寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3796話) 愛着ベンチ

2025年02月08日 | 出来事
 “昨年11月末のことです。自宅近くのバス停で、記憶だと20年ぐらい前から置かれている青色の木製ベンチが壊れていました。通勤の際に何度となく腰を下ろしてきた思い出があるだけに、私はショックのあまり悲しくて直視できませんでした。翌日、バス停に行くとベンチは粘着テープで修繕されていたものの、「こわれています 注意」との張り紙がありました。ベンチは1週間後、そこからなくなりました。さらに1週間ぐらいしたら、かわいらしいニワトリとひよこの絵が描かれた奇麗な緑色のベンチが置かれているではないですか。どなたかが壊れたベンチの板を一部張り替え、ペンキで色を塗ったようです。感激しました。以降、私はバス停を利用するたびベンチに座っています。”(1月16日付け中日新聞)


 愛知県瀬戸市の主婦・木下さん(75)の投稿文です。バス停におかれた壊れたベンチを直すて再び置く、尊い行為である。それも誰とも知られずそっとした行為である。壊れたベンチを誰もが不便と感じていただろう。でも見ていただけである。それ以上の行為にでない、それも普通のことであり責められることでもない。だからこうした行為がより素晴らしく思える。
 良いと気づいたことも気安く動けない。自分に関係ない、自分の責任ではない、行動が面倒ということもあろうが、人の目を気にするということもあろう。恥じることではないのに、人のおかしな感情である。良い行為をしようと思えばどこにも材料は転がっている。人の目など気にせず、気安く動きたいものです。



(第3793話) コロリ観音

2025年02月02日 | 出来事
 “初詣は、まず地元の氏神様に詣り、次にその年の恵方の神社に詣ることにしている。36年前、現住所に引っ越した最初のお正月、恵方は北だった。車で7、8分のところに、鳥居と祠だけの小さい神社さんがあった。だが、名前がわからないので、ご近所で聞いた。「あぁ、あそこか。あそこは縁起が悪いで詣らん方がいいで。詣った人はコロッと死んでしまうんや」
 えーっ、今からローンを払っていかなあかんのに、コロッと死ぬわけにはいかない。くわぱら、くわばら。というわけで、別の恵方の神社さんに初詣に行った。
 ところが、最近その神社の前を車で通ったら、赤い旗が数本立ててあり、旗には「コロリ観音」と書いてあるではないか。そうか、長患いしたくない人が「死ぬ時はコロッと死にたい」とお詣りするのか。36年の間に、縁起の悪い神社は、縁起の良い神社に変わっていた。神社の評判が180度変わるくらいだから、この娑婆世界、何が起こっても不思議ではない。神社の神様も、人間は都合の良いことばかり願うと、苦笑しておられるかもしれない。願わくば、天災と戦災だけは起こらないようにとお願いしよう。”(1月11日付け中日新聞)


 福井県越前市の玉木さん(女・76)の投稿文です。縁起の悪い神社と言われていた神社が、いつの間にいい神社に変わっていた、これはまた面白い話である。自分の都合のいいように解釈する、本当に人間の理屈など全く自分勝手なものである。神様でさえこんな扱いであるので、他のことなら尚更である。これは不謹慎な言い方かもしれないが、ボクはこれでいいと思っている。迷惑を掛けてはいけないが、そうでなければ、いい気持ちになれればそれで良しである。ストレスを貯めず、気持ちよく過ごす、高齢者には特に必要である。それがまた周りの人のためになる。やれることをする、やりたいことをする、そのためには神様も利用する。神様はそんな些細なことで怒りはしない。日本には八百万の神様がいる。どこかの神様はきっと救ってくれる。



(第3792話) 警察沙汰?

