寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3163話) 新聞

2021年06月30日 | 行動

 “三月に父が八十二歳で亡くなった。生前「新聞を取らないと一軒家らしくない」とずっと言っていたのに、死んで三日後、一時的に購読を停止することにした。「父イコール新聞」の思いが強く、新聞を開くたびにつらくなったからだ。
 父は今年の正月ぐらいから目がぼやけるとこぼすようになった。それでも真剣に紙面を見ていた。「要介護5」だったが、新聞からいろんな元気をもらっているようだった。
 ある日の明け方、目が覚めたら新聞配達のバイク音が聞こえた。父の「新聞を取らないと」との言葉がよぎり、二ヵ月半ぶりに配達してもらうことにした。久々に紙面を目にすると妙に喜びを感じ、父が新聞から元気をもらっていた理由が何となく分かるようになってきた。”(6月7日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・尾藤さん(男・49)の投稿文です。今は何がなくてもスマホであろうが、昔は新聞であったろう。一般家庭では新聞をほとんど取っていたと思うが、今はどうだろうか。少し調べてみると、一世帯当たりの購読数は2000年には1.13部であったが、2020年には0.61部とあり、毎日新聞を読む人は45%、全く読まないに人が33%と言う数字があった。
減ったろうとは思っていたが、これほどとは思っていなかった。尾藤さんは、お父さんが亡くなられた機会に、新聞を取ることを止められた。新聞を開く度にお父さんを思い出され、辛くなったからと言われるが、ただそれだけとは思いがたい。ボクは親が亡くなっても新聞をどうこうとは全く思わなかった。尾藤さんはその後再び取られるようになった。そしてその価値も見いだされ、良かったと思う。
 この「話・話」 でも新聞の良さについてはしばしば触れてきた。ボクはスマホも度々見るが、読む内容が片寄ることが気にかかる。


(第3162話) 湯飲み

2021年06月28日 | 出来事

 “随分長い間使用してきた私の湯飲みの上部が欠けてしまい、食器棚にあった別の湯飲みを使うようになった。
 あるとき、その湯飲みの底を見れば「創業百周年」とあり、生まれ育った故郷のプロパンガス店の名が印刷されていた。少し気になって調べたら大きな店で創業は1870(明治3)年だった。逆算したら、この湯飲みは五十年も前にこしらえられたものだった。とすると食器棚に五十年近く眠っていたことになる。私が結婚する際、亡き母がそっと置いてくれたものだろうか。そんな想像を膨らませた。母は、あの世で「そんな古い湯飲みを出して」と笑っているかもしれない。”(6月5日付け中日新聞)

 愛知県北名古屋市の田中さん(男・74)の投稿文です。長年一つの家に過ごせば、仕舞っておいて忘れてしまった物が多かれ少なかれあろう。田中さんは、50年以上も前の湯飲み茶碗を見つけられた。昔は結婚式の引き出物などもらい物も多かった。こうした物は特に仕舞われたままになっている物も多かろう。最近は断捨離が叫ばれている。長年使われることもなく、場所を占めているものを片付けようというのである。片付けて空間を広く使おうというのである。空間を広く使うという意味では、ボクも断捨離は賛成である。幸いボクの家は2人で住むには広すぎるほどであり、毎日の生活も広い空間を使っている。ものは奥の部屋にまとめられていて邪魔にはならない。でも、ボクは最近、使えるのに使わない物を引っ張り出してこなければと思っている。有用なものがあることを結構忘れているのである。妻は捨てることを主張するが、ボクは無視をしている。捨てて後でしまったと思うことを度々経験しているからである。ボクは廃物利用を楽しんでやっている。先日は古い犬の置物に、古い甕、壊れた傘立て、くたびれたネクタイを使って面白いものを作った。


(第3161話) ほほ笑み

2021年06月26日 | 意見

 “新型コロナウイルスの影響でこの一年余、疲れやストレスからつらくなるときがよくあります。そんな中、誰かにほほ笑みを向けられホッとした経験はないでしょうか。私には、いつも笑顔で周囲を元気づけてくれる友人がいます。彼女は私よりも七~八歳上で、家族の世話や新聞配達の仕事に励んでいます。彼女だって疲れも相当たまっているはずなのに笑顔を絶やしません。
 家で雑誌を読んでいたら「ほほ笑み すてきなプレゼント」とのフレーズに目が留まりました。「自分からほほ笑みかけて誰かの一日にちょっとした幸せを添えてあげましょう」ともありました。「受けるより与える方が幸福」という言葉もあります。私は今だからこそほほ笑もうと思っています。”(6月4日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の主婦・宮地さん(68)の投稿文です。先日に続いて笑みの話である。笑みを見せられて、よほど機嫌の悪いとき以外、悪い気のなる人は少なかろう。笑みは相手を嬉しくさせることはあって、悪くさせることはあるまい。そして笑顔のできる人は人柄と、その顔つきであろう。顔つきも自分で作るものである。ボクも昔、笑顔がいいといってくれた人がある。言われた方も良い気になるが、相手も良い気になってくれていたのであろう。最近は言われた覚えがないので、まずいのかも知れない。
 「ほほ笑み すてきなプレゼント」はまさにそうである。無料でできるプレゼントである。心がけたいが、一朝一夕でできるものではない。常の心がけである。「受けるより与える方が幸福」も事実である。受けるのはその時得した気分になるが、何か負担の気持ちが残るものがある。与える方はただ良い気持ちの残るのみである。


