寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3311話) 遺影探し

2022年04月30日 | 行動

 “親しい友が続いて天国に召され、自分もいつどうなるか分からない年齢となり、遺影を用意しておこうと考えた。アルバムの写真の私は、楽しそうに笑っている。何度も旅行に出してくれた家族や、健康で過ごしてこられたことに感謝している。
 十年くらい前の六枚の写真を気に入って選び出した。主人が「今の写真を」と言うので、眉と口紅を少し足して三枚ばかり写してもらった。出来上がった写真は、白髪交じりで顔には黒いしみと深いしわの年老いた女の顔、姿。「これが現実」の声とともに、思わず破り捨ててしまった。結局、昔の六枚の写真を二組に分けて、若めに見える四枚は、仏壇の右の引き出しの目につくような所に入れた。子どもたちが見たら、すぐに見た目が違うと「却下」してしまうだろうけれど。やや老けて見える二枚は、左の引き出しの奥の方に入れておいた。
 長いマスク生活で、すっかり自分の顔を忘れてしまったのだろうか。女とはいくつになっても、少しでも若く見られたいと思うバカな生きものらしい。運命のいたずらで、もう少し長く生きられたら、左の引き出しの写真も「却下」されるかもしれない。”(4月5日付け中日新聞)

 愛知県高浜市の主婦・加藤さん(85)の投稿文です。遺影の写真も難しいものである。今の時代は一般葬が少なくなり、葬儀に参列する機会は減った。よく参列していた頃、遺影の写真に驚くことも度々であった。事前に準備されていることは少ない。残された家族が適当写真を探し出し、使う。いかにも若い写真、ふさわしくない服装、物調面の顔などもあった。ボクの場合、父の時は適当に探し出し、母の時は用意をしておいた。
 加藤さんは自分で使って欲しい写真を数枚用意された。自分の葬儀である。主役である。自分の希望を託すのも良かろう。葬儀の仕方を希望する人も多かろう。残された人が困らないようにこのようにするのが賢かろう。
 妻からこんなことを話し掛けられながら、今のところ何ら用意はしていない。まだ先のことと思っているからであろうか。そういう話に触れたくないからであろうか。ソロソロ本気で取り組むことか。


(第3310話) より良い地域へ

2022年04月28日 | 活動

 “知人に誘われたのを機に五年ほど一人暮らしの高齢者向けに弁当を週一度作る地域ボランティアに参加しています。作業を終えると温かみとすがすがしさを覚え、改めて地域とともに生きているんだという気持ちになれます。この活動は私が幼いときから自治会や社会福祉協議会がずっとやっているものです。
 小学生の登下校や高齢者の見守り、災害時の避難所運営、子育てサロンや健康講座の開催とボランティアは多岐にわたっています。長引く新型コロナウイルスの影響で再開できていない活動もあると聞きますが、ボランティア人口がもっと増え、さらに暮らしやすい地域になればいいなと思っています。”(4月4日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・中嶌さん(40)の投稿文です。より良い地域にするためにボランティア活動に参加する。こんなことを40歳の主婦の方から聞く。嬉しいことである。今の若い人は優秀である。いろいろなことができる。そして興味あることに飛び込む人は多い。ところがやはり忙しすぎるのか、一般には無関心な人が多すぎる。特に、働く期間が長くなって、仕事を辞めた時にはもう関わりたくない、という人が多すぎる、というのが問題だとボクは思っている。
 ボクはこの4月から、昨年中断となってしまったあいちシルバーカレッジに参加している。第1回目の講座は「ボランティアができるって幸せ!」という題であった。ボランティアをするには「健康、円満、ゆとり」があることが条件とあった。もっともである。この3つが揃えばもうそれだけで幸せである。その幸せの恩返しとボランティアをすることによって増幅させるのである。ボクもいろいろボランティア活動に関わってきた。関われるありがたさを感じてきた。このシルバーカレッジで再び委員長に推されてしまった。この1年は参加者にいかに喜んでもらえるか、その工夫を凝らすことがまた増えてしまった。