2025年01月31日 | 出来事
 “「65歳以上のお客さまは、警察に連絡させていただきます」と、銀行員の女性がにこやかに笑っておっしゃいました。私は、何事が起こっているのか分からず、唖然としました。ちょっと大きな買い物をし、年末年始の生活費も必要だったので、虎の子の定期預金を解約したのです。運転免許証を見せたら、コピーまでされたのが本人だと確認できたに、どうして? 私が頑張って貯めたお金なのに、どうして?
 何がなんだか分からないうちに、警察の方と電話口で話をする羽目になりました。警察の方は「何に使いますか?」「どうして現金が必要ですか? 現金を持ち歩くのは危険です」「振り込みにできませんか?」と矢継ぎ早に問いかけてきます。私は、給料もボーナスもないから、生活費が必要だと説明して許してもらいました。許してもらうは大袈裟かもしれませんね。警察の方も特殊詐欺の被害に遭わないようにと熱心にご指導されているのですもの。私事で大切なお仕事の時間を奪い、申し訳なく思っています。詐欺がなければ、警察の方のお手を煩わせることはありません。
 特殊詐欺をしているあなたへ。子や孫の幸福と健康を願い、一生懸命生きている老人を騙さないでください。おぱあさんのお願いです。”(1月8日付け中日新聞)


 愛知県一宮市の主婦・川合さん(69)の投稿文です。大変な世の中になったと思う。特に高齢者はそれまでの扱いから一変する。1人前扱いではないことが多々である。保険料、運転免許、そして金融機関での扱い等々。腹立たしいというか、情けないというか、本当に高齢者のことを思っての扱いなのだろうか。人間の多くのことは年齢で区別できることではない。体力、知力、人間の能力は人様々である。でも社会の公平さを図るに、年齢を持ち出すのは納得がいきやすいのであろう。
 そしてこの金融機関の話である。65歳以上は警察に話すことまでされるとは知らなかった。特殊詐欺の話はボクも講演などで随分聞いた。そしてその高額なことにいつも驚いた。そしてこれは圧倒的に高齢者多いようだ。これだけ多くなると、金融機関もそれだけのことをせざるを得ないのであろう。川合さんが言われるように、高齢者は腹を立てるより、金融機関や警察に感謝をしなければいけないのだ。そしてこの場合でいいのは、定期預金を解約したら普通預金に一度入れる。そして徐々に引き出す、と言うことであろうか。



(第3789話) システム障害

2025年01月25日 | 出来事
 “NTTドコモは2日、ポータルサイト「goo」など一部のサービスでシステム障害が一時発生したと発表した。大量のデータを送り付けてサーバーに負荷をかける「DDOS(ディードス)攻撃」を受けたことが原因だと説明。午前5時27分ごろからサービスに接続しにくくなったが、攻撃への対応を行い、午後4時10分に解消した。
 障害はスフートフォン決済「d払い」の検索機能でも確認された。ドコモによると、復旧作業に伴い、主にニュース配信サービスなどに影響が残った。「最新の情報は各サービスサイトなどで随時お知らせする」としている。携帯電話などの通信サービスに影響はなかった。”(1月4日付け中日新聞)


 記事からです。ボクの「話・話」 が1月2日から繋がらなくなりました。様子を見ていましたが、3日も繋がりません。そしてこの記事です。ポータルサイト「goo」は確かボクが借りているブログだ、気づきました。これで繋がらなかったのか?ボクには関係ないことと思っていたことが、関係していた。ボクも世の中の出来事に離れては過ごせない。改めて知ることになりました。そして、4日夕方には繋がり「話・話」も継続できています。
 「DDOS(ディードス)攻撃」をする人にどんな益があるのだろうか?ただ人に迷惑を掛けて楽しんでいるのだろうか。そんなことはあるまい、何かの益があるのだろう。SNSのフェイク記事など、世の中何を信じていいか、分からなくなってきました。フェイクはチェックされると思っていたので少しは安心していたが、それもチェックしなくなるという。世の中ますます不安になっていくばかりです。



