寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3806話) 不審なメール

2025年02月28日 | 出来事
 “私のスマートフォンに電子メールが届き、「久しぶりに一緒にお食事でも」とありましたが、心当たりがないアドレスからの発信ゆえ放置しておきました。翌日、「来週休みが取れたので予定を教えてください」と再び連絡がありました。私はさすがに気になって「どなたですか?」と尋ねました。すると「○○ですが、△△さんではないですか?」とあり、私は「違います」と返したら、「友達から聞いたアドレスに送信しましたが、間違いのようで失礼しました」とのメッセージが届きました。その翌日には「これも何かの縁でしょう。またメールしてもいいですか」と。
 ここで私は不審に思い、調べたら詐欺に誘導する手口のようでした。それにしても、ずる賢いですよね。”(2月3日付け中日新聞)


 愛知県豊田市の自営業・山田さん(男・76)の投稿文です。電話詐欺については、1月31日の第3792話、2月6日の第3795話でも扱いましたが、今度はメールです。こんな手の込んだこともするのですね。今の時代何を信じていいのか分かりません。最近マスコミで話題になっているSNSでの事件など、全く普通の人を巻き込んでいます。これが社会の進歩でしょうか、全く疑わしく思います。
 近寄らぬが安全でしょうが、このようなメールもあります。電話はもっと頻繁でしょう。固定電話の要件も多く、ボクの家では止めるわけにはいきません。以前は電話が鳴ったらすぐに取り上げ、自分から名乗り上げるのがマナーでしたし、そうしていましたが、今はこんなことはできません。留守電になるまで待っています。その声が伝わっても鳴り続けるようでしたら出ることにしています。宣伝はほとんど留守電に入れません。携帯電話も同じです。登録のない番号は留守電に入れてもらってからにしています。でもこれはボクの感覚では失礼な行為です。我々の常識がどんどん崩れていく。



(第3805話) 物を大事に

2025年02月26日 | 出来事
 “高さ2メートルぐらいの破れたふすまを持った若い女性とその母親らしき人がホームセンターにいた。直すための道具でも買いに来たのだろうか。私が「家から外して持って来たの?」と尋ねたら、母親らしき女性が少し恥ずかしそうにうなずいていた。世は大量消費社会となって久しいのに、古いものを大切に使おうとする2人の姿に感激した。私が生まれ育った戦後すぐは物資が乏しく、今は亡き母が障子の紙をよく張り替えていたことを思い出した。気付けば私の頬は緩んでいた。
 ホームセンターの駐車場で、車にふすまを載せようとする2人を見かけた。若い女性が手を振ってきたので、私は「頑張ってね」と返した。物を大事にする姿勢を、私こそ見習わなきゃと思った。”(2月1日付け中日新聞)


 愛知県豊田市の冨田さん(男・78)の投稿文です。地球上のものは今あるからと言っても有限です。粗末に扱うことが良いはずはありません。ふすまの張り替えでホームセンターと言われるが、どんな状況かよく分かりません。でも持ち込むのが大変な大きなものですので、それなりの必要性があったのでしょう。ものを大切に扱う、いくら豊かになってもしなければならないことです。でも手を掛けるのが面倒になる。お金で済めばと、つい楽な方に動いてしまう。ここは正常な判断が必要です。
 ものは消費してお金を回さないと、豊かにならないとばかりに消費を進めます。政治家などへの要望も、景気対策が何十年経っても、未曾有の好景気と言われたときにも要望の一番です。人間の経済的欲望はキリが無いということです。このことを頭に入れていないと、いつまでたっても足らないだけです。それで満たされた気持ちになれるでしょうか、よく考えてみたいものです。



(第3804話) 山の思い出

2025年02月24日 | 出来事
 “昨年11月15日付本欄「息子と登る北アルプス」を読み、燕岳から常念岳までを縦走した30年前のことを思い出しました。職場の仲間から誘われて私は山登りを始めました。東海自然歩道を手始めに三重、滋賀県境の鈴鹿セブンマウンテンを踏破し、リーダーは「次は蝶ケ岳!」と言いだしました。思いも寄らない北アルプスデビューが決まりました。蝶ケ岳へは上高地から入山しました。大きな荷物を背負った山岳部の学生さんと擦れ違い、私も同じ山に登るんだと思ったらワクワクしました。その翌年、私たちは2泊3日で燕岳から常念岳を縦走しました。燕岳山頂からのパノラマ、雲の切れ間から差し込む陽光の美しさに心が癒やされました。山荘を後にして常念岳へ向かう際は青空に恵まれ、富士山を横目に尾根を歩く至福の時間を送れました。こんな山の思い出に私が浸ることができるのは仲間の誘いがあったからこそ。感謝しています。”(1月31日付け中日新聞)