(第3309話) 3年ぶり

2022年04月26日 | 活動

 “江戸時代から続く三百八十八回目の犬山祭が二日、愛知県犬山市で始まった。新型コロナウイルスの影響で二年続けて中止になっていた豪華絢爛な車山の巡行も三年ぶりに復活した。主催する祭保存会は、車山の運行技術の伝承を目的に今年の開催を決定。例年のような集客はせず、運行範囲も狭めるなど規模を縮小した。
 法被姿の若者らが、太鼓や笛を奏でる子どもたちを乗せた車山を威勢良く押して犬山城下を進んだ。夜にはそれぞれ三百六十五個のちょうちんで飾る「夜車山」があり、昼間とは運った華やかな姿を見せた。友人と三人で訪れた名古屋市名東区の古橋エツ子さん(八〇)は「地元の人たちがすごく伝統を大事にして、老若男女で楽しんでいることが伝わってきた。感動しました」と話していた。”(4月3日付け中日新聞)

 記事からです。コロナ禍で中断した行事をどうするか。コロナ禍はまだ収まる気配を見せない。しかし、これ以上中断してしまうともう復活が及ばない。そんな行事も多かろう。そして、もうやむにやまれず、規模を縮小して再開する。この犬山祭りもその一つであろう。今年はこんなことが多くなると思う。でもそれはまだ存続させようと思う働きがあるからいいのである。あきらめて廃止してしまうことも多かろう。止めたらもう終わりである。
 もっと小さなことながら、ボクの周りでも瀬戸際に立たされているものがたくさんある。例えば妻が所属している料理教室である。妻は最も古い会員になり、今年再び会長を務めている。数年前までは会員の空きを待つほどに盛況であったが、このコロナ禍で待つ人どころか会員が半分になってしまったという。開催しないから辞めてしまうのである。そこで今、妻は5月開催を企画した。今回は参加者を事前に聞いているようである。どういうことになろうか。
 コロナに対する考えは今や様々である。あくまで慎重である人、引き籠もっていることの方が問題だと思う人、その他いろいろである。結果論かもしれないが今の状況を見れば、政府や行政、マスコミが感染者の数字ばかり示し、自粛ばかり求めた方が問題であった、とボクは思っている。


(第3308話) 4年後のおやつ

2022年04月24日 | 行動

 “我が家では、九月一日の「防災の日」を、防災袋の食料品の「賞味期限点検の日」と決め、毎年確認してリストを作っています。去年は飲料水とサバ缶を新しいものと入れ替えました。今年三月に入って、賞味期限間近となった非常食用のチョコ味のようかんを新しいものに入れ替えました。ホームセンターで購入し、リストの賞味期限を「2026年9月」と修正しました。用済みになったようかんは、おやつに妻と二人でおいしくいただきました。
 考えてみると、次の賞味期限は四年後、私は八十八歳のじい様です。果たして高カロリーのあのようかんを体が受け付けてくれるかどうか心配になり、再度ホームセンターの防災グッズコーナーに向かいました。保存食の品数の多さに品名と賞味期限を追記し、防災袋に収めました。
 四年後、お役目御免のようかんは妻が、私は元気で長生きしたご褒美として、缶入り醤油せんべいをおやつにいただきます。何はともあれ、それまでにあの缶の蓋を開けるような災害が起きないよう、ただただ神に祈るばかりです。”(4月3日付け中日新聞)

 静岡県湖西市の大川さん(男・84)の投稿文です。ボクの家も全く同じような生活をしている。防災用食品の賞味期限が近づくと、それを食べ、新たなものを買い入れる。今の防災食品は結構食べられるのである。妻の説明を聞けば、レンジに入れるか、湯に入れるか、そんなことで済んでしまう。これは前回の自然食品とは全く違ったものであろう。それでもこれは緊急時である。やはりものも使いようである。そしてこの管理は全く妻の仕事になっている。これは少々訂正しなければいけないかもしれない。
 いつ起こるかもしれない災害対策は全く難しいと思う。身近に起きたときはやらねばならないと思うが、自分の生涯の間に起きるか起きないか分からないようなことを続けることは並大抵ではない。でも妻は阪神震災以来だと思うが続けている。そしてその後もいろいろな知識を身につけて進化している。


