寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3460話) 楽園

2023年02月28日 | 人生

 “去年の秋のこと。妻の姉が老人ホームで亡くなった。姉の連れ合いは、姉が認知症を病むと「役立たず」とばかりに暴言と暴力。通報を受けた役所の支援で、そこに逃れてきたのだった。その施設は、戦後間もない頃、近くの寺の住職が身寄りのない人のために始めたという。山里の奥深くにあり、度々面会に訪れた妻を待つ間、裏の林を散策していたら、猿の群れに出会って驚いた。
 葬儀は施設の一室で営まれた。参列者は私たち夫婦と職員の方が三人。焼香の後、姉と親しかったという女性が、思い出を語ってくれた。それによると、姉は散歩が好きで、野の花を見つけると摘んで帰っては部屋に飾った。施設で催される行事にも真っ先に手を挙げ喜んで参加したという。最後に女性は「大切な家族を失ったようで悲しい」と遺影に呼びかけた。
 その後、挨拶に立った妻は「過酷な人生を歩んだ姉が、最後にたどり着いたこの場所は、優しさに満ちた楽園でした」と礼を述べ、号泣した。
 後で聞いた話だが、その施設は献身的な介護と食事の世話で「入った人はみんな長生きする」と、地元の人はうわさするそうだ。帰り道、晩秋の田のあぜで、季節外れの彼岸花が冷たい雨に打たれて揺れていた。”(2月6日付け中日新聞)

 三重県東員町の森井さん(男・69)の投稿文です。人間の死について、2月14日付け第3453話で書いたばかりである。改めて死に際のことを思う。森井さんの義姉は、過酷な人生を歩んだ先に、楽園のような施設で亡くなられた。苦しい人生も死に際の幸せ感に救われる。親族の方はホッとされたであろう。死に際はそれ程に大切である。人間はいろいろ自分の思い通りには行かないものだが、特に死に際はそうである。病の痛さでのたうち回るのか、老衰のように静かに死んでいくのか、思いもかけず突然死するのか、本人にも誰にも分からない。こんな重要なことが自分の思うようにならないとは、人間とは何と情けないものか。だから生かされているというのである。
 これからは周りに迷惑をかけながら認知症で何も分からない中で死んでいく人が多くなろう。そうなる前に死にたいものだが、これも思うように行かない。人間は、どんな形になろうとも、何歳になっても生きたいものであるから。早く死にたいは、言ってみるだけのことで嘘である。重苦しい話しになった。


(第3459話) 親切には

2023年02月26日 | 意見

 “ベトナムから昨年春、日本に来た。日本人がよく口にする「すみません」が気になっている。私の前で女の子がハンカチを落とした。拾って手渡したら、その子は「すみません」「ごめんなさい」と言った。「なぜ謝るの?」と私は戸惑った。ベトナムで親切なことをしてもらったら、まず「ありがとう」というから。
 確かに「すみません」というのは丁寧な言い方かもしれず、日本の文化なのだろう。でも、言われた方は私みたいに「何か悪いことをしたのかな」と感じてしまうことだってある。ならば相手の立場を考え、「ありがとう」と言った方がより感謝の気持ちが伝わるのではないか。”(2月6日付け中日新聞)

 名古屋市の留学生・グエン・タオ・グエン(21)の投稿文です。「すみません」と「ありがとう」の使い分けの意見である。投稿者指摘のように、日本人は「すみません」を使うことが多い。そして、それが投稿者には奇異に写ると言われるのである。「すみません」は、相手に余分な手間や気遣いをさせて申し訳ない、と言うことであろう。理にはかなっている。でも消極的である。その点「ありがとう」は積極的に感謝の意を表している。そう思うとやはり「ありがとう」がいいと思う。ボクもつい、すみません、と言う言葉が出てくることが多い。こういう意見を以前にも読み、気をつけたいと、思っていた。
 そして、妻のことをふと思った。妻に「すみません」と、言った事は思い出せない。妻にはいつも「ありがとう」である。なぜなのだろう。


(第3458話) 年賀状の良さ

2023年02月24日 | 行動

 “大学の同級生二人と昨年十二月に食事をした際、二人がともに年賀状を送る習慣があることを知り、今正月用に、中学生以来となる年賀状を送った。その昔は父が家族共通で使える写真付きのものに、ひと言を添えてきたが、今回は、自分の思いが一層伝わるように、慣れないイラストを描いた。送る二人の趣味や好きなものを題材として、思い思いにペンで色を塗っていった。元日、送った二人から年賀状が届いた。感謝の言葉がびっしりと書かれていてうれしかった。年賀状の良さを再確認できた。
 スマートフォンを手にするようになり、昨今はインターネットを介したやりとりで全てを済ませようとしてきた私。来年も年賀状交換をしようと思っている。”(2月4日付け中日新聞)