 愛知県春日井市の主婦・石垣さん(74)の投稿文です。登山について、ボクも石垣さんと同じような体験をしてきました。ジョギングから始まりウォーキングへ、そして、近場の低山へ。記録を見ると鈴鹿山脈へ行き始めたのは、平成6年からです。50歳過ぎてからです。セブンマウンテンも登ったと思います。鈴鹿山脈は近いとともに急坂が多く変化があります。そして平成7年7月にここで話されている蝶ヶ岳、常念岳、大天井岳、燕岳を2泊3日で登っています。アルプスへの挑戦の始まりです。職場の仲間とです。仙丈ヶ岳、西穂高岳、木曽駒ヶ岳、宝剣岳、南・北八ヶ岳等に登ってます。そして、登山は一宮友歩会の発足と共にほぼしなくなりました。一時期の登山でしたが、いい体験、思い出になっています。良い機会を与えられたと思います。ボクから言い出すことも多いですが、登山はボクから言い出すことはなかったでしょう。誘ってくれる友達がいたからです。



(第3803話) 立候補の学び

2025年02月22日 | 行動
 “私は、学校の生徒会長に立候補しました。選挙の結果、生徒会長にはなれませんでしたが、貴重な体験をすることができました。友達の大切さが身に染みました。私が「生徒会長を目指す」と言ったら、友達はすぐ推薦人になってくれました。友達はすごく応援してくれ、その言動に触れるたび、私は力をもらいました。
 もう一つ、私が学んだことは挑戦し続けることの大事さです。生徒会長になった相手はどの学年からも人気があって、選挙戦の間、私には勝ち目がないなと思いました。でも私は諦めませんでした。どんなに困難な状況でも、私は生徒会長になって、みんなをリードしたかったのです。私は4月から中学校3年生、最高学年となります。今回の貴重な体験を踏まえて、人間として一回りも二回りも大きくなれたらと思っています。”(1月27日付け中日新聞)


 滋賀県東近江市の中学生・松吉さん(女・14)の投稿文です。今の中学校の生徒会がどうなっているか知りませんが、生徒会長に立候補されたのはいい経験になったようです。何事も機会があったらやってみることです。特に若いときはそうです。その経験はいつか生かされます。松吉さんはそのことを実感されました。
 人から押されて役を引き受ける、自分から名乗り出てその役を負う。これには大きな違いがあります。例えば前者だと協力が得やすい、後者だと自分から道を開いていかなくては行けない。ボクもこの歳になればいろいろな体験をして来ました。余り積極的では無かったので、やはり前者が多かった気がします。そして後者の例として、最近では老人会会長です。このままでは潰れると思って、自ら名乗り出ました。そしてもう5年です。十分にやり甲斐を感じています。



(第3802話) 黄色の新幹線

2025年02月20日 | その他
 “東海道新幹線が開業した1964年10月、私は保育園の年長児だった。現愛知県清須市の実家は新幹線の線路に近く、車両が見えると歓声を上げた。庭で遊んでいたら見たことがない黄色の新幹線が走っていて慌てて飛び出した。この黄色の新幹線を「ドクターイエロー」と呼ぶことを知った。客を乗せない点検用車両ということも分かった。たまに目にしたこともあって、私はいつしか気にも留めなくなった。
 私は現在実家近くで暮らしている。ドクターイエローをまた意識するようになったのは、JR東海管内では1月いっぱいで運行を終えるとの報道に触れてから。雄姿を記億すべく写真に収める今日この頃だ。”(1月25に付け中日新聞)


 愛知県清須市のパート・丹羽さん(男・65)の投稿文です。ドクターイエローが1月で運行を終えるというニュースに愛好家は大騒ぎのようです。ボクは見たこともないし、それで余り興味も無かったのですが、知人が追っかけ状態でしたので、自然話題に引き込まれました。LINEで何枚もの写真を送ってくれました。その写真には多くの待ち構える人が写っていました。通過駅構内では、群衆整理に駅員が汗だくだったようです。こんなところでは平和日本を感じます。
 ドクターイエローは新幹線の点検を続けてきました。点検の多くは地上部です。そして点検するのに邪魔も入りません。しかし、地下にあるものの点検は本当に大変です。今、下水道の漏水事故など、大騒ぎをしています。昭和40年代に多く作られました。もう50年になります。これからこんな事故がどこで起こるか分かりません。関係者の努力をお願いします。