(第3307話) 同じ給食

2022年04月21日 | 出来事

 “中学校一年生の長男には卵と牛乳のアレルギーがあり、幼い頃は少しでも食べるとじんましんやせきが出たため、小学校四年生の途中まで学校に弁当を持たせました。皆が給食を口にする間、一人で弁当を食べる姿を想像するだけで心が痛みました。そこで担任の先生にお願いして、クラスの友達にアレルギーのことと息子の状態を伝えてもらいました。病院の先生の勧めもあって数年にわたる負荷試験での治療を続けた結果、やがて皆と給食を食べられるようになりました。そのときはクラス中の拍手を浴びたそうです。長男はとても喜び、それから前向きになりました。
 支えてくれた皆さんには感謝でいっぱいです。長男にはその気持ちをこの先も忘れないでほしいでです。”(4月2日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の施設職員・植田さん(女・42)の投稿文です。アレルギーで食事が制限される子供の多さにはビックリするばかりである。実はボクの男孫二人もアレルギーが強い。小さい頃から苦労し、今も苦労している。どの程度の苦労か、同居していないボクには本当のことはよく分からない。
 植田さんの息子さんは、そのことを同級生の皆に告げ、克服した時には皆から拍手を受けたと言われれる。本当によかったことである。こう言った良い体験は今後に生かされていくでしょう。お母さんの心配はないと思います。
 ボクらの頃にアレルギーの子はいたのだろうか。ボクが知らなかっただけか、でも聞いたことがない。食生活始め大きく生活が変わったことが影響しているのではなかろうか。人工的なものはあまり食べなかったし、もっと自然の中で生きてきた。人間は生物である。人工的なものが良いとは思えない。それでも寿命は飛躍的に延びた。単純なことではない。でも元気に生まれ、元気に過ごし、元気に亡くなりたい。寿命が延びるのが最重要とは思えない。


(第3306話) ガイドに区切り

2022年04月19日 | 活動

 “愛知県犬山市にある博物館明治村で二十年間務めたガイドボランティアを三月いっぱいで辞めた。六十歳で会社を退職してから週に一度通ってきた明治村には国内外から多くの老若男女が訪れ、その都度いろいろな学びがあった。明治時代の警察官の格好をしての会話は楽しく、とてもいい経験になった。最初は百人いたボランティアー期生も気付けば十人ほどになっていた。ガイドを辞めて一年以内に亡くなった人も数人おり、後で聞くと気持ちの張りを失ったことが一因になったようだ。
 私も数年前、大きな病を二つ経験した。死亡率が高いとされる手術を受けたが、元気に復帰できた。「無理せず毎日少しずつ」という妻の言葉を胸に、この先もウオーキングしながら健康維持に努めたい。”(4月1日付け中日新聞)

 愛知県犬山市の的場さん(男・80)の投稿文です。少し知的なことに興味ある高齢者に、ガイドボランティアは絶好の対象であろう。的場さんは明治村で20年務められた。いろいろな思い出があろう。良い余生であったと思う。
 ボクはガイドボランティアになるより、そんな人にお世話になる役に回った。そして多くのガイドボランティアさんにお世話になった。そしてこうした人の熱心さは全く驚かされる。一宮友歩会の4月例会で東浦の方にお世話になったばかりである。40名程のの参加者に8人もの人に来てもらった。2班に分かれて説明を受けた。これは向こうからの提案であった。受けたボクにもいろいろな思い出がある。下見から付き合って貰った人、予定外にも、急きょいろいろなところで説明をしていただいた方、弁当を持ってきていっしょの歩いてもらった方、熱心すぎて予定の一部しか歩けなかった例会もあった。本当に驚く熱心さである。これはいつでもそうであった。ボランティアさんの出番もこのコロナで全く少なくなった。本当に困ったコロナである。