 滋賀県草津市の大学生・山本さん(女・22)の投稿文です。若い人から年賀状の話しです。若い人には年賀状が無縁のこととなっている人が多いでしょう。本当にスマホオンリーではないでしょうか?ところが山本さんは、友人の話から、久しぶりに出されたようです。それもすべて手書きで。そして、帰ってきた年賀状に感激された。
 ボクは今年も年賀状を80名くらい送った。川柳を書いた毎年同じパターンながら、今年はすべての年賀状に一筆を手書きで付け加えた。もう年賀状のやり取りを止めようというものも届いた。でもボクは、自分からは言い出さないと決めている。相手が全く形式的なものでも続けていこうと思っている。そして、今年はその年賀状を写真に撮り、LINEで多くの人に送った。これは今までの人に追加である。逆に増えた。ボクも随分スマホを使うことが多くなった。確かに便利である。でも便利は、手を抜くことであり、感激が減ることも多い。LINEのスタンプなど辟易としている。


(第3457話) けん玉検定

2023年02月22日 | 行動

 “十年ほど前、たまたま見たテレビ番組から「やってみよう」と思ったのがけん玉。早速買い求めて図書館で借りた本を読みながら練習した。その後、名古屋の教室に通って基礎から学び、けん玉検定二級を取得した。しかし、この教室は受講者が減ったため閉鎖されることになり、次はそこで紹介されたサークルで鍛錬を続けてきた。検定一級を目指そうとしたものの、昨今は新型コロナウイルス禍が影を落とし、サークルでの活動は途絶えてしまった。今は黙々と一人で練習している。
 技が成功したときの達成感がひとしおのけん玉。一級合格を果たした上で準初段になれるようリズミカルに手足を動かし続けるつもりだ。”(2月2日付け中日新聞)

 愛知県幸田町の加藤さん(男・80)の投稿文です。ここにも高齢者の一つの生き方があった。70歳でけん玉を思いつかれた。幸田町から名古屋の教室まで通われたと言われるので、かなりの熱の入れようであった。そしてけん玉2級の資格を得られ、その上を目指しておられる。一つのことをやり遂げられるのは素晴らしい。人生100年時代にふさわしい生き方であろう。
 しかし、受講者が減って教室が閉鎖になり、サークル活動も途絶えてしまったと言われる。そしてボクが思うに、これは特別のことではない。高齢者はどんどん増えているのに、高齢者の活動の場は減っている。それも参加者が少ないからである。ボクのやっているサロンや健康体操クラブも減っている。いつ解散かと危ぶまれる。そして参加している歩こう会やグラウンドゴルフも減っている。働く期間が長くなって、働いておられればいい。でも、今のところ70歳がせいぜいであろう。70歳超えの人はどうしているのだろう。気になって仕方がない。


(第3456話) 人生100年

2023年02月20日 | 意見

 “六十歳定年まであと二年半となり、その後の人生設計を真剣に考えるようになった。今の職場に残るにせよ、転職するにせよ、定年を機に趣味の時間を増やしつつ、一定の収入を得られるようにしたい。昨今のわが生活費と貯金額を踏まえ、年金の受給開始年齢を繰り上げたらどうなるかも計算している。
 生産現場の管理や研究所での試作開発、求人広告の企画営業、新聞配達、ガードマンを経験してきただけに、それらを生かせるのが望ましい気がする。趣味とする小説やエッセーの執筆、カラオケ、坪庭の手入れにも時間を費やせたらと思う。人生百年時代。自分や家族、社会にとっていずれもよりよい選択をしたい。”(1月30日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の会社員・山内さん(男・57)の投稿文です。定年後の生活について、定年2年半前に気づかれたのは非常に良いと思う。そして、本気で考え、できることから至急に着手されるのが良いと思う。
 100歳超えの人口は毎年凄い勢いで増えている。シルバーカレッジで受けた講義はそんな話しが非常に多かった。人生100年、誰もが夢見ることができる時代である。60歳からだとまだ40年ある。40年と言えば、山内さんが就職して今まだ歩いてきた期間とほぼ同じである。もう一度できるだけの期間がある。これは誰もが真剣に考えねばならない問題である。
 ボクでもまだ20年ある。シルバーカレッジに行ったことを良い機会にしたい。この機会にいろいろ考えたい。それにはまず体力、気力の維持である。そして、明日死ぬことも忘れてはいけない。


(第3455話) コーヒー

2023年02月18日 | 行動

 “コーヒーが大好きだ。最もおいしいと感じるのは朝一番の一杯。ドリッパーに湯を注ぐといい香りが漂い、口に含むと眠気は吹っ飛んで、やる気が湧いてくる。
 苦みや渋みのあるコーヒ上豆も良いが、私は、お気に入りの専門店でバランスの良いブレンドを買い求めている。スーパーの売り場には黒糖入りやカフェモカなど、各メーカーの魅力的な商品が並んでいて、たまに違った味を飲むのも楽しみの一つとなっている。
 家事や子育てでひと息つきたい昼や夕方に頑張った自分へのご褒美として飲むたび、癒やされて豊かな気持ちになれる。一日数回のコーヒータイムを大切にしていきたい。”(1月27日付け中日新聞)