(第3801話) 続けるのが目標

2025年02月18日 | 人生
  “2月で私は60歳。思えば子どもだったとき、60歳といえば、人生もあとわずかという感じがしましたが、それも今は昔。60代はまだ現役世代で、保育園でバリバリ働く先輩たちに触れるたび、私も「まだ、老け込む年ではない」と言い聞かせています。
 今年の抱負として私は「心に余裕を持って一日一日を大切に」を掲げました。わが子3人と同じ20~30代の後輩みたいな体力や瞬発力は、残念ながらありませんが、仕事や子育てで培った人生の経験が私にはあります。それを生かしながら、園児の安全と健やかな成長を願って勤務にまい進する所存です。保育士としての仕事での疲れをいい意味でリフレッシュするために、趣味のピアノ演奏や音楽鑑賞で常にわが心をリセットしようと考えています。一日でも長く保育士を続けるのが私の目標となりました。”(1月25日付け中日新聞)


 名古屋市の保育士・水野さん(女・59)の投稿文です。60歳で定年、一区切りでしょうか。そうだとすれば、意識を変えるいいチャンスです。一生一筋、頑張るという生き方もあると思いますが、区切りを上手に使っていくという生き方もあると思います。水野さんは保育士を続けて行かれようですが、臨み方は変えてもいいでしょう。「心に余裕を持って」と言われます。大切なことです。余裕を持てばいろいろな見方ができるし、いろいろなこともできる。趣味にもっと時間を使おうと言われます。これもありです。健康である第一の秘訣はストレスを減らすことのようです。余裕を持ってば何によりです。余裕を持てば仕事にもいい影響を及ぼすでしょう。全てが良くなる、間違いないと思います。



(第3800話) 新聞記者の仕事

2025年02月16日 | 出来事
 “将来の職業選択などに役立ててもらおうと、中日新聞一宮総局の児島恵美記者(25)が21日、一宮市の大和南中学校の授業で講師を務め、新聞記者の仕事などを語った。さまざまな職業に就く人の話を聞くキャリア教育「職業人に学ぶ会」の一環。同校1年生ら約20人が耳を傾けた。
 児島記者は、仕事の魅力について「常に新しい発見があること」などと紹介。自身がイラストを描き、地元のスーパーを紹介した連載「尾張スーパー巡り」や日ごろの取材活動も話し、関心事を記事にできることも魅力と語った。
 1年生の杉山弦輝さんは「いろいろな所で取材し、間違いがない記事にするのは大変だと思った。これからは1ページずつ丁寧に新聞を読んで勉強したい」と話した。(後略)”(1月23日付け中日新聞)


 記事からです。こういう話を聞くと、今の学校はいろいろな取り組みをされていることを知ります。いろいろな知恵や体験からでしょう。いいことだと思います。
 ボクがこの記事を取り上げたのは別の意味からです。実はこの小島記者は先日、わが家を訪れられたのです。理由は、今わが家の近くの産廃処理が問題になっていて、もう一年以上山積みになったままです。産廃業者が破産したということらしい。そしてその山積みの産廃にアスベストが含まれているらしい、と言うことです。我が家は近いので取材に訪れられたのですが、そして問われるままに自分の感じていたことを話しました。最後に名前と電話番号を聞かれました。それを告げる代わりに、一宮友歩会の会長です、と答えたのです。数日前に、例会案内を載せてもらうように一宮総局にFAXを送っていました。そう告げたら、その担当は私です、と言われてすぐに分かってもらえました。思いがけないことです。ボクのホームページに「縁あればこそ」という随想を載せました。小島さんとも縁でしょうか?この先が楽しみになってきました。



(第3799話) 敗者の姿

2025年02月14日 | 出来事
 “2、3両日の東京箱根間往復大学駅伝はぼぼ毎年テレビ観戦している。今年は予想通り、青山学院大が大会新記録で2年連続の総合優勝を果たした。強豪の駒沢大も復路で優勝し全体2位だった。私が今回印象に残ったのはそんな2強の力走の裏で「繰り上げスタート」を強いられた選手たち。時間切れに気付かず、次の走者に渡そうとたすきを手に持って必死に走る姿には思わず目頭が熱くなった。既にチ-ムメートは繰り上げスタートしていて、誰もいない中継所にたどり着いたときの心情を思うとやるせなくなった。
 駅伝は勝ちか負けかという厳しい競技でもあるが、私はテレビ観戦者の一人として、この先も、敗者のドラマにも注目していきたいと強く思った。”(1月23日付け中日新聞)


