました。あのまま放っておいたらどうなったでしょうか?ゾッとします。
 もうクレジットカードなくしては過ごせない時代です。便利さと危険は隣り合わせです。8月のサロンでオレオレ詐欺の話を聞きました。到るところにいろいろな手段の詐欺が横行しています。いろいろな知識を得て、最大の防御を図らねばなりません。



(第3719話) 夫婦で闘病

2024年08月30日 | 出来事
 “今の世の中、2人に1人はがん患者になると言われています。私ども夫婦もがん患者で闘病中であります。妻は乳がんが骨に転移。私はタチの悪いスキルス胃がん。現在、化学療法を受けています。抗がん剤2種類の点滴治療3時間を終えた後、2週間、飲み薬の抗がん剤を1日2回服用しています。
 特に辛いのは抗がん剤の副作用です。いざ直面して初めて理解できました。副作用には個人差があり、強く出る人と軽くすむ人がいて、症状の出ない人もいます。困ったことに副作用は多岐にわたり、私の場合、足のむくみ、食欲不振、お腹の不快感、痰のからみなどがあります。妻も副作用の出方に違いはあれど、心境は同じです。同病相哀れむというべきか、老老介護の状態に窮しています。とは言っても2人きりの生活。時に喧嘩しながらも、共に助け合って日常を過ごしています。週に1度、息子と娘、それに孫が特製人参ジュースを作り、わが家をのぞいてくれることが、唯一の楽しみであり、元気をもらいます。
 ある日、主治医に「健康寿命は何歳かわかりますか」と聞かれたので「さあ?」と言ったら「約70歳ですよ」と。それ以降は何か起きてもおかしくはないとの話です。息子と娘には、改めて定期健診を勧めています。”(7月30日付け中日新聞)


 愛知県津島市の岩田さん(男・77)の投稿文です。夫婦でがんの闘病、何で私たちが、と思うようなことではないでしょう。2人に1人がなるのだから。そして、わが夫婦もそうなのですから。自身も体験し、またいろいろ見てきました。ということで岩田さんの状況はある程度分かります。抗がん剤の副作用の辛さも分かります。でもわが夫婦と比べるとかなり大変なようです。がんの症状、治療は様々、千差万別です。ある程度の年齢なら、そう悲観するより受け入れるより仕方がありません。周りの意見を聞き、自分で考え、前向きに進む、これしかありません。
 岩田さんは共に理解し助け合える。息子さんや娘さんも気を使ってくれる。健康寿命の平均よりもうかなり超えました。病は気からと言います、真向きに捉えれば、良い方向へ進むこともあります。
 ボクらのことも少し記しておきます。ボクは70歳の時前立腺ガンで全摘出の手術を受けました。手術は問題なく終わったのですが、よくある尿漏れに苦労しました。昨年、人工尿道括約筋埋め込み手術というのを受けました。これで尿漏れなほぼ気にならなくなりました。
 妻はリンパ腫です。最初の頃はできたところを放射線治療で対応していました。そしてもう一昨年になりますが、放射線治療と共に抗がん剤治療を受けました。抗がん剤治療の時は苦しんでいました。そしてそれを乗り越え、今は安定しています。今はほとんどがんのことは考えず生活しています。



(第3718話) 恋愛で幸せ

2024年08月28日 | 意見
 “部活動でも勉強でも頑張った分、たいてい結果が出ます。ところが、恋愛はどんなに頑張っても成就しないことがよくあります。恋愛には「イエス」か「ノー」しかありません。自分がどんなに好きでも、相手が自分のことを嫌いだったら成立しません。相手が自分を受け入れてくれないのなら諦めるしかないのです。しかも、恋愛関係は永遠に続くものでもありません。
 どんなに自分がかわいかったとしても、相手が自分のことを気付いてくれなければ駄目。自分のことを認識してくれたら、どうすれば好かれるかを考えて、相手があまりよく思わないであろう部分は直し、相手をつなぎ留めようとするものです。私も、つらい経験をしました。恋愛は実に難しい。でも私はたくさん失敗しても、幸せを何としてもつかみ取りたいです。”(7月29日付け中日新聞)


 岐阜県関市の高校生・森さん(女・18)の投稿文です。若い人の意見を聞く機会はほとんどないので、今の若い人の恋愛観についてよく知りません。新聞等マスコミで知る位です。女性が社会進出をし、女性の地位は大きく上がった。でも恋愛や婚活と言われる部分を見ているとあまり変わっていない気がする。女性は受け身で選ぶ立場である。又は選ばれるのを待っている。婚活パーティーの参加費などを見ていると、男性は○○円、女性は0円とある。なぜ差があるのだろう。需要と供給の関係だろうか。先日新聞を見ていて、男性は陳列棚のハンドバックか、という嘆きの意見が出ていた。何か昔と変わらず対等とは思えない。
 恋愛は人生の大きな部分である。最大の出来事かもしれない。恋愛から結婚に繋がればこれぞ幸せであろう。森さんはよく考えておられる。これからもいろいろなことが起ころう。よく考えて進んで欲しい。前話のリスペクトを忘れず。