 岐阜県瑞穂市の主婦・岡沢さん()の投稿文です。コーヒーにこだわり、それを楽しむ人は多い。投稿欄でもよく読む。そしてコーヒばかりでない。いろいろ食べ物にこだわり、楽しむ人は多い。テレビを見ているとなんと食べ物の番組が多いのか、驚く。人間はそれだけ食べることに楽しみを覚えているのだろう。食べなければ命を保てないのだから、そしてどうせ食べるなら美味しく食べたい、人間の自然な欲求であろうか。
 ボクも毎日、起きると真っ先にコーヒーを入れ、飲みながら新聞を読む。コーヒーを入れると言っても、インスタントコーヒーに湯を入れるのみである。これも至福の時間である。しかし、ボクは残念ながら味覚音痴である。不味いのではない、何を飲んでも、何を食べても美味しいのである。これは幸せか?不幸せか?・・・、本当の美味しい味が分からないから不幸せという見方もあろうが、ボクは幸せと思っている。


(第3454話) 出世しないサル

2023年02月16日 | 行動

 “夫が帰ってきたと思ったら「お~い、サルはいないの?」と呼ぶ声がする。「あ! 忘れていた」と返事をする。サルとは、豊臣秀吉が織田信長に「サル」と呼ぱれていたときのエピソードをもじったものだ。木下藤吉郎を名乗っていたが、サルとあだなされた秀吉は「草履取り」として信長に仕えた。ある冬の日、信長が素足で玄関から外へ出ようとしたとき、サルはすかさず、懐で温めていた信長の草履を土間に置いた。殿様に冷たい思いをさせてはいけないとの一心だった。その忠義心を高く買った信長は以後、サルに目をかけるようになった。
 このエピソードのように、我が家では冬になると家族の着替えの服を炬燵の中に入れて温めておく習慣がある。寒い外から帰ってきて着替えるとき、温められた服を着るのは嬉しいものだ。これは私が子ども時代から続く習慣だ。母が炬燵の中で温めておいてくれた服を着るときの、何とも言えない満ち足りた幸福感を忘れられないからだ。
 夫が帰宅する前に、着替えの服を温めておく。私は、さながら我が家の「サル」である。秀吉は草履を温めたおかげで出世したが、私は主婦業か一向に出世する見込みはない。”(1月26日付け中日新聞)

 愛知県半田市の主婦・対比地さん(74)の投稿文です。この文で最初に驚いたのは「お~い、サルはいないの?」と呼ぶことである。本当にご主人は奥さんのことをサルと呼んでおられるのだろうか?ただ文章上そうされた気がするが、本当にそう呼んでおられたとすると、それを受け入れておらる夫婦仲がまた面白い。
 矢倉こたつで衣服を温める、これはわが家でも昔よくやっていたことである。帰ってからすぐに下着を替える場合にはそうなるであろう。いつからかしなくなったのはそんな生活で無くなったからではなかろうか。その時その時の生活がある。知恵を生かし、工夫をし、生活を楽しもう。何でも便利なものを買うことがいい訳ではなかろう。


(第3453話) 患者搬送

2023年02月14日 | 出来事

 “私は緊急性がさほど高くない患者の搬送もしていて、昨年十一月初め、三重県から八十代の女性を転院先の兵庫県の病院まで運んだ。
 搬送に付き添った女性の長女から搬送一週間後に病院で亡くなったと聞いた。涙声で「最期はとても優しい顔でした。無事搬送していただいたことには感謝しています。本当にお世話になりました」と。搬送の日は雨だった。所要三時間の運転に私は気を使い、医療処置継続中のため看護師も同乗した。新型コロナウイルスの影響で久々に顔を合わせたという親子はうれしそうに思い出話をしていた。女性が亡くなったことは至極残念だが、長女の言葉の温かさに救われた気がする。
 今後も安全運転に一層気を付けて業務をするつもりだ。”(1月26日付け中日新聞)

 津市の福祉搬送業・大森さん(男・65)の投稿文です。福祉搬送業、と言う言葉を初めて知った。確かにこうした患者を運ぶ要件はあるはずだから、こうした仕事があるのも当然であろう。そして親切に対応した結果、その身内の方からお礼を言われた話しである。死は人間の最終である。その最終がどのようになるのか、重要な事項である。優しい顔になるのか、苦しむ顔になるのか、遺族の気持ちに大きな影響を残す。多くの死は本人には、又周りの人にとってもどうにもならない。大森さんの遺族は救われたと思われたであろう。
 ボクの父母も妻の父母も苦しむことなく、眠るように亡くなっていった。それを思うと助かる。さて自分達である。前回の話しの続きになるが、どうなるのであろう。リンパ腫と言いながらも、妻の方がボクより長生きするかも知れない。今のところ死が見える状況ではない。しかし、いつ何事が起きても驚かないように、心の準備はしておく必要がある。


