寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2907話) 娘の「一善」

2020年01月30日 | 行動

 “近所のスーパーヘ高校一年生の娘と買い物に行きました。レジに並んでいたら私たちの前にいた女性が小銭を落としました。私や店員は全く気付きませんでしたが、娘はその始終を見ていたようで床の五十円玉を拾い、買い物袋に荷物を入れていた女性に声を掛けて手渡していました。思春期特有の照れもなく、きちんとした対応ができた娘は頼もしく思え、「今日の一日一善ができたね」と褒めました。
 私たちが購入した品を買い物袋に詰め終えたら、先ほどの女性がやって来て娘に袋を差し出しました。「先ほどはありがとうね。本当にその気持ちがうれしくてね」。袋には焼きたてのたい焼きが入っていました。「こちらこそ申し訳ないです」と親子で恐縮していると、「気持ちだから」と何度も言って最後は笑顔で立ち去って行きました。娘とたい焼きをおいしくいただき、心までほっこりしました。”(1月8日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・水谷さん(50)の投稿文です。娘さんのこの一善はいいと思う。でもお金を落とした人を見たら、教えてあげるか、拾って渡すことは当然に思える。そこまでしない世の中になっていたら、どんな日本になってしまったかと暗澹とする。
 ボクがこの文で思ったことは、この拾って貰った女性の行為である。何歳くらいと書かれていないので分からないが、ボクが想像するに高齢であると思う。高齢者は若い人に親切にされると、本当に嬉しいのである。それで拾って貰ったお金より高い鯛焼きを買ってあげることになるのである。
 高齢者と一口に言っても、全く様々である。全く元気な人もあれば、動けない人、認知症の人、また亡くなる人など、60歳を過ぎればもう年齢ではない。その人の与えられた宿命である。そして高齢者は日に衰えである。1日1日衰えていく。世間も狭くなる。人と接することも口を開くことも少なくなる。そうした中で、親切にされると本当に嬉しいのである。特に若い人から親切にされると嬉しいのである。電車の中で席を譲られたなどは典型である。水谷さんの嬉しさはよく分かる。


(第2906話) 竹とんぼ 

2020年01月28日 | 活動

 “二十年前に退職して以来、これといってすることがなく、晴耕雨読の生活。その間に始めたのが、昔を思い出しての竹細工だった。私が子どものころは、身近なところに電化製品はなく、竹とんぼ、水鉄砲、竹馬、紙飛行機と遊び道具はすべて手作りだった。それが私たちに潤いを与えてくれたものだった。
 竹とんぼは一週間に五十本ほど、一ヵ月に約二百本、一年に約二千本を作った。これまでに作ったのは三万本にのぼる。それを持っての公園通いは十五年となる。われながら感心するばかり。先日も五歳ぐらいの子どもを連れたお母さんに「昔ここで竹とんぼをもらったことがある」と言われた。つまり二代にわたってプレゼントしたことになってびっくり。自分も年をとるはずだと感慨もしばしだった。
 二年ほど前、本紙の地方版で「竹とんぼおじさん」と紹介されて以来、注文殺到で大忙し。当面やめることもかないそうになく、今年も竹とんぼ作りに追われそう。しかし、公園での子どもたちの元気な声と笑顔を励みに、残された人生を送るのもまた楽しからずや。今日も縁側で日なたぼっこをしながら、せっせと竹とんぼ作りに励んでいる。”(1月7日付け中日新聞)

 三重県菰野町の小津さん(男・80)の投稿文です。またまた凄い人がいたものである。それも退職後の話である。竹とんぼを一年に約二千本、これまでに三万本を作ったと言われる。継続は力と言うが、本当に継続の成果である。それを公園で子供たちに配るのである。どれだけの人が恩恵を受けたのだろうか。今80歳、縁側で日なたぼっこをしながら、せっせと竹とんぼ作りに励んでいる、と言うのがまたいい。小津さんには至福の時間ではあるまいか。
 小津さんがどんな現役時代を過ごされたかは知らない。多分いろいろされたと思うが、でもこの竹とんぼ作りより生き甲斐はあったろうか。働くというのは報酬を得るのである。報酬を得ることで、その功績は相殺される。しかし、竹とんぼ作りは無報酬である。一方的に与えるのである。喜びが違う。変な理屈であるが、ボクはこう思ってきた。
 そして、人間の価値はいくつになって発揮されるか分からない、と言うことである。ボクの理屈から言えば、現役時代は難しい。見事な死に方によって、その人の価値が最後に示されることもあろう。死ぬまで最善を尽くしなさいと言うことになる。「明日死ぬと思って生きなさい」毎日を悔いのないように過ごしたいものである。