(第3788話) 木守柿

2025年01月23日 | 出来事
 “昨年の10月、庭が少し寂しいので、次郎柿を1本植えた。ホームセンターで買い求めたもので、背丈は1メートルにも満たないが、接ぎ木もされており、これなら立派な柿の木に成長するだろうと思っていた。
 やがて年が明け春を迎えた。3月には新芽をたくさん出した。5月になると十数個が開花した。夏には果実が日に日に成長していった。しかし初秋になると、成長した実は日毎に落ちてしまった。やはり1年目は実らないだろうと諦めていた。が、幸いにも1個だけ残ったものがあった。今、それが形、色艶もよく成熟している。まさしく食べ頃だ。
 以前本紙で、柿を収穫した後、1個もしくは数個採らずに残しておく風習があることを知った。これを「木守柿」と言う。この風習は、一つには今年たくさん実った柿の木に感謝し、来年も豊作であることを願う。二つには、鳥や動物たちの食べ物になるという。自然の恵みを独り占めせず、皆で分かち合う先人の知恵である。
 わが家の柿は、偶然にも1個だけ残ったものだが、私は木守柿と呼ぶことにした。来年以降の収穫を願いつつ、鳥たちが寒い冬を乗り切るための食料となるのもよいだろう。これからもそっとしておこう。いつか本来の姿の木守柿を見たいものだ。”(12月31日付け中日新聞)


 静岡県掛川市の堀川さん(男・74)の投稿文です。木守柿、こういう言葉があり、最後まで取らず残す風習があることはボクも知っている。そうしてボクもそうしてきた。堀川さんはたった一つ成った柿を、木守柿として残された。たった一つ成った柿である。ボクの家のように食べきれないくらい成った柿ではない。たった一つ成った柿である。話は全く違うと思う。愛しく思われたのであろうか。自分が食べるのはもったいないと思われたのであろうか。人の気持ちは面白いと思う。その後残された柿はどうなったのであろうか、知りたいところである。
 果物の成り具合は隔年の気がしている。ボクの家の柿は昨年はほとんど成らなかった。今年は鈴なりである。妻が配って歩いたが、それでも食べきれない位であった。ボクの家にはキウイもある。これも最後まで取らず、かなり残してある。今盛んに鳥がついばんでいる。ミカンもある。ところがこれは人が食べるより先にカラスに食べられてしまった。急いで網を掛けたが遅かりしである。そして夏みかんである。これは毎年鈴なり、食べきれないのである。ところがこれはいくら残しておいても、鳥も食べないのである。



(第3786話) 心筋梗塞

2025年01月18日 | 出来事
 “1年前の12月のある日突然、思いがけない病気、心筋梗塞となり、九死に一生を得ました。この病気の恐ろしいのは「関連痛」が招く迷走。心臓以外の箇所に症状が出て発見が遅れる場合があること。私の場合、胃や奥歯の痛みに始まり、息苦しさを感じるようになりました。
 近くの病院で診察を受けると「心の病」とされ、総合病院へ。血液検査や心電図で「異常なし」として様子見に。その後も体調はますます悪化。発症から10日後、あまりに苦しくて仕事を早退して再び診てもらいますが、またしても特に異常なし。そこで必死に訴えたところ、別の医師が対応し、精密検査を実施すると、心筋梗塞と判明して即入何院。翌日、手術を行い、命を取り留めました。
 ただし、血管のつまりが解消したら元に戻るわけではなく、心臓の一部が壊死したということ。その弱くなった心臓で生きていかなければいけません。そうなったのは痛恨の極み。それでも、命だけは助かりました。見方を変えると、紙一重の状況に身を置き、命を削るのと引き換えに得た貴重な体験です。
 心筋梗塞は誰の身にも起こりうること。冬場は、危険が増す時期でもあります。関連痛の恐ろしさ、命の危険が迫った時の感覚など、多くの方に伝えられたらと思っています。”(12月24日付け中日新聞)