(第3305話) 寛容な心で

2022年04月17日 | 意見

 “良いことも悪いことも忘れず、その結果から各過程をたどって問題があったかを考えることが将来必ず役に立つと信じてきました。それなのに私も加齢からかこの十数年、物忘れの頻度が増え、もどかしさを覚えるようになりましたが、二年前に逝った父の介護を通じ忘れることにもっと寛容にならなきゃと思うようになりました。
 父の認知症がひどくなった際、大好きなあんこ入りのまんじゅうを差し出しながら私が「昔は大変だったけど今はまんじゅうが食べられて幸せだね」と言うと穏やかな笑みを浮かべてくれました。父は早くに父親を亡くして苦労したつらい記憶は忘却のかなたで、何だか妙に幸せそうでした。”(3月31日付け中日新聞)

 愛知県稲沢市の主婦・今井さん(61)の投稿文です。「良いことも悪いことも忘れず」、これはこれで有用である。良いことは励みになるし、悪いことは反省し、次のステップにつながる。しかし、若い時はそうかもしれないが、老いてはどうだろうか。今井さんは、父親を見て忘却もいいものと感じられた。いつまでも悪いことを思い出していては気持ちも晴れないだろう。自分自身も寛容な心で受け入れる。
 ボクも今全くそんな気持ちでいたいと思っている。寛容な心でいたいと思っている。ボクはこの歳にしてはいろいろやっている方だろう。やればやっただけいいことも気になることも悪いことも起きる。気になることや悪いことに心を占められるのは、それ以上に面白くなくなる。そんなことに時を費やすのはもったいない気がしてくる。早く忘れた方がいい。今年は神社総代最後の年になるし、1年間のシルバーカレッジの委員長も引き受けた。老人会会長や一宮友歩会会長は続く。当然いろいろ起ころう、寛容な心で進めたい。


(第3304話) 血や肉に

2022年04月15日 | 人生

 “中学生だったとき、図書室の本を全て読むことに挑戦した。憧れていた先輩が本好きだったこともあり、先輩が借りたものを読破したいとの単純な動機だった。三年かけて読破した。その十数年後、私は国語教師として母校に赴任した。図書室の授業で生徒に「私の名前が残っている本の貸し出しカードを探して」と言うと、皆宝探しのように取り組んでくれた。そんな古いカードが残っていたのはあまり人気がない、古びた文学全集に多かった。満面の笑みを浮かべ「見つけました」という報告のたび、「せっかくだから読んだら」と勧めてみた。
 読書から学んだことは私の血や肉となり、今に至っている気がする。若者には今のうちからたくさんの本に触れてほしいと切に願う。”(3月25日付け中日新聞)

 愛知県清須市の公務員・富田さん(女・63)の投稿文です。またまた楽しい巡り合わせである。中学生の時、図書室の本をすべて読もうと挑戦されたとはまた凄い挑戦である。そして読破された。十数年後、国語教師として母校に赴任された。そして生徒に「先生の名前の書かれた貸し出しカードを見つけて」といわれる。こんな話ができる人ってあるだろうか。そして、自分の体験、実感を話される。読書の大切さを教えられる。本当に幸運な富田さんと思う。いろいろな人生があるものだ。
 ボクを振り返れば、本をあまり読まなかった人生と思う。最近など特に読んでいないと思う。ここら辺りは大きな損失であったろう。大きな喜びを味わえなかった人生だったかと思う。今はもう目も根気も追いついていかない。