(第2905話) 「とかいなか」

2020年01月27日 | 意見

 “私が住む愛知県田原市は日本有数の農村地帯で、都市部とはいえないが、ものすごく不便というわけでもない。こんな田原市のような地域を「都会」と「田舎」を合わせて「とかいなか」と表現するらしい。
 昨年十二月、地元コミュニティーでクリスマスリースを作った。材料は木のつるや実、葉など全て身近にある自然のもので、大人も子どもも独創的な思い思いのリースが出来上がった。リースの材料はここ田原市では地域の野山を歩けばいくらでも見つかる。
 山林や野山にある野草では体にいい酵素ができるという。駆除対象のジャンボタニを活用した完全無農薬米とパン用国産小麦の栽培も可能だ。
 人を知り、つながり、ものをつくる-。そんな暮らしは心豊かで楽しい。農業と自分のやりたい仕事をミックスさせた「半農半X」に田原市はちょうどいいのかもしれない。”(1月4日付け中日新聞)

 愛知県田原市の農業・永田さん(女・70)の投稿文です。最近は新語というか、造語が大はやりである。ボクなどさっぱり分からない。「とかいなか」、知らなかったが、言われてみればよく分かる。誰もが住み慣れてみればそこを良いと思うだろうが、「とかいなか」は良いと思う。永田さんのところよりは都会性が強いかも知れないが、ボクのところも「とかいなか」と言ってもいいだろう。野山はないが、周りは田畑である。
 永田さんは「半農半X」がいいと言われる。農も仕事となるとかなりきついが、自家栽培程度なら全くいい。ボクは全家庭に家庭菜園を義務化すべきだ、くらいに思っている。そうすれば、耕作放棄も減り、時間を持て余す高齢者もなくなり、食の理解も進む。体を動かすことは別の意味でも本当に必要だ。そして、半Xを持つ。半Xもより楽しくなるだろう。いいことずくめの気がするが、どんなものであろう。便利な都会に住み慣れた人にとかいなかは魅力がないだろうか。


(第2904話) 救いの神

2020年01月24日 | 出来事

 “スーパーに出掛けるにあたって戸締まり、水回りや火の元をそれぞれ点検したはずでしたが、バスに乗ったところでストーブを消したかどうか、心配になってきました。「消してないのでは?」。そう思うだけで心は落ち着きません。最初のバス停で降り、歩いて家路を急ぎましたが、上り坂では思うように歩を進められませんでした。膝が悪い私は走ることもできず、心は揺れるばかりでした。
 そこで私は覚悟を決め、ヒッチハイクをすることにしました。通る車に手を振り七~八台が通り過ぎたところで、一台が私の目の前に止まりました。乗せてもらって事情を話したら、運転者が偶然にも五十年ほど前、私と同じ会社で働いていた方でした。こんな偶然の出会いがあるなんて・・・。
 ちなみにストーブは消してありました。私は外出時のチェックリストを作り、家を出る前には必ず、掲げた表に書き込むようにしています。”(12月29日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の主婦・丸山さん(76)の投稿文です。ボクなど何度こういったことをしているのか・・・。電灯は消したか?施錠はしたか・・・車で出かけて戻ってきたことも何度か。出かけていつまでも気にしているより戻った方がいい。また電話をして確認して貰ったことも。事故になってからでは後悔しきれない。でもいつもキチンとされてる。これは認知症の始まりだと言われる。それならもういくつから始まっているのか。
 チャックリストは良い方法だ。本当に考えねばならない。愛知県は空き巣被害が日本一、そして愛知県ではボクの市が1番。と言うことは全国1番の市町村である。施錠がされていないのが最大原因。本当に気をつけばならない。
 この文で他に気になるのは、1区のバス停が遠くて歩けないこと。瀬戸市であるので、1区が長いのだろうか。それにしてもヒッチハイクとは、味なことを思いつかれたものである。この勇気は凄い。