(第3160話) 笑顔の連鎖

2021年06月24日 | 出来事

 “私は店に行き、店員の対応が良いとそこでのうれしかったことを店のホームページを介して書き込むのが好きだ。久しぶりに訪ねた店で「一年以上前のことですが・・・」と話をすると、「本社からメールが届きました。ありがとうございます。とても励みになりました」と覚えていてくれた。京都の有名なホテルでフロントの女性に近くの観光地を尋ねると丁寧に教えてくれ、そのうれしかったことを書き込んだら、数日後、ホテル側からお礼のメールが届いた。
 私はうれしかったことのお礼をしているだけなのに、相手からはさらに丁寧なお礼を言われる。これならどちらも笑顔になれ、こんな世の中が続けばいいなと強く思う。”(6月1日付け中日新聞)

 岐阜県可児市の主婦・長瀬さん(64)の投稿文です。ホームページで客の意見を聞く、多くの企業で行っていることであろう。どれだけの人がホームページを開いてまで意見を書く人があるだろうか。苦情を言いたいときはたくさんある気がするが、嬉しかったときはどうだろうか。一度聞いてみたいものだ。嬉しいときは多分少ないと思う。それだけに、この店の人も覚えておられた気がする。嬉しいときこそ伝えたいものである。それが良い連鎖を生む。
 店にアンケート用紙を置いているところも多い。これは書きやすいが、顔を覚えられることに躊躇することもあろう。一昨年のことだったと思うが、妻が好意的なことをアンケート用紙に書いておいた。後日お礼の言葉と来店サービス券が届いた。そして出かけた。これは商法であろうか。でも嬉しかったことも事実である。


(第3159話) なじみの店

2021年06月22日 | 出来事

 “私は定期的に訪ねる文具店で愛用するボールペンの替えのインクを買い求めています。五月初めに訪れた際、替え芯の在庫がありませんでした。店員に相談したら「お急ぎならば」と店頭にある同じ系統のボールペンに入っている芯を融通してくださいました。普段から世話になり、なじみとしている店をますます好きになりました。
 ボールペンは父親からもらった思い入れのある品です。今、就労に向けた訓練でもプライベートでも大活躍しています。ボールペンを手にするたび、店員の温かな心遣いがよみがえってきます。その節は本当にありがとうございました。”(5月31日付け中日新聞)

 愛知県西尾市の金原さん(男・32)の投稿文です。融通を利かせる、これもなじみの店だからこそであろう。客の便利を図った一時的な対応である。この融通を利かせるかどうか、それは客との信頼関係でもある。これは何事にも言えることである。
 芯を入れ替えてもそのボールペンを使う。それは思い入れがあるからである。ボクなどボールペンは、インクがなくなれば捨てて別の物を使う。他に代えがたい物は貴重な財産である。ボクにこういうものはあるか?特に思いつかない。妻はもう何十年と同じ万年筆を使っているが、それはスペアーインク用であるから当然ではあるが、でもその万年筆は何かの賞で貰ったもののようだ。そういう意味では思い入れがあるのであろう。今、常時万年筆を使っている人はどのくらいあるだろうか。


(第3158話) 「64」忘れない 

2021年06月20日 | 人生

 “その昔の十代の頃、初めてビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」を聴いたとき、三人の孫に囲まれて幸せな老後を過ごすという歌詞にロマンを抱き、それ以来「64」という数字を何となく意識してきた。ずっと先のことだと思っていたが、私もついにその年齢になってしまった。
 一九六四(昭和三十九)年はビートルズが日本デビューを果たした年で、同じ年に東京五輪があり新幹線も開通した。昭和六十四年になってすぐ年号は平成となり、社会主義の各国で民主化が一気に進んだ。「64」という数字に愛着とこだわりを持ち、この先も気持ちだけは若くいたいと思う。”(5月27日付け中日新聞)

