寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3446話) 進化

2023年01月31日 | 人生

 “よく人違いされる。見知らぬ人に「○○ちゃんだよね?」と声をかけられ「違います」とムッとした二十代。「よくある顔みたいで、いろんな人に間違えられます」とにこやかに答えられるようになった四十代。そして五十代になった今、「私に似てるなんて、その方、美人さんですね。アハハ」と笑い飛ばせるまでになった。
 物覚えが悪くなったり、小さな文字が見えにくくなったり、昔はできたのに今はできなくなったことはいろいろある。この年齢になり、できるようになったこともある。初対面の人と楽しく会話ができるようになったのも、その一つだ。保育園に勤めてもうすぐ十年目になるなんて、小さな子が苦手だった昔の私が知ったら、どんなに驚くだろう。他にも、知らないことを「教えて」と言えるようになった。感謝している人に素直に「ありがとう」と言えるようになった。若い頃には照れてできなくても、年を重ねてできるようになったことは枚挙に暇がない。
 娘に話すと「羞恥心がなくなっただけじゃないの?」と笑われるが、私はこれを密かに「進化」と呼んでいる。できなくなったことを嘆くより、これからも楽しみ、心に余裕のある大人を目指したい。”(1月8日付け中日新聞)

 愛知県豊川市のパート・能勢さん(女・50)の投稿文です。多くの人は老いて死を迎えるのが最終段階である。毎日がそれに向かっていることを思えば毎日が進化である。しかし、これを普通の人は進化と言わない。寂しい老化という。進化と言うには、優れたものに変わることである。能勢さんが言われる進化は具体的には楽しくなれることであろう。どうも人間楽しいことに勝れるものはなさそうだ。とは言っても若い人が楽しさだけではやっていけない。苦労に耐え、乗り越えてこそ生活もできる。その先に楽しい生活もあろう。そしてものは受け取り方である。同じ事があっても、面白く無い人と楽しい人がある。能勢さんは何事も楽しくなるように受け止める。これぞまさに進化であろう。能勢さんの人生は楽しくなろう。
 さて老いたボクらはどうであろうか。ボクはもう楽しいことしかやらないことにしている。無理して楽しくないことはしない。それがシルバーカレッジの委員長辞任にもなってしまった。さてこれが良かったか、悪かったか?もう少し先に結果が分かろうが、ボクが辞任したことによって教室の雰囲気はかなり変わった。良かったと今は思っている。できなくなったことを嘆くばかりではいけない。順調に老いているのである。


(第3445話) 切り干し大根

2023年01月29日 | 知識

 “晴天の中、肌を刺すような寒風が吹き抜ける。昨年十二月上旬、愛知県一宮市の畑では、細長く刻まれた大根が網の上にずらりと並び、風にさらされていた。一宮を含む尾張北部には木曽川流域の肥えた土があり、古くから大根の生産が盛んだった。冬になると、北西にそびえる伊吹山から季節風「伊吹おろし」が吹き下ろす。その気候を生かし、江戸時代から保存食として切り干し大根の生産が始まったという。(後略)”(1月7日付け中日新聞)

 記事からです。ボクらが子どもの頃、いや父が生存中の時代は、どこの畑もみても切り干し大根が干してあった。ボクも子どもの頃は手伝った覚えがある。突いた大根をほぐすときの冷たさ、また大根を突くときに手まで突いた覚えもある。最近はめっきり減ったが、それでも数軒は干す場が作ってあった。でも今年は見当たらない。高齢で止められたようである。都市近郊農業はもう成り立たない。今80歳代の人が止めればもう終わりである。その先どうなるのだろう。
 ボクの家は、妻が自分達の食べように長年作ってきた。今年も作っている。網戸を利用して干している。切り干し大根は重宝である。何かに混ぜて年中食卓に並ぶ。これもボクらまでだ。娘らも重宝しているようだが、でももう作れない。


(第3444話) 「うっかり」は

2023年01月27日 | 行動

 “大型スーパーに行くたび、店内外の通路や駐車場に放置されたショツピングカートに目が留まる。以前は「マナーの悪い人がいるな。後で店の人が持って行ってくれるだろう」と思ってきた。
 昨年秋のことだ。購入した商品をカードに乗せて駐車場に行き、自分の車に詰め込んで、カートは駐車場横の返却スペースに運んだ・・・。帰宅し、カートを戻したかどうかの記憶があやふやで「置き忘れたかも」と不安になってきた。いつもは夫と二人で買い物に行くが、その日は私一人だった。置き忘れは誰にでも起こりうる。今度放置されたカートを見つければ、自分が返却しようと思った。”(1月7日付け中日新聞)