(第2903話) 冠句応募

2020年01月22日 | 活動

  “冠句という短詩型文学を三年前に始めた。きっかけは知人がノートに何かを書いていたので、「何をそんなに懸命に書いているの」と尋ねた。そのときに返ってきた答えが「カンク」だった。初めて聞く言葉で、そのときはどのようなものかは全く想像できず、どんな字を書くのかすら分からなかった。
 俳句や川柳に似ているとされる冠句は五七五の上の五文字があらかじめ決められていて、それに続く七五を思い思いに考えていくというものだ。私は少し川柳をたしなんだこともあってすぐに興味を持った。
 しばらくして知人が地元の愛知県小牧市文芸祭に応募すると言ったので、私も応募してみたが落選した。次の年も落選だったが、三度目の挑戦となる今年は運良く入選できた。秋、短冊にわが作品を書いてそれを装丁し意気揚々と展示会場に行った。飾り付けをしながら来年も入選することを誓った。”(12月28日付け中日新聞)

 愛知県小牧市の松波さん(男・80)の投稿文です。冠句、私は知りませんでした。日本の短詩系文芸にはいろいろなものがあるのですね。松波さんは、3年前、77歳の頃に冠句を始められた。前回の「話・話」 で、高齢者の挑戦のことを書きました。松波さんは、まさにその実践者です。そして3度目の挑戦で入選もされた。喜びはいかばかりのものでしょう。挑戦しなければ喜びもありません。
 高齢になり、体に無理がきかなくなった分、こうした文芸に挑戦するのはひとつの方法です。ボクはもう長年川柳をやっていますが、昨年の12月号にこんな風に書きました。「私もできることが順次減っていきますが、最後に残るのは川柳連れ連れ草だろうと思っています。その時までお付き合いください。」と。先日の投稿文の中に、「今は若い頃と違って体が思うように動かず、家の中でできる川柳を楽しんでいます」というコメントがつけられていました。文芸はいつまでもつづけられるのです。


(第2902話) 苦手と諦めない

2020年01月20日 | 行動

  “私には苦手なことがたくさんあります。中でも人前で自分の意見を述べることは得意ではなく、正直避けたいと思ってきました。そんな自分を変えたくて、私は高校生になってボランティアをする部活動に入りました。
 皆の前で指示を出したり自分の意見を伝えたりすることが最初はうまくできずに落ちこむことがよくありましたが、夏休みを終えて秋になる頃には少しずつできるようになってきました。そして今、ボランティアを通じて苦手だったことが自分でも克服できたと思えるようになり、うれしく思っています。
 この先もいろいろと壁にぶつかるでしょう。でも「自分にはできない」と諦めずに何事にも挑んでいくつもりです。”(12月27日付け中日新聞)

 名古屋市の高校生・竹中さん(女・16)の投稿文です。これこそ若さです。まだ何も決まっていません。いろいろなことをやり、自分を見極めていくのです。このように自分を良い方に変えていくのです。若さは無限の可能性です。心がけひとつで、思いがけない発展になります。それを楽しんでください。
 ボクの孫を見ていてもそのように思いました。小中学生時代の消極性、見ていてイライラするほどでした。それが高校に入ったらびっくりするほど積極的になりました。その延長線上で、今大学生活を楽しんでいるようです。
 挑戦は若さの特権のように書きましたが、高齢者はどうだろうか。高齢者も同じです。仕事等を離れ、自由になった分、何でもできます。気持ちひとつです。挑戦に年齢は関係ありません。持てるものをフルに活用する。高齢者など今活用しなくていつ活用するのだ。


