寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3212話) 言葉に責任

2021年10月09日 | 意見

 “「またあした」という言葉をどういう意味で使っているだろうか。ぼくは「またあした、元気で会おう」の意味と解釈している。中学生の頃、一緒に野球をしていた友だちを電車の事故で失った。すごく仲が良くて、前日まで普段と同じように話していた。下校する時も、なにげなく「またあした」という言葉を交わした。この言葉を交わした時、次の日に友だちがいなくなるなんて思いもしなかった。あの日の言葉は正解だったのか、力になれることはなかったのかとその後は後悔の毎日だった。
 今発している言葉、一言一言に責任を持つことができているだろうか。この体験から言葉に責任を持つことの大切さを知った。この出来事は悲しいことだが、下を向いたままではなくて、これも何かの意味があるのではないかと思い、あしたも生きる。”(9月17日付け中日新聞)

 三重県津市の高校3年生・西沢さん(男)の投稿文です。言葉1つが人に与える影響は、発した人が思っている以上に大きい。これは自分自身を考えてみればよく分かる。人の何気ない言葉がいつまでも心に引っかかる。何気ないと分かっていても、本音ではないかと気になる。これは相手も同じである。「一言一言に責任を持つことができているだろうか」と、自分に問われる西沢さんは本当に誠実な人だ。もちろん無頓着ではいけないが、あまり難しく考えることもないだろう。難しく考えて、言葉を発しないことの方が悪いこともある。自然体でいい。「またあした」は自然に出た言葉であろう。その時に、交通事故で亡くなることなど、想像もできない。「気をつけてな」と言っても起きるのである。そういう不幸に出合いながらも、多くの人は自分の人生を作っていく。自分の意思で賄える部分は一生懸命尽くす。しかし、自分の意思ではどうならないことが多いのが人生である。まさに生かされているのである。そのことを知りつつ、感謝し、無駄にしないようにする。これだけである。ボクはほぼ毎日、寺院でこの言葉を唱える。でも、それは昨年からである。