 岐阜市の公務員・水野さん(男・64)の投稿文です。ある特定の数字にこだわりを持つ。人生にはこんなこともある。それがいいことの時もあるし悪いことの時もある。水野さんは「64」に愛着を持たれた。愛着である。気持ちがいい数字である。水野さんは64歳になられた。この先はいつまでも64歳の気持ちで過ごされるのだろうか。そうすればよりいい数字になる。
 ボクはある時期「6」という数字が嫌いであった。中学1年の時の10月6日に父が交通事故を起こし生死をさ迷った。中学2年の9月26日は伊勢湾台風であった。高校1年の9月16日は第二室戸台風であった。伊勢湾台風の方が被害は大きかったが、ボクには第二室戸台風の方が怖かった。昼間と夜の違いであったろう。
 父は2ヶ月入院したが、その間ボクは半分以上学校を休んだ。秋の農繁期である。近所の人に手伝ってもらいながらも母と一生懸命働いた。中学1年でよくあれだけやったなあ、と今でも思う。そして、父の交通事故はその後のボクに思ってもみなかった展開を起こすのである。この展開はボクにとって、とてつもない幸運になる。そうして今があると思っている。人生は計り知れないものである。


(第3157話) 幻の同窓会

2021年06月18日 | 行動

 “「喜寿の年の同窓会を最後とします」。遠い故郷の中学校時代の級友から連絡があったのは、何年前だったろう。楽しみにしながら待ちに待った昨年秋は、コロナ禍で同窓会どころではなく、中止となった。
 山あいの小さな学校で同級生は七十八人だったと記憶している。卒業後は進学、就職とぱらぱらになり、以来年賀状のやりとりが続いているのは十二人。他の人たちはどうしているのだろう。同窓会が中止となり、同級生への思いは募るばかり。小中学校と九年間、なじんだ名前が浮かんでくる。
 思いついて「あ行」から順に名前を書き出してみることにした。意外とすらすら出てきて、すぐに五十人近くになった。あとは散歩の途中や食事の支度をしている時などに、ふっと思い出したりして、何とか六十三人になった。だが名前を思い出しても顔の浮かんでこない人が何人もいる。何回か出席した同窓会でも、そのたびに誰か分からない人が何人かいたのを思い出す。名簿も卒業アルバムもなく、あと十五人、果たして思い出すことができるだろうか。コロナ収束の兆しもなく、この先同級生たちに会う機会がないと思うと、寂しい限りである。それにしても、コロナが憎い。”(5月26日付け中日新聞)

 岐阜県海津市の先山さん(女・78)の投稿文です。コロナ禍はいろいろなものを破壊しているが、この同窓会も代表的なものだろう。多くの人が集まって話し、食べることが一番抑制されているので、ほとんどの同窓会は開かれていないだろう。先山さんは最後の同窓会が延期され、先の見通しはない。このまま終わってしまうのだろうか。その中で、先山さんは名前の書き出しを始められた。いろいろなことを思いつくものである。悔しさの表れであろうか。
 ボクも昨年、今年と小学校、中学校の同窓会を中止した。本来なら、中学校の同窓会はこの6月13日に開いているところである。ただボクは、ボクの状況が許される限り、開けるときが来たらいつでも開こうと思っている。そしていつが最後とも考えていない。今のところ集まる人がある限り、開くつもりである。しかし、いつまでもあると思うな、親と金である。そして自分の健康と命である。このコロナ禍で十分知ったであろう。しかし、ある命は、生かされている命は生かさねばいけない。そのことを特に思うこの頃である。


(第3156話) 口元見せたい

2021年06月16日 | 意見

 “ある企業が、口元が見える透明なマスクの受注販売を開始したところ即日完売したという。コミュニケーションに不安を抱える人をはじめ、聴覚・言語障害のある方のために開発されたそうだ。
 二歳となった息子は物心ついた頃から自宅の外ではマスクを着けた大人しか見たことがなく、いつも一緒にいる保育士ですらマスクを外した素顔を知らないと思う。周囲が皆マスク姿だと、表情から相手の感情をうかがう能力を、子どもたちが養えなくなる危険性が指摘されていた。次代を担う子どもたちの健全育成のためにもコミュニケーションの壁となるマスクを「見える」化していってほしい。一日でも早く教育の場で活用していただけることを切に願っている。”(5月25日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の会社員・浅田さん(女・41)の投稿文です。先日テレビで、マスクの効用についての番組を見ていてびっくりした。マスクひとつでこんなに変わるものかと。その番組では、口や顔の変化について調査をした結果を報じていた。マスクをしていると、口や口周りの変化が小さくなり、口臭がひどくなり、筋肉も落ちていくという。無意識のうちに変わっていくのである。浅田さんの言われるとおりである。いや、以上である。相手が見えないだけでなく、マスクをしている本人も表情を抑制していくのである。見えないからと気がゆるむのである。人前に身をさらすには無意識にも緊張が伴う。そしてこの効果は大きい。
 ではこの巣ごもり状態はどうだろう。マスクどころではない気がする。家に閉じこもれば緊張は格段に落ちる。一人暮らしの人は更に落ちる。ストレスになってはいけないが、心身の緊張はある程度必要なのだ。緊張のないことがストレスになっては更にいけない。一時も早いコロナ禍の終焉を更に願うばかりである。