(第2901話) 自らの最期

2020年01月18日 | 行動

  “父が亡くなったときに葬儀会社からもらった黒いプラスチックの箱に自分が死んだときの段取りなどを記した紙や遺影用の写真を入れている。もちろんその内容は家族とも十分に話し合った。
 この箱の中には所有する土地、株式、預金、保険といったわが財産の明細書、布施の額や年忌の方法などのメモもある。私は俳句が好きで、葬儀のときに読んでもらう自作の句も既に用意してあり、葬儀で流してほしいと考える曲が収められたCDもそこに入れた。葬儀会社とは式次第の一切を決めていて、「家族葬で質素にするように」と私の願いを伝えてある。
 これで私の死後、妻と三人の娘が悩むことなく葬儀を進められるはずだ。お寺さんとも相談をして、墓の面倒をみる近親者がこの先いなくなれば永代供養をしてもらう手はずとしてもらった。自分の最期は自ら決め、家族には絶対に迷惑をかけたくない。”(12月23日付け中日新聞)

 三重県桑名市の松本さん(男・68)の投稿文です。自分の終末にここまでしているのか、びっくりである。今まだ68歳、何歳の時にされたのだろう。ボクなどまだ全く手つかずである。最近は、終末、終末とそれが義務のように言われる。でも考えてみれば、その必要性を感じる。昨年ボクは義弟の急死にあった。急死であり、1人住まいだったので、残された人には何も分からない。戸惑った。これを思えば、残された人が戸惑わないようにしておくのは、優しさであり、義務であろう。また自分の思いも伝えられる。
 実はボクも近年、しなければしなければと思ってきた。でもまだ元気である、いつ必要になることか分からない、そんな気持ちでなかなか本気にならなかった。そんなボクも昨年末、道路で倒れ、気を失った。突然何が起こるか分からない。いよいよ本気で取り組まねばならないと感じた。今年のすることのひとつと考えている。松本さんのされていることを参考にしたい。


(第2900話) 小旅行

2020年01月16日 | 出来事

  “出張で東京へ行った帰り、仕事が早く終わったので、各駅停車〈こだま〉に乗った。〈こだま〉は自由席が多く、並ぶことなく窓際に座ることができた。隣の席にカバンも置けて、少しくつろげる。ところが、「この列車に車内販売はありません」。しまった。車窓を眺めながら、のんびり缶ビールを飲もうと思っていたのに。
 でも大丈夫。〈のぞみ〉の通過待ちで、ほとんどの駅で五分ほど停車。小田原駅で飲み物を買い、新富士駅ではビール片手に富士山を鑑賞。豊橋駅では、おつまみのちくわも購入。
 「名古屋、名古屋です」〈のぞみ〉の倍近い時間をかけて、無事に名古屋到着。ゆとりある〈こだま〉の小旅行が終わった。”(12月22日付け中日新聞)

 「300文字小説」から名古屋市の介護福祉士・木村さん(男49)の作品です。実体験であろう。ボクも東京から「こだま」で名古屋まで帰ったことがある。木村さんと同じである。ほとんどの駅で止まり、止まると何本もの通過列車待ちである。こんなものかと本当に驚いてしまった。のぞみやひかりに乗り慣れていると、イライラしてしまうだろう。でも時間に余裕があれば、そんな急いでどうする、と言うところである。
 皆なぜか帰りを急ぐのである。列車の着くだいぶ前から立ち、早く降りようとする。バスツアーでよくガイドさんに「着くまで立たないでください」と言われる。そして、「皆さん着くと蜘蛛の子を散らすようにさっと帰られる」とも。そして忘れ物をする。それほどに家が恋しいのだろうか。旅に出るのは家を出たいからである。本当に人間の気持ちは分からない。と言いながらボクも似たようなことをしている。