(第3452話) 新年の願い

2023年02月12日 | 人生

 “家内が介護施設でお世話になって四年になる。高齢で体力の衰退もあり、回復は難しい。要介護5だが、ヘルパーさんたちが実によく世話をしてくれてありかたい。だが、コロナ感染の警戒中で部屋には入れない。面会は月に一回、ガラス越しにできる。昨年の暮れには他県に住んでいる息子と一緒に面会した。家内は車椅子に乗せられてガラス戸の前に来ると、嬉しさで涙ぐんだ。不自由な手を上げようとして、ヘルパーさんに支えられ手を振ってくれた。何も手助けができず見ているだけでは歯がゆい。家内の体調では、いつ容体が急変するかもしれない。緊急の電話が入ってからでは遅い。それを思うと遣り切れない。
 私は会社員として高度経済成長期に家庭を顧みずに働いたが、勝手気ままだった。家内は、それでもよく支えてくれ苦労をかけた。いずれ別れの時がくるが、その前に感謝の言葉を伝えたい。コロナ感染はまだ治まらないが、小康状態になったら、入室して手足をさすり、抱きしめて感謝の気持ちを伝えたい。
 神々しい初日の出を見て、手を合わせて祈願したのである。真心を込めてハグをして感謝したい。それが新年の願いである。”(1月25日付け中日新聞)

 愛知県小牧市の三和さん(男・86)の投稿文です。会社人間であった86歳の新年の願いである。「入室して手足をさすり、抱きしめて感謝の気持ちを伝えたい」、これを誰が読むかも知れない投稿文に書く。今までできなかった人が、ここまで素直になれる。本心からの願いであろう。その原因は何だろう。それは「いずれ別れの時がくる」これを実感されたからではなかろうか。分かれることが来るのは誰もが分かっていることであるが、元気なとき、目の前に死が現実に見えないときに、実感することは難しい。
 これは今のボクの夫婦にも当てはまる。妻は昨年から濾胞性リンパ腫の抗がん剤の治療が始まった。今も続いている。そして完治はないと言われた。完治しないと言うことは死が目の前にチラついたと言うことである。生活も少し違ってきたが、それより気持ちの持ち方が大きく変わったと思う。妻は定めと受け入れていると言うが、どうも態度を見ていると違ってきている。以前から会話の多い夫婦とは思っていたが、マスマス饒舌になった気がする。そして、ボクへの注意が多くなった。自分が亡くなった後のことを考えて、というのは思いすぎかも知れないが、そんな気もしてくる。そして毎朝のハグが復活した。


(第3451話) 心身充実

2023年02月10日 | 意見

 元日に一年の目標を決めるのが常で、今年は、心身ともに充実した日を送るため三つのことを掲げた。
 まずは一日一万歩のウォーキング。血圧が高く、かかりつけ医から運動を勧められているため手軽に取り組めそうなものとして選んだ。
 次は読書で年間読破数四十冊が目標。これまで通り題名と読み終えた日付はカードに記して管理する。好きな歴史本では何度も読みそうなものは買い、それ以外は図書館で借りようと思っている。
 最後は、十六年間務める名古屋での観光ガイドボランティア。他人と話しながら見識を深めるのは楽しく、引き続き名古屋の魅力を積極的に発信したい。
 そのためにも自分がまず規則正しい生活をせねば!”(1月24日付け中日新聞)

 愛知県あま市のアルバイト・横井さん(男・69)の投稿文です。横井さんは新年の目標として3つのことを掲げられた。ウォーキング、読書、ボランティアである。具体的で目標になりやすい。また高齢者にふさわしい目標である。
 ボクも毎年元日に、1年の目標を日記帳に記している。今改めて読み返してみた。昨年妻のリンパ腫が完治不能と言われた。今も治療中である。妻に寄り添うこと、これが第一であることは言うまでもない。そしてボクが活発に生きることは妻の望みでもある。体年齢61歳を生かし、昨年から付き合いが始まったシルバーカレッジの若い人から、いろいろ吸収することである。今触れあう人は同年代、又それ以上の人が大半である。カレッジの人はほとんどが7、8歳若い。新たな発展を期待したい。そして従来の一宮友歩会、老人会、その他の活動を継続することである。幸い、気力も体力も失せていない。「人は考えた通りの人間になる」この言葉を信じ、まだまだ夢を持っていきたい。