(第3155話) 腕を組み

2021年06月14日 | 出来事

 “その病院の駐車場は、緩やかな坂でありながら、角張った石ころがあちこち顔を出していました。「父さん、慌てずにゆっくり降りようね。上手、上手」「母さんもゆっくりでいいよ。オーケー、オーケー、さあ出発」
 主人は先日、卒寿を迎えたばかり。私も立派な後期高齢者です。今、集中するのは足元のみ。車から降りた通りは石ころなし。ヤレヤレ。ふと気づいたんです。運転して連れてきてくれた娘の腕が、主人の腕にしっかり組まれていることに。でぶっちょと少々細めの二人。何だか不思議なものを見ているようで、私は当惑しきりです。でも、すんなりいい感じで風景に溶け込んでいます。「しっかりついてこなあかんよ」とは娘の声。五十年ほど前、ぜんそくで苦しんだ娘。何のてらいもなく素直に身を任せている夫。今ではどこでも見かけるような風景ですが、何でしょうか。
 男子厨房に入らず、男女席を同じゅうせすの時代を生き、加えて大変な照れ屋で不器用な人なんです。家の中ではともかくも、明るいお日さまの下でのこと。快癒を目指す通院での大発見でした。診療後は、楽しい食事をいただき、幸せな一日を送りました。ありがとう。”(5月21に付け中日新聞)

 岐阜県羽島市の岡崎さん(女・86)の投稿文です。娘さんがお父さんの腕をしっかり握り、誘導していく。お母さんはその風景を感慨を持って眺めておられる。昔には考えもつかなかった風景なのだろう。老いた父親を娘がかばう、いい風景である。何歳かとみればもう90歳である。当然でもあろう。
 そしてこの風景はボクに訪れるだろうか。やはり今のボクには想像もできない。そんなことができる雰囲気にはない、と今は思っている。でも老いたらどうなのだろう。その時の状況であろう。命までとは言わないが、体の状況は一瞬にして変わる。特に転倒し骨折でもしようなら、もう寝たきりか車椅子にもなる。こんな話は毎日のように身近に聞く。その時に岡崎さんの風景を体験できれば、本当に幸運だろう。まずは少しでも長く自立歩行ができること、そしてそれがかなわくなった時にはこの風景をボクも密かに願いたい。


(第3154話) 黄色の靴

2021年06月12日 | 出来事

 “散歩用のスポーツシューズがかなり傷んできたため新たなものを求めてショップを訪ねた。店内にはカラフルな靴が所狭しと並べられていて私は黄色のシューズを手に取った。ふと六十年前の記憶がよみがえってきた。
 小学校二年生だった。父が黄色いエナメルの靴を買ってきた。その靴で登校したら皆から「女の子の靴だ」とからかわれた。当時靴の色は男子は白か黒、女子は白か赤だった。それ以外の色はほとんど市中に出回っていなかった。その夜、「黄色い靴は皆にいじめられるからもう履かない」と私が言うと父は悲しそうな顔をした。翌朝、黄色い靴は白色になっていた。父がペンキで塗ったのだ。私は何事もなかったかのように白い靴を履いて学校に行った。”(5月20日付け中日新聞)

 愛知県大府市のパート・相羽さん(男・68)の投稿文です。お父さんに買ってもらった黄色い靴がからかいの対象になり、その靴に白いペンキ塗って使ったと言われる相羽さん。時代は変わるなあ、とつくづく思う。今は靴だろうが衣服だろうが、男女の色の観念は大きく減ったであろう。この観念の固定が批判の的になったこともある。好きな色が選べる時代になった。ボクなど女性のカラフルな服装を見ると羨ましくなる。男もかなり自由になったといっても、勤めているときはあまり変わらない。スーツなど遠くから見れば皆同じようなものである。色も模様もわずかな違いしか無い。様々なのは遊び時と定年後である。今こそ謳歌したい。
 相羽さんの話で面白いのは、白いペンキを塗って履いたと言うことである。今では子供とてとても履いてくれないだろう。やはり戦後という時代であったろう。
 最近はジェンダーという言葉が「社会的、文化的な性差」として使われ、よく議論の対象になる。体質的に男女の差はあり、それから社会的文化的性差となる場合もあろうが、単に性差だけで差別するのは問題であろう。この問題は今後、いろいろな進展があろう。