 愛知県幸田町の県職員・本多さん(男・60)の投稿文です。心筋梗塞、この病がいかに大変かは知っているが、どのような症状を起こすのかも知らなかった。発見も遅れた。それだけ医師でも分からない。医師でも分からないことは、手遅れになりより大変なことになる。医師なら何でも分かるわけではないこと当然分かるが、ここで見つけて貰えるか運命の分かれ目である。他のことでも人生には往々にあることである。
 実はボクも昨年、心臓に問題があることが分かった。市の無料健康診断からである。更に詳しい検査を受けた。結局まだ手術の必要はなく、当分薬を飲むことになった。心臓に問題があるとは思ってもいなかった。助かった、と言うべきであろう。これからは随時、心臓の検査を受けることになろう。今は言われることはやろうと思っている。世間にはいろいろな意見があって、日本は検査のし過ぎで、病気を作り出しているという人もある。高齢になれば病気の一つや二つはあって当たり前である。医師の言われるままにしていれば検査漬け、薬漬けになることもあろう。どこまで、医師の言われること受け入れるのか、素人には難しいことである。



(第3783話) 孫の憧れ

2025年01月12日 | 出来事
 “長女宅に行き、そこの次女である中学校3年生の孫娘が学校で「将来どんな大人になりたい?」と聞かれ、「ぱあちゃんみたいな人」と答えたとか。ぱあちゃんは私で、どうやら日本舞踊の師範をしながら、読み聞かせボランティアをし、この他、何種類ものダンスやコーラスといった趣味をこなし、年に十数回国内外を旅していることを踏まえ、何事も楽しく積極的に挑戦していることを見習いたいと思ったよう。この話を長女から聞き、私はうれしくて目頭が熱くなりました。1月で結婚50年を迎えた私がこんな生き方をできているのも夫のおかげで、改めて感謝の念をかみしめました。
 孫娘の「ぱあちゃんみたいな人になりたい」を励みとして、私はこの先も自分なりに頑張る所存です。”(12月16日付け中日新聞)


 愛知県一宮市の主婦・今枝さん(74)の投稿文です。孫に「ぱあちゃんみたいな人」になりたい、と言われれば至福の言葉でしょう。それだけ尊敬、信頼されているのですから。それはやはり今枝さんが行動的、積極的な人生を送られているからです。この姿勢は若い人に憧れになるのです。老いてますます盛ん、本人も至福です。
 ボクはどう思われているのでしょう、聞いてみたいところですが、聞いて得られた言葉は本音かどうか分かりません。自分のいないところで言われた言葉を人伝えに聞いて本音が分かります。この投稿のように今枝さんがそうであった。
 そして今枝さんは、夫のおかげと言われる。ボクは妻のおかげです。先日奥さんを亡くされた知り合いから、家事に時間を取られて今までのような活動ができない、と言われた。これはボクも思う。食事だよ、と言われて食卓へ向かえばよい。妻がいなかったら、その準備からしなければならない。半分も今までの時間が取れるだろうか、難しいと思う。



(第3779話) 地歌舞伎舞う

2025年01月04日 | 出来事
 “わが地域は地歌舞伎が盛ん。明治時代から芝居小屋があり、そこでは毎秋、地元有志によって各種演目が披露されるのが常です。その中の子どもだけの演目に、同居する小学校5年生の孫が初めて出演しました。夏休みから週1日の割合で練習を重ね、10月末の本番に臨みました。私は孫の晴れ姿を、3年前に亡くなった妻に見せたくて、妻の写真を胸のポケットに入れて芝居小屋に向かいました。
 孫は友人4人と着物姿で化粧をして、息ぴったりの堂々とした舞で見る人を魅了し、張りのある声でせりふを発していました。孫の成長が実感でき、地歌舞伎の継承にこの先も携わってほしいと強く思いました。”(12月6日付け中日新聞)