(第2899話) ごみと闘い

2020年01月14日 | 活動

  “町内の組長から二年ほど前に「当たりましたよ!」と言われた。くじに当たってうれしくなかったのはこのときが初めてだった。町内会の保健委員に選ばれたのだ。手にした「保健委員手帳」は学校の生徒手帳のように規則が事細かに書かれてあった。
 大変な仕事だとは聞いていたが、保健委員は毎日ごみとの闘いだった。しかし誰かがやらなければならない仕事だ。町を見回るといろいろなごみが捨てられていて、公園には祖大ごみをはじめ、中身の入った缶詰、ペットボトルなどが落ちていた。ごみ収集車が行った後にごみを捨てる人がいたり、不燃ごみ、プラスチックごみ、可燃ごみを分別しないで一つの袋に入れて出す人がいたり・・・。  そんな保健委員の任期もあとわずかになった。夜遅くまで続く委員会の会合や盆踊り会場でのごみ当番は実に大変だったが、やりがいがあったのは間違いない。”(12月19日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・白水さん(51)の投稿文です。やってみて始めて知ること、びっくりすることは度々であろう。と言うより、やってみて始めて本当のことがわかるのである。
 小さなことと思えることでもそうである。例えば、私がしている12人ばかりの会ですが、建前上メールで連絡するだけである。ところが何人かは出欠席の返事が来ない。電話をすることになる。また近くになって都合で欠席となる。会場に人数変更の連絡をしなければならない。順調ならただ1回で済むところであるが、ほとんどはそのようにならない。白水さんの保健委員は、大変だと聞かれていたから、大変な役なのだろう。そしてやってみて、その大変さを身にしみて感じられた。世の中理不尽なことがたくさんあること知られた。この経験はいろいろなところで生きるのである。
 今私が危惧していることは、こうした役の引き受け手がないことである。入退会自由な会なら、役の打診をしただけで、それなら止めさせて貰います、となってしまう。老人会などその典型である。町内会でも入退会自由という流れが出てきた。一部の人の負担が大きくなってしまう。本当はやってみるといろいろ知ることができ、やり甲斐も感じられるのにである。しかし、やらないだけならまだしも、苦情を言うことだけは広がっていく。これからどうなるのだろう。


(第2898話) 中村哲さん

2020年01月12日 | 出来事

  “アフガニスタン復興のため長年、医療や砂漠の緑化などに従事してきた医師の中村哲さんが銃撃を受けて亡くなったとの報道に触れ、衝撃を受けました。私は二十年ほど前からペシャワール会の一員としてアフガニスタンの緑化計画を見守ってきました。年々広がっていく緑の大地の写真を会報で見ることが楽しみになっていました。中村さんは「人間が生きるのに必要なのは水と土地と食べ物だ。戦争などで解決することは何もない」と語り、丸腰だからこそ敵もつくらずに安全だという生き方を実践していました。
 反政府武装組織タリバンと米国が交渉してもうまくいかないのは、アフガニスタンをこれほどまでに荒廃させた一因に大国の軍事干渉があるからでしょう。中村さんはアフガニスタン国民から信頼され、感謝され、尊敬されていました。
 中村さんのような無私な方がいたことを、私は日本人の一人として心から誇りに思います。ご冥福をお祈りいたします。”(12月18日付け中日新聞)

 岐阜市の林さん(女・66)の投稿文です。中村さんの死についてはいろいろなところで語られ、投稿文もよく目にした。林さんは「ペシャワール会」の会員と言われる。一般の人よりもっと身近で見てこられたであろう。そんな人の投稿文である。日本人にこんな人があったことは誇りである。他にもまだいろいろな人が、思いがけない立派なことで活躍している方があろう。中村さんに国民栄誉賞をと言う声が見たが、本当にこのような人にこそ国民栄誉賞を贈ってほしいものだ。
 中日新聞の2019年国内国外の十大ニュースを見て、内心驚いた。ほとんどが悪いニュースである。特に国外では、ほとんどが政治的対立である。政治的対立とは経済的対立でもある。中村さんが言われる「人間が生きるのに必要なのは水と土地と食べ物だ。戦争などで解決することは何もない」と、全くそのままである。先日緒方貞子さんのテレビを見た。中村さんに通じるものを感じた。建前、前例、理屈ではない。目の前に困窮した人が居るなら、何よりその人たちをまず救うことである、と言われていた。このような人たちを自分と同列することはできないが、考え方だけは共有したいと思う。