 三重県四日市市の中山さん(女・57))の投稿文です。ボクは多分、片づけられたと思う。習慣になっていると、無意識のうちに行い、後で行動が思い出せないのである。このような発言をされる中山さんなので、習慣づけられている人だと思う。でも、このように反省された。人のうっかりを許し、それを見つけたら自分で片付けようと。尊い気づきである。
 妻が病になって、ボクもよくスーパーに行くことが多くなった。確かに放置されたカートも時折見かける。これからはボクも見かけたら片付けようと思う。良いと気づいたことは、大きな負担がない限り、行うのが老後のあり方でもある。人生の先輩である。手本を示さねば。
 中山さんは若い。こういう人に言われると、ボクらはどうすればいいのか、うっかりばかりではない。用に気づいてその場所へ行ったら、何で来たのか思い出せない、こんなことも起きる。感謝と共に、許すことも重要になってくる。


(第3443話) 五円玉と共に

2023年01月25日 | 行動

 “父は元気な頃、小銭を貯めていた。一円、五円、十円と種類ごとに分けて、牛乳瓶ぐらいの貯金箱に入れていた。二〇〇九年、脳梗塞で倒れた父を我が家で引き取ることにした。身の回りの物と一緒に、その貯金箱も持ってきた。しかし、度重なる肺炎などの闘病生活で、貯金箱のお金は、増えることも減ることもなかった。
 十八年、父は八十五歳で亡くなった。残った小銭をどうしようかと考えて、五円玉をおさい銭に使うことを思いつき、旅行でいろんな所へ行くのに持って行った。一番初めは伊勢神宮だったと思う。一度も行ったことがない父に代わってお参りでき、心がジーンとした。それから、九州は霧島神宮や鵜戸神宮、四国の金刀比羅宮にも参詣した。新潟県・佐渡島へ渡ったときには「ついに佐渡まで来たよ」と五円玉を握りしめた。昨年十二月、とうとう最後の五円玉がなくなった。長野の善光寺で終わりとなった。四年と五ヵ月の月日が流れていた。
 父は電気工事業を自営していたこともあり、ほとんど旅行をしたことがない。そんな父を毎回連れてきている気がしていた。決して仲の良い親子ではなかったけれど、良い供養ができたのではないかと思う。”(1月6日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・榊原さん(63)の投稿文です。小銭を貯金箱に貯めていた人は多いでしょう。財布が重くなるのがいやで、また貯金にすればいつか役に立つ、そんな思いがあったのでしょう。榊原さんのお父さんがそうであった。お父さんが亡くなって、その小銭の使い方について、お賽銭に使うことを思いつかれた。それが全国の寺社巡りに繋がった。無くなるまでに5年4ヶ月かかったと言われる。お父さんの貯金を有益に使い、自分自身も楽しまれた。頭は使いよう、上手な使い方である。
 小銭を貯金しようとすると手数料がかかるようになった。何かおかしいと思うが、世の流れである。必要なときこまめに使うことであろう。しかし現金を使うことも少なくなった。やはり賽銭であろうか。


(第3442話) ひと声かけて

2023年01月23日 | 行動

 “困っている人の力になりたい。自分が逆の立場になれば遠慮せず手を差し伸べてほしい。そのために大事なのが声かけだと思っている。昨年十月のことだ。私が大型店舗の休憩スペースにいたら、車椅子の男性が自動販売機前で困った表情を浮かべていた。「お手伝いしましょうか?」と言うと、返事は「ありがとうございます。飲み物を買いたかったのですが、手が届かなくて・・・。どうしようか悩んでいたんです」。そこで私がボタンを押して男性の電子マネーのカードをかざし、出てきたペットボトルを渡した。
 お互い笑顔になり、こちらが恐縮するほど感謝された。私は幸せな気分に浸れた。”(1月6日付け中日新聞)

 愛知県東浦町の古園さん(女・45)の投稿文です。障害者への対応が進んできたといっても、これで十分と言うことはありえないでしょう。いろいろな障害を持った人があります。それには気づいた人の声かけです。古園さんはそれを自ら実行し、その必要性を実感されました。ボクもそう言う場面に遭遇し、したことがあったろうか、思い出せません。言うは易し、行うは難しです。でも心がけ次第でできることでしょう。いつもそういう意識を持っていたいものです。古園さんは幸せな気分になれました、とあります。お互いに良いことです。