 岐阜県中津川市の農業・田口さん(男・79)の投稿文です。この芝居小屋とは、常盤座であろうか?ここなら何度も行ったことがある。ボクは一時地歌舞伎の虜になっていた。他にも行ったが、常盤座は特に行った。一昨年だったか、ツアーでこの小屋を見学に行った。回り舞台など、裏も見学した。
 ボクは御園座などにもよく出かけたが、こうした小屋は違った楽しさがあった。この投稿の話のように、身近な人が出演する。おひねるが飛ぶ、かけ声がかかる。観衆も一緒になって作り上げるのである。愛知県東三河から岐阜県東濃地方は地歌舞伎が盛んな地方であった。大変な行事である。地域の一体感を作り上げてきたのであろう。いつまでも続いてほしいものである。



(第3777話) 知人の通夜

2024年12月30日 | 出来事
 “近くに住む知人の女性が10月、79歳で亡くなった。病気のため余命を宣告されてからの数力月間、彼女は家族のために遺言を残しながらも、つらさを見せることなく常に前向きに振る舞っていた気がする。自らの葬儀の段取りを決め、招待者リストもこしらえていたと聞く。通夜には本人の願い通り百数十人が集まった。スクリーンで彼女が演歌を披露する姿が映し出され、その演出に皆笑顔で見入っていた。遺言に「七回忌まで営んでほしい」とあったのは、明るく優しかった彼女のこと、夫に「それまで元気でいて」というメッセージだろうと感じた。私の悲しみは癒えないが、彼女とは幸せな別れだったと思っている。”(12月2日付け中日新聞)


 名古屋市のパート・寺沢さん(女・61)の投稿文です。人間の真価は死ぬまで分からない。寺沢さんの友人はみごとな最後であった、と言われる。自分の葬儀の段取り、更にはその後のことまで配慮されている。この投稿文を読んで、ボクもそのように思う。人間最後の振る舞いはどのようになるのか、なってみなけらば分からない。平生は悟ったようなことを言っていても、支離滅裂な振る舞いになるかもしれない。多分、この方が多いのではなかろうか。
 自分は何も残せなかった、と思われている人も、この友人のように、最後を讃えられることもあろう。だから生きている間は命を粗末にしてはいけない。与えられた命である、慈しみ全うしよう。



(第3773話) まさか私にも

2024年12月22日 | 出来事
 “平日の正午ごろ、わが家の固定電話が鳴り、同居の長男を名乗る男が「寄ってもいいかな。今、名古屋だから1時間半ぐらい後。投資のトラブルがあって・・・」と。受話器を手にした私はそぱの妻ともども平常心を失いました。15分後、再び電話があり、出た妻は「今日中に200万円ほしい」と言われて慌てだしたため私は電話を代わりました。男は「100万円でもいい」と続けたので、私は「そんなお金はない。投資をやめ、早く帰って説明しなさい」と声を荒らげました。すると電話は切れました。
 夕方、仕事から帰宅した長男に妻が説明を求めると、キョトンとしながら「それは、詐欺だよ」と。わが家はニセ電話詐欺とは無縁と信じ切ってきただけに、反省しきりです。”(11月26日付け中日新聞)


 愛知県一宮市の和田さん(男・93)の投稿文です。電話はいろいろなことがかかってくる、特に固定電話はそうである。そして多くはセールス、アンケートなど余りありがたくない要件が多い。そしてこの詐欺電話である。ボクの家ではほとんど覚えがないが、聞いてみるとかなりの人に聞く。少し対応を見違えれば大事である。これでは固定電話はない方がいい。今はスマホあるので、常時の人はスマホがほとんどである。
 詐欺被害は、報道等で見ると凄い額である。他人事と思わず、常に気をつけておらねばいけない。そして、これは高齢者ほど多いようだ。今は良いと思っても、いつそうなるか分からない。便利になるのもいいが、本当にこれがいいのだろうか、疑問に思うことも多い。特にSNSなどどうだろう。いい加減な発言で、世の中まで動かしてしまう。それも最初は一人であろう。触らぬ神に祟りなし、高齢者はほどほどにしておいた方がいいかもしれない。