(第3303話) 伸びしろ

2022年04月13日 | 人生

 “鍼灸マッサージ師として夫と治療院を営んで二十七年目となった。技術向上のため四半世紀世話になってきた大阪の勉強会へは今も月に一~二度参加していて、「教わったことを体得できるまで」との思いで通ってきた。講義と実技を繰り返すうち、ここ数年はそれまでよく分からなかった理論や技術が頭と体に溶け込んできて治療成績も良くなったように思う。改善点を指摘されたことで、それがさらなるモチベーションにつながっている。
 来年六月で六十歳となるが、自分にはまだ伸びしろがあるように思え、引退は考えていない。九十七歳の現役看護師がいるとの記事を最近読み、驚くとともにわが背中を押された。体が動く限り、誰かの役に立ちたい!”(3月22日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の鍼灸師・四ッ谷さん(女・58)の投稿文です。もう還暦に近い人が、まだ伸びしろがあると主張される。これは職業によるだろうか。自分の技術で生きている人だからであろうか。ここ数年、治療成績も良くなったと感じておられる。それならよりまだこれからと思われて当然であろうか。寿命は長くなった。四ッ谷さんにはまだ40年の人生があるかも知れない。まだ終わる歳ではないし、鍼灸師をやっておられる間はこの気持ちで過ごして欲しいと思う。
 勤め人であったらもう定年、いや定年でなくても職場の扱いが大きく変わる人は多いだろう。退職されて第二の人生に入る人も多かろう。ここが自営業か勤め人かで大きく違うところである。この歳まで来れば、もう振り返って良い悪いではない。これまでの人生から次のことを考えるだけである。全く違った道を進むことによって、伸びしろが大きくなることもある。先を見ることによって楽しみも生まれる。


(第3302話) もどってきて! 

2022年04月11日 | 出来事

 “朝、明るくなってから行ってみた。昨日、夫が落ちた場所へ。雪のまだ残った土の上に脚立が倒れていた。そこから奇妙で不規則な線が六十メートルほど続いている。骨折して鉛のようになった左足を引きずりながら地面を這った跡だ。春になると濃いピンクの花を咲かせるアーモンドの木。ここ数日、夫はヘルメットを被って、その高い木を剪定していた。まさか救急車を呼ぶことになるなんて。
 予定されていた手術終了時刻は、もうとっくに過ぎている。遅い。何か予期せぬことが起きたのだろうか。いつもふざけている私の横で、呆れてニヤニヤしている夫に二度と会えなくなったら・・・。体が震えてきた。「どうしよう」という言葉しか出てこない。もっと優しくできたのに、私は・・・。涙が次から次と出てくる。「大変な手術で長くかかってしまいましたが、無事に終わりました」と、医師からのありがたい電話があった。
 颯爽と自転車に乗って図書館に通う夫。どんなに暑くても「俺の夏だ!」と言って野菜をたくさん作ってくれる夫、大好きな日本酒を嬉しそうに飲む夫。そんな夫の姿を、また見られる。この家の中で笑ってくれる。そう思うと、また涙が次から次と流れてきた。さっきとは違った涙が。”(3月13日付け中日新聞)

 長野県豊丘村の主婦・原さん(65)の投稿文です。先回に続いて、当たり前と思っていたことが当たり前でなくなった時の騒動である。当たり前と思っていたことは、本当はいろいろな人の助けと大きな幸運がついていたのだ。そうでなくなった時に始めて気づくのである。こんなことをいつも思って過ごすのは難しいが、1日に1回でもそんな時間を持つことはしようと思えばできるのである。ボクは多くの日、朝の散歩で神社寺院に参拝する。その時「生かされている」ことに感謝を述べることにしている。元気でおられるのは自分の努力だけではとても及ばない。その他の大きな力が働いているのである。こんなこと言えるようになったのはまだ数年前からのことである。
 庭で脚立に乗るのは本当に気をつけねばならない。多くのけがをした人を知っている。亡くなった人もある。まず不安定な地盤の上に立てる。よく場所をわきまえて設置する必要がある。そして乗っても気をつけねばならいことばかりである。ボクも庭木の剪定をするが、数年前にほとんどの木を背丈くらいの高さに切り落としてもらった。見かけは全く悪くなった。でも、これで脚立に乗る回数はグッと減った。危険は少なくなったが、それでも高齢者に剪定は危険な仕事である。