(第3441話) 労働力

2023年01月21日 | 人生

 “ヤングケアラーの報道に触れるたび、戦後すぐの小・中学生のときを思い出します。国全体が貧しかったその昔、子どちは貴重な労働力でした。現岐阜県安八町の実家では、いつも厳しい祖母は私が机に向かっていようものなら「勉強する時間があったら家の手伝いをしなさい」と。私はやむなく弟や妹の子守、牛の乳搾り、ニワトリの餌となるイナゴ捕りをしました。春の田植えや秋の収穫時、学校は家の田畑の手伝いのため一週間ほど休みになりました。苗取りが私は得意で、わが家の分を終えると隣の友人宅の分をやりました。夕方、何かの合間にラジオドラマを聞くことが楽しみでした。祖母が寝てからの深夜がまさに自由時間で、そのときに宿題をしました。”(12月30日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の主婦・河原さん(80)の投稿文です。ボクはこれほどではなかったと思うが、でも似たり寄ったりです。ボクも小学校から帰ったらすぐに父母のいる畑へ行きました。ボクを見に来たサラリーマンの子の同級生はビックリしていました。田植え休み、稲刈り休みはありました。当然働き手です。テレビはないからラジオです。ボクも夕方、紅孔雀や笛吹童子などのラジオドラマを聞くのが楽しみでした。河原さんと違うのは、弟や妹の子守、牛の乳搾りですね。妹はいたが子守りの記憶はありません、したかも知れませんが。牛はいなかった。
 ヤングケアラーの報道が最近よくありますが、ボクらの時代はある程度普通だったかも知れません。妻に言わせると、私の方がもっとひどかった、と言っています。それに耐えたからブルーバード賞も貰えたのでしょう。でもヤングケアラーが良いという訳ではありません。やはり子どもには子どもらしい過ごし方ができる社会であって欲しいものです。


(第3440話) 「思わぬ宅配便」

2023年01月19日 | その他

 “「宅配便でーす」 インターホンから聞こえてきたのは夕食の支度で忙しいときだった。  「ねぇ、お父さん出てちょうだい」 「わしも忙しくて出れないよ」 「なによ!足の爪を切ってるだけじゃないの」
 夫は、会社を辞めてから動きが鈍くなり、物忘れもひどくなった。今日のわたしの誕生日なんか、きっと忘れているに違いない。結婚前はよくプレゼントをしてくれたけど、あの気遣いはどこへいったのかしら。
 「お留守ですか?」 また配達人の声がする。仕方なく「はい、今出ますよ」と玄関口に行った。そして「差出人は誰かしら?」と聞いてみた。 「はい、ご主人さまから奥さま宛てのようです」
 わたしは、顔を赤らめてしまった。”(12月25日付け中日新聞)

 「300文字小説」から埼玉県狭山市の安部さん(77)の作品です。心温まる良い小説です。夫婦の姿もよく現している。ご主人からのサプライズです。照れでもあるでしょう。そしてもらった奥さんの赤ら顔・・・。ボクの心も刺激された。
 ボクの妻には大きな病が分かった。今病院通いをしている。ボクは妻の誕生日に何をしただろうか。忘れていることがほとんどで、何かを贈った覚えなどない。もうするなら今しかない。今年は是非しなければならない。この小説を忘れないようにしなければならない。今から毎日考えておこう。でも半年後である。物事を忘れやすくなったボクに可能であろうか。ボクが試されることになった。


(第3439話) 制服、チェンジ!

2023年01月17日 | 活動

 “一宮市内の全中学校で今年の春から制服が変更になった。学生服・セーフー服からブレザーになり、制服を選択することができるようになった。ズボン派の私はいいなと思うが、中三なのでセーラー服のままだ。
 私が通う中学校では、昨年から先生方と代表生徒とで校則見直しの意見交換をしている。白色のみだった靴や靴下は、黒色も使用が可能になった。制服に羽織る上着も兄や姉のころに比べると随分選択肢が増えた。「みんな同じ」から「個性」を出せるようになった。重大ニュースだと私は思う
 しかし選択が増えたことで、金銭的に負担になったり、先生と生徒との考え方に食い違いが出てきたり。私も話し合いに参加しているが、まだまだ改善点はたくさんある。来年の春私は卒業する。制服変更は私には関係ないことだと思っていたが、ここから変わったことがたくさんあった。後輩たちへつながるバトンづくりに関われたことはよかったと思う。”(12月25日付け中日新聞)