 岐阜県神戸町の団体職員・馬渕さん(男・67)の投稿文です。正月に箱根駅伝を見て過ごす方は多いのではないでしょうか?ボクもいつからかは覚えていないが、かなり昔からです。用事が無ければ、最初から最後まで見ています。それだけ引きつけるものがあります。そして馬渕さんのこの意見です。勝者も大変だったでしょうが、敗者はもっと大変だったと思います。勝者以上にドラマもあったでしょう。そして陽も当たらない。勝負事ですから仕方がないでしょうが、敗者にもっとスポットが当たってもいい気がします。スポーツは2位もビリも同じという人もあります。と言う人には大半が敗者になります。勝ち負けにこだわりすぎる気がします。人は1人です、それぞれに状況、環境は違います。いろいろな人に目を当てたいものです。馬渕さんはそんな人にも目を当てられました。



(第3798話) 因縁の14日

2025年02月12日 | 出来事
 “15年ほど前に亡くなった義母は、誕生日が5月14日である。その義母は、長男を40歳の若さで作業中の事故で亡くした。その日も5月14日だった。その後、年を取るにつれ、時々体調を崩し、病院に行くことが多くなったが、不思議なことに、その日が月は違っても14日ということが度々あった。
 それ以来、私は14日が大嫌いになり、何かを始めたり出かけたりすることがあっても、14日は避けるようにして暮らしてきた。義母は、そんなことを何も気にしていなかったけれど、私はどうしても気になった。そんな義母も最期の時が来て、その日は寒い1月12日だった。そして葬儀が14日だった。最後まで14日なんて、何かの因縁かと思ったものである。
 しかし、私にはまだまだ続きがあった。以前からお世話になっている総合病院の主治医が開業された。私はそちらに転院することになり、最初に受診に行った日、新しく診察券をいただいてビックリ。診察券の番号が14番だった。もう一生、14の文字から逃れられない、どうして?とショックだった。それでも時は流れ、最近はこうじて元気でいられるのは、14という数字が私を守ってくれているからかも、と思うようになった。感謝の気持ちで毎日を過ごしている。”(1月21日付け中日新聞)


 岐阜県土岐市の尾関さん(女・85)の投稿文です。単なる偶然でしょうが、何とも理由の付かない、こういうことがありますね。これほど繋がったことではないですが、ボクもこういう体験があります。中学生の頃です。中学1年の10月6日、父が交通事故に遭い、生死をさ迷いました。結果は2ヶ月ばかりの入院と少しの後遺症で終わりました。そして中学2年の9月26日が伊勢湾台風でした。わが家も大変な被害でした。そして高校1年の9月16日、第二室戸台風でした。この台風の来襲は昼間でしたの、様子がよく分かり伊勢湾台風より恐かった覚えです。このように一時、6の付く日を嫌っていました。時とともにこの意識はなくなりました。
 ところが人生分からないもので、父の交通事故がきっかけで、高校に進学することになりました。中学で止めて農業を継いたら、どうなっていたでしょうか。人生は繰り返すことができないので分かりませんが、全く違っていたものになっていたでしょう。ボクは良かったと思っているので、幸いに動いたと思っています。



(第3797話) 年賀状

2025年02月10日 | 意見
 ”100枚ほど届いた年賀状のうち今回で最後にするというものは6~7枚と例年より多かったです。世はインターネット時代で郵便料金の値上げも影響しているよう。それに加え、私たち高齢者からすれば、年賀状をしたためるのが面倒になってきたことや、生活が単調になってきたゆえの話題のなさも年賀状じまいと無縁ではない気がします。
 それでも私は普段なかなか会えない友人や親族に年賀状を出し続けています。自分を省みるという意味も込めて趣味の出来事や新年の目標をつづっていて、今年の目標として好奇心や向上心、チャレンジ精神を大切にすることを掲げました。人生100年時代。年賀状を交換し合う仲間と切磋琢磨し、少しでも健康寿命を延ばせたらと思っています。”(1月21日付け中日新聞)


 愛知県弥富市の自営業・鯖戸さん(70)の投稿文です。年賀状、ボクも“近年は最後にするというものが多くなっていました。しかし、ボクは自分からは言い出さないつもりでしたが、昨年末心変わりをして、出さないことを伝えてしまいました。お決まりの干支の絵やありきたりの儀礼文が多く、あまり意義を感じていなかったのも事実です。結局メール等で事前に連絡がつかない人以外の20名ばかりに年賀状を出して終わりにしました。郵便料金の値上がりも大きい理由でした。
 そして、メールやラインで何十人もの人に新年挨拶文を送りました。長々とした近況報告や今の気持ちを書きました。今まで年賀状を送っていなかった人にも送りました。今思うにこれも一つの方法でしょう。これでよかったと思っています。来年もそうするつもりです。