(第3717話) リスペクト

2024年08月26日 | 意見
 “4年前の私の結婚式のあいさつで上司が語った「夫婦にはリスペクトが欠かせない。それがあれば、どんなことも乗り越えられる」を最近になって実感した。リスペクトとは相手への思いやり、敬意という意味。
 わが家は共働きのため、当然のごとく家事を交代でし、一緒に買い物に行った。私は出産前に仕事を休み、昨年5月に娘が生まれると、常に子ども優先のバタバタした生活が始まった。気付けば、夫とゆっくり話をする時間は大幅に減った。
 6月下旬、仕事から帰宅した夫が、おもちゃや洗濯物で散らかった部屋を見て「大変だったんだね」とつぶやいた。夫のために用意した夕食の簡単な野菜炒めも「ありがとう。おいしいよ」と食べてくれた。ともに短い言葉ながら、私へのリスペクトを感じてハッとした。苦労が報われた気がした。「もっと寛容にならなきゃ」と思った。”(7月29日付け中日新聞)


 名古屋市の公務員・大川さん(女・31)の投稿文です。「リスペクト」、最近よく聞くようになったが、意味は知らないままであった。何しろカタカナ言葉が氾濫し、ここが日本かと思うばかりである。ボクは昔からカタカナ言葉の氾濫には抵抗があって、あえて避ける気もあった。「リスペクト」、なぜ思いやり、敬意でいけないのか。思いやり、敬意以上の意味があるのだろうか。
 不満はこの程度にしておいて「リスペクト」思いやりや敬意、これは本当に大切である。だから他人にはよく気を使う。ところが、夫婦だとないがしろにするのである。夫婦だから当たり前、言わなくても分かる、そして「ありがとう」も言わない。昔はこれで通ったかもしれないが、今は通らない。夫婦に従属関係はない、平等である。これは昔も今もない。これを間違えた夫婦は不仲にいたる。夫婦にとっては特に意識しなければならないリスペクトである。



(第3716話) アロハで明るく

2024年08月24日 | 行動
 “青色のアロハシャツを着ていつもの薬局に行った。中年の男性薬剤師に「奇麗なシャツですね」と言われたのがうれしく、照れ隠しから「派手な服装で年寄りくささをカバーしているんだよ」と返した。
 もとは黒や茶、グレーといった地味な色の服を好んだ私だが、70代を機に少しでも老けて見えない服装を考えるようになった。そこで思い付いたのが、所属していたハワイアンバンドの衣装で袖を通したアロハシャツ。ステージではないため青や赤といった派手な配色に気恥ずかしさを覚えたものの、勇気を出して着ている。自分が少しでも若く映り、周囲にいる人の心を明るくできたらいいな。”(7月27日付中日新聞)


 愛知県岩倉市の松波さん(男・85)の投稿文です。老人は明るい衣服を着なさい、最近よく言われることである。昔は逆であった。歳を取るとだんだん地味な服にしていった。それがふさわしいと思われた。派手な服を着ようものなら年甲斐もなく、と非難を受けた。考えるとおかしなものである。どこにこんな理屈があったのであろうか。地味な服を着れば自然気持ちも地味に、後ろ向きになる。明るい衣服はやはり気持ちを高揚させる。
 ボクには娘がハワイに行った時に買ってきてくれたアロハシャツがある。やはり華やかである。長いことタンスにしまわれていた。それを数年前から着だした。先日、古いシャツを捨て、できるだけ華やかなシャツを買ってきた。今はそれを愛用している。本人はやはり明るい気分になる。周りの人はどうだろうか、負けまいと思ってくれるとありがたい。



(第3715話) リーダーになる 

2024年08月22日 | 意見
 “昨春高校に進学した私は主にボランティア活動をする部活動に入りました。コミュニケーション能力をさらに高め、リ-ダーシップを養うという目標を掲げましたが、有言実行できませんでした。後輩ができる前に一度はやっておこうと思い、ボランティア活動のリーダーをやってみました。そこでいろいろな気付きがありました。
 リーダーは、ボランティアの内容をどうするかはもちろん、集合時間や場所を決め、訪問先との調整も1人でやらなけれぱなりません。それができたら、今度は部員にそれらを周知徹底する必要があります。仕事はとても大変だからこそ、活動を終えたときの達成感、充実感はとても大きかったです。
 高校2年生の私たちは間もなく部活でのリーダーとなります。みんなをまとめつつ、自分も一層輝けたらと思っています。”(7月24日付け中日新聞)


 愛知県半田市の高校生・シーブリッジ笑里さん(女・16)の投稿文です。 リーダーになる、その気概を持っていることがまず素晴らしい。そしてこうして投稿する、これでまた気分が高まる。リーダーはやろうと思ってやれることではない。リーダーは格好がいいだけではない。まずはその素養を備わっていなければならない。行動もついてこなければならない。かけ声だけでは誰もついてきてくれない。素養や行動力は一朝一夕でできるものではない。常日頃から養わねばならない。まずは心がけである。 シーブリッジ笑里さんはそれを心がけようとされている。何となく自然についてくることがあるかもしれないが、心がけをも持てはより早いだろう。
 もう気がつかれているようにリーダーは大変である。責任もある。この大変さに、リーダーを逃げる人もある。でも逃げたら人間としての向上は起こらない。高校生である。人生はまだ長い、始まったばかりである。多いに体験し、学んで欲しいものである。