 小中高生の作文「今月のテーマ・今年の重大ニュース」から愛知県一宮市の中学生・伊藤さん(女)の投稿文です。制服については当事者ではよく問題になる話しです。服装に関心のある年代であるし、今までの規制があまりに厳しすぎるからであろうか。我々の時代には何も問題にならなかったが、これも時代の流れであろう。
 一宮市では来年度から上記のようなことになった。伊藤さんはこの問題の話し合いに参加し、自分の重大ニュースと捉えられた。卒業する自分には関わりないことだが、改善点はまだあるし、後輩へ繋がるためのものと理解された。大きな体験になったろう。若い人はこうして成長していくのだ。前向きな捉え方、健全な成長を願いたい。
 ボクは毎年大晦日に「わが家の重大ニュース」を拾い出している。このことから重大ニュースのテーマに目が行ったが、こうしたことを毎年の行事とさ


(第3438話) 出会いは奇跡

2023年01月15日 | 意見

 “学校に行けば友達と会えます。でも友達との触れ合い自体、決して当たり前のことでないことに最近気付きました。もし私が進学していなかったら、今通う高校とは別の学校に行っていたら、現在の学校の友達と出会うことはありませんでした。まして仲良くなるなんて絶対にありえなかったはずです。私の周りにいる全員と気が合うなんてありえません。共通の話題がある、その中の何人かと結果的に友達になれるだけです。そんなことを考えていたら友達になれたことはまさに奇跡であり、運命さえ感じるようになりました。
 私は友達の良いところを見つけ、さらに仲良くしていきたいです。”(12月21日付け中日新聞)

 愛知県稲沢市の高校生・上田さん(女・16)の投稿文です。「出会いは奇跡」、これは本当です。良いことに気づかれました。こう思うと友達がより大切になります。世の中凄く多くの人がいて、また多くの人と毎日会いながら、友達になれる人はわずかです。縁がなければ友達になれません。若い人はまだ多くの可能性がありますが、年老いてくるとその可能性はマスマス小さくなります。小さいどころか失うだけです。
 昨年ボクは二つのことを味わい、感じました。職場を同じ年に辞めた人、10人ばかりでグループを作り、年に数回飲み会をしていました。2年中止したこともあって、昨年、もう止め時と思って声を掛け、5人が集まりました。誰一人として解散と言いませんでした。もう15年以上毎年開催していた中学校の同窓会を、これももう最後と思って開催しました。ところが続けて欲しいという要望が出て、これも続けることになりました。友達と言うにはありそうで、できそうでなかなかないものです。できた友達は大切にしたいものです。


(第3437話) トラブルに備えて

2023年01月13日 | 意見

 “わが家では何十年も前の買い物の領収書は処分していますが、最低五年間は整理して保管するようにしています。それは、中学生でのある経験がきっかけとなっています。本が好きだった私は今は亡き父にねだって真新しい本棚を買ってもらいました。数日後、購入先の家具店関係者らしき男性がわが家に来て「本棚の料金を支払ってくれ」と。それに対し父は冷静に「支払いは済ませました」と返しましたが、男性は納得せず「払ってもらっていないから来ている」と声を荒らげました。そのとき父は整理だんすから本棚の領収書を持って来て、男性に差し出しました。男性は、それ以上は何も言わず帰っていきました。
 後に父はこの話をよく持ち出しては「間違いは誰にでもある」と言いました。今振り返ると「間違いが起きる前提で備えることが大事」との教えを父は伝えたかった気がします。そう、領収書があればトラブルは防げるのです。”(12月20日付け中日新聞)

 岐阜県大垣市の武井さん(男・66)の投稿文です。こうしたことがあると、領収書の大切さがよく分かります。領収書はこうした間違いのた時のための証拠です。わが家でも領収書は5年、それ以上に保存してあります。
 「間違いは誰にもある」、この姿勢を持つことは大切です。人の間違いをすぐに責めるのは避けたいことです。避けたい、と言うより禁物です。よく事情を聞いた後に判断したいものです。高齢になればもう間違いの連続です。特に多いのが、前回の資料を活用しながら、今回の書類を作るときです。日にちなど訂正忘れが一杯です。日にちは重要な要素です。これを間違えるととんでもないことになります。ボクはいつも妻に点検してもらうようにしているのですが、一人ではだめだと言